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 いつから降りだしたのか。町は雨で濡れていた。

 アプリだったころも今も、ユーザーが不快に感じるような雨は降ったことがない。

 それでも木造と石畳の素朴な町並みは曇天を映して灰色に染まっていた。

 いやな予感はしていた。

 だからシュートとエドガから事情を聞いてもおどろきはしなかった。

 もちろん迎合すべき事態ではない。懸念していた最悪が実際に起こったということだ。

 現場は広場に面した教会。数十人のユーザーが立ちつくし鐘楼を見あげていた。

 ならって頭上を仰ぎ見る暇もなかった。駆け足で到着するなりどよめきがおこった。

 鐘楼から一人の女が飛びおりた。

 遠目でもすぐにわかった。昨日助けた女だ。

「やめろ!」シュートが叫んだ。しかし落ちてからでは間にあわない。

 女は白いローブをはためかせ重力にしたがい自由落下する。

 後頭部から石畳に墜落し、にぶい音が足の裏を震わせた。

 近くにいたアスカとミミィが悲鳴をはっして顔をそむけた。

 しかし血しぶきや脳漿が飛び散ることはなかった。

 仰臥した女はまともなかたちを保っていた。ローブや顔が薄汚れただけだ。

 女の身体の周囲に幾何学的な赤い光線の束が現れた。弱っていく心拍数をあらわすように、あるいはカウントダウンのように不気味に明滅している。

「アスカ! 蘇生魔法を! 急げ!」ふたたびシュートが叫んだ。

 茫然と硬直していたアスカは我にかえって女に駆けよった。「リライブ!」

 羽の幻影と白い光芒が中空から女に降りそそいだ。

 まったく。赤く光ってみたり白く光ってみたり、女の身体も忙しい。

 女の汚れや衣服の傷みは見る間に修復され、すぐに起きあがった。

 虚ろな表情でアスカを瞥見し、次いでシュートをにらんだ。

「なにをするの。せっかく死ねそうだったのに。鐘楼の上まで登るのは大変なのよ」

「なにをしているのかはこっちの台詞だ。バカなまねはやめるんだ!」シュートはローブの女の肩を掴んで熱っぽく訴えた。

 がくがくと揺さぶられて女の顔は次第に人間味を取り戻していく。泣きそうになりながらも怒りで顔を歪め、シュートの腕を払いのけた。

「なにをしているのか? 現実へ帰ろうとしているのよ! 邪魔しないで!」

 投身自殺をはかっておいて現実へ帰ろうとしているとはどういうわけか。おかしなことをいっているようだが、今のエクスデアでは必ずしも矛盾しない。

 エクスデアは世界で初めて意識転送とシミュレーテッド・リアリティを利用した体感型アプリだった。現実とまったくおなじ感覚で行動できるからこそユーザーの精神的な負荷はおおきい。ましてやテスト段階とあって、さまざまな安全装置が組みこまれていた。

 その一つに心身保護遮断というものがある。

 ユーザーが過多のストレスにさらされたときに起動するシステムだ。

 過多のストレスとは短い間隔で何度も行動不能になるという事態をさす。

 本来、致命的なダメージをうけて行動不能になったユーザーはその場に倒れ、およそ一分間の猶予が与えられる。その間に蘇生がなされなかった場合は自力で動けるていどに回復された状態で最後にアクセスした道標へと転送される。

 しかし、それがたびかさなると保護遮断システムのトリガーに触れ、ユーザーの身体はエクスデアから消失する。

 そうなると一日の試遊制限時間であった五時間を超過したのとおなじ扱いになり、しばらくは再接続できないという仕組みだった。

 ようするに死にまくるとセーフティが働き、強制的にこの世界から遮断されるということだ。

「せっかく迷宮から生還できたのに、命を無駄にするきか!」

「そうです! 気をしっかりもってください!」

「それだけはしないようにしようって、みんなで決めたじゃない!」

 シュートと、ミミィとアスカも便乗して一派総出でローブ女を説得にかかる。

 しかし女は頑固だった。うるさいうるさいとヒステリックにわめく。

「どうして無駄だとわかるのよ! あなたたちがいうようにわたしだけが助かったのだから、こんなところで死ぬわけにはいかないのよ!」

 リセマラという造語がある。リセットマラソンの略であり、アプリやゲームにおいてランダムで当選する高品質なアイテムなどを得るためにリセットを繰りかえす行為だ。

 それを文字って今のエクスデアにはスーマラという言葉がある。スーサイドマラソン。ぞっとしない響きだ。

 今、ローブの女がやっているのがまさにそれ。故意に自殺を繰りかえし、保護遮断によって強制的にエクスデアから抜けだそうとしている。

 ただし、ほんとうにそれだけのことで現実へ帰れるのなら世話はない。

 現状、エクスデアに再接続するものはおらず、自由意志で退出することもできない。セーフティもくそもないわけだ。それなのに保護遮断だけが正常に機能しているなんてことがあるのか。

 つまるところ、身体の消失イコール現実への帰還だと断言することはできず、スーマラが成功してもどうなるのかはわからない。命をはるには危うすぎる賭けだ。

「あなたたちこそ正気なの? あの人の怪我を見なさいよ!」ローブ女はエドガを指さした。おびえるような視線は胸当ての下の包帯にそそがれていた。「ああなったら手遅れなのよ! 迷宮で死んだ彼もそうだった……。わたしはまだ怪我もしないし血もでない! あんなふうになる前に帰らないといけないのよ!」

 やはりそう考えるか。恐れていたとおりだ。

 負傷したり、回復や蘇生が効かなくなったりする症状がでる前に、危険なスーマラを実行してでも現実へ帰ろうというのだ。

 口論を見守っていた周囲のユーザーたちが不安そうに目配せをし始めていた。よくない兆候だ。

 エドガは腕を組むようにして身体の包帯を隠した。小声で苦々しくうめく。「ハンク。まずいぞ。このままだとあの事件の再来だ」

 同意だ。

 以前もスーマラがおおはやりしたことがある。

 およそ半年前、目覚められなくなって数か月が経ってもどこからもなんの通達もなく、いよいよ現実への帰還のすべはないのではないかとみなが不安を感じ始めたころ、保護遮断システムによる強制退出を試すユーザーが現れた。

 この片田舎の町でも二十人近いユーザーが消えた。

 そのときは『迷宮を目指せ』という例の文言の出現によって迷宮レイドに活路が見いだされ、スーマラ騒動はとりあえず沈静化した。

「だが今回はより深刻かもな。なにせ現物がある」

「現物?」

「お前は病院だったから見てないか。死体だよ。はらわたがでてた」

 見るに堪えないほど損壊したあわれな亡骸。そんなものを突きつけられれば強迫観念にとらわれ自暴自棄になっても無理はない。

 迷宮レイドの危険性も再認識されるだろう。そうなればスーマラの二度目の大流行は避けられない。

 ローブ女はいよいよシュートたちの包囲をふり払い、教会に駆けこんだ。自死という救いを求めるさきが教会とはとんでもない皮肉だ。

 シュートは手を伸ばしたが言葉が見つからなかったのだろう。肩を落としてうなだれた。泣きだしそうな顔でこちらを見てきた。

 なぜおれを見つめる。優しい言葉でもかけてほしいのか。

 弱りきった美少年。濡れそぼった髪にうるんだ瞳。そっちの気があればいちころかもしれないが、あいにくその趣味はない。

 おれは肩をすくめてその場をはなれようとした。

「ちょっと銃使い。どこにいこうっていうんですか?」ミミィがあわをくって制止してきた。

「酒場だよ。飲みなおす」

「あなたはどうしてそうなのよ! とめようとは思わないの?」アスカが感情的に詰めよってきた。おれにやつあたりしないでくれ。

「とめようがないだろう。スーマラをやるやらないは個人の自由だ」

「自由じゃない! スーマラは禁止よ。町のみんなでルールをつくったじゃない」

 半年前のスーマラ騒動の直後、ユーザーは会議をひらいてルールをつくった。ユーザー同士で暴力行為をしない。窃盗をしない。公然でみだらな行為はしない。スーマラをしない、などなど。

 話しあいで様々な禁止事項が定められた。しかし結局は口約束。個人の倫理観に依存しきったものであり、町内会の取り決めほどの強制力もない。

「そのルールをやぶった場合はどうなる? どうにもならないだろ。罰則がない以上、お願いして聞きいれられなかったときはどうすることもできない」

 あの女を迷宮から救ったのはおれだ。こんなことになって虚しい気持ちもあるし、できれば助けたい。しかしスーマラをとめる権利はない。

 望まずに危険な目にあっているのなら助けるべきだが、てめえの命をどう使うかは当人の勝手だと思う。

 アスカは悔しそうに口をつぐんだ。

 首を伸ばしてアスカの肩越しにシュートを見やった。

「それでも、どうしてもとめたいというのなら、あの女を拘束するしかない。自殺できないように両手両足を縛って、舌を咬めないように猿ぐつわもかませて、領主の館の地下牢にでも監禁すればいい」

 そうこうしているうちに女が落ちてきた。

 白いローブが地面ではずみ、ずた袋のように転がった。

 保護遮断にいたる行動不能の回数は定まっていない。たった二回で消えたこともあるし、十数回は耐えたという話を聞いたこともある。

 幸か不幸か。女にとっては間違いなく不幸なことに、その身体は赤く明滅し始めた。

 シュートがはじかれたように駆けより、女の身体を抱きかかえた。

「おいおい。どうするつもりだ」

「ハンク。お前がいったことをやるしかない。とりあえず彼女を拘束する」

「マジかよ」

 驚いた。あきらめさせるためにいったつもりなのに、まさか本気にするとは。

 そんなことをすればどうなるか。

 身動きできないような拘束は暴力行為にほかならず、ルールに抵触することになる。

 一度でもそんなまねをすれば、これからはルールの遵守を強制する保安官が必要になってくる。

 結果としてユーザーがなにより大事にしていた自由意志を奪うことになる。

「シュート」ひさしぶりに面とむかって名前を呼んだ。「わかっているのか?」

「わかっているつもりだ」

 それだけ告げてシュートは走り去った。戸惑いながらもアスカとミミィもつづいた。

 方角は領主の館。この町で唯一の監禁施設、からっぽの地下牢がある。

 町関連のクエストで数回おとずれるだけのおおがかりな舞台装置のような施設だ。まさか実際に使われる日がくるとは。

 エドガがカーボーイハットをとり、額をなでながら疲れきったようなため息をついた。「とんでもないことになった。もしかしておれの怪我のせいか?」

「それは違うだろ」即座に否定した。

 だれかのせいだというのなら、遺体を迷宮から持ちかえったおれにも非があることになるし、そもそも助けにいくべきではなかったという話になる。つき詰めていったらきりがない。そんな議論はあまりに不毛だ。

「時間の問題だったんだ。たぶん遅かれ早かれこうなってた」

 正直、これまでの一年間、お気楽な調子でよくもったほうだと思う。

「半年前に逆戻り……。ハンク。あなたが心配していたとおりになったわね」クナイがとうに姿を消したシュートたちを目で追うようにしながら呟いた。

 いろいろと心配は絶えない。憂慮のデパートだ。

 品揃えのなかで最新最大のものはシュートの様子だった。

 昨日、死体を目のあたりにしてからやつは少しおかしかった。

 決定的なのは去り際の目つき。

 充血した目はどこにも焦点があっておらず、眸だけが昏く沈みこんでいた。

 現実の世界でああいう目をした人間を何人か見たことがある。

 自分のうちにある深淵をのぞきこみ、そこに巣くう怪物とまともに目をあわせてしまった人間の目だ。



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