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1-94 新たなる旅路


「帰ってきた……のか?」


嵐の海で全身をもみくちゃにされるような不快感が無くなり、一面の光の次に視界に入ったのはなだらかな丘の草原だった。空を覆っていた黒い雲は千切れて少しずつ流れていき、その隙間から久しぶりの青空が僅かに顔を見せている。


(封印できたのか……魔人グァルデを)


今まで街全体を覆っていた重苦しい重圧感のようなものは、もう感じられなかった。以前の平和なノースクローネに戻ったようだ。グァルデの封印は成功したように思える。


感慨に浸っている暇はない。体を起こし慌てて周りを見渡すと、迷宮に潜っていた冒険者や騎士団はみな無事に地上に帰ってこれたようだ。少し離れたところで帰還の大魔術を使ったポルタ爺さんがヒム達に介抱されている。


「大丈夫か爺さん」


「もうしばらくはこの杖も見たくないわい」


そう言って愛用の魔法の杖を投げ捨てて大の字に寝るポルタ爺にピェチアが笑った。俺も連られて笑顔になるが、まだ心配しなければならない人がいる。


「リティッタ!ソフィーヤ!」


「こっちです、ご主人さま!」


背後からリティッタの呼ぶ声。疲労でもつれる足を何とかコントロールして一生懸命駆け寄る。


「ソフィーヤ!」


リティッタやラドクリフ、ケイン達に囲まれたソフィーヤは未だ眼を閉じて横たわっていた。近づいてもう一度名を呼ぶと、ソフィーヤはようやく弱弱しく眼を開けた。


「ジュンヤ様……」


「大丈夫か?」


白く細い手を握る。その肌にはほぼ体温というものはなく、ぬるい水筒でも触っているような錯覚を覚えた。何よりその肌には、少女独特の柔らかい感触は無くまるで紙細工でも触っているかのようだ。心配そうに見守るみんなの前でソフィーヤは首を横に振る。


「おそらく……私はもう……」


「そんな……!」


泣きそうになるリティッタに、ソフィーヤは安らかな微笑みを見せた。


「良いのです、リティッタさん。私は幸せでした……本来なら一人で戦わなければいけなかったのに、ジュンヤ様や皆様のお力添えをいただく事ができて……お陰で私は王国の末裔として、遥かな時の彼方で使命を無事に果たすことが出来たのですから……」


「遥かな……?何を言っているんですか、ソフィーヤさん!?」


話が読めずに冷静さを失うリティッタの手を優しく握るソフィーヤ。


 「私は、神聖王国最後の王族……あのグァルデの復活を阻止するため禁断の儀式により魂をかりそめの肉体に封じられ、長い眠りについていたのです……」


 「そんな……何百年も?」


 信じられないというラドクリフの声に弱々しく少女が頷く。


「本当にありがとうございました……ここでこの命が尽きても……皆様の事は永遠に忘れません」


「俺も……忘れません。遠い未来で宿命と戦った気高い王女の事を」


そう言ってゆっくりと握ったソフィーヤの手がうっすらと透明になっていく。


 「ジュンヤ様…貴方と会えて……本当に……」


 高貴な生まれ故に過酷な運命を背負わされた美しい少女が、まるで眠るように穏やかな表情を見せた。


 「御父様、御母様……やっと、私は……」


 小さな、本当に小さな声で歓喜の声を漏らすと、まるで夢が醒めたかのようにソフィーヤの姿はかき消えてしまった。


 しばらくその場にいた全員が、何も言えずに立ちつくす。どれだけの時間が過ぎたか……もしくは、数分しか経っていなかったのか、気がつくとリティッタが震える手で俺の服の裾を掴んでいた。


 「ご主人さまは……知ってたんですか?」


 「何となく……な」


 短く答える俺をリティッタが涙の浮かぶ大きな瞳で睨んだ。


 「なんで教えてくれなかったんですか!」


 「ソフィーヤの使命を聞けば……混乱を防ぐために出来るだけ秘密にする他にどうしようも無かった。ぶっちゃけ今まで、本当に過去から来たのかっていう確証も無かったしな……」


 「それでも……!」


 大声で泣き叫びそうになるリティッタを強く抱き締める。


 「泣くな。ソフィーヤは立派に戦って勝った。やっと自由になれたんだ……笑顔で見送ってやれ」


 「ご主人さまだって……泣いてるじゃないですか……うぅ……あぁぁぁぁ……」


 泣き崩れるリティッタの姿がぼやけている。俺は知らず流れる涙を拭う事もできず空を仰いだ。


 ノースクローネの空はすっかり青く晴れ渡っていた。





 避難していた市民一同はノースクローネの街……いや、その廃墟に戻って来ていた。ウーシアやチェルファーナ達、トウジロウ夫妻、鍛冶ギルドのみんな、呑み屋の常連連中も皆無事だ。


 「無事で何よりだ、ダンナさま」

 

「ウーシアもな。それにチェルファーナとウェインも。安心したよ」


「なかなか帰ってこないから迷子になったかと思ってたわよ」


 ウーシア達と再開を喜んでから俺は市民の中で立ち尽くしている市長に近づいた。


「市長」


「ジュンヤか、魔人は封印できたんだな?」


「ああ」


「ご苦労だった」


 そう労いの言葉はかけてくれるものの、心ここにあらずという様子を隠しもしない市長。


 (まぁ、仕方ないわな)


 市長の目の前、ノースクローネの街が丸ごと大きな穴に陥没してしまっている。おそらく迷宮の崩壊で地下部分が崩壊して地上の街の重みに耐えられなくなったのだろう。


 地上に見えるのはあのノースクローネタワーの上層階くらいで、冒険者ギルドもホテルも呑み屋も、そして俺の工房も暗い穴の中に飲み込まれてよく見えなくなっている。


 こうなればもう街の再建は現実的に望めないと思われた。瓦礫を排除するだけでもどれだけの時間がかかるか検討もつかないし、仮にそれが出来たとしてこの地盤では危険すぎて家や店を建てられない。


 迷宮都市ノースクローネはその名の通り迷宮と共に滅んだのだ。


 「どうするんだ、これから」


 市長ではなく彼の秘書のマーテに訊ねる。おそらく市長はこれからの事など考えられないだろう。


 「市民の皆さんは他の街に移住したり故郷に帰ったり……だいたい身の振り方は決まっているようです。ここ数日の避難生活中にみんな万一の事を考えていたみたいですが、まさかここまでの被害になるとは……」


 「そうだな」


 俺もこれではどうしようもない。大事な道具や財産は収納式のマナ・カードに入れてウーシアに預けていたので被害は少ないがそれでも家や作業場を丸ごと失ったのは痛い。


 「市長」


 「……私はノースクローネの発展に一生を捧げた男だ」


 「しかし、街はもう……」


 ふるふるとゆっくり首を横に振ると、壮年の紳士は俺の方を振り返った。その顔は驚くほどさっぱりした顔だ。


 「街は、また作ればいい。この穴の近くは無理だが少し離れた街道沿いなら大丈夫だろう」


 「本気かい?」


 「本気だとも」


 何を馬鹿な事を聞いているんだとでも言いた気な顔でそう言う市長。マーテの方を振り返ると、彼女も苦笑いしながら肩をすくめた。


 「マーテも大変だな」


 「仕方ないですね、こういう人ですから」


 「とりあえずは金策からだな。のんびりしてる暇は無いぞ、マーテ君!」


 急に元気を取り戻し歩き出す市長。マーテも俺に会釈を残すとその後を追いかけていった。ぽかんとその後ろ姿を見送る俺の横にリティッタやラドクリフ、ケイン達もやってきた。


 「結局、この街で一番逞しかったのはあの市長だったみたいだな」


 「ああ……で、ラドクリフはこれからは?」


 俺の質問にラドクリフは自嘲するように肩をすくめて見せた。


 「賢く振る舞っている振りをしてても、結局はこういう生き方がやめられない性分だ。またどこかの迷宮に潜りに行くさ」


 「俺達も冒険者続けるぜ!な、ルゥシャナ」


 ケインも元気に腕を振り上げた。あれだけ大変な目に遭ったのにタフな奴だ。ルゥシャナも溜め息混じりに仕方ないなと笑顔を見せる。


 「ケインから冒険を取ったら脱け殻になっちゃいそうだからね」


 「ハハッ、まぁな!」


 「誉めてるんじゃないわよ!」


 夫婦漫才をしているケイン達の横にはプレク達『レデュカの涙』が集まっていた。


 「プレク達にも世話になったな、ありがとう」


 「よせやい、他人行儀に」


 照れながら手を差し出すプレクと固く握手を交わす。


 「アタシらも冒険者は続けるよ。ていうか今回魔人退治に行った連中はみんなそうなんじゃないか?」


 見渡すと、みな笑顔で頷いていた。ヒムにピェチア、ユアンとジョアン、ダリオ、エディオ、ギェス、キュリオ、ジェフ……俺のゴーレムを愛用してくれた連中。


 「ご主人さまは……どうするんですか?」


 リティッタがいつもの少し悪戯っ子のような、それでいて保護者ぶった顔で俺を下から覗き込む。俺はその栗色の髪の毛をクシャクシャと撫でてやった。


 「そうだな……ゴーレム屋は続けるよ。店が無くなっちゃ師匠の看板も掛けられないしな。なんとかなるだろ、きっと」


 「全く、相変わらず呑気なご主人さまで困りますよ」


 「いいんだよ、人生はそんなもんで」


 俺はウーシアに預けておいた愛用のカバンを受け取って肩に掛けた。また新しい俺の旅が始まる。


本作は一応ここで完結とさせていただきます。(最初に書いたプロットがここまででした)

次回作は一応考えてはいますが、ストーリーもキャラクターも何も固まっておらず、発表できる形にするには二ヶ月以上かかりそうです。すみません。

ここまで読んでいただいた皆様には感謝の言葉しかありません、本当にありがとうございました。

次作も、もし皆様の好みに合えば読んでいただければ嬉しく思います。

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