1-54 地下50階:前編
少し前から街全体がざわめいていた。ついに冒険者たちが地下50階に踏み入れたからだ。5つの迷宮の階段が一つに交わる初めての階層、そしてそこで彼らは予想外の光景を目にして帰ってきたという。
「とにかく真っ暗でめっちゃくちゃ広い空洞だけがあるんだってな」
「ああ、四階建ての屋敷が何十軒も建てられるような所らしい」
「そこにいる魔物がまたすげぇんだって?」
「人間の何倍もでかい一つ目の巨人だっていうじゃねぇか」
「今迄の魔物とはケタ違いの強さで、魔法が効かない上に棍棒を振り回して戦士たちを叩き潰しちまうとか。『灼光の槍』のパーティが半壊させられたそうだ」
「冒険者ギルドなんかすっかりお通夜みたいな雰囲気になっちまってたな」
「おお怖ぇ怖ぇ。ついに最後の階層かと思ったのに、ここまでなのかねぇ」
そんな感じの噂話がどこの酒場でも繰り返し話されている。ザワザワと騒がしい夜の『三国駱駝』でちびちび安いウィスキーをやりながら、隣で呑むギェスに話しかける。
「どうなんだい、正直な所」
「そうさなぁ……」
ギェスも少しやる気なさそうにグラスを傾けた。
「俺も直接やりあった訳じゃあないんだけどな、所謂オーガーとかナントカジャイアントみたいな連中とは格が違うらしい。ギルドの魔法使いのジジイ達は古代に作られた戦争用魔法生物だとか魔界の王族に名を連ねる一人だとか好き勝手言ってるようだが大事なのはそこじゃねぇんだよな」
空になったエビの燻製をもう一度注文し、ギェスは話を続ける。ここのエビは止め時がわからなくなるので困る。
「どういう理屈か知らんが魔法が効かないのは確からしい。一方で剣や弓矢なら少しは傷を負わせられる。一気に300人くらいで切りかかれればもしかしたら倒せるのかもしれん。その前に返り討ちに遭うだろうけどな」
「ギェスは討伐しにいかないのか?」
「嫁さんもできちまったからなぁ……」
俺の無茶振りに苦笑いで返すギェス。心配していたがキュリオとはうまくやっているようだ。借金も順調に減っているらしい。
「でも、あの巨人が倒せないとなるとこの街も景気が悪くなるんじゃないか?」
今までノースクローネは、危険とはいえ進めば進むほど財宝が出てくる迷宮という事で冒険者を集めていた。しかし超強いラスボスしか残っていないダンジョンに潜る冒険者がどれだけいるだろう。余程腕前に自信のある、勇者と言われるような実力者以外はみな街を離れてしまうのではないだろうか。
「どうだろうなぁ。地下50階より上にもまだ未探索の部屋は少し残されているから、すぐにみんな街を離れるという事は無いだろうが……」
そこまでギェスが話したところで、ポンポンと肩を叩かれた。振り返ると、疲れた顔のマーテが立っている。
「おうお疲れ。一杯やってくか?」
「呑みたいのはやまやまだけどそれどころじゃなくてね。ちょうどいいわ、二人とも明日の正午に市庁舎第一会議室へ集合ね」
マーテのいきなりの言葉にへ?と間抜けな返事をする俺とギェス。
「何をするってんだい、いったい」
「緊急会議よ」
“ノースクローネ迷宮緊急対策本部”と乱暴に書かれた木の看板が掛かっている部屋の前で、俺とリティッタは顔を見合わせた。
「なんか物々しいですね」
「逆にギャグっぽくも見えるけどな」
中にはすでに冒険者達が3、40人程集まっていた。有力なパーティのリーダー達のようで端の方にはギェスや他にも何人か見知った顔がある。チェルファーナも呼ばれているようだ。ざわめく冒険者たちの中を通り部屋の奥まで進んだ市長は、ゴホン、と咳払いをした。
「諸君、ごきげんよう。今日はそれぞれ冒険で忙しい中時間を割いてくれた事に感謝する。集まって貰ったのは他でもない、先日発見された地下50階の大空洞、そこに棲みついている巨大人型魔獣・ジグァーン討伐会議を行いたい」
「ジグァーン?」
聞きなれない名前に何人かが問い返すと、市長は重々しく頷く。
「過去の文献を探ると、似たような巨人についての記述があった。古代の禁忌魔法で生み出される人工生命体で、門番や宝を守る兵士として作られたものらしい」
「なるほど、でどうやったら倒せるんだ?」
いかついガタイの戦士の質問に、市長はメガネをゆっくりと直し十分にもったいぶってから口を開いた。
「……残念ながら、討伐に関する具体的な記録は無い」
集まった冒険者たちから一斉にブーイングが飛ぶ。そりゃ一番聞きたい肝心の部分がまるっきり不明じゃあ文句も出るだろう。冒険者たちの様子に市長も珍しくハンカチで汗を拭いた。
「だが過去に何件かの出現事例があり、その記録が残されているという事は何とかしてそれらを退けたという可能性も十分にある。現にジグァーンには鉄の剣や矢が刺さる事も確認されている。特別な聖剣や魔剣が無くても倒せるに違いない。ノースクローネの為にも諸君らには今一刻団結してもらい、皆の力でこの脅威を排除して欲しいのだ」
「しかし市長」
市長の言葉に一人の戦士が立ち上がった。ラドクリフだ。ブルーデミュルフの討伐依頼どんどんと株を上げていて、その冷静な指揮力・分析力で今では砂漠迷宮で一番のリーダーとも呼ばれているとか。
「相手はデカいだけのウスノロではない。巨大な棍棒での攻撃は速く的確だし、弓矢は小さな縫い針程度にも感じていないようだ。一斉に切りかかるにしても足元に迫れる人数には当然限界があるし、その程度では棍棒や蹴りですぐに半壊させられてしまう。正面からの攻略は難しい」
ラドクリフの発言に呼応するように他の冒険者も意見を言い始める。
「毒はどうだろう」
「身体が大きいからな、効いたにしても量がいるぞ」
「寝込みを襲うってのは?」
「魔法生物が寝るかよ、それより……」
なし崩し的に巨人ジグァーン対策が検討される。しかし普段あまり綿密な作戦を立てたりしない冒険者連中の事、なかなかこれだ!と思われるアイデアは出てこない。市長も辛抱強くみんなの意見を汲み上げているが、結局夕方に差し掛かっても結論は出なかった。
「みんな、ありがとう。とりあえず今日は解散だ。近日中に二回目の会議を行うのでそれまでに作戦を考えて来てもらえるとありがたい。また功を焦って少人数でジグァーンに挑むことは避けるように。討伐にはたくさんの戦力が必要だ……では解散」
ぞろぞろと疲れた顔の冒険者が引きあげていく。その波に混じって俺たちも帰ろうとしたが、チェルファーナ、ラドクリフと共に市長に引き留められてしまった。仕方ないのでリティッタは先に家に帰し晩御飯の準備をしていてもらう。
「何だい市長、俺たちだけ居残りさせて」
市長の執務室に通された俺たちはそれぞれソファに腰かけた。やはり疲れた顔のマーテがみんなにコーヒーカップを配る。
「悪いが、やはりここは君たちのゴーレムの戦力も借りたくてな」
「ラドクリフを残したのは?」
「あの連中の中で一番作戦指揮に向いていると思ったからだ」
砂糖をどばどばとコーヒーに入れながら答える市長。いつもより明らかに量が多い。
「ブルーデミュルフの件以来、ラドクリフにはこっそり注目していた。こういう時に活躍してくれると思ってな。それに君は名誉や手柄を自分だけのものにしようという欲が無いのもいい」
「全く欲が無い訳ではないが」
「で、どうするの?作戦もなんも無いみたいだけど」
チェルファーナが少しイライラした声で話に割り込んだ。結構仕事が溜まってしまっているらしい。俺もそこについては他人事では無いので早く帰りたかった。
「ジュンヤ、どう思う?」
「どうって……ラドクリフも言っていたけど正面からの白兵戦ではゴーレムをいくら投入したって難しい相手なんだろうな。そりゃ千体も作って持ち込めば話は違うだろうけど」
「そんなに作ったら私たちが過労で死んじゃうわよ」
ごろーんとだらしなくソファに寝っ転がるチェルファーナ。ローブの隙間から白い太ももがかなり見えてしまっているが、ウーシアに比べたらまるで色気では勝負にならない。俺は気にしないで話を進める。
「敵がどうやって冒険者を把握してるか……だな。ラドクリフ、わかるか?」
「俺も他の冒険者が戦っているのを少し見ただけだからな……とにかく暗い部屋だ。こちらは明かりをつけて相手を見なければならない。その明かりを目印に大きな一つ目で冒険者を見て攻撃している可能性はある」
「なるほど。鼻や口はあるか?呼吸しているかどうか」
「暗くてよく見えなかったが大きい目に似合うようなのは無かったな。顔の半分以上が目、という感じだった。魔法生物なら何かを食べて栄養にする必要も無いだろう」
彼の話からビッグアイとかいう魔物の話を思い出す。暗い空間に適応した魔物なら似たような手は使えるかもしれない。こうなったら俺たちも全力で協力するしかなさそうだ。俺は市長からメモ用紙をもらってさっきから考えていた作戦を書き出す。
「じゃあまずそのジグァーンに目くらましをかける。その隙をついて思い切りこかす。倒れたところに魔法で筋力を強化した戦士たちが一斉に襲い掛かる……こんな感じでどうだ、ラドクリフ?」
「転ばせる所までいけば、冒険者全員で切りかかって勝ちは取れるかもしれない……確実とは言い切れないがな。しかしどう転ばせる?」
「それはほら、そこに寝ている小娘の仕事よ」
不意に呼ばれてアタシ!?と急に起き上がるチェルファーナ。
「パワータイプのゴーレムを6体くらいかな、用意してもらって太い頑丈なロープで後ろから足首をすくう。行けるならぐるぐると回って縛ってしまってもいい。できるか?」
「できない事は無い……けど、6体同時となると現場に行って私が直接命令を飛ばさないといけないと思う」
急な提案に青い顔をしてそう言うチェル。冒険者たちも恐れる巨人の前に出るのは、戦ったことも無い彼女には相当の恐怖だろう。市長が俺の近くにやってきて尋ねた。
「ゴーレムでなく、力自慢の戦士とかでは駄目かジュンヤ」
「戦士なら攻撃に回したいし、マテリアルゴーレムは単純に人間の3倍の力は出せる。頼む、チェルファーナ。お前には護衛のゴーレムを俺が用意するから」
俺は机に手をついて頭を下げた。市長も、なんとか協力して欲しいと腰を折る。大人二人に頼み込まれ、チェルはたっぷり3分は黙ってからゆっくり息を吐いた。
「ほんとに酷い人達。……いいわ、仕方ない。私も一生に一度くらい命を賭けてみようじゃないの。こんな事もうこれっきりですからね!」
「よっ、さすが学院首席!大将!大統領!」
「持ち上げ方が雑!!」
俺のヨイショを怒号で一蹴したチェルファーナは市長を指さして更に要求を突きつける。
「それから、この作戦が終わったら私とジュンヤの工房に1週間の休暇+パフォマイへのチケットとホテルの手配も追加!全部ギルド持ちでね」
パフォマイは南の海にある貴族に人気のリゾートだ。湖からの飛行艇で行くとなると相当の金額になる。唐突な要求を聞いて市長が両手を震わせて慌てだした。
「い、いやチェルファーナ君、それはちょっと」
「市長、ここは飲みましょう。彼女も命を張って迷宮に潜るんですよ」
マーテがぐっと市長の手を抑えて言い聞かせる。ぐぬぬぬぬと歯を食いしばっていた市長はやがてぐったりと諦めたようにうなだれた。
「わかった……出来る限り予算を捻出しよう……」
「やった!頑張ろうねジュンヤ」
「あ、ああ」
さすがに俺も手放しでは喜べない。ラドクリフは横で、聞かなかった事にしようと小さく呟いた。どこまでも謙虚な冒険者だ。そのラドクリフが改めて俺に質問した。
「で、一番肝心の目くらましってのは何か手があるのか?」
「そこは俺に任せておいてくれ」




