9話 少女が来る、狼煙を上げて4
数日振りに天領駅へと足を運んだ晶たちは、その変貌振りで瞼を瞬かせた。
急ぎ足の職員たちが通廊を掃き清め、どう見ても上位の華族と思しき老人が唾を飛ばして指示を出している。
駅の玄関口では、白を基調とした旗を掲げた衛士たちが好奇に駆られた野次馬たちを追い払っていた。
呆然と見ている晶たちの前で、列を為した蒸気自動車が物と人を運んでは去っていく。
排煙の煤に鼻を擽られたか、晶の後ろで輪堂咲が辟易と咳き込んだ。
「けほっ。何、この騒動?」
「……多分、伯道洲から近衛に出向している衛士たちだな。
陣楼院より大事にはするなとのお達しは享けているはずだが、報せを聞いて暴走したか」
央洲護持を主命と掲げる近衛は、八家を除けば高天原最大の武装勢力である。
主力として構成されているのは土行の衛士だが、各洲から供出された衛士たちもその一翼を各々で担っていた。
迅の予想を裏付けるように、金襴に象られた純白の旗に浮かぶ陣楼院の家紋が晴天へ昇る。
秋風に翩翻と波打つ絹布の波を見上げ、怒鳴り散らしていた老人が鼻息荒く満足を吐いた。
「近衛白軍の方と見受けたが、――一体全体、何の騒ぎか」
「む。――これは奈切殿ではございませんか。
弓削さま共々、過日はお世話になりました」
一息は落ち着きを覗かせた老躯の背中に、声音に呆れを滲ませた迅が声を投げる。
晶たちの一歩前に出た迅を認めたか、振り返る老爺の顰めた眉根が僅かに緩んだ。
顔見知りだろうか、晶は疑問の視線を迅へと滑らせる。
そこに貼り付いていたのは、是非を窺わせない曖昧な表情。
「 、ええ。師の背中に付いていただけの自分ですが、憶えていただけたとは光栄です」
――忘れていたな。
返る口調の滑らかさに淀みは一切見えない。しかし、打てば響く直前に覗いた半息の間を、晶は見逃さなかった。
珠門洲で晶たちと出会う直前、迅は孤城に付いて央都の折衝を経験したと耳にしている。
恐らくは、その辺りですれ違ったのだろう。
「何の。弓削家の筆頭分家にして弓削孤城の弟子なれば、次代を担う器よと近衛でも口の端に登っておりました。
我ら白軍とて、鼻が高く……」
「現在、自分の話題は関係ないでしょう。
何処から聞きつけたか知りませんが、陣楼院より出迎えは不要と通達されていたはず。
――この騒ぎは、師弓削孤城の知る処でしょうか?」
「……はは。通達は確かに。
されど陣楼院本統の幼玉が央都遊行を座視せよとは、央都白軍の信頼が疑われるかと。
卑小の身なれど、我ら旗下が護衛を担うが順当かと愚考した次第。
――奈切殿に置かれましては、陣楼院別邸にてゆるりとお待ちいただければ、と」
「此処まで足を運んでから、自分たちに帰れは無駄も良い所。
愚考と判るなら、退くも道理と理解できるでしょう」
「真に御説、御尤もにて。
されど若輩の知己だけで固めた遊行で神楽さまの見識を狭めるのは、将来を鑑みても如何なものかと。
――奈切殿は命じられた手前もあるでしょうが、ここは一つ、この老躯に免じて場を譲っていただきたい」
武名よりも政治に長けているのだろう。能く回る弁舌が、強引に迅の排除に掛かる。
阿る老爺の深く下がる白髪頭を、迅の視線が無感情で見下ろした。
要は、陣楼院の次期当主である神楽にいち早く目通りを願って、覚え目出度いと周囲に喧伝するのが目的なのだろう。
……老人に場を譲ってしまったら、有る事無い事、吹き込まれかねない危険もある。
だが、飽く迄も下手の体裁を崩そうとしない老人を力尽くで排除するのは、衆目に晒されている現在では難しかった。
――特に今は、百鬼夜行が危ぶまれている状況だ。
近衛に腰を下ろす老害とて、面子を潰して関係を悪化させる訳にはいかない。
千日手に迅が考えあぐねているうちに、晶が前へと一歩、進み出た。
「横からの差し出口、失礼いたします……近衛殿に於かれましては出迎えの段取りを整えていただいた事、ご苦労様でした」
「ふむ? 防人と見たが、どちらの所属か」
見た目には衛士の羽織を持たない、防人の制服を着た少年。されど紡がれた声音に揺るぎは見えず、老爺は晶に対して値踏みの視線を投げた。
「珠門洲にて防人を任じられています、夜劔晶と申します。
差し出口とも思いましたが、話も進まない様子でしたので」
「何と。他洲の雑兵風情が、伯道洲の将来に口を挟むとは。
――奈切殿の真意が那辺にあるか図りかねますが、友誼の結び方を考え直すべしと助言させていただきますが」
値踏みするも僅かに、老人の視線に侮るものがちらつく。
昂揚に自制を失いかけているのか、相手の身分しか考えない飛語に迅の眉間が険しく尖った。
――が、云い募ろうと口を開いた迅を抑えて、晶が言葉をさらに重ねる。
「確かに、伯道洲の将来に干渉する権限は、珠門洲に無く。
それ故に、弓削家御当主さまは、俺たちの随行を奈切殿に許可されたかと」
無関係だからこそ、意図は無い。
相手の出自と言質を逆手に取った晶の嫌味に、老人の頭頂が茹るほどに赤らんだ。
「随分と口が回るではないか。
奈切殿の背に隠れなければ、続ける口も持てん雑兵風情が」
「はい。二心を疑われる程も無い小粒にて、弓削さまには気安くあるのでしょう。
――時に御老。今のうちに、退散されるが宜しいかと進言いたしますが」
「何ぃ!」
――支払った労苦を無かった事にしろ。
そう晶から言外に告げられ、老人は激昂のままに抗弁した。
だが続く晶の言葉に、二句を募ろうとしたその口を閉じられる。
「御老の忠心に疑いは無く。
……しかし近衛の任を余所に弓削家を押し除けて出迎えをやらかしたとなれば、陣楼院とて止む無しと心痛めて処分を下すかと。
――陣楼院さまが忠義の臣を罰する仕儀と相成る前に、この場を譲っていただければ弓削家も事態を内々に納めてくれると存じますが」
「ぐむ」
大声に託けて有耶無耶に居座ろうとしていた老人は、晶の指摘に黙らざるを得なかった。
陣楼院が出迎え不要を明言した以上、老人の行為は明確な命令違反に当たる。
仮令、央洲の管理下に置かれていたとしても、近衛白軍が陣楼院の衛士で構成されている以上、処罰の意向が通らない道理もない。
老人の行為は、陣楼院の歓心よりも怒りを買う可能性の方が高いのだ。
痛い肚を直に指摘されて、老人は黙らざるを得なくなった。
「無論。陣楼院の御継嗣が降り立たれる駅を掃き清めた、御老の隠功を疎かにする意図は奈切殿にも無く。ここを退いていただければ、奈切殿の記憶にある御老の名前を陣楼院さまにお伝えするも吝かではないでしょう。――ね」
「あ、あぁ。白軍の労苦を無駄にする心算も無い。
今退いていただければ、後日、面談の機会も充分にあるだろう。」
「……面談の件、確かにお願いしましたぞ」
横たわる沈黙に晶が言葉を被せ、肘で突かれた迅も晶の言葉尻に慌てて乗っかる
これ以上粘るのも分が悪いと判断したのか、念押しの一言を残した老人は渋々と退散の右手を並ぶ白軍に向けて挙げた。
老人たちが用意した蒸気自動車に乗り込み、砂埃を蹴立てて去っていく。
台風一過。結局は掃除する前と大差ない散らかり具合に戻った駅の構内を見渡した迅が、慨嘆混じりに口を開いた。
「随分と口を回せたじゃないか。……何処であんな弁舌を覚えた?」
「万朶が俺の事を扱き下ろしていたからな。同程度の輩だから、簡単に嫌味が通じてくれただけだ」
「そうか。……俺は助かったが、後輩は良かったのか?
確約できない空手形を売ったと判れば、あの老人から恨みを買うぞ」
面談の機会も有ると茶を濁したが、実際には皆無に近いだろう。
老人は威張っていたが、引き連れた衛士の頭数からして精々は分隊長のはずだ。
遊行とはいえ陣楼院神楽の予定は詰まっているため、分隊の長程度に気を遣う余裕が無いのは想像に容易い。
だが迅の指摘にも、晶は軽く肩を竦めるだけに返して見せた。
万朶によく似た手合い、対処も嗣穂が見せたものを応用しただけである。
確かに空手形だが売れて困るのも老人の方である以上、何方と聞けば感謝されてもいいほどだ。
「嘘は云っていない。俺が確約したのは、老人の名前を告げるだけだ。
老人の名前なんか知らないし、……先輩も忘れていただろ」
「そりゃあな」
本音を突かれた迅は、口の端に苦笑を浮かべる。
これからの厄介事に余計なものを背負い込む心算も無いのだ。
「何とかなって良かったわね。
あんな大所帯、動くのも難しくなるのに不要な注目しか呼ばないわ」
「そりゃそうだが、輪堂のお嬢さまだって呼んだ覚えは無いぜ。
――何で居るんだよ、後輩」
「さあ……」
先刻の報復か。脇を肘で突かれて、声を潜めた迅に晶は責められた。
何で居るのかと問われたら、強引に押し切られたとしか返答を持っていない。
一応は要人の出迎えが建前であるが、子供の話し相手としか聞いていないのだ。
警戒の持ちようも薄く、咲が剣呑にしている理由も今一つ晶には分からない。
内緒話を聞き咎めたのか、咲は柳眉を逆立てて男二人を睨みつけた。
「晶くんは私が教導に入っているの。
それに、陣楼院の御継嗣なら女子でしょ、がさつな男手が何を話す心算なの」
「へいへい。お説、御尤も。
――蒸気自動車を2台用意して良かったぜ。確実に1人があぶれちまう」
通りで待つ陣楼院の旗を掲げた蒸気自動車に記憶を浮かべ、迅は2台の手配を決めた過去の自分に賞賛を送る。
――救われたのは、無駄にならなくて済んだという意識だけだったが。
近衛白軍が去り騒めきを取り戻した駅舎の一角に広がる無人の空間。その端で待つ晶たちが向けていた視界の彼方から、霧笛の響きが列車の到着を告げた。
疾走りくる鉄の威容が、莫大な熱量を削ぎ落すように停車。
真新しい鉄油の臭気が渦巻く風に混じる中、制御弁から茫漠と蒸気が噴き出された。
――蒸気に煙るその車両の中ほど、陣楼院の家紋を掲げた車両の扉から年齢10辺りの少女が降り立つ。
白衣に緋袴。巫女の装束に近い服装が、蒸気を浚う風に揉まれて翻る。
幼い肢体を精一杯に凛と張り、滸から借りた側役を引き連れた陣楼院神楽は、笑顔を浮かべて余所行きの白帽子を被り直した。
第一印象から想像できる幼げな所作そのままに、巡らせた視線は晶たちへと向かう。
「――奈切、久しぶりです。変わりはありませんか?」
「頑健なだけが、自分の取柄なので。
ご無事の到着、安堵いたしました。姫さま」
「母さまが御料列車を用立てて下さいましたので、道中に不安は如何ほどにもありません。
――そちらの皆様方は?」
やや舌に甘さが残る玲瓏な響きが迅を労い、見慣れぬ2人に視線を移して小首を傾げた。
失礼になるかと視線を伏せた晶より先に、一歩退いていた咲が口を開く。
「――陣楼院の御継嗣に在らせられましては、ご無事の到着、慶ばしく申し上げます。
奇鳳院次期当主たる奇鳳院嗣穂さまより出迎えの役目を預かりました、輪堂咲が御前に参じさせていただきました」
「輪堂? 珠門洲の八家ですね。
出立の直前に、藤森宮さまより合力をお願いされています。詳細は後ほどに伺いましょう。
――残る方は?」
向かう視線の先が移った事を悟り、晶は伏せた視線のままに頭を下げた。
とはいえ、成長期の3歳差は非常に大きい。見上げるほどの体格差から、神楽は上目越しに視線を交わす。
「輪堂さまに指導を頂いています、夜劔晶と申します。
本日は奈切先輩より、話し相手にと誘いを頂きました」
「夜劔、……晶さま。私の話し相手にとは、父さまからも随分と信頼を寄せられているみたいですね。私も共々に、よろしくお願いいたします。
あの、」
――兄と慕い、甘えるが善い。
神楽の記憶に、月白の言葉が過ぎる。
顔見知りの奈切迅が除外できるとなれば、条件に合致する人物は1人。
此処が月白の願いを叶える処と、内心だけで拳を握り気合を吐いた。
「――兄さまとお呼びしても宜しいでしょうか?」
「「 、 ……はい?」」
場に降り落ちる沈黙。
一拍を置いた後、声を合わせた困惑の感情が駅舎の一角で響き渡った。
♢
蒸気自動車に設えられた革張りの座席は、神楽にとってやや足が届かない大きさであった。
深くそれでも晶たちよりは浅く腰を下ろし、愉し気に爪先を揺らして遊ぶその所作はその辺りにいる子供たちとそう変わりはなく。
晶と咲の対面で迅の隣に座る少女の姿は、並んでみれば兄妹としか見えてこない。
何に興味に駆られたのか、頻りに窓の外へと視線を向けて潜めるように笑い声を漏らした。
「――央都は高い建物が無いんですね」
「高天を指す容は、高御座に縁起が悪いと反対意見が多いからだそうです。
大方は、旧家周辺の不満が下地に有るそうですが」
そうですか。咲の応えに、返る声も弾んで軽い。
やがて過ぎては去る白塗りの漆喰壁を観察するにも飽きたのか、視線を晶たちに戻した。
「珠門洲の洲都では、電波塔なるものを建てる計画があると聞いています。雲を衝く高さを誇るとか」
「雲を衝くは誇張もありますが、見上げるほどの高さになるのは間違いないでしょう。
少なくとも、四方万里に響く高さになるのは間違いありません」
神楽の疑問に、晶より先んじて咲が応える。
数年前に開局したラヂヲ放送の電波帯を管理する集中電波塔は、洲を跨いでも尚、放送が届くことを売り文句に後援を募っていた。
晶には縁が薄かったが、通りに広がる居酒屋の軒先でラヂヲの講談を流し聞いた記憶はある。
あれは、これは、と指で示す神楽の疑問に、咲も窓に視線を寄せて丁寧に応える。
華やかに会話が繰り広げられる裏側で、膝を突き合わせていた迅と晶が顔を寄せて声を潜めた。
「……それでどーなってんだ、後輩?
他洲の四院に粉掛けするなんざ、槍で突かれても文句は云えないぞ」
「聞きたいのはこっちだが、先輩。
弓削御当主の手筈じゃないのか」
確かに可愛らしい少女であるが、庇護欲は掻き立てられても晶にその気は一切無い。
……ただでさえ家族に忸怩たる感情を埋める晶だ。
兄と慕われても一歩を退いてしまう上、相手との身分差に、親密を求められても違和感しか覚えない。
「そりゃそうか。
――くそ、師匠は何の心算なんだか」
「遊行のお相手だろ。……先輩行きつけの喫茶に寄るのはどうだよ」
「場末の甘味処に案内できるかっ。
――甘味は用意してあるから、別邸に直接向かうぞ」
小声とは云え、狭い車内の喧騒に言葉の端を掴んだのか、瞳を輝かせた神楽が晶たちへと振り向いた。
「御菓子、あるのですか」
「はい。渡来伝えの卵菓子を用意しています。
羊羹を生地で挟んでいて、近年の央都では一等の人気だそうで」
話題を振られた迅が、表情を取り繕いながら神楽の問いに応える。
迅の感情に裏表のない笑顔を浮かべて、この場にいる誰よりも位の高い童女は感情のままに、幼い足先を揺らした。
「愉しみです。兄さまも、一緒に食べますか」
「そ、――っつ」
「――陣楼院の本統と卓を共に出来るほど、晶くんには未だ華族としての立ち位置が定まっていません。
申し訳ございませんが、お招きはお断りしたく存じます」
応諾を返そうとした晶の口を咲の肘鉄が塞ぎ、悶絶するよりも早く咲からの断りが飛ぶ。
残念そうに眉尻を下げて、神楽は窺うように晶へと視線を移した。
困った笑顔を一つ、何とか晶も咲の言葉に頷きを返す。
これ以上の我儘も無理と判断したのか、白衣の少女は嘆息を一つ吐いて座席に深く座り直した。
「残念。明日から大変だし、その前に遊ぼうと思ったのに」
「明日、ですか?」
「百鬼夜行の件で、明日より西の三津鳥居山にいます。
神柱を呼ぶために、精進潔斎をしなきゃ駄目ですので」
「――よろしくお願いいたします」
事も無く少女から放たれた言葉に、晶たちはそれだけしか返す言葉を持てなかった。
神域と直轄の山が龍脈で繋がっているとはいえ、五行結界の強化に神柱を呼ぶとなると顕神降ろしの行使を常時、強いられているのとそう変わりはなくなる。
想像を絶する荒行に、咲たちの返答も一呼吸置かざるを得なかった。
言葉を無くした晶たちを余所に、神楽は小首を傾げて疑問を口にする。
「……私は余り知りませんが、結界は守るためのものです。ですが。それだけで百鬼夜行が凌げるのですか?」
「嗣穂さまからも、時間稼ぎが精々と聞いています。故に反攻の手段として、現在、滑瓢の来歴を探っています」
晶の返答に、興味を惹かれた神楽の視線が集中した。
客人神としての特性と敗北の歴史。訥々と語られた反攻の手掛かりに、理解をしようと必死に頷きを返す。
やがて西巴大陸を放逐された神柱の疑いへと及ぶにつれて、神楽は明確に眉根を寄せて口を開いた。
「…………お聞きした話を併せたら、西巴大陸から来た神柱とは思えないのですが」
「「え」」
唐突に上げられた否定。
疑問のまま神楽から指摘を返され、晶と咲は驚いて声を上げた。
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