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1-37 学者とテント:前編


オーザーの仕事を終えた俺たちはナーズ湖にハイキングに来ていた。風もなく穏やかな天気だ。青い空には色彩豊かな鳥達が漂うように湖上を飛んでは、時折湖の魚を狙い潜っている。湖畔ではウーシアが負けじと釣竿を仁王立ちで構えていた。


「ウーシアは釣りが得意なのか?」


「田舎では釣りができるような海や川は無かった。釣りはノースクローネに来てから鍛冶ギルドの連中に教えてもらったんだ」


そう答えながらピッ!と竿を引く。針の先にかかったのはまだ小さな魚だった。ウーシアは肩をすくめるとその魚を湖に返してやる。


「釣りはいいな。『待ち』の精神が鍛えられる。釣りを始めてから鍛冶の仕事も上手くできるようになった気がする」


「そうなのか。俺もやった方がいいかな」


「ダンナさまは向いて無いかもしれないな」


「なんでだよ!」


ウーシアのコメントに昼飯の用意をしているリティッタも後ろで大笑いした。


「そうやってすぐ子供みたいな反応をするからですよ」


「二人ともすぐ俺をいじめる」


ふて腐れて俺は芝生に寝っ転がった。街側のこの辺りは市民の憩いの場にもなっていて、市庁舎が公園として整備しているのだ。周りにもちらほら親子連れのような連中が遊びに来ている。少し先には桃色の野草の花が群生し、さらにその先に小舟を泊めた桟橋が延びている。冒険者はそこから湖の対岸近くにある小島の迷宮入り口に向かうのだ。


リティッタがニコニコしながら弁当箱を持ってきた。


「まぁまぁ。はい、ご主人さまの好きなオレンジクラブのサンドイッチですよ」


寝たままあーんと口を開けると、大きなサンドイッチが口に突っ込まれる。朱色のカニの味が口の中に広がり俺はささやかな幸せを感じた。


「カニはどこの世界でも美味いな」


「ご主人さま、定期便が来ますよ」


リティッタの言葉にサンドイッチを加えたまま空を見る。大きな竜の翼に似た主翼とクジラのような船体をを持つ飛空艇がゆっくりと湖に着水しようとしていた。南のムトゥンドラやマリッハを結ぶ定期航路の船だ。この街には飛空艇用の係留タワーが無いのでこうやって最寄りのナーズ湖に着水する。大きな、おそらく100メートル弱はあろう船体が派手に白い飛沫を割りながら水面に半身を沈めた。


「魚が逃げる!」


釣りを楽しんでいたウーシアには迷惑な客だった。湖面に大きな波が立ち魚はみんな底の方に逃げて行ってしまったのだろう。竿を担ぎ怒りながら帰ってきてサンドイッチを口に放り込んだ。


「あと数刻もすれば出発なので、また波が来ますね」


「今日はボウズかもな」


すっかり諦めたという顔でウーシアも座って船を見ながらリティッタに訪ねた。


「あの船はどのくらい遠くまで行くんだ?」


「マリッハと言えば、ずいぶんと離れていますよ。馬車でも何か月かかかるはずです」


「そうか、いつかそんな遠くにも行ってみたいな」


「そのうち社員旅行でもやるか」


あまりにウーシアの眼が遠くを見ているような気がして、つい俺もそんな事を口に出してしまった。それを聞いたリティッタが時々見せるあの意地悪な目つきになる。


「いいんですか?片道銀貨で40枚らしいですよ」


「よっぽど稼がんとならんな、そりゃ」


また芝生に身を転がした俺の言葉に女二人がまた笑い声を上げた。








久しぶりの休日を楽しんでから数日後、珍しく曇りの日が続く肌寒い日だった。工房の厚い木の扉をゴンゴンとノックする音が響く。俺は歯車を組み合わせる手を止めて声をかけた。


「どうぞ、入ってくれ」


「邪魔するよ」


低い声でそう言って入ってきた人物に俺は少し驚いた。恰幅のいい体格に厚い革ベスト、そして両肩からたすき掛けに掛けるベルトには多数のポーチ、寒さ避けの派手な柄のマフラーに目を保護する頑丈なゴーグル……そこまでは一般的な冒険者のいで立ちだ。俺が驚いたのはそれらをまとっているのが中年の女性だったからだ。


「珍しいゴーレムを作ってくれるって言うのは、アンタかい?」


「あ、ああ」


ドスの利いた声と意外な客に少し気おされながら、俺は後ろにいたリティに紅茶を、と合図をした。それから商談用のテーブルにその女性を案内する。


「ゴーレム職人のジュンヤだ。はじめまして」


「学者のアナスタシアだ。アニーでいい」


外見に似合わず可愛い名前を名乗ったおばさんは、俺の引いた椅子にドカッと座った。衝撃で服のあちこちから砂だか埃だかが舞い落ちる。リティッタが見ていたら顔をしかめただろう。


「学者さん?」


「迷宮学者だ。あちこちの迷宮の調査をしている。一応宮使えだが半分は趣味のようなものだな」


宮使えといえば騎士や役人のような公務員みたいなものか。ますます意外な客だ。


「なるほど、護衛用のゴーレムが欲しいので?」


俺の質問にアニーはふるふると首を振った。それからリティッタの持ってきたお茶を受け取りズズッと啜る。


「護衛はそこそこ腕の立つ冒険者を雇ったから問題ない」


「というと?」


アニーが本題とばかりに身を乗り出した。大きな、カサカサに乾いた肌の顔からは昨日今日冒険を始めたような連中とは明らかに違うモノを感じる。


「アタシもいろいろな迷宮やら洞窟に潜ってきたがねぇ、ここの迷宮群は相当に広く深い。オマケに凶暴な魔物もたくさんだ。迷宮の中で寝る時は折りたたみのテントを使うんだがここじゃそんなんじゃ怖くてゆっくり寝られやしない。そうすると次の日も調査に身が入らず効率が悪いって事になる」


「……つまり、しっかり安心して休めるような装備が欲しい、という事で?」


俺の言葉にアニーがニヤリと笑う。


「飲み込みがいいじゃないか。酒場でいろいろ聞いて回ったら、アンタなら力を貸してくれるんじゃないかって聞いてね」


期待されるのはありがたいが簡単に答えが出るような相談ではなさそうだ。俺は椅子の背もたれに寄りかかって腕を組み、うむぅ……と唸ってしまった。


「何も迷宮に最近作られた休憩所までのクラスは期待していない。テントよりはゆっくりくつろげる空間が欲しいんだ」


(それが難しいんじゃねぇか……)


「それは、アニー一人が使えればいいのか?」


「ああ、冒険者達はテントも使いたがらないしな。女戦士もいるんだが男連中の前で平気で着替えたりする。アイツら男女の風情ってモノを知らない」


まぁ、冒険者だしな……とそこは聞き流しながら俺はいろいろと策を練った。


「ご予算は?」


「銀貨で100。もちろんそれより安く済めばありがたい。国の学術院からの金だからな」


「つまり税金か」


そうだ、とアニーが頷く。俺も税金でメシが食えるとは思わなかった。ここの市長の依頼は冒険者ギルドから出ているようだし。


「わかった、やってみよう。そうだな……四日後にまた来てくれるか」


「よろしく頼んだよ」


アニーはそう言うとお茶を飲み干して工房を出ていった。すぐにリティッタが箒と雑巾を持ってアニーの座ったあたりを掃除する。


「風情どうこう言う前にもう少しキレイにしてから来てほしいですよね」


「ありゃあ冒険者より冒険好きなんだろうな。ベルトやポーチの使い込みがすごかった。変わった人もいるもんだ」


「で、どうするんです?」


俺はティーカップを持ったまま作業台の方に移動してスケッチ帳代わりの黒板を取り出す。


「アニーの話だと……こう、テントより大きくてしっかりした壁のある、移動式の小屋みたいなのが欲しいって感じだったな」


なんのひねりもなく箱組みの小屋に脚をつけたようなゴーレムを描いてみる。そこに一仕事終えてシャワーを浴びてきたウーシアもやってきた。


「なんだかおとぎ話に出てきそうな小屋だな」


「でも、そんな大きさで迷宮を移動するのは大変じゃないですか?」


じゃあ……と俺はその歩く小屋を消して別のゴーレムを描いてみた。大きな板を背負ったシンプルなゴーレムだ。


「こんな感じで、板を背負ったやつが四体いれば合体して小屋になるよな」


「ああ、これならいいですね。組み立ても簡単そうだし」


「しかし四体も作ったら金が掛かるぞ」


今度はウーシアが正論を言う。二人ともいい感じにゴーレム屋の感覚が備わってきて嬉しいのだが、やはり肝心のアイデア出しは俺の脳みそ次第という事に変わりはない。早く組み立てに入りたいのはやまやまだが、ここは少し時間を取ってじっくり考えることにしよう。


「今日は一日設計案を考える。ウーシアは足りないフレームの部品補充、リティッタはネジやワッシャー、魔鉱石の整理と在庫確認をやってくれ」


「わかりました」


「わかった」



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