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破章:暴食と小さな幸福-5

 


 クートゥはその後、世界中の森を渡り歩きました。


 誰にも見付からないようひっそりと、隠れながら生きていました。


 狂気に溶け出した僅かばかりの理性が、彼女をほぼ無意識にそうさせたのです。


 しかし、一度堕ちてしまった倫理観はそう易々と戻る事はありません。


 クートゥは森を渡り歩く中で濃厚な血の臭いを嗅ぎ付けると一目散に駆け出し、辺り一面を屍の大地へと染め上げ、歌うように貪ったのです。


 幸か不幸か、彼女が感知する濃厚な血の臭いが発生する要因は大体が戦争や紛争、または野盗などによる弱者の虐殺によるものなので、平和な村や町にまで、その牙は辿り着く事はありませんでした。


 ですがクートゥの噂は偶然生き残った者から広まっていき、次第に彼女は「暴食の魔王」と、呼ばれるようになったのです。


 そんな彼女が血の香る食卓を求め彷徨う事数十年。


 自分が元魔族の女剣士であった事を時々忘れてしまいそうになっていた頃の事です。


 血の臭いがするまで無軌道に歩みを進めていたクートゥの近くで、一つの足音が鳴りました。


 僅かに残る理性の中で彼女は『とうとう自分を殺しに誰かが来たんだ』と考え、物陰に身を紛らわせながら、その足音の主を待ち構えます。


 しかし、現れたのは屈強な戦士でも、練達な剣士でも、慧敏(けいびん)な魔導士でもありませんでした。


『オギャーッ!! オギャーッ!!』


『ったく、いつまでもうるさいガキだねっ!!』


 それはまだ産まれて間もない赤ん坊を抱く女性。


 身なりは見窄(みすぼ)らしく、彼女自身も痩せ細り、目の下は濃い隈が走っています。


『アンタが居ると邪魔なんだよっ!! あ゛ぁもうっ、たくっ!! もう少し早く判ってりゃアンタなんか腹ん中で殺しちまえたのにっ!!』


 女性は一人ブツブツと何かを言い訳でもするかのように悪態を吐きながら、森の更に深くへと分け入って行きます。


『明日あの人がアタシを迎えに来てくれるんだっ! こんな使い古された身体をキレイだって言ってくれた人がっ!! でも、アンタが居たんじゃあの人の心象が悪くなる……。だから、アンタは邪魔なんだよ』


 そして陽の光が徐々に陰りだす程に鬱蒼とした森の深部で女性は立ち止まると、誰も居るわけがないのに辺りを見回します。


『オギャーッ!! オギャーッ!! オギャーッ!!』


『あ゛ぁっもうっ!! アンタの泣き声で耳がキンキンすんだよっ!! 産まれてから一度だって泣き止みゃしないっ!! 笑ってりゃちょっとは可愛げ出るってのに、アンタのせいで同僚にアタシがどんな目で見られてるか分かるかいっ!?』


 彼女は叫び、誤魔化し続けます。


 自分が今からする行いを何とか正当化しようと言い訳と不満を何も分からぬ赤子にぶつけ、悪いのは全部お前だ、と被害者を騙り、全ての責任を投げ捨てる。


 なんと哀れな女性でしょう。


 そんな彼女を見て、クートゥは思います。


(あぁ。なんだ。私よりも醜い化け物なんて、普通に居るんじゃないか……)


『アンタのせいで……アンタのせいで……っ!! だから……、だ、から……っ!!』


 女性は赤ん坊を振り上げます。


 目の前には固く大きな岩。痩せぎすの女性の筋力とはいえ、掲げた高さから岩へと赤ん坊を落とせば、間違いなく絶命するでしょう。


『オギャーッ!! オギャーッ!!』


『いい加減ん゛ん゛……黙れぇぇっ!!』


 叫んだ女性が、力の限り赤ん坊を岩へと振り下ろします。


 数瞬、瞬き一つしてしまえば、その間に赤ん坊は爆ぜるように赤い花火を辺りへ撒き散らすでしょう。


 ですが代わりに爆ぜたのは……。


『がばあ゛っ!?』


 振り下ろす直前。クートゥの歪んだ爪が音を置き去りにするような速度で振われ、女性の上半身と下半身へと抉り込み、肉と骨が掻き混ぜられながら辺りへと飛び散り、女性の身体が無理矢理細切れにされます。


 決して鋭利でない爪による斬撃は激痛を生み、女性は何が起きたのか分からぬままその痛みと不快感と絶望により、瞬く間に意識を暗転させました。


『……ま゛ずぞゔ……』


 飛び散った女性の肉を見て呟いたクートゥは、彼女の爪の一撃によって振り上げられた時よりも高く飛ばされた赤ん坊へと視線を移し、落ちてきた所を両手で包み込むように受け止めます。


『ごめ゛ん゛ね゛……ごわ゛い゛よ゛ね゛……。い゛ま゛ずぐだべ____』


 受け止めた赤ん坊に視線を落としながら、可哀想な赤ん坊を早く食べてしまおうとした、その瞬間。彼女の目に飛び込んで来たのは……。


『キャッ、キャッ! あぅぅ、あぁぁっ!』


 クートゥを見て笑う、赤ん坊の無垢な笑顔でした。

因みに後10話も無いので、よろしくお願いします!

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