1-71 風邪と魔法陣:前編
「それでね、魔法を撃ってくるのよ!いきなり!」
「魔法か」
キンキンと耳元で騒ぎ立てる妖精の声に俺は半ばうつろに応えた。疲れと麦酒のせいか目は開いていても何が見えているのかはっきりとしない、というかそもそも世界が90度横に曲がって見える。
「そう!電撃の時もあるし爆破魔法の時もあるわ!爆破魔法知ってる?こう…圧縮した眩しい熱球が飛んできて目の前でばーん!!オルデンがどーん!!」
「オルデンはちゃんと避けたよ。髭が台無しにはなったけど」
「そうそう……ねぇちゃんと聞いてる!?ジュンヤにコイツを何とかして貰わないと……やだちゃんと起きてってば!」
耳を何か小さいものが掴んで引っ張るのを俺は反射的に手でよけた。
「ピェチア、ジュンヤも疲れてるんだ。そんな騒ぐんじゃない」
「もう!しっかりしてよー!」
自分を非難する声にろくに返事をすることも出来ず、その辺りで俺の記憶は完全に消失した。
翌朝……なのかは知らないが頭痛と共に目が覚める。正確には脳の前の方を木槌か何かで手加減して叩くような痛みで起こされた。
「ぐぅ……む、ってえええええ……」
ハンモックから上半身を起こし頭を抱えている所にリティッタが呆れ顔で水を持ってきてくれた。
「飲みすぎですよ、ご主人さま」
「そんなに飲んでたか?」
「あんな顔真っ赤でフラフラ横歩きで帰ってきて、恥ずかしいですよ」
全く身に覚えが無いがとりあえずすまんと謝っておく。と、少し開いていた窓から僅かに光る鱗粉の尾を引いて小さな客が勝手に入ってきた。
「おはようジュンヤ、リティッタ!」
「あ、ピェチアさん!おはようございます!」
丁寧に挨拶を返すリティッタ。そう言えばピェチアはリティッタより年上なのだろうか。フェアリーの年齢はよくわからない。ハンモックからのそのそと降りる俺の上を回りながらピェチアが俺に訊いてきた。
「で、もうできた?ゴーレム」
「ゴーレム?『ルライア』の修理はこないだやったばかりだろ?」
「違うわよ!昨日頼んだでしょ!魔法ガーゴイルやっつけゴーレム!」
「魔法ガーゴイル?」
なんだそりゃ?と首を傾げる俺の頭をぽかぽかと叩くピェチア。痛くはないけどうざったいし、叩かれても全く思い出しようがない。そこにコンコンと扉をノックする音が響いた。リティッタが開けたドアからピェチアのパーティのリーダー、ヒムが顔を出す。
「おはよう二人とも。朝からうちのが騒がしくして済まないね」
「おはようヒム。久しぶり……いや、昨日ぶりか。どこで別れたんだっけ?」
「いつもの『港』だよ。その様子じゃ昨日の話も覚えていないみたいだね」
爽やかに苦笑するリーダーの横に飛んでいったピェチアがプンスカと宙を蹴る。
「そうなのよ!お客の依頼を全部覚えてないなんてそんな職人いる!?」
「お酒もだいぶ飲んでたしね、仕方ないよ」
「悪かった。もう一回話してくれないか」
ヒムに椅子を出しピェチアにはテーブルの上のいつものコルクに腰かけてもらう。リティッタには朝飯を頼み(ウーシアは朝風呂らしい)俺は改めて依頼を聞く事にした。
「地下71階のとある狭い通路なんだけど、途中をガーゴイルの石像が通せんぼしてるのよ」
「石像?」
ピェチアはクルミの殻から作ったカップのオレンジジュースを飲んでから大きく頷いた。
「動いてくるわけじゃ無いんだけど、ワタシ達が通路に入ったとたん遠くから魔法を飛ばしてくるの!しかも三連発とかするのよ!ズルくない?」
「三回も強力な魔法を飛ばされるとこちらが魔法障壁を用意しても剥がされてしまってね。しかも属性の違う魔法をランダムに撃つから単純に炎対策とか冷気対策をしてもダメなんだ。魔物というよりトラップの一種だと思うんだけど」
「そりゃあ難敵だな」
困った顔の二人の前で俺も腕を組む。どちらかというとウチのゴーレムも打撃戦が専門で魔法戦には弱い。残念ながらそんな強力な魔法を使う相手を簡単に倒せるゴーレムはすぐお出しできそうにない。
「三発撃ってきたあとは、相手の様子はどうなんだ?」
「しばらくしたらまた定期的に魔法を撃ってくるわ。うーんと……20数えないくらいの時間だと思うけど」
ピェチアの返事にヒムもそうだねと同意する。
「その隙に矢で攻撃して見たけどやっぱり石像だからね、ほとんど通じなかったよ。ただ魔法は少し効果があるらしい。他のパーティの結構強い魔法使いが破れかぶれに電撃魔法を飛ばしたら角の一本が欠けたそうだ」
「その魔法使いは反撃で丸こげになったって話だけどね」
クスクスと笑うピェチアを、笑い事じゃないと真面目な顔で窘めるヒム。
「倒すなら弓矢より魔法、か……」
魔法属性で攻撃するゴーレムは僅かながら作ったことはある。相手の魔法にやられないような性能と、強力な魔法攻撃が出来る性能。この二つが備わればそのガーゴイル野郎も倒せるという事か。
「他ならぬヒム達の頼みだ、何とか健闘して見るよ。そうだな……五日くらい時間をくれないか」
「わかった。それまでに次の冒険の準備をしておくよ。面倒な敵で申し訳ないね」
「地下50階を越えるとやっぱり強敵ばかりになるみたいだからなぁ。仕方ないよ」
じゃあねー、と手を振るピェチアと彼女を肩に乗せたヒムが工房を後にした。朝飯を食い終えた所でウーシアも風呂から出てきたので依頼の説明をする。
「じゃあ魔法で攻撃するゴーレムに?」
「今のところその方向だな。武器の代わりにウーシアにはフレームとかをやってもらうよ。今日は依頼の来ているゴーレムの修理を頼む」
「わかった」
「俺はとりあえずチェルファーナの所に相談に行ってみる。リティ、片つけが終わったら付き合ってくれ」
「わかりました。ちょっと待ってて下さい」
歯を磨いて着替えを済ませてからリティッタを連れて向かいの工房へ向かう。ウェインが一緒に働くようになってからチェルファーナの評判はどんどん上がっているようだ。相談ついでに様子を見ておきたい。
「?出てこないな」
ドアをノックして待つが全然出てこない。留守かなと思い帰ろうとしたところでやっとバタバタとウェインが出てきた。
「どうも、お待たせしてすいません、ハァ、ハァ」
「どうしたんだそんな慌ただしくして」
息を切らすウェインが額の汗を拭きながら家の中を振り返る。顔色があまり良くない。
「実は朝からチェルファーナさんが熱を出してしまって。本人は風邪だから大丈夫と言っているんですけど、念のために医者を呼びに行こうとしていたところなんです」
「風邪?」
あのはねっかえりが風邪とは珍しい。しかし総合感冒薬もないこの世界、たかが風邪と侮ると痛い目に合うだろう。医者に診せるのは正しい判断だ。
「はい、ベッドから起きるのも苦しそうで、食欲も無いんです」
「わかった。ウェインは急いで医者を呼んで来い。リティッタに何か栄養のある柔らかいものを作ってもらうから」
「すみません、よろしくお願いします」
頭を下げたウェインが猛ダッシュで街の方に走っていった。流石元冒険者、基礎体力が高い。
「悪いけど、頼むなリティッタ」
「いえ、でもご主人さまはどうするんですか?」
「とりあえずメルテの魔導具屋を覗いてみる。運がよけりゃなんかあるだろう。ウーシアの昼飯だけ作ってやってくれ」
リティッタをチェルファーナの家に置いて俺は街の方へ歩き出した。今日は市場の休みの日なので朝にしては道が空いていてありがたい。さして時間もかからずに俺はメルテの店に着くことができた。
「あらジュンヤじゃない。久しぶり」
相変わらず煽情的というよりはだらしのないドレスの着方をしているメルテ。煙草をゆっくりと吐き出す彼女に手を上げて挨拶を返す。
「よう、景気はどうだい」
「相変わらずよ。迷宮はどんどん攻略されているのにウチに流れてくるのはガラクタばっかり……コレいる?念じるだけでレモンを宙に浮かせる腕輪」
メルテの言うとおりごちゃごちゃした机の上からレモンが一つ飛び出してきた。オマケにふわふわと円を描くように動いている。
「なんか便利なのかそうでないのかわからんが……レモンしか動かせないのか、ソレ?」
「うん。オレンジでもメロンでも試してみたけど、レモンだけね。間違いなく」
「いらね」
チェッと言って腕輪を奥の方に投げ捨てるメルテ。同時に浮いていたレモンもころんと机の上に落ちた。
「そんな事より、なんか強い魔法が出るアイテムは無いかい」
「そんなもの入荷したらすぐに売れちゃうのよ。最近は強い魔物がたくさん出るらしいから魔法使いの魔力節約のためにも、攻撃魔法の類のアイテムはほぼ品切れね」
期待を込めてこの店に来たけど人生そうそう甘くはないか。俺も内心舌打ちして別のことを聞いた。
「じゃあ敵の攻撃魔法を封じたり跳ね返すようなのは?」
「同じくよ。昨日なら冷気魔法の威力を半減させるマントってのがあったんだけど夕方に売れちゃったわ」
「そうか」
それは少し残念だが冷気だけ防いでも仕方ない。俺は唸りながら次の手を考える事にした。
「この調子じゃちゃんとした魔導具屋に行ってもいいアイテムは売ってなさそうだな」
「なんか引っかかる言い方だけど……そうね、そんな凝ったものが必要なら直接魔法使いに相談するのはどうかしら。特に魔法学院に属しているような」
「つったって俺にはそんな魔法使いに知り合いは……待てよ」
そこで俺は一人、いや三人の顔を思い出した。
「よし、じゃあそっちを当たってみるか。じゃあなメルテ、次はもっといいもモノ揃えておけよ」
「そっちこそたまには気前よくウチで買い物しなさいよー」
お互いに捨て台詞を吐いて別れた後はスタスタと来た道を戻り冒険者ギルドに向かった。丁度折よく探している人物がギルドの玄関から出てくるのを見つける。
「ジェフ!」
「ああ、ジュンヤさんじゃないですか。どうしたんです?」
俺の声に振り返ったのは『青鹿の角』のジェフだ。最初に出会った時は頼りない印象のあった彼だが、今では古参パーティのリーダーとして名が知られているらしい。
「久しぶり。急で悪いけど一個頼まれてくれないか?」




