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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
三章 巡礼双逢篇
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13話 逆しま霊道、辿り目指すは神域行1

 五行結界の外縁が大きく揺らぎ、音も無く幻と消え去った。

 その刹那、堰き止められていた瘴気が、赤黒い奔流と化して内側(うち)へと雪崩れ込む。


 ――瘴々と哭き上がる、抗う術無き地の精霊たちの悲鳴。

 (ケガ)れた輝きとは裏腹の静かな浸透は、結界の内側(うち)に並ぶ木立を次第に青枯らしていった。


「山ン本殿が、成就されたようですなぁ。

 ――だが仕方のない事と慰めても、やはり早かった」


 霊道を間近に望む山間より瘴気が溢れ、渦巻く暗闇の狭間から滑瓢(ぬらりひょん)が一歩を踏み出す。

 漏れる呟きに滲むのは、色の濃い韜晦の響きであった。


 瘴気の輝きに翳る秋天は未だ高く、誰そ彼を問うにも時刻は早い。

 天の運行は陽気の優位を保ち続け、地に満ちる瘴気も浄化の炎に浸食の速度を鈍らせていた。


 五行結界とは、央都に等間隔で(そび)える五柱の要山を以て成立する結界である。

 茅()輪、神籬、玖珂太刀(くがたち)、鐘楼、三津鳥居。本来は独立している要山を、10もの霊道で結ぶ防御結界。


 相生の霊道を巡る事で神気を増幅し、相克の霊道を巡る事で制御する。

 完成する事で央都は、外部からの悪意を一切受け付けない堅牢な護りを手にするのだ。


 苦く滑瓢(ぬらりひょん)が見上げる視線の先で、要山の結界がその堅牢さを保ち続けている。

 つまり五行の神柱に返るはずの反動も、その大方が最低限度に収まっていることを意味していた。


 ――五行結界の要を崩す滑瓢(ぬらりひょん)の策動は、目算から5割の成就が精々と云う辺り。


「崩れ方からして、五行結界に降りた神柱は三柱。結界の強化に入ったのは、高御座(土行)を除けば朱華媛(火行)辺りで御座(ござ)いましょうか」


 火行を交えない庚神社は、火気を弱点とする唯一の要だ。

 結界の制御を担う相克の霊道。この一点が崩れた場合、相生の霊道で無制限に増幅された神気に五行結界自身が圧し潰される結末を迎える。


 庚神社が五行結界の内部に存在する点が問題だが、山ン本五郎左エ門が手勢に加わった事で解決の目を見た。


 ――しかしこの策動は、五行の神柱が総て揃ってこそ真価を発揮する。

 揃った神柱は三柱。しかも直撃を受けたのは、先行した朱華(はねず)が精々といった辺りだ。

 百鬼夜行の警告を早くに上げていたため、火行の先行に関しては、驚きも無い。

 しかし、既に到着していたはずの陣楼院(じんろういん)が本腰を入れる前に庚神社が陥落したのは、滑瓢(ぬらりひょん)の予測からも大きく外れていた。


 西部伯道洲(はくどうしゅう)の大神柱である月白(つきしろ)は、特に拙速を旨とする策動を好む。

 特に今回は、百鬼夜行の時期がほぼ確定されている。そうである以上、先手を打つことに躊躇うことは無いと滑瓢(ぬらりひょん)は予想していた。


 しかし陣楼院(じんろういん)(かんなぎ)は、山に入って以降、動いた様子が見られない。

 お陰で滑瓢(ぬらりひょん)の策動も、中途半端に終わってしまった。


 滑瓢(ぬらりひょん)が狙ったのは、その霊道の1つ。相克の霊道を支える道祖神の庚神社であった。

 相克の要を陥落せしめる為に用意したものが、パーリジャータと呼ばれる潘国(バラトゥシュ)の神器。


「――パーリジャータの権能を流れの操作と偽った甲斐があったわ」


 勢力の拡大に、潘国(バラトゥシュ)が軒昂と野心を燃やしていた時代。当時の王統に連なる重鎮を唆し、高天原(たかまがはら)へと涅槃教を侵攻させた折に打った布石の1つ。


 半神半人ではない重鎮に、神器の詳細など知らされるはずも無い。

 故に、侵攻を画策したものたちに紛れた滑瓢(ぬらりひょん)は、神器の権能を微妙に偽って伝えたのだ。

 潘国(バラトゥシュ)の重鎮。――延いてはその知識を下地にするしかない高天原(たかまがはら)のものたちも、パーリジャータの権能を流れの操作と思い込むはず。


 だが実際の権能は違う。

 始点()終点(ウン)。対となる2本の神器を結ぶことで、干渉不可能の霊道を構築する事こそが真の権能。


 実際、表向きの権能としては間違いでも無いが、その仕様では武器としての側面が強く見えてこない。

 武器としての危険性が低いと判断すれば、違法に(わた)った神器を滑瓢(ぬらりひょん)の釣り出しに利用するのは、奇鳳院(くほういん)にとって考慮すべき選択肢の一つに換わる。


 加えて幸いにも、シータは火神としての側面も併せ持っていた。

 つまり相性の良い火行の精霊遣いであれば、救世の神柱(シータ)が応える可能性が高い。

 情報の少ない奇鳳院(くほういん)にとって咲を候補に含めた火行の精霊遣いにパーリジャータを(わた)す選択肢は、この時点で無視のできないものへと変わった。


 源南寺(げんなじ)で引き抜かれた始点の杭が正式に(わた)った神器である以上、奇鳳院(くほういん)本邸に安置するしかなく。その時点で、終点の杭は奇鳳院(くほういん)が特に(たの)む手勢に(わた)す流れになるはずだ。


 後は終点の杭を奪い、朱華(はねず)の神域と終点の杭を結ぶ。瘴気を介入する事無く、朱華(はねず)の神気を以て庚神社を陥落せしめる事が可能となる。


 先行した朱華(はねず)だけ結界の崩壊を正面から受けたはずだが、元が自身を由来とする神気の逆流だ。

 結論として滑瓢(ぬらりひょん)が望めるのは、時間稼ぎが精々と云った辺りか。


「―――()。悩む暇も惜しいわ。

 相克の霊道が機能を止めた現在、高御座の神域まで相生の霊道を抜ければ一足で辿り着く。――待っておれ高御座。身共は既に、その首へと手を届けているぞ!!」


 高らかに勝利を歓び、滑瓢(ぬらりひょん)は双眸を見開いた。

 その先に(そび)えるのは三津鳥居山、金行の大神柱(月白)(いま)す要山の一つ。

 ――滑瓢(ぬらりひょん)の周囲に侍る(ケガ)レの群れが、只々、欲望のままに猛るその咆哮を響かせた。




「けほっ」「……無事かの、神楽(かぐら)?」


「はい、しろ(・・)さま。けほ」


 立ち込める神気の残滓を振り払い、しろ(・・)は本殿の内装を見(わた)した。

 見えるだけの周囲には護摩壇に注連縄、祭壇であったその残骸が散らばっている。


 台風一過とも見紛うほどに荒れ狂ったその様相は、火行の神気が月白(つきしろ)の要へ逆流した事を意味していた。


「お片付けを」


「休んでおけ、神楽(かぐら)あか(・・)の神気を真面(まとも)から受けたのだ、気付かぬとも調子が崩れてしまうぞ」


 神楽(かぐら)の気遣いに労りを返し、月白(つきしろ)は内心で安堵を漏らした。


 要山に入る予定であった三宮四院の内、神楽(かぐら)は最も年齢が若い。

 心身が成熟に入る直前の年齢10。できる限りの負担を減らすべく、様子見に徹した姿勢が吉と出た格好だ。

 お陰で、朱華(はねず)の神気は直撃の寸前で免れている。


 火克金。火気の直撃を受ければ、神楽(かぐら)は勿論の事、月白(つきしろ)もただでは済まない所であった。


 それよりも、と思考を切り替える。

 滑瓢(ぬらりひょん)とやらの陰謀である事は間違いないだろうが、相手の手管が今一つ見えてこない。


 月白(つきしろ)は舌打ちを残して、己の繊手を(ひるがえ)した。

 その掌中に納まる、一掴みの筮竹。


「相手の仕掛けが霊道ならば、星詠みが一番であろうがの。……致し方あるまいさ」


しろ(・・)さま。易占は、」


「五行結界が揺らされた以上、確度は下がろうが。無いよりはマシであろう」


 口惜しく漏らす金行の大神柱は、声に暇を置くことなく筮竹を床に散りばめた。

 ざらり。幾本もの細い竹が、大小様々に床を跳ねる。


 散じたものを見据えて、月白(つきしろ)は眉間に皺を寄せた。


「――陽気は生き、陰気が死ぬ。

 見ず、聞かず、云わずを如しとする。

 金行、 、我か。いや相生の要に手出しをすれば陽気が生きることは無い。

 陰気が死んだならば、手出しをしたのは相克の霊道か」


 筮竹から返る情報の断片を捉え、月白(つきしろ)は確定した事実のみを拾い上げる。

 覚悟はしていたが、やはり読み難い。


陥落(おち)たのは、五行結界の内部にある庚神社であろうな。

 どうやったかまでは知れんが、あか(・・)の神気で撃ち抜いたのであろう」


救援(たすけ)を向けますか?」


「央都が抱える近衛に任せよ。常日頃の怠慢分、扱き使われても笑い話の一つになろう。

 それよりも結界が消えたのじゃ。我が敵なら、」


緊急警報(キンホウ)――――っ!!」

 懸念を舌に乗せようと月白(つきしろ)が口を開いた時、緊張に満ちた伝令の叫びが本殿の静寂を斬り裂いた。

 俄かに騒々しさを増す本殿の手前で、伝令が膝をつく。

(ケガ)レの群れが、三津鳥居山の麓を襲撃。

 神楽(かぐら)さまに()かれましては、至急、迎撃の許可を戴きたく要請が上がっています!」


「……で、あろうな。

 滑瓢(ぬらりひょん)の狙いが高御座(はは)さまなれば、相生か相克、何れかの霊道を辿って茅()輪から央都の神域へと至るしかない。

 相克の霊道を陥落せしめた以上、相生の霊道を抜けて要山を巡るが本統よな」


 焦躁を隠せていない伝令の声音。本殿を固めていた周囲に、尋常ではない緊張が走った。


 金行は遠距離を得手とする反面、接近や護りは他行に到底及ばない。

 要山の結界は未だ健在と云えど、最も守備に薄い金行を霊道入りに狙うのは理に適っている。

 苦く、相手の策を読む月白(つきしろ)の横で、騒めく雰囲気を制するように神楽(かぐら)が声を張り上げた。


「事前の手筈に従い、迎撃を許可します。

 ……近衛のものたちは?」


「下位の衛士たちが少数だけは。

 隊上位の衛士たちは、先刻に揃って、その、」


 伝令の語尾に、濁るものが混ざる。神楽(かぐら)への対面を願おうと、鼻息を荒く奏上を繰り返していた初老の衛士が記憶に浮かぶ。


 あぁ。思わず、神楽(かぐら)咽喉(のど)から納得の呼気が漏れた。

 ここで戦力が減ったと考えるか、切り捨てるだけの端数(無能)が減ったと考えるかは神楽(かぐら)の器量次第である。


 所詮は当てにもしていない戦力と見切りをつけて、こっそりと懐に忍ばせておいた状況への対応帳(カンペ)を覗いた。


「ええと。戦時、黄の一。だよね? 獣除けの松明を燃やして、麓の平地へと誘導させなさい。結界の接点に相手を引き込んで、遠距離からの爆撃を以て百鬼夜行の頭数を減らします」


 対応帳頼りであったが、迷いのない指示は伝令の浮足を地につける効果はあったようだ。

 即座に応諾が返り、伝令は本殿の前から退く。


「――はぁっ」

 余人の気配が薄れ、神楽(かぐら)は気付かれぬように疲労を吐いた。


「疲れたかの?」


「はい、 、 、あ、いえ。その、……すみません」


 未だ幼い少女が、取り繕うように両手を振る。

 だが、無駄に気勢を張るよりはと、肩を落として月白(つきしろ)の指摘を認めた。


「空元気で疲れるよりは、素直に現状を認める方が上策よ。

 それにこの事態は、我らも充分に予想をしていた。対応策も打ってある、気負わずとも良い」


「お父さまは現在、鐘楼山と聞いています。

 ――間に合うでしょうか?」


 陣楼院(じんろういん)が誇る最強の守護も、三津鳥居山を離れてしまっては意味も無い。

 神楽(かぐら)の心配も当然だろう。――しかし、月白(つきしろ)は口の端に笑みを刻んで頭を振った。


其方の父親(弓削孤城)の本領は、単騎で周囲を更地とする。

 ――見ておれ。瘴気に煽られただけの雑多は勿論、怪異(上位の穢レ)であろうともあれには抗う事は出来ん」


 問題はただ一つ、強力過ぎる攻撃は反面に範囲の制御が叶わないという事実。

 故に、弓削(ゆげ)孤城は常に行使の制限が課せられ、単騎か少数での行動を原則としているのだ。


 遊軍として戦場を動き、敵中から殲滅を行う。それこそが弓削(ゆげ)孤城本来の闘い方であった。


 ――それに。

 口にこそ出さなかったが、帰途についているだろう孤城に月白(つきしろ)にはもう一つの思惑も委ねていた。


 神無(かんな)御坐(みくら)。その真偽と力量のほどを、自身の領域で確かめる。

 あわよくば、相手との間に無視のできない誼を通わせるのも一興か。


 未だ顔も合わせた事の無い少年を想い、金行の大神柱は薄く微笑みを浮かべるだけに留めた。


 ♢


「で? お前って結局、何方(どっち)なんだ?」


「え?」


 焦躁のまま駆ける晶の脳裏に、数日前の会話が蘇った


 ――短くも無い沈黙の後の一声を理解できず、晶の表情が呆けたものに変わる。


 雨月颯馬(そうま)との僅かな邂逅を遣り過ごした後、気の抜ける暇も無いままに学院の裏手に連れてこられた晶が、腕組みをする久我(くが)諒太と対峙した時の事であった。


「惚けんなよ。……雨月か同行(どうぎょう)か、手前ェは何方(どちら)かって訊いてんだ」


 予想もしない唐突なその指摘に、晶の双眸が見開かれた。




「おい。呆けてんじゃ無ぇぞ、晶!」


 記憶で遊んでいた思考が、諒太の叱咤で否応なく現実へと引き戻った。

 現神降(あらがみお)ろしの行使を維持して既に1刻。少なかった穢獣(けもの)の群れも、次第に視界に映る影の数を増していく。


「――済まん」


 短く決意を返し、晶の手元から火気が立ち昇った。


 膨大な精霊力が水平に薙ぎ払われ、朱金の軌跡が飛び掛かる鹿(しか)を数匹纏めて上下に腑分け。

 ――末期の悲鳴も残すことなく鹿(しか)が肉の塊へと還り、断面から炎を上げて炭と化した。


 討ち漏らした鹿(しか)の残りが、角を振り翳して晶の進路を遮る。

 代り映えのしない鹿(しか)の行動に、しかし直後に吹き荒れる剛風と衝撃波が、鹿(しか)の躯を粉微塵へと変えた。


「大丈夫なんだろうな、奈切先輩よぉ。

 これで玖珂太刀(くがたち)山への到着が遅れれば、久我(くが)からも一言を覚悟してもらうぜ」


「安心しろよ、――多分。

 師匠(いわ)く、三津鳥居の安全を確保できたなら確実最短を提供できる。――んだと」


 周囲に漂う鹿(しか)の血臭を振り払い、奈切迅と久我(くが)諒太が回気符を励起させた。

 二人と違い精霊力に余裕のある晶は、青白い炎が齎す恢復を待ちすがら周囲の警戒へと移る。


「多分、とか。だと、とか。

 信用に難しいのは自覚あるよな。どんな方法かも判らないのかよ」


「俺だって初耳だぞ、仕方ないだろうが。

 ――それに俺たちは少数だぞ、これ以上の分断は避けた方が良い」


 野槌(のづち)を斃し、鐘楼山へと戻った晶たちに届けられた一報は、5つの要山にそれぞれ相当規模の百鬼夜行が襲撃したというものであった。


 百鬼夜行は、周囲の山野から(ケガ)レを瘴気で煽って一つの流れに変える。つまり基本的に、瘴気の流れに誘われた(ケガ)レの暴走こそが百鬼夜行の正体だ。


 (ケガ)レと云えど無限に生み出せる訳では無い以上、膨大な数であっても有限であるのは常識である。

 しかし現実には、相当規模の百鬼夜行が5つも生まれてしまっている。

 この矛盾に、晶たちの脳裏に数日前の山狩りが蘇った。


 口減らしを目的に、練兵たちを(ケガ)レに処分させる。

 一人一人は少なくとも、食餌(エサ)代わりとされた人間の絶望と憎悪は如何ばかりのものか。

 それが長年に(わた)る行為であるならば、五行結界の外側では野放図に(ケガ)レが殖える環境が整っていることを示唆していた。


 央都の悪習が原因だが、今更に問うても仕方は無い。

 問題の提議は後日に回し、晶たちは解決に乗り出した。


 鐘楼山を襲った化生は、この時点で晶が討滅している。

 こちらは守勢を堅持すれば護ることに容易く、結論として晶たちの取るべき行動は二択となった。


 つまり孤城の属する北西の三津鳥居山へ向かうか、晶の属する南東の玖珂太刀(くがたち)山へと向かうか。

 何方(どちら)も鐘楼山からは同じだけの距離を隔てている以上、選択の軽重は孤城と厳次(げんじ)の判断を待つだけであった。


 長引くかとも思われた選択の天秤が傾いたのは、僅かに悩んだ後。

 三津鳥居山から玖珂太刀(くがたち)山へと向かう最短の手段を提供する、という孤城の提案を厳次(げんじ)が呑むことで決定された。




 疾走する視線の先で、瘴気がその濃さを増す。

 晶たちへと吹き付ける荒涼とした風に、青く枯れ落ちる木の葉が混じった。

 ――目指す戦場は既に、目と鼻の先。


「――俺が先に征く」


 否定する理由も無い。晶の決意に肯いを返し、残りの2人が進路を譲る。

 短い間だが、3人の役割はその順番をほぼ決定していた。


 火生土、そして土生金。五行運行に()ける、相生関係の3人が揃っているのだ。

 そうである以上、晶の役割が初手で固定されるのは必然でもある。


 ――だが。

 目線を交わすことなく、晶は隼駆けを行使。

 朱金の輝きが残炎の軌跡を足元に刻み、地を翔ける飛鳥の速度が晶に宿る。

 精霊力が一条、後方へと細く棚引き、晶は2人を置き去りに駆けだした。


 時間が無いのはその通り。晶もそれは、充全に理解している。


 高御座(みくら)は云ったのだ。

 ――滑瓢(ぬらりひょん)の策を利用し、発動を早めたのだと。


 高御座(みくら)の目論見が、その半分以上を成功させたのは間違いなかった。

 だが滑瓢(ぬらりひょん)の討滅に届いていない現状、恐らく策は成立しないままに宙へ浮いてしまっている。


 この時点で、滑瓢(ぬらりひょん)にとれる選択肢は一つだけ。

 策が決定的な破綻を迎えるよりも早く、強引に策を成就させる。

 つまり現時点、滑瓢(ぬらりひょん)の策動は加速を続けているはずだ。


 ――時間が無い。

 焦る感情のままに、視界へと迫る(ケガ)レの群れを晶は見据えた。


 駆ける速度はそのままに、仮初に与えられた甲種精霊器を鞘に納刀める。

 代わりに右の掌を虚空へと差し伸べ、心奧に浮かぶその柄を握り締めた。


 ――それは、三昧真火(さんまいしんか)の精髄。

 ――寂しくも絢爛(けんらん)なる、一握の炎(・・・・)


絢爛(けんらん)たれ、」

 轟ゥ。丹田に生まれる熱塊を統御し、捲き上がる火の粉を振り払う。

 その掌に納まるは、刃すら見えない一振りの柄だけ。

「――寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)っっ!!」


 刹那。抜刀き放たれた一振りは、朱金(あけこがね)の軌跡を残して無制限の熱量を視界の先へと解き放った。




「……雨月、同行(どうぎょう)。何のことでしょうか?」


 内心の動揺を圧し潰し、努めて冷静に晶は口を開いた。

 言葉の端も震えていない。取り繕う口調は完璧であったが、そんな晶の小細工を諒太は鼻で(わら)い飛ばした。


「は。誤魔化しにもなって無ぇぞ。

 ……雨月かよ。あの野郎、随分な爆弾を隠し持っていたな」


「何故」


 飛躍した結論。だが正答を当てた諒太の断言に、晶の動揺は隠せない。

 小気味良さそうに晶を一瞥し、諒太は腕を組み直して種を明かした。


「俺が莫迦か木偶とでも? 2ヶ月前だ。初めて会った際にお前、何て云ったか覚えているか?」


「え」


 諒太の台詞に、大急ぎで記憶を遡る。

 最初に会った。となると、屯所の事務室だろうか。


「父上はお前の事を輪堂(りんどう)の妾腹って推理していたが、的外れも良い所だろ

 お前は最初、出身を――」


 ――出身は何処?


 ――國天洲(こくてんしゅう)です。

「あ」


 諒太の指摘に、咲と交わした言葉が蘇る。


 忘れかけていたその一言が記憶に浮かび、苦笑が堪えきれなくなった。

 晶の表情に諒太も堪えきれなくなったか、肩を揺らして一時の笑いに興じる。


「咲の癖は良く知っている。お前と咲は、あの時点で間違いなく初対面だった。

 なら、輪堂(りんどう)の縁者って線は消えるだろ。久我(俺の)家も論外なら、残る可能性は外。

 ――あの時点で嘘を吐く必要が無いなら、お前の出身は國天洲(こくてんしゅう)で決定だ」


「感服です。

 ――雨月の断定は?」


「……先刻、颯馬(そうま)の野郎を殺そうとしたな。

 お高く止まった第一位殿は、同行(第七位)相手なぞ歯牙にも掛けねぇよ。

 陪臣共々に、高みから見物気分が精々だ」


 だからこそ雨月へと殺意を抱くのは、身内の可能性が高いと踏んだのだろう。

 事も無げに告げられた推理に、晶は頭を下げた。


「余所へはどうか、内密にお願いしたく存じます」


「……判っているよ。

 嗣穂(つぐほ)さまもその意向で動いているようだしな、付き合ってやるよ。

 ――だが、覚えておけ」


 晶が言葉の続きを待つと、諒太はその胸に指を差す。

 誠実な。だが下らない矜持の清算。

 清々と、諒太はその宣言を告げた。


「咲と出会ったのは、俺の方が最初だ」


「? はあ、 、」


「いいか、肝に命じろよ。

 ――手前ェが神無(かんな)御坐(みくら)だろうが何だろうが、泣かせたら俺がたたっ斬ってやる」




 鳳の玉体を象と与えられた断罪折伏の権能が、灼熱と化して地を舐めた。

 浄滅の波濤が、地に在る(ことごと)くを浚い瘴気を祓う。


 末期の悲鳴さえも赦さぬ渦巻く熱波が空間を席捲し、瞬後に吹き散った。

 その光景を造り出した少年はただ独り、朱金の混じる吐息を漏らして天を仰ぐ。


 高く晴れた秋天の下、百鬼夜行はその半分近くが一撃で熔けて煤と散った。



TIPS:乳海を導く棘(パーリジャータ)


 14対28本から成る世界最多の神器。

 多数での同時運用を前提とするため、行使に対するハードルは神器の中でもかなり低い。


 滑瓢の布石として、流れの制御と権能を偽られた経緯を持つ。

 真の権能は、始点()終点(ウン)を結ぶ干渉不可能な霊道を構築するもの。


 源南寺の始点の杭を通じて、山ン本五郎左エ門の持つ終点の杭へと朱華の神気を流し込んだ。

 

 使い方によっては、リスクも無いままに他の神柱の神気を無制限に行使することすら可能とする。



来週の木曜日、7月6日。Comicwalker様にて、拙作のコミカライズ第2話が更新されます。

個人的にも楽しみにしています。

どうか、皆さんも楽しんでいただければと思います。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 色々と考えているのは伝わるが、スピード感がなくて飽きてくる。
[一言] パーリジャータ一回奪い取っといて良かったね。 じゃないと最悪のタイミングでくらってたよ。
[一言] 三津鳥居山から玖珂太刀山へと向かう最短の手段 しろ様の管理下にある霊道かな? ごく自然に、しろ様のところに晶を誘導してるのがホントにやり手ですよね。
感想一覧
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