1-61 王子とナメクジ
夏の盛りの暑い朝。黙々と歯車の溝を整えているウーシアを見ながら今日も仕事に励むかと工房で革の作業用エプロンを手に取ったところでリティッタに声をかけられた。
「ご主人さま、ちょっとお話が」
リティッタがこういう話の切り出し方をする時はだいたい俺の嫌がりそうな話題に決まっている。返事もせずにあからさまに顔をしかめた俺の前にリティッタは数枚の紙を突き出した。
「これは?」
「一年分の収支です。私がここにきてからの」
そう言われて俺は今まで決算というものをやって無かった事に初めて気がついた。
「そう言えばすっかり忘れていたな、そんな事」
「全く、よく今まで赤字にならなかったですね」
本気で呆れ顔のリティから紙を受け取り、とりあえず目を通そうとテーブルに着く。B5くらいの紙にびっしりと書きこんで会って目が痛いほどだ。
「私も把握してる分しか計算できませんでしたが、売上から経費とか私たちのお給料を引いた利益額が銀貨で532枚です。雑費が不透明なのでここからいくらかは減ると思いますけど」
「そうか、それなりに黒字なのは安心したけど……どう思う?」
こんなことを13歳の女の子に聞くのは恥ずかしいのだが俺はまだこちらの世界での金銭感覚が良くわかっていない。街ごとでも貨幣価値や物価が変わるのでオースガールとノースクローネで感覚も違うし。
「私もゴーレム屋さんの相場がわかりませんけど、この人数でやってるお店であればいい数字なんじゃないですか?私が働いていた裁縫屋さんでも収支計算してた事ありますけど、年の純利益が銀貨30枚とかもザラでしたし」
「そうか、じゃあ安心してられるのかな」
「でもウチは材料費の額も他の店とは大違いですからねぇ。それに二年目からはお家賃とかも取られるんですよね。この家かなり大きいからバカにならないですよきっと」
そういえば初年度はサービスでタダにして貰ってたんだった。市庁舎から請求がまだ来ていなかったので気づかなかった。
「めんどくさいな、この家買っちまうか」
「それはちょっと早計だと思いますけど」
すかさずリティッタさんのクレバーな意見が飛んでくる。本当に頼りになる社員だ。
「チェルファーナさんの工房も売り上げが上がってると聞きましたし、二年目も好調に稼げるかはわからないですよご主人さま」
「社員を増やすかどうかの話も棚上げだったしな」
フッ、と歯車の削りかすを吹き飛ばしながらウーシアも遠回しに釘を刺してきた。
「わかってるよ、慎重に考える。でも今度どこかでお祝いがてらメシを食いに行くくらいはいいんじゃないか」
「それは賛成だ」
「わーい!さすがご主人さま太っ腹!」
工房の空気が明るくなったところで、換気のために開けていたドアからマーテが顔をのぞかせた。
「なんだか賑やかですね」
「やあマーテ。いらっしゃい」
「お仕事中で申し訳ないんですけど、ちょっと市庁舎まで来ていただけますか?市長からまたお仕事を依頼したいと」
「全く相変わらず人使いの荒い事で。わかったよ、リティッタ、ウーシア留守を頼む」
虫の鳴き声の響く中俺とマーテは市庁舎への道を辿った。聞くところによるとこの大陸にはセミはいないらしいのだが、とするとこの騒がしく鳴いてる虫は何なのだろうか。
「そう言えばマーテ、さっきリティッタに言われて思い出したんだが、ウチの工房の家賃ってもう払わなきゃいけない頃合いか?」
「ああ、思い出しちゃいました?」
俺の質問に悪戯っぽく笑うマーテ。有能なくせにこういう子供っぽい愛嬌があるところが彼女の魅力だと思う。
「私もここのところ忙しくて後回しにしちゃってたんですよね。でも市の財政も本気でヤバイので、払ってもらえると助かります」
「さすがに不法占拠で追い出されたくはないからな。いくらになる?」
「あとで細かい数字出しますけど、月に銀貨5枚くらいですかね」
「高い!……とは言わないけどもう少し負けてくれないか?結構街の真ん中からははずれてるし」
払えない金額ではないがそんなに少ない金額でもない。俺はリティッタ師匠の教えに従い値切りを試みる事にした。
「そうですねぇ。査定の見直しをしてみますか。そこそこ古い物件ですしね」
「よろしく頼むよ」
そんな事を話しているうちに市長の部屋の前に辿り着いてしまった。マーテのノックに市長のどうぞ、という疲れた返事が返ってくる。
「お疲れ様です。ジュンヤさんをお連れしました」
「ありがとう。あとアイスコーヒーも二つ頼む。氷いっぱいの奴だ」
「かしこまりました」
奥の部屋に行くマーテをチラッと見送ってから、市長は俺に椅子を勧めた。いつにもまして書類の山が凄い。
「仕事がどんどんと増えてるみたいだけど、大丈夫かい?」
「なに、ここに書類で届いている分はもうほぼカタがついているようなものだ。確かに疲れてはいるがね」
そう言ってぐるぐると右肩を回した市長が渡してきたのは地下都市ディルクローネの建設予定図だった。中央の宿泊施設や道具屋、食料品店等に大きく○がつけられている。
「宿泊施設はホテル・リャンパーニが新館を建ててくれることになった。宿泊の売り上げは全部持っていかれるが費用や大工の手配も向こうでやってもらえるから、役員連中は大喜びだ。他の店も半分以上話はついてる。エレベーターが完成次第すぐ建設が始まるだろう」
「そりゃ順調そうで何よりだ。で、俺は今度は何をやればいいんだ?」
「急に面倒な話が来てな」
マーテが持ってきてくれたアイスコーヒーにシロップをドバドバと入れながら話を続ける市長。
「昨日城から特使が来た。リドという遠方の国があるんだが、そこの末王子がノースクローネの迷宮に興味を持って見に来るんだそうだ。当然護衛もついてくるだろうが万一のことがあっては困る。護衛用のゴーレムを一機用意して貰えないか?銀貨150枚までなら払える」
「その費用は向こう持ちなのかい?」
急に具体的な額が出てきたので訝しんで確認する。この市長がそんな太っ腹な金額を最初から出すのは怪しい。
「ウチの国から90、公国から60だ。どこから聞きつけたのか王子は君のゴーレムにも興味があるそうでな。当然持って帰りたいとか言うだろうからできるだけ頑丈な奴がいいだろう。到着は一週間後の予定だ。流石に地下50階というわけにはいかないが35階くらいまでの魔物に耐えられるレベルは欲しいな」
35階というと初見の素人が観光で行けるような深さでは無い。
「王子達だけで潜らせるのか?」
「流石にそこまで無責任ではいられん。ギェス夫妻に案内役を引き受けてもらったよ。奥さんの修行にも丁度いいとさ」
「なるほど、それなら安心だ」
しばらく会っていないがキュリオは冒険者の腕を上げているらしい。この前も23階で誰も見つけていなかった隠し通路を発見したとかで酒場で話題になっていた。
「ところでその王子様は何歳くらいなんだ?」
「9歳だか10歳とか聞いたな」
クソガキじゃねえか。しかし金払いのいい客はキープするに限る。相手が王族ならなおさらだ。
「しゃあない、引き受けるか。市長の心労を増やすとマーテも大変そうだからな」
「助かるよ」
口髭の片方だけをニヤリとさせる市長とマーテに見送られて俺は市庁舎を後にした。
晩飯の後、俺は一人工房に残り王子用のゴーレムのアイデアをまとめることにした。
(護衛なら自分からは攻撃に行かなくてもいいだろう。万全を期すならパワードスーツみたいな形がいいんだろうが王子の体格とかわからないしな……とりあえず防御優先で考えてみるか)
盾ゴーレム『ルライア』をベースにスケッチをいくつか描いてみる、が前後左右からの襲撃に備えるとなると一機ではやはり手が足りない。だからといって三機も作れば赤字になってしまう。できるだけ利益を上げながらいいものを提供するには新しいゴーレムを設計する必要がありそうだ。
「まずは横と背後に盾をつけるだろ……。そんで王子を囲みながら前に進む、となると長いアームで左右から……それだと歩行速度の追従性能が……」
アイデアがまとまりそうでイマイチ形にならない。暑い中外出したせいで疲れたのだろう。何枚か無駄に紙を丸めてから俺はのそのそとハンモックによじ登って眠りについた。
次の朝、リティッタの作ったフルーツサラダを食べながら二人にも今回の依頼について相談する。
「一機で王子の周り全部を守るのは難しそうですね……でもたくさん作ったらこっちが損ですよね」
「そうなんだ。護衛の兵が有能ならお飾りのゴーレムを出せばいいんだろうけどな、ウチのゴーレムの悪評が遠くの国で広まっても困るし」
「馬かラクダにでも乗せておいて危ない時には一人で逃がす方が安全じゃないのか?」
「一理あるが、階段の多い迷宮で騎馬は使えないだろうな。まぁ馬ゴーレムって言うのも面白いかも……」
そう言ってテーブルの上の鍋の蓋に手をかける。頑丈な分厚い鉄で出来ていて地球で言うダッチオーブンのように余熱で調理をする道具だ。中では粗びき胡椒と岩塩で味付けしたジャガイモと赤子豚のベーコンが湯気を立てていた。
「……ん?」
「どうかしました?虫食ってるおイモは全部避けたはずですけど……」
リティッタの言葉には答えず、俺は何度かその鉄鍋の蓋をガチャガチャと開け閉めした。馬……鍋……何かが閃きそうな……。
「そうか!」
俺は食卓を離れ作業机に飛びついた。
「ご主人さま食事中ですよ」
「悪い、俺の分は取っといてくれ」
「もう、お行儀が悪いんだから!」
叱られてしまったけど、アイデアは閃いた時にある程度まとめておかないと実用化まで持っていけない事が多い。聞こえないふりをして机に紙を広げる。
(腕は要らないんだ。可変速の脚の強度を上げて、装甲板をつけたらここにステップを……)
なんだかんだで三時間くらいペンを握っていただろうか。何となく形に仕上がってきた頃には昼に差し掛かって来ていた。しばらくシールドやハンマーを作っていたウーシアが休憩がてら俺のスケッチを覗きに来る。
「ダンナさま、按配はどうだ?……ずいぶんまた変わった形だな」
素直な感想だ。他の人がこの絵を描いているのを見たら俺も同じことを言うだろう。
「歩く乳母車、ってとこかな」
描きあげたスケッチは底の浅い鍋に二本の脚が生えているという妙なシルエットの乗り物ゴーレムだ。左右には防御用の盾を配置し、その内側に転落防止の手すりをつけた。搭乗型ゴーレムは初めて作ることになるのでいろいろ試行錯誤が必要そうだ。
「この上に王子様を乗せるのか?バランスを取る能力が必要そうだな……53番の歯車を作っておくか」
「18番のプラス型もだ。細かい奴ばかりで悪いけど、よろしく頼むよ」
「わかった、図面を仕上げたら声をかけてくれ」
ウーシアもすっかりゴーレムの部品について詳しくなった。もう少し若ければ俺の後継者に考えたかもしれない。
(後継者、か)
そろそろそんな事も考えなくてはいけないな。しかしマシンゴーレムはマテリアルゴーレム比べて器用だし複雑な命令をこなす事が出来る。俺も本気になれば遠隔窃盗ゴーレムや暗殺ゴーレムも作れるだろう。ユーヴェンス師匠もそれを恐れて安易に他人に製法を教えなかったようなのだが、結局そのせいで老衰するまで後継者を育てられず余所者の俺に全てを託す事になってしまった。
子供を作る事など全然考えてこなかったけど、やはり技術や理念を継がせるとなると自分の子供の方が良いのだろうか。地球ではどこの伝統工芸も子供が継いでくれずに困っていると聞くから実子だからといってそんな簡単に継げるものでは無いと思うが。
「ま、今は目の前の仕事に集中するか」
先々の事ばかり考えていても仕方ない。仕事を待っているウーシアのためにも俺は定規とペンを手に取った。王子の乗る台座から逆算し脚の長さ、盾の大きさを設定する。脚は逃げる時のスピードや軽量化を考えて逆関節を採用、股関節にバランサーギアを増設して転倒耐性を上げる。これで王子が左右に動きまわってもゴーレムが転んだりはしないはずだ。最後に自衛用の煙幕展開器、トリモチランチャーを装備。後方に昇降用ステップをつければ大まかに完成だ。
「予算は150って言ってたな。二十四番型を載せてもいけそうだな」
子供を載せるとなるとどうしても慎重にならざるを得ない。工房の信頼のためにも王族を無傷で迷宮から帰還させなければ。俺は出来上がった図面を元にウーシアと作業に入った。
数日後、五人の護衛騎士と共にやってきた王子は、予想以上に生意気そうな子供だった。お坊ちゃまカットの金髪に緑色の瞳は流石王族らしい気品があるものの、立ち振る舞いも言葉遣いもとてもお上品とは言えない。言うまでもなく俺の嫌いなタイプだがそこはビジネスマンの精神で本心はしっかり推し殺す。俺は王子に新作ゴーレム『ボーロメウス』を披露した。
「これがゴーレムか?人型では無いんだな。変な形だ」
「乗りやすいよう特別に設計したものでございます、殿下」
「ふーん。かっこ悪いけど仕方ない。さっそく出発するぞ者ども!」
装飾の入った短いレイピアを振り回しやる気十分に命令する王子におー、と返事する騎士達は早くも元気がない。頭のてっぺんから足の先までガチガチに金属鎧を着込んでいて、ノースクローネまでの移動で疲れ切ってしまっているのだろう。スリットの入った兜の向こうからため息が聞こえてきそうな程だ。俺の横でその様子を見ていたギェスとキュリオもこっそり面倒くさそうに肩を落とす。
「報酬が良かったから引き受けたけど、なんだか気が重くなってきたな」
「ギェスさんはいつもよく考えずに仕事を取りすぎですよ」
「すまん」
すっかり夫婦といった雰囲気の二人に苦笑してしまう。よくみればポーションを入れるポーチやナイフケースがお揃いのものだ。キュリオが作ったものだろう。仲良くやっているようで俺は安心した。
「まぁケガさせないように頑張ってくれよ。ケイブオーガーやドラゴンタートルでもやっつければ満足するんじゃないか」
「気楽に言ってくれるなよ。お前さんのゴーレムこそ大丈夫なんだろうな?」
「俺のゴーレムの出来は、この街でギェスが一番よく知っているだろう?」
俺の返しにぐぬぬと唸るギェスの腕を取ってキュリオも王子達の後に続いた。
「じゃあ行ってきます!帰って来たらお土産話持ってお邪魔しますね」
「ああ、気をつけてな」
その後帰ってきた二人の話だと、王子様一行の旅は途中まで毒蛇や大コウモリに襲われるくらいで順調だったそうだ。しかし護衛の騎士達の疲労を考えない(自分はゴーレムに乗りっぱなしだから元気そのものだ)前進を指示した途端、数十という数のイエロースラッグ……大人くらいの大きさのある凶暴なナメクジの群れに襲われ部隊は混乱、王子どころか騎士全員が『ボーロメウス』にしがみつき全力運転で地上に逃げ帰ってきたらしい。よく魔動力炉が爆発しなかったものだ。
「あれで少しは反省してくれればいいんだがな」
と、少しボロボロになって帰ってきたギェスとキュリオが笑っていた。さらに後日の話になるが、俺の作った『ボーロメウス』は王子を救った英雄としてかの国で飾られる事になったと伝え聞いた。世の中不思議なものである。




