1-68 学者と山師と市長と俺:前編
夏の暑さが少しだけ和らいだ日の朝。市庁舎に工房の賃貸契約の更新に行って帰ろうとすると、俺の少し前を見覚えのある人物がのしのしと怒りを両足に込めて歩いているのが目に入った。
「アニーじゃないか」
それは迷宮学者のアニーことアナスタシア女史だった。相変わらずずた袋やボロボロのマント、使いこんだ革ベルトに身を包んでいる。学者というより完全に冒険者のいで立ちだ。俺の声にアニーが振り向くと意外そうなものを見たように少しだけ目を丸くさせた。
「なんだジュンヤか。久しいね。アンタに作ってもらったテントゴーレム、役に立ってるよ」
「ああ、そりゃあ何よりだ。所で何をそんな怒っているんだい」
「丁度いい、一杯付き合いな」
そう言うと中年女にしては不釣り合いな太い腕で俺の首根っこをつかんだアニーは、そのまま知らない酒場に俺をつれ込んでいく。ドッカとテーブル席に座り込んだアニーはユーバ麦のウィスキーをロックで二つに小魚のフライを頼み、それから旅装を解いた。俺も流されるままに向かいの席に着く。
「どうしたってんだ」
「市長のボウズがアタシの忠告を聞きやがらないんだよ」
完全にふて腐れているアニーはやってきたウィスキーを飲み始めた。ところでこの街でロックの酒をすぐ出せる製氷施設が整った店は少ない。覚えておこう。
「忠告?」
「ああ、ジュンヤ達のお陰で地下50階から下に行けるようになっただろ?その辺りを中心に残されていた石碑なんかを調べていたんだけどね」
ぼりぼりとフライを食う姿はオッサンそのものだが、アニーの眼はまだ研究者の理性が残っていた。
「この迷宮、思っていたよりヤバい所みたいなんだよ」
「と、言うと?」
声をひそめるアニーの近くに耳を寄せる。周りは冒険から帰ってきて(いわゆる、“朝帰り”だろうか)酔っている冒険者ばかりでこちらを気にしている人はいないようだ。
「“強大な者を封印した”って記述がね、アチコチにあるんだよ。アタシが見ただけでも六ヶ所。正確にはわからないが迷宮のかなりの奥の方らしい」
「“強大な者”?」
俺の言葉に真剣な頷くアニー。とても酒を飲んでいる人間の顔には見えない。
「魔王なのかドラゴンなのか、もっととんでもないものなのかまだわかんないんだけどね、封印されるくらいなんだから迷惑な奴なんだろうさ。こんだけ広大な迷宮に封印するってんだから、比喩でなく凄いパワーを持った奴なんじゃないか。アンタ達が倒しちまったジグァーンも封印の一つだったのかも知れない」
「おっかねえ話だな」
いきなり予想外のスケールの大きい話に俺の脳みそもなかなか付いていけない。しかし冷静に考えると、そんな理由でもなければこの大迷宮を作りはしないんじゃないかとも思い始める。
(そう言えば、あの学生達、封印がどうのこうのって言ってたな……)
だいぶ前にジェフが連れてきた三人の学生の事を思い出した。彼らは“封印”という言葉しか見つけられなかったと言っていたが。
「それで、市長に話をしに?」
「そうさ。これ以上深い階層に進めば封印が解けてとんでもない奴が出てくるから、冒険者ギルド解散して探索を止めさせなって。そしたら、そんな事はできない!だってよ。あの石頭」
ぐびーっとウィスキーを開けると、アニーはガン!とグラスをテーブルに叩くように置いて給仕のおねーちゃんにおかわり!と怒鳴った。
「まぁ、市長はこの街の発展に命かけてる感じするしなぁ……アニーの話は本当なんだろうけど止めるならもう少し具体的な情報がないと」
「ンな事アタシだってわかってるよ。ノースクローネは冒険者の街だ。あやふやな情報で奴ら全員の生活を奪うわけにはいかない」
ウィスキーについてきたハチミツとアーモンドを混ぜたポップコーンもバリバリ食いながら話すアニー。
「市長も、大手パーティには慎重に行動するように手配すると言ってたが……そんなんじゃとても安心できないねぇ」
「俺はどうしたらいいんだい?」
冒険者達の支援で働いている俺も、このまま行けば封印の破壊に手を貸してしまうかもしれない。市長の意向に反するのは本意ではないけどリティッタや街の人達の安全を天秤にかけるわけにもいかない。
「まあ……封印が解けても冒険者達やアンタが“強大な者”を倒してくれりゃあ良いんだけどさ」
「倒せるようなもんなのか、ソレ」
「わかるもんかい。正体がなんだかわからないんだから」
そう言って二杯目のウィスキーも飲み干すと、アニーはうーんと背を伸ばした。
「いやー、アンタに話をしたら少し気分がほぐれたわ。そんじゃまた一潜りしてくるか」
「これからか?」
酒を飲んでから迷宮に行く冒険者もいなくはないが、仮にも学者がそんな事でよいのだろうか。
「そうさ、乱暴な連中が迷宮を荒らすより先に“強大な者”の正体を探らないと。これも宮使えの辛いところさ」
「くれぐれも気をつけてくれよ」
立ち上がるアニーと握手を交わす。彼女の大きな手がグッと力強く俺の右手を握り返した。
「ジュンヤ、アンタのゴーレムの腕は確かだ。冒険者の手助けは続けた方がいいよ。それがノースクローネの安全に繋がるとアタシは思う」
「わかった。とりあえず今のまま仕事を続けるよ。なんかわかったら教えてくれ」
「約束するよ。じゃあまた今度」
結構強い酒を飲んだにも関わらずアニーはしっかりした足取りで店員に勘定を払って出ていった。
「アナスタシアと会ったのか」
ゴーレム用のメイスを打つウーシアが、手を休めて細い顎の下にたまった汗を拭いた。外は涼しいが炉の前は相変わらず暑い。下着同然の格好で汗を流しながらハンマーを振るうウーシアの姿は美しくもあり煽情的でもあった。
「ああ、相変わらず元気そうだったよ」
ハンマーの柄に巻く革を用意しながら俺はそう言った。“強大な者”とか封印に関することは黙っておくことにした。正確な情報も無いのに不安だけ煽っても仕方ない。
(すぐ避難できるように荷物くらいはまとめておかないとな)
「リティッタは?」
「今日は大きなキャラバンが到着したから野菜や果物が安いとか聞いて、すぐ飛び出していった」
「本当にアイツはしっかりしてるな」
ハハハと笑っている所に、ドアをノックする音が響いた。立ち上がろうとするウーシアを俺が留める。
「いい、俺が行くよ」
玄関のドアを開けると、そこにいたのはまた懐かしい人物だった。
「やぁジュンヤ。また仕事を頼みたくてな」
「バルバンボ。久しいな」
やってきたのは採掘屋のバルバンボ爺さんだった。アニーと同じように埃だらけのマントにマトック、たくさんの袋を背負いこんでいる。俺はドアを大きく開けて爺さんを中へ招き、アイスコーヒーを淹れてやった。
「また新しい鉱脈でも見つけたのか?」
「そうじゃ。地下61階でな」
「61!」
ウーシアが驚きの声を漏らした。つい最近地下50階を踏破したと思っていたのに、もうみんなそこまで進んでいるのか。
「荒野迷宮の下の方じゃな。冒険者に護衛を頼み進んでいると青錬鉱という珍しい石の欠片が見つかったんじゃ。もう少し進めば鉱脈がありそうなんじゃが」
「魔物に邪魔されてると?」
俺の言葉に苦々しく頷くバルバンボ。
「どんな奴なんだ?その辺りまで行ける冒険者が苦戦するってなると、結構ヤバい奴なんじゃないか?」
「まあ、普通の奴じゃないわなぁ。リビングウォールとか呼ばれているんじゃが」
「リビングウォール?」
ピンと来ていない俺達に爺さんは両腕を一杯に広げて見せた。
「そのままの意味じゃ。生きている壁がな、通路一杯を塞ぐようにこう迫ってくるんじゃ。メイスとかハンマーで殴ればそれなりにヒビが入るんじゃが、壊しきる前に反対の壁に挟まれて押しつぶされちまう。魔法に至っては炎も冷気も全く効かん。ソイツの向こう側に鉱脈がありそうなんじゃが、どうにもな」
「つまり武器の類で攻撃しないといけないわけか」
「そうじゃ。相手はレンガ位の硬さじゃが厚みがあり、そして再生能力もある。出来るだけ一点に強い攻撃を集中させないといかんようじゃ」
ふむう、と腕を組み考える。武器攻撃が通じるなら何かしら手は打てそうだが……俺には一つ気になることがあった。
「その動く壁は何かを封印しているとか重要なものを守っているとか、そういうようには見えなかったかい?」
「どうじゃろうなぁ。リビングウォールはそれほどレアな魔物じゃない。ありゃ野良リビングウォールのように見えたのう、少しずつ棲家を移動してるようじゃし」
野良壁なんかいるのか。まぁいい、それなら討伐してしまっても良いだろう。
「予算はどのくらいだい?」
「80くらいでなんとかならんか?」
こちらの顔色を伺うように言ってくるバルバンボに俺は残酷に首を振った。
「140は見てもらわんとダメだな」
「そんなにか」
俺の言う金額に本気で凹んだ顔をするバルバンボ。
「聞いてるよ。前の鉱脈で結構儲けたんだろう?ここは気前よく払っておいた方が次のヤマも当たると思わないかい?」
「全く思わんが、ジュンヤがそれだけ必要というのならそうなんじゃろう。仕方ない、用立てておくから頼んじゃぞ」
やれやれ、最近の若いモンは……とお決まりすぎる台詞を残してバルバンボは帰って行った。仕事にひと段落つけたウーシアがばたばたと胸元に風を送りながら訪ねてくる。
「もうアイデアはあるのかい、ダンナさま」
「まぁ万全の自信があると言うわけじゃ無いんだけどな……それはいつもの事だ」
「やってみるしかない、と言うヤツか」
「そう言う事だ。凄く硬い武器が必要になる。図面を描くから鍛冶ギルドに行く準備をしてくれ」
わかった、と早足で二階の自室に上がるウーシアの大きなお尻を横目に俺は図面用紙とペンを取った。




