1-72 風邪と魔法陣:後編
ジェフに頼み事ついでに一緒に飲んでいたらまたまた遅くなってしまった。二日続けてへべれけで帰ったりしたらリティッタに何を言われるかわからないので酒の量自体はほどほどにして家路に着く。
明けて翌朝。
(随分と今朝は静かだな)
少しだけ酔いの残った頭を持ち上げて時計を見ると普段なら朝飯を食っている頃合いだった。それなのに家の中からはリティッタの動いている気配がしない。
(朝市にでも行ってるのかな?今日は何曜日だったか……)
ハンモックから降りてカレンダーの方に行こうとした時に、二階からタタタ……と素早く降りてくる足音がした。音が少し重いのでリティッタじゃない。
「ダンナさま、起きたか」
「おはようウーシア……何かあったか?」
降りてきたウーシアは珍しく少し息を乱して、汗もかいているようだ。彼女がこんなに焦りを見せるのは今まで見たことがない。
「リティッタの具合が悪い。熱もあるし体に力が入らないらしい」
「なんだって」
その言葉に一瞬で酔いが覚め二人で二階に駆け上がる。ノックして返事も待たずに部屋に入ると、確かに赤い顔をしたリティッタがベッドに寝込んでいた。
「大丈夫か、リティッタ」
「あ……ごめんなさいご主人さま。今ご飯を作りますから」
起き上がろうとするリティを慌てて俺とウーシアが押さえつける。まぶたは半開き、目もぼんやりとして焦点が定かでない。いつもの快活さはどこにも見られなかった。
「無理するな、今日は休んでろ」
「で、でも……」
「私たちなら問題ない。ゆっくり休んで、早く元気になってくれ」
ウーシアの言葉に大人しくベッドに寝るリティッタ。
「チェルファーナの風邪を貰って来ちゃったんだな。医者を呼ぶか?」
「いえ、昨日念のためにってお薬を頂いたので……とりあえずそれを飲んで様子をみようと思います」
「そうか。すまんウーシア、リティッタにスープを作ってやってくれないか。薬を飲む前に栄養をつけてやらないと」
わかったと言って台所の方に向かうウーシア。
「ごめんなさいウーシアさん」
「気にするな、ちょっと待っててくれ」
棚から畳んであるタオルを取って額の汗を拭いてやる。それから水分補給のために水とオレンジの搾り汁を持ってきてやった。
「チェルの面倒、一人で任せて悪かったな。ゴーレムは俺とウーシアで作るから気にするなよ」
「で、でも……」
「大丈夫だ。飯もちゃんと食うし、リティッタが治るまでは酒も止めて早く寝るから、な?」
俺の言葉に納得したのか、渋々と布団に入るリティッタの髪を撫でてやる。ウーシアに後を頼んで一階に戻ると、丁度工房のドアがノックされた。
「どうぞ」
「お邪魔します……」
おずおずとやってきたのは前にブーメランゴーレムを作ってやった魔法学院の三人組だった。相変わらず運動とか健康に縁遠そうな白い顔をしている。
「ジェフさんに言われてやってきたんですけど……」
「ああ、来てくれてありがとう。本当ならこっちから学院に行けば良かったんだが、すまないね」
「いえいえ、自分達もジュンヤさんにはお世話になりましたから」
腰の低い三人が更に腰を折って頭を下げる。俺は急いで三人に椅子を出してアイスコーヒーを用意した。
「頼みというか相談に乗って欲しいんだ。実はな……」
俺は三人にヒム達から受けた依頼の話を説明した。
「てなわけでガーゴイルの魔法を封じるか、発動の超早い強力な魔法でやっつけてしまいたい。何かいいアイデアはないかな」
学生に助けを求めるのは少し気が引けるが、こちとら現代文明にまみれた地球人。魔法なんてオカルティックなものは専門家に頼むに限る。しかしその頼みの専門家達も一様に渋い顔をして腕組みをした。
「自分達は攻撃魔法は専門外で……」
「破壊とか命を奪うって言うのは苦手なんですよね」
「すいません……はい」
残念ながら色よい返事は貰えないようだ。これは先行き暗いな……とため息をついていると、のっぽが魔道書を取り出した。
「ジュンヤさん、そのガーゴイルは間違いなく“魔法”で攻撃してくるんですよね?」
「ああ、そう聞いているけど」
俺の返事に三人が顔を見合わせて頷く。
「実は今新しい魔法を開発している所なんです。基礎実験までは上手く行っているんですが、実戦ではテストできてなくて」
「どんな魔法なんだ?」
のっぽが魔道書の一ページを開き説明を始めた。
「魔法の軌道を曲げる魔法です。この魔法陣で、魔力だけを通す疑似異次元ゲートを発生させて威力や構成を変えないまま別方向へ再出現させます」
異次元と来たか。このファンタジーな世界でそんな言葉を聞くとは思わなかった。しかしこれが本当なら素晴らしい発明だ。
「凄い魔法じゃないか。開発のきっかけは、やっぱり冒険者絡みなのか?もしくは王都の騎士団とか」
「いや、いつもクラスメートのイケメンがテストの時に自分達の答案をカンニングする遠視魔法を使うんです。それをクラスで一番バカな奴の所に飛ばしてやろうと思って」
「はぁ」
なんか想像とかけ離れるくらい日常的な話だった。
「あとは、スカートをめくる風魔法の発射地点を誤魔化すためとか」
「その使い方は止めた方がいいと思うぞ」
「はい」
俺の忠告にうなだれるぽっちゃりの横でのっぽが魔道書を指差した。そこにはいくつかの魔法陣の絵が描いてある。
「どちらにせよ問題があって、このゲートを開くためにはこの複数の魔法陣を重ねないといけないんです。これが日常生活で使うネックで……ジュンヤさんにこの技術をお教えしてもいいんですが、その魔物の魔法をちゃんと受け止めて再転送できるたどうかの実験データが欲しいんです」
「なるほどな、それでお互い得をするというわけか」
彼らからしたら実験費用や協力者を用意する手間が省けるわけだ。強力な魔物の魔法なら実験相手には不足はあるまい。こちらとしても彼らの技術がタダで手に入るのはありがたい。
「わかった、最大限協力するよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
学生達から魔法陣の技術を教わり終わるころにはすっかり陽も傾いてしまった。三人には夕飯代を渡して、俺も簡単なパスタ料理を作って腹に詰め込んだ。丁度食い終わったあたりでウーシアが二階から降りてくる。
「順調か?ダンナさま」
「ああ、そっち任せきりにしてすまない。リティッタの調子は?」
「多少熱は下がったがまだ元気がない。もう一日くらいは寝かせた方がいいかもしれない。今丁度眠ったところだ。ワタシも風呂に入って早めに寝ることにする」
棚からバスタオルを取りながらそう言うウーシア。
「ありがとう、助かったよ」
「ダンナさまの顔が見れなくて寂しがっていたぞ」
ニヤリと笑って風呂場に消えていく彼女の尻を横目にため息をつくと、ゴーレム作成の準備に入る。本体はそれほど特別な仕組みはいらないが装備に特別な機構が必要だ。学生たちから教えてもらった魔法陣をゴーレムに使えるようアレンジしつつ設計図に落とし込む。
(理論はなんとなく掴んだが……魔法絡みは本当によくわからんなぁ)
携帯電話がなんで通話できるのかとかエアコンがどうやって部屋を冷やしているかとは次元が違いすぎる。魔力というぼんやりしたエネルギーを言葉あるいは文字で制御して、千差万別の現象を引き起こし極めれば隕石を落としたり竜を召喚できたりするというのだから、そもそも現代人の俺がどうこうしようとするのが間違っているのかもしれない。
「まぁ要は使えりゃいいんだ使えりゃ」
どうにか設計図を描き終えて時計を見るともう真夜中だ。寝る前に一杯コーヒーを飲むかと屋上に行こうとすると、途中のリティッタの部屋の前で小さな声が聞こえた。
「リティッタ?入るぞ」
ゆっくりとドアを開けるとベッドの上でリティが唸っていた。タオルで額の汗を拭ってやると細く目が開かれる。
「ご主人さま……?」
「すまん、起こしたか。だいぶ汗をかいていたから」
「ありがとうございます……ほんとだ、シャツも濡れちゃって……」
上半身を起こして胸元をばたばたと仰ぐリティの背中をめくる。
「きゃあ!何するんですか!!」
「背中拭いてやるよ、脱げ脱げ」
力無く暴れるリティからシャツを脱がせる。背中側だけを見るのは俺の紳士的な配慮による。
「もう、デリカシーが無いんですから……」
「やさしいだろ?」
「ごめんなさい」
「ん?」
少し涙目になって俺を見上げるリティッタ。俺は彼女の気持ちが掴めずに首を傾げた。
「忙しい時に、お手伝いできなくて……わたし……」
「おい泣くな」
「でも……」
背中から優しく抱き留めてやる。
「リティ、俺の方こそすまん。いつも世話になっているのに、なかなか恩も返せないで」
「そんな……わたしはご主人様の店員ですから。それにウーシアさんの方がご主人さまのお役に……わたしなんか、ぜんぜん……」
「それは違う」
リティが目を見開いて俺を振り向いた。
「お前にはな、本当に感謝しているんだ。確かにウーシアは俺より鍛冶の腕が上だ。チェルファーナと組んでいればもっといろいろなゴーレムが作れたかもしれない。でもな、お前が最初に俺の店に来てくれたから俺はこの街で一年やってこれたんだ。リティッタじゃなけりゃ俺の店は倒産していたかもしれない」
「ほんとう、ですか?」
「ああ、本当だ」
リティッタが声を押し殺しながら俺の胸に顔を押し付けて泣いた。熱い涙が俺のシャツに染みを広げていく。
「なんも泣く事ないじゃないか」
「だって、だってぇ……」
仕方ないな、と俺は呟いてリティッタがまた寝るまで頭を撫でてやった。
「こいつがガーゴイルをぶっ倒せるゴーレムなの?」
約束の日、工房にやってきたピェチアが早速新作のゴーレムの周りをくるくると飛びながら感想を言う。
「やめなさい、失礼だぞピェチア」
「だってぇ、全然強そうじゃないんだもんー」
窘めるヒムにピェチアが唇をとんがらせて言い返す。確かに見た目は強そうには見えない。前に作った魔法使いゴーレムと似たような外見に、背中に5枚重ねの大きな金属枠を背負っているのと、筒のついた杖を二本持っているのが特徴と言えば特徴か。
「そうは言うけど結構作るのが大変だったんだぞ、この『ダーテット』は」
「この後ろの枠?に秘密がありそうだね」
「ああ、ところで聞いたところによるとピェチアも簡単な魔法が使えるんだって?」
「使えるわよ。目くらましの幻覚魔法だけど」
ちょうどいい、と言って俺は『ダーテット』に魔操杖を向けて起動状態にした。スカートがぐるりと180度回転し背中の枠が正面に回ると、バシャバシャッ!と勢いよく前に展開をした。枠の中には針金で作った異なる文様や魔術文字が刻まれている。
「なんか……魔法陣みたいね」
「まさにそうだ。魔法学院の生徒に教えてもらったものを応用している。ピェチア、あのゴーレムに向かってその魔法を使ってくれ」
「え?んー、まぁいいけど」
そう言うと小さな妖精は『ダーテット』から少し離れて精神を集中し始めた。それから大きく息を吸い、なにかしらの呪文を唱えるとその指先から身長2mはありそうな巨大ピェチアの幻が指先から出現する。
「うおおっ!?」
俺だけでなく見ていたリティッタやウーシアも驚いた。大きな幻ピェチアは、がおー!と迫力の無い声を出しながらゴーレムに向かい前進する。
「な、なんで大きなピェチアなんだ?」
「大きけりゃワタシだって強そうでしょ?」
そうか?と思いつつもその幻ピェチアの行方を目で追う。その幻はゴーレムの魔法陣に触れるとスゥッといなくなった、かと思った次の瞬間には、がおー!という声と共に杖の先の筒からピェチア本人の方に飛び出してきた。
「うわわわわ!」
慌てて消去魔法で幻をかき消すピェチア。いくら幻でも大きな自分とは体当たりしたくないらしい。
「わーびっくりした。なになに、どうなってんのコレ?」
「この五層の魔法陣が、受けた魔法を別方向に転送するんだ。俺は魔法陣だけじゃ制御できなかったからこの杖で方向指定するようにしたけど。これで奴の魔法を反射してガーゴイルを自滅させてやろうってワケさ」
「すごいな、さすがジュンヤだよ」
感心したように唸るヒム。実際のキモの所は学生たちの手腕なのだがここは黙って天狗のふりをしておこう。
「しめて銀貨190ってとこだな」
「ちょっと出費はキツいけど仕方ない。先に行くためだ」
ヒムはおとなしく大銀貨19枚を取り出した。この大銀貨もノースクローネでしか流通していないのに随分と普及してきたようだ。市長の手腕もなかなかである。
「ガーゴイルに負けたら全額返してもらうからね!」
「はっはっは、しっかり頑張ってくれたまえよ」
後日、ヒム達は無事にガーゴイル石像の破壊に成功した知らせを持ってきた。自分でもちょっと自信の無かった魔法反射も上手く働いてくれたらしい。これで学生たちにもいい報告ができる。
「まあ何より一番良かったのはリティッタが治ってくれたことだな」
「まったくだ。ダンナさまの飯はリティッタのに比べるに値しないほど酷かったからな」
「もう、それじゃわたしがまるでご飯しか得意分野がないみたいじゃないですか」
むくれるリティに俺とウーシアは慌てて手を振った。
「違う違う!」
「そうだ、リティにはいろいろいいところがあるぞ。でも俺たちは何より今リティッタの飯が食いたい」
ぐう~っと揃って腹の虫を鳴らした俺たちにリティッタが我慢できずに笑いだす。
「ほんと、しょうがないですねここの人たちは」




