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1-20 クワガタと引き抜き:前編



 湖を覆っていた霧が街中にゆっくりと流れ込んでくるのを、コーヒーを飲みながら窓からぼんやりと見ていた。この街で時々見られる光景なのだそうだ。クリームの泡のような霧に街が飲み込まれていく光景はずいぶんとファンタジックだった。


 食器を洗い終えたリティッタも俺の隣に来ていっちょまえにブラックのコーヒーに口を付ける。


 「ああぁぁぁ、目が覚めますねぇ」


 おばあちゃんみたいなことを言うリティッタの肩を、俺は試しに揉んでみた。


 「ひゃっ!?」


 「なんだこりゃ、ガチガチじゃないか」


 リティの細い肩は10代とは思えない凝り具合だった。俺は力を入れ過ぎないように念入りに揉んでやる。


 「き、急にレディの肌を触らないで下さいよー」


 「レディを名乗るにはまだ色気が足らん。しかし酷いな、今日はゆっくりしていていいぞ」


 「ありがとうございます。街もこんなですし、家でゆっくりしていようかな」


 「こんな霧じゃ街で誰かとすれ違ってもわからないな。どのくらいで晴れるんだ?」


 リティは俺のカップにコーヒーのおかわりを注ぎながら少し考えた。


 「まちまちですけど、夕方には晴れてると思います。東側から涼しい風が入ってくるので」


 「なるほど」


 カップを受け取ってコーヒーの香りを楽しんでいる所で呼び鈴が鳴った。こんな濃霧の中ゴーレムを買いに来た客がいるのか。


 「物好きもいたもんだな。リティッタ、お客さんにもコーヒーを」


 「わかりました」


 急いで工房に降りて入り口のドアを開ける。真っ白い世界をバックに立っていたのは、砂色のフードをかぶった細い男だった。30前後だろうか、白い痩せたアゴにびっしりと生えた無精髭が目立つ。特に武器や鎧も付けていないので職種は良くわからなかった。


 「いらっしゃい」


 「ゴーレム職人のジュンヤってのは……」


 「自分だ」


 無精髭の男は少し驚いたように目を大きくしてから、俺に右手を差し出した。


 「若いんだな。自分はイーダ、薬師だ。『古城の蜥蜴』というパーティのリーダーをやっている」


 ゴーレム屋というのはそんなに年寄りのイメージなんだろうか。ともかく俺は握手を返して応接のテーブルを案内した。古びたテーブルにはリティが縫ってくれたテーブルクロスがかけられていてぱっと見の雰囲気はとても良くなった。


 「厄介な魔物にでも?」


 「よくわかるな」


 「ゴーレムが欲しいって連中はだいたいそんな感じさ」


 迷宮探索中に予想外の強敵に遭う。それで冒険者も一時的な戦力増加を図りゴーレムを買いに来る。強敵を倒した後も(壊れてなければ)ゴーレムは続けて使えるが燃料を食うので常に連れ歩いているパーティは少ないだろう。


 「ホントに厄介な魔物でな、仲間の鑑定によるとスタゴイドとかいう……ようは二本足で立つデカいクワガタムシなんだが、コイツに挟まれると死ぬまで離さないっていう凶悪な奴さ」


 「デカイっつうと、人間と同じくらいか?」


 「もう少しデカイのもいる。加えて動きも速いんだ。戦士が危うく挟まれそうになって、盾をつっかえさせて逃げたんだが鉄の盾がくしゃって紙みたいに潰されちまった。慌てて逃げてきたよ」


 やれやれとイーダは肩をすくめた。クワガタのでかい版とかですまされるレベルではなさそうだ。


 「なかなか手ごわそうな魔物だな……ソイツを倒せるゴーレムを?」


 「倒せなくとも、そのハサミさえ無力化してくれればありがたいが」


 「なるほど」


 今の所、コレだ!というアイデアは思いつかないが考えるしかない。俺はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。


 「ちょっと考えて見る。明後日くらいにまた来てくれるか?それまでには何かしら策が用意できると思うんだが」


 「わかった、よろしく頼む」


 イーダはそう言うとまたフードを被り白い霧の中に溶けて行くように帰った。


 (鉄の盾を簡単にひん曲げちまうようなハサミか)


 ハサミ自体の強度も高いだろうし、それを閉めつけるクワガタのパワーも強そうだ。普通のゴーレムで簡単に対処できるようには思えない。今日は一日アイデアを練って過ごす事になりそうだ。


 「リティッタ、今日はもう上がってくれ。明日メシ頼む」


 「わかりました。ご主人さまも根を詰め過ぎないようにしてくださいね」


 「おう、サンキューな」











 結局、いいアイデアが浮かばないまま夕方になってしまった。夕方と気付いたのは急にオレンジ色の陽光が窓から入ってきたからだ。霧は気づかないうちにすっかり晴れていたらしい。


 (考えていても仕方ないし……もう一つの“問題”を解決しに行くか)


 俺は飯代の銅貨を何枚かポケットに突っ込むと、看板を引っ込めて工房を出た。ゆっくりと人の出歩き始めた通りを歩く。買い物を終えて家に急ぐ主婦と、迷宮から帰ってきた冒険者たちが入り混じり街は結構混雑していた。夕飯は後回しにすることにして目的の建物へ進む。


 「おう、ジュンヤじゃないか。リティッタの迎えか?」


 その建物、鍛冶ギルドから出てきた青年が俺に声をかけてきた。そのまま振り返って中にいるリティを呼ぼうとするのを慌てて止める。


 「いや、今日は別件だ。親方を呼んでくれるか?」


 「ん?ああ、わかった。ちょっと待ってろ」


 ややあって、入り口からのそりとバーラムが顔を出した。上半身汗だくで、親方自ら何か鍛えていたのかもしれない。


 「おう、ジュンヤ。なんか用事か?」


 「いや、ちょっとな。近くを通ったから酒でもどうかなと思ってさ」


 「おお、いいな。じゃあ少し待っててくれ。支度してくるからよ」


 そう言うとバーラムがニカッと笑って引っ込んで行った。ややあってタオルで汗を拭いたらしいバーラムが薄いシャツ姿で出てくる。


 「え、もういいのか?」


 「ああ、後は若いのに任せてきたからよ」


 行こうぜ、というバーラムのデカい手に背中を叩かれて飲み屋街を歩く。彼の好みはわからなかったが、任せると言われたのでこの前入って美味かった『ハーディッシュ』という店に向かう。魚料理で評判の所だ。


 店の中はそこそこ繁盛していた。暗い照明の中に煙草の煙が燻っていて、俺は割と好きな雰囲気だ。空いているテーブルについて適当に魚のフライとビールを頼む。


 「どうだい景気は」


 乾杯をして、そんな何気ない所から話し始める。本題に入るまで流れを作っておきたいが焦りは禁物だ。


 「おかげさまでいい調子さ。冒険者が鎧の修理をよく持ち込んでくるし、たまに珍しい鉱石を持ち込んできて剣やハンマーにしてくれって話もある。だいたいは柔らかかったり脆かったりで使い物にならないんだがな」


 「いいね、なんかロマンのある話だな」


 揚げたてのフライに齧りつく。昼飯を抜いてきた俺と一日働いていたバーラムはあっさりそれを食いつくしてしまった。傍を歩いていた薄着のお姉ちゃんに同じものと、それからフィッシュボール(ようはつみれだろう、多分)を頼む。


 「いいケツしてるな、あのねーちゃん」


 ハリのある大きいお尻を振りながらキッチンに向かう給仕のお姉ちゃんを見ながらバーラムはニヤニヤと笑った。まったく同意だとビールを飲みながら頷く。その俺に振り向いたバーラムが少し真面目な顔をした。


 「で、なんでぇ。急に話でもあるのか?」


 「まぁ、世間話でもってわけじゃないんだけどな」


 さすがにギルドを仕切るような相手は誤魔化せないか。バーラムはジョッキを空にするとヒゲについた白い泡を拭った。


 「リティッタか?」


 「ああ」


 素直に肯定。俺は単刀直入に言う事にした。


 「最近だいぶ疲れているようだ。仕事を減らしてやりたい。思いのほか優秀だから俺としても辞められるのは痛手なんだが、こっちから辞めるか?と聞いたらウチの仕事は続けたいと」


 「……それで、引き抜きか」


 少し考える時間を作るように、煙草に火を付けるバーラム。

 

 「まぁ、だいぶ疲れてるみたいなのはわかってた。しかしウチでも良く働いてくれるから、俺も手放したくない。一応元はギルドのメンバーだし順当に行けばそっちに諦めてもらうのが……まぁスジって奴だよな」


 「そうなるよなぁ……」


 リティの希望はこっちへの移籍だが、新参者の俺が我侭を言って街で肩身を狭くするのは商売上避けたい。泣く泣く諦めてマーテにでも求人を出してもらうか、と思っていると、バーラムがお姉ちゃんから二つビールを貰ってその一つを俺の前に置いた。


 「……だが、本人がそっちが良いっていうのを無下にするのもなんだか腹具合が良くねェ。で、ここは一つ取引といかねぇか?」


 「取引?」


 ゴーレム屋と鍛冶ギルド。癒着でもやるのだろうか。しかし公共事業でも無いし同業者もいないし……全く見当もつかない。


 「実はな、俺の娘がもうすぐ嫁に行くんだ」


 「ほう、そりゃおめでとう」


 「それで、俺としては綺麗なネックレスでも作ってやりたいと思ってな、これなんだが」


 バーラムは持っていた荷物の中から大事そうに白い布にくるまれた包みを出す。中には細かい彫刻を施したネックレス、その中央の部分は、宝石の台座だけがあって肝心の宝石がはまっていない。


 「すごい綺麗なネックレスだな。親方が?」


 「ああ、なかなか手こずった。で、最後はここに宝石を入れるだけなんだが、一生に一度の事だ。街で買えるようなありきたりのモノはどうかと思ってな」


 「なんか、心当たりでも?」


 俺の質問にバーラムが首を縦に振る。


 「ある冒険者から聞いたんだが、最近探索の始まった砂漠迷宮の17階層、ここにその名の通り砂だらけの広間があるそうなんだがここで時折オーファムサファイアという宝石の原石が見つかるそうだ。なんでも魔物避けの力があるとか」


 「なるほど、それを用意できれば?」


 「リティッタはジュンヤに譲ろう」


 「ありがとう、と礼を言うにはまだ早いけど……頑張ってみるよ」


 そこまで譲歩してくれただけでもありがたい。その宝石を手に入れるのにどのくらい苦労するかわからないがやってみる価値はありそうだ。俺は少しだけ肩の力を抜いてバーラムとの酒を楽しんだ。






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