11話 ぶつかり合い、淑女の意地と策謀と1
――今月に入ってから、央都の駅を訪れるのは何度目になっただろうか。
不毛な自問自答を内心で漏らし、咲は手持ち無沙汰気味に薙刀袋を肩に担ぎ直した。
駅の片隅で立ち尽くす華族のお嬢さまの事など我関せずの面持ちで、周囲の雑踏は過ぎて行く。
蒸気自動車に馬車。生み出される人々のうねりは、日々を行き交うだけで精一杯だからだ。
晶たちが哨戒任務に赴くと聞かされたのは昨日の事である。
数日を掛ける哨戒任務。咲が参加する事ができないのは当然だ。
それは理解している。淑女である咲が日を跨ぐ男場に混じるなど、言語道断の選択肢なのだから。
当たり前だ。考える前に、結論なんて出てしまっている。
――だが、
「……然も当たり前って態度は、失礼じゃない? 晶くんだって、少しくらい悩んでくれても良いと思うのだけれど」
しかも、後釜に据えられたのが久我諒太。その結論にも、忸怩たる感情を抱かざるを得ない。
鴨津の一件で晶が神無の御坐だと知ってはいるのだろうが、詳細は知らないはずだ。
弓削孤城が同行している手前、下手なことを口走る前に足止め役は必要だと思うのだけれども。
――思うのだけれども!
自然と膨れる頬が、割り切れない咲の感情を如実に示していた。
理由は判っているのだ。恐らく、弓削孤城に晶の正体は露見してしまっている。
無駄に隠匿姿勢を続けて関係を硬化させるくらいなら、協調姿勢を見せて歩み寄る方が判断としては無難だ。
百鬼夜行や神嘗祭も目前に控えた現在、他洲が神無の御坐の再臨に一枚噛もうとする惧れは殆ど無くなったと断言していい。
先日の陣楼院神楽が、幼心に誼以上を求めようとしたくらいが精々だ。
玻璃院は論外。後は國天洲が何処まで嚙みついてくるかで、結果が決まる。
学院の鞄に結わえつけられた杭の神器が、沈む咲の思考を後押しするように揺れた。
持っているのも随分と慣れたそれを、咲は複雑な感情で見下ろす。
「これ、何時まで持っていなきゃいけないんだろ」
咲には何の関係も無いとは云え、何しろ異国の神器だ。
事あるごとに存在を主張するそれは、邪魔とまでは云わないが咲の手に余る代物。
預けてきた奇鳳院嗣穂には、そろそろ処遇を明瞭にして欲しい所であった。
しかし幾度か水を向けても、嗣穂ははぐらかすばかり。
何か意図があるのは判るのだが、その真意を読むこともできずに今の今まで来てしまった。
……一つ一つは細かい不満。それでも、塵と積もれば無視もできないようになる。
溜め込んだ遣る瀬無い感情を嘆息に交えたその向こうで、珠門洲からの洲鉄が遠く汽笛の音を高らかに響かせた。
「時間もそうだし、あの便だよね」
響く汽車の到来に、深呼吸をして気持ちを切り替える。
咲が中央駅へと足を運んだ理由、その相手の到着を告げる音でもあった。
煤けた蒸気の臭いを纏った人々が、雪崩れるように駅から出ていく。
雑多な人の流れが一段落した頃、咲が待ち侘びた一団が改札を潜り抜けた。
一際に異彩を放つ数人を引き連れた壮年の男性が、咲の姿を見つけたのか迷うことなく足を向ける。
その光景を視界に収め、咲も駅舎の壁から背中を離した。
「お久しぶりです。
――お父さま」
「うむ、待たせたな。
一ヶ月振りか、元気そうで何よりだ」
先頭に立つ輪堂家当主、輪堂孝三郎は、暫く顔を見なかった末娘の歓迎に穏やかな口調で返し、壁に置かれた巨大な置時計を一瞥する。
時刻は、長針と短針が正午で重なり合おうとする少し手前。
到着の予定より遅れた時刻を、盤上は示していた。
「然程には、……四半刻ほどかと。
半刻は待たされることを覚悟していたので、随分と正確な時刻に驚いています」
五角紋に一輪の竜胆を背に背負った二人が向かい合い、和やかに笑みを交わす。
しかし視線が孝三郎の向こうへ向いた時、咲の表情に緊張が走った。
秋の澄んだ空気に金髪が泳ぎ、その奥から碧い瞳が咲を射抜く。高天原では目にする機会が無いような、煌めく容姿をした美少女。
……事前に聴いていたから驚きは無かったが、それでも身構える感情を留めることは出来なかった。
波国からの正式な国交使節として、三宮への謁見を許可されたとは聞いていたが。
アリアドネ聖教の神柱を奉じる波国の王家。その末裔たる美貌の少女が、輝かんばかりの笑顔を浮かべて一礼をした。
「お久しぶりです、輪堂咲さま。
正式にご挨拶するのは、これが初めてですね」
「ようこそ、央都へ。
波国使節団の来訪を歓迎いたします、ベネデッタ・カザリーニさま」
一見するだけでは人形と見紛うばかりの儚い美貌だが、侮ることは出来ない。
アリアドネ聖教の司教が着る長衣を纏う少女は、それ単体だけでこの一帯を殲滅できる戦力なのだ。
その実力は、顕神降ろしを行使した晶を相手取り、手加減をする余裕まで窺わせるほど。
衛護は名目、本音は抑止力として、八家当主を随行させたのだろう。――しかし、輪堂孝三郎だけで、彼女とその後背に立つ審問官の二人を制圧できる確信を咲は持つ事が出来なかった。
表面上だけの歓迎を浮かべて挨拶を交わす咲の傍らで、父親が周囲へと視線を一巡する。
意識を向けた咲もその視線を追うが、そこには行き交う人の流れしか見当たらない。
「どうしたの、お父さま?」
「いや、何。晶くんは何処にいるのかと思ってね。
対外的に私は彼の後見、咲の父親でもある。
……にも拘らず、彼と直に顔を会わせたことが無いじゃないか。
今日こそは、会えると期待したのだが」
「晶くんなら、三宮の要請で哨戒任務に出征たよ。
帰還までには2日は掛かるって云っていたけど」
「ほほう。後見に立った、八家の、当主を、素気無くするかね。
随分と良い身分じゃないか」
孝三郎と晶が面と向き合った事は、確かにこれまで無かったはずだ。
しかし機会を失った原因は、孝三郎にも一端がある。
「三宮の要請だし、仕方ないわよ。
それに、奇鳳院さまが機会を取り持とうとしたのを何くれと避けて、さっさと名瀬領に帰ったのはお父さまじゃない。
今更に会うのがどうこうって文句を上げるの、如何かと思うけど」
「うむ、確かにな。だが、日も違えば理由も違ってくる。
仕方が無い。後日にでも道場を借り切って、練武に付き合って貰うとするか。
――終日な」
「お父さま?」
何故か、穏やかなだけの口調に凄みが混じる。
みしり。父親の背中から鬼気とした何かが立ち昇るさまに、咲は瞬きを繰り返した。
「これは必要な事だろう。
後見に立って、娘を教導に就けた。つまり私は父親同然。
義理息子の実力を気にするのは、極々、自然な事だとも」
「……それは、そうかなぁ?」
どうしてか、意図は別の部分にあると云う確信が離れてくれない。
公務そっち除けで父親の口調に熱が帯びる様を、咲は退いた表情で眺めた。
娘を含めた周囲が遠巻きにする中、孝三郎は巌の如く拳を握り締める。
穏健派、慎重論者。色々と陰口を叩かれてはいるが、これでも八家の当主。
武家筆頭として実力に疑いも無い孝三郎の気迫が、火焔の如く場を舐めた。
「――うむ。何も問題は無い。
例え練武に、多少の熱が入ろうと、幾つか骨が折れようと。
拳を交わすのは、親子として当然に在る会話の一つだ」
「それ、本当に練武?」
豪く血腥い父親の呟きに、咲から疑問が投げられる。
しかし、娘の疑念が届いていないのか、孝三郎は咽喉から見えるほどの気炎を吐き出した。
「……カザリーニさま。輪堂家当主に何を吹き込んだのですか?
父がここまで発憤するなど、初めての事なのですが」
「私に信を置かれないのは当然のことと受け容れますが、こちらは何もしていません。
道中で晶さんの話題を何度か向けたのですが、途端に終始、この有様でして」
ベネデッタを信用する理由はないが、神子の身分がここまでの断言をしたという事実は信頼しても良いだろう。
短く謝罪を戻し、改めて孝三郎の様子を窺ってみる。
途切れ途切れに漏れる不満を繋ぎ合わせると、どうやら孝三郎の妻、
――つまり咲の母でもある輪堂邇子との不仲が原因であると、朧気ながらに見えてきた。
しかも理由が、浮気を疑われたからのようだ。
医療が発達したとはいえ、子供の生存率が5割を前後する時代だ。多妻多産は華族の義務でもあるのだが、孝三郎は側室を持った過去が無い。
無駄な散財もせず、領地の統治にだけ集中する姿勢。妻との関係も良好で、その事実は咲を含めて3人も子供がいるところからも窺える。
巷でも、鴛鴦夫婦で有名な関係だったのだが、さて何があったのか。
両親の仲とは関係も無いはずの晶に怒気を向けるなど、八つ当たりも良いところの気がしてならないが。
怒りに我を忘れている父親を置いて、秋の高い空を眺める。
晴れ渡る秋空は高く地上を知らず、
……出発には、今暫くの時間が必要なようであった。
孝三郎が落ち着く時機を見計らい、一行は咲の用意した蒸気自動車へと乗り込んだ。
孝三郎と咲の正面にベネデッタとサルヴァトーレが肩を並べ、助手席へとアレッサンドロが乗り込む。
「……この紋章は、ダリア社製のクラウディナですか。
我々の出迎え程度に、随分と高価な車種を奮発されたのですね」
「現在カザリーニさまは、正式な外交使節として央都に招かれていますので。
より正確には、奇鳳院家預かりの、ですが」
「――成る程。書類上で認めてはいないが、三宮の連絡が通っている訳ですね。
どの国も、外野の声には気を遣う時代ですか」
「ご理解いただいた事、感謝いたします。
……何分、央都に他国の特使を招くなど、想定もしていなかった事態でしたので」
ベネデッタの呟きを受けて、蒸気自動車を手配した咲は恥ずかしそうに応えた。
現在、珠門洲最南端の鴨津を経由するしか、高天原と他国が接触する公的な経路は存在しない。
高天原の心臓部、央洲央都に他国の特使を招きいれるなど、高天原勃興より初めての出来事だ。
だが、いざ特使を招くと決定したのは良いが、出迎えからして西巴大陸の蒸気自動車しか用意できなかったのは問題であろう。
この事実をして、西側の最先端を用意できると感心するか国産の限界を見極めるかは相手の印象次第。
咲たちの状況を慮ったのか、ベネデッタはその点について殊更に追及をしようとする姿勢を見せなかった。
この事実をして、高天原に何もかもが足りていないと証明されたようなものである。
歓迎の用意ができていないという事は、以降の交渉についても準備が進んでいないと同義なのだから。
「……数年前に西巴大陸の技術者を招致して、蒸気機関の国産に着手したと聞いていたが?」
「よくご存じで。
鋼の鍛造技術には一日の長を自負しているが、鋳造技術に関しては遅れていたからな。
――その技術も含めて、計画の見直しが必要に迫られておる」
サルヴァトーレの疑問に、孝三郎が言の後を継いだ。
開けっ広げにしたい訳ではないが、別に隠している事実でもない。
他国の技術者を招いた時点で、高天原の技術程度が露見することは覚悟の範疇だ。
久我家が推し進める鉄道運輸は、現在の封領華族が最も注目する一大事業である。
しかし、目玉と掲げている蒸気機関車の国産化に関しては、基礎技術の不足から頓挫しかけているのが実情と云えた。
「まぁ。それは僥倖でしたね」
苦く応える孝三郎の言葉を受けて、ベネデッタの表情が華やぐ。
「波国では現在、西巴大陸を縦横に渡る鉄道事業の一端を噛んでいます。
もし、こちらの要望を受けて戴けるならば、鋳造技術の専門家を派遣する事も吝かではありませんよ」
――その提案自体は有り難いものだが。
孝三郎は胃腑に溜まる不満を押し隠して、ベネデッタに曖昧な肯いだけを返した。
領地間の交渉でもそうだが、一定の高さで交わされる約定は基本的に値段が存在しない。
彼我の価値観を、目分量の高低で計るしかないからだ。
白紙の値札に値段を書き込む作業こそが、交渉に求められる肝である。
その経験は、孝三郎の最も苦手とする分野であった。
「その辺りは、三宮との交渉次第でしょう。
……現時点で交わすお話でも無いかと存じますが」
「そうですか、残念です」
咲の助け舟に、孝三郎は口を噤む。
こうなる事は予想していたのか、然して気も残さずにベネデッタも引き下がった。
咲とて、こんな交渉が殊更に得意という訳でもない。
12歳になったばかりの小娘に求めるようなものでも無いだろうと、三宮に問題を丸投げした。
――それよりも、気になっている事がある。
「喫緊でお聞きしておきたい事があります。
――神父に関して、『アリアドネ聖教』が把握している情報をお渡しいただきたい」
「……神父、ですか。
あれが引き起こしている事態は聞き及んでいますが、情報の大半はアンブロージオ卿の死と共に喪失しています。
直接の関係もない私の情報も、咲さまと大差はありませんが」
咲の問い掛けに、ベネデッタも悩むように応えた。
神父の正体を知った現在、庇う心算は欠片も無いが、だからと云って渡せるほど有益な情報を持っているとも思えない。
「――龍穴を追放された神柱。高天原では現在、神父を名乗っていた滑瓢の来歴を辿っている最中です。
最有力候補は真国の神柱ですが、神父と名乗って西巴大陸に執着していた理由が不明です。
どんな些細な事でも、意外な情報になるかもしれませんので」
「……アンブロージオ卿から、先月の作戦は神父の知識を下敷きにして立案したと聞いています。
今となっては納得ですが、神父と名乗っているにも関わらず聖術を行使した記憶がありません。
確認しているのは、真国で習い覚えたと云う鬼道の呪符」
流れる窓の景色を眺めながら、ベネデッタは既に遠い記憶を探った。
恐らくだが、この薄れゆく記憶すらも何かの術か権能なのだろう。
記憶の狭間に住まう化け物。
認識を届かせる事すら遠い現実とするその能力は、明確な敵と顕れて尚、猛威を奮ってくる。
「間違いなく、此方は脅威でしょう。
精霊力の代わりに瘴気を費やす、真国の外法。
強力であろうとも、ただの呪符が神器に干渉して、一時的とはいえ龍脈の書き換えを行ったのですから」
「……待ってください。
龍脈の書き換え、ですか?」
「ええ。
先月の作戦で神父とアンブロージオ卿の用意した策は、真国の龍脈を高天原と繋げる事で神格封印の術式を投射する方法でした。
ただ、失策に終わるのは目に見えていたので、波国の神域を持ってくる方法に私が差し替えましたが」
ベネデッタの記憶にある限り、神父が何らかの術を行使した形跡は3つ。
村の水脈を堰き止める術。真国での龍脈の干渉と、パーリジャータを引き抜く補佐。
村の水脈は朧気だが、真国の一件と神器の引き抜きは明瞭に憶えていた。
――神父では無く、あれらに手を下したのはアンブロージオだからだろう。
「一時的にも瘴気を行使する邪法。
仮令、仲間であってもこれ以上は関係を持ちたい相手でもありませんね」
「……待ってください。アンブロージオは、鬼道を用いて神器を引き抜いたのですか?」
ベネデッタの情報を耳に、咲は呆然と繰り返した。
実の処、咲が鬼道を目撃したことは無い。
否。これはただの言い訳だ。
――だが、鬼道を行使する意味を正しく理解すれば、新しく見える事実もある。
「ええ。瘴気が場を汚染するところも確認していますので、間違いは無いかと」
「――止めて下さい!」
咲の叫びに、蒸気自動車が急停止した。
迷惑そうに馬車馬の嘶きが中、砂煙を踏むように咲が大路へと飛び降りる。
幸いにして停車した場所は、天領学院を目と鼻の先に置いたところだ。
「どうした、咲?」
「ごめんなさい、お父さま。少し調べるものが出来たの。
――後はお願いしても良い?」
「待ちなさい。公務を放り出す気か?」「構わないでしょう」
期せずして、孝三郎とベネデッタの声が重なった。
他国の人間に口を出され、思わず孝三郎はベネデッタを睨む。
しかしその怒気も、どこ吹く風にベネデッタは微笑み返した。
「公務として随行を命じられているのは、輪堂さまお一人のはずです。
咲さまは出迎えの準備を命じられただけ、これ以上は居なくなったとしても問題は無いはずです」
「それはそうですが」
事実としてそうであったとしても、公務を中座した事実は放棄と同義に見做される。
ただでさえ外交は、央都にとって初めての経験。どんな瑕疵も、汚点として残りかねないのだ。
そうである以上、慎重を期するに越したことは無いと云う孝三郎の弁も又、正論である。
――だが、
「気になさる必要はありません。
神父の情報に私はどれだけの価値も見出せませんでしたが、咲さまは違ったご様子。
百鬼夜行でしたか? 決壊が迫る今、無駄にする時間など無いでしょう」
ベネデッタの仲裁に一礼を残して、咲は身体を翻した。
目立たない程度に現神降ろしも行使しているのか、その姿は視界からすぐに消える。
「……残念でしたか?」
「当然です。
今回に得るはずであった外交の経験は、私よりも咲にとって重要になるはずでしたから」
咽喉を震わせて笑いを堪えるベネデッタを前にして、座席に戻った孝三郎は憮然と応えた。
孝三郎とて未来を想定しない訳では無い。領地に籠るだけの封領華族は、何れにしても行き詰る。
そうなった時に対処するのでは遅い。そうなる前に適応しなければ、破綻は確実なものとなるのだ。
孝三郎では遅いが、咲は未だ順応する可能性が充分にある。
「親の心、子知らずですな」
「大丈夫ですよ。
咲さまは、今必要な事を行動しただけですから」
慰めにもならないベネデッタの笑みを受けて、名瀬領を治める輪堂家の当主は軽く肩を竦めるに留めた。
読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマークと評価もお願いいたします。





