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迷宮。エクスデアの世界に用意された最難関のダンジョンだ。
ダンジョンと呼ばれるものは町の外のそこかしこにあり、数人あるいは単独でも踏破できるように難易度が調整されている。
しかし迷宮は数十人での攻略を想定した難度に固定されている。腕利きのメンバーを集めて攻略に挑む行為はレイドと称され、一種の一大イベントだった。
ぞくにいうエンドコンテンツ。アプリを遊び倒したユーザーを飽きさせないためのサービスである。
実装された当時、運営への非難は多かった。まだ正式サービスも始まっていないのにそんなものを用意すること自体が的外れだったのだ。
そしてなによりその難度の高さが常軌を逸していた。鬼畜の所業、悪魔的、地獄絵図。あらゆる負の言葉でその内実は叩かれた。
迷宮の攻略が困難な理由。その最たるものが再現性の低さだろう。
迷宮の内部は数時間ごとに構造やモンスターの配置がリセットされる。
本気で攻略を目指すなら人集めにも時間がかかるのでそのたびに初見のダンジョンに挑むことになる。
アプリだった過去から、おれたちが囚われている現在にいたるまで、攻略に成功したものはただの一人もいないのだ。
眼前にはうらさびれた遺跡。底知れぬ地下へと続く階段が新たな犠牲者を求めてぱっくりと昏い口を開けていた。
色々と準備を整えてからここにきた。それでも町をはなれてから十分とたっていない。
最難関ダンジョンだがアクセスは駅の券売機で切符を買うより容易い。
世界の要所にある道標と呼ばれる立て看板に触れれば、ほかの道標へと瞬時にファストトラベルできる。
しかしそれはあくまでも入口までであり、そこからは自らの足で進むしかない。アクセスお手軽な迷宮レイドだが伊達に遠征と呼ばれているわけではない。
「さて。始めるか」
おれは迷宮入口にどかりとあぐらをかいた。
特大サイズの背嚢から一本の葡萄酒をとりだす。その名も『白日の月』。
コルクを抜いてボトルのまま一口あおってみる。普通の葡萄酒だった。正直、おれの口にはあわない。
一見するとただの高級な葡萄酒。ありふれた飲食物アイテムだが、じつはクエストアイテムだ。
さすがにこんなところで一人で酒盛りを始めるほどいかれてない。
ボトルを逆さにして赤い内容物をばしゃばしゃと足許にふりまいた。
途端、日中だというのに周囲が薄暗くなり、濃密な靄が立ちこめ始めた。
どこからともなく女の声が聞こえてきた。うめき声、耳障りな笑い声、断末魔のような絶叫。それらが渦をまいて近づいてくる。
初めてじゃないがやっぱり怖い。さっそく後悔し始めていた。
耳障りな声が最高潮にたっした瞬間、ぴたりと静寂がおとずれた。
周囲の靄が一点に吸いこまれるように凝縮していき、女の輪郭がうかびあがる。
白いウエディングドレスを纏った女だった。全身が干からびていて、顔は半分白骨化している。
煙のように宙をただよいながら女は近づいてきた。しわしわの青白い手がおれの顔に差し伸べられる。股間の袋がちぢこまった。
まともなユーザーなら戦闘開始となるところだがここは我慢だ。
触れられているだけで体温と生気をぎゅんぎゅん吸われていくきがする幽鬼の触診にじっと耐える。SAN値がごりごり削られるのはきのせいではない。
やがて地獄の愛撫は終わった。女はすっかり色味がかっていた。痩せすぎているがぎりぎり人間といえるぐらいの見てくれになっている。
「ハンクくん。ひさしぶりね。最近すっかり顔を見せないものだから、お見かぎりだと思ってたわ」
イベントクエストのボスであるレイスはよくできたスナックのママのような第一声をはなった。
「どうも。もう会うことはないと思ってたんだけどね」
「そんなつれないこといわないで。私を指名してくれるのはハンクくんぐらいなんだから」
指名といういいかたはどうかと思うが、わざわざ会おうとするのがおれだけなのは当然だろう。
彼女の名前はジーナ。しかしその名で呼ばれることはない。一般的なユーザーからはデイライト・レイスと呼称され恐れられていた。
ジーナはエクスデアにおける特殊クエストでボスとして登場したモンスターなのだ。
有名な葡萄酒農家の娘として産まれたが婚約者が悪い男であり、結婚式の前日に暗殺され家を乗っ取られたという設定だったはずだ。
クエストを進めると手にはいる『白日の月』を粗末にすると現れて戦闘になるという流れだった。
数いるレイスのなかでもジーナだけが日中でも活動できて、なおかつ少しだけ理性が残っているようだった。
だからエクスデアに囚われてから興味本位で葡萄酒をまいて召喚してみて、ちょっと話してみた。
自我を獲得しているのはミリアンのような町民だけではない。おどろくべきことにモンスターであるはずのジーナも人間性をもっていた。
考察するに、エクスデアがアプリだったころから個性的だったNPCが優先して自我をえているのだろう。
「前に話してから時間があいちゃったけど。まだこのあたりにいるということはハンクくんの状況は変わらないみたいね」
前回ジーナと対話したときにおれたちユーザーがおちいる状況は伝えてあった。
正確に理解してもらうことはできなかったが、遠い異国の人間が自分たちの国に帰れなくなったぐらいに解釈したようだった。
「ああ。変わらない。というかより悪化してる。そこでちょっと助けて欲しくてね」
「あら。わたしにお願い? いいわよ。わたしにできることならなんでもしてあげる」ジーナはこころよく即答した。
驚いた。こんなに素直に引きうけてくれるとは思わなかった。
すぐに猜疑心がふくれあがる。なにか法外な対価を要求されるのではないか。たとえば生贄とか……。
「もう。そんな顔しないで。べつになにも求めないわ。こうして会って話してくれるのはハンクくんだけなんだから。そのお願いを断れないわよ」
なんと心優しい幽鬼がいたものか。こんなにいい女はいないだろう。浮いていて、人の生気を吸おうとさえしなければだが。
「じつはそこの遺跡の地下で人間が二人、行方不明になってね。そいつらを助けたいんだ」
ジーナは遺跡を瞥見し、おれを見つめた。その顔はどこか不思議そうだった。
「助けるのはもちろんかまわないのだけれど、いくつか訊いていい?」
「なんだ?」
「その二人はハンクくんの友達なの?」
「いや。顔も名前も知らない」
「じゃあ誰かから依頼されたの?」
「いいや。残念ながらロハになるだろうな。ボランティアだよ」
ジーナは驚いたようにさらに目を丸くした。
「少し意外かも。こんなこといって怒らないでほしいんだけど、ハンクくん、人助けするタイプには見えなかったから」
「……参考までに教えてほしいんだが、どんなふうに見えていたんだ?」
「うーん。ちょっとユーモアな盗賊とか。ぎりぎり理性的にお話しできる野盗とか」
軽く心に傷を負う。おれは幽鬼にどんな目で見られていたのか。
しかし無償で人助けをするような人格者でないのは事実だ。おれはシュートと違う。
ここで改めて自問した。なぜおれは危険を顧みず見ず知らずの人間を助けようとしているのか。
きっとそこがおれのなかでの最後の堤防なのだろう。
全員がひとしく異常な事態におちいっているエクスデアのユーザー。それの命が危険にさらされたとき、助けられる可能性があるのに見殺しにしてしまっては、ユーザーとして終わってしまう。
死に瀕する他人のためではない。おれ自身の心の健康のためだ。それなら骨をおる価値はある。
「ジーナ。おれも事前に確認しておきたいことがある。二人を助けるためには遺跡のなかのモンスターを大量に殺すことになる。その点は問題ないか?」
「まあしかたないかな。こんなところで無限にわいてくるような連中は幻影みたいなものだからね」
「そうなのか?」
「そうよ。話も通じないし自我もない。はいってくる人間を襲うだけの人形みたいなかんじ」
新たな発見だ。意思をもったNPCにとってもその他のモブは別種のものとして受けとめられているようだった。
「でもさすがに同属はちょっと気が引けるから、レイスだけはここから立ち退くように命じてこようかな。それはかまわない?」
「ああ。かまわない。というかそうしてくれると助かるが。そんなことができるのか?」
「もちろん。意思のない人形でもレイスだけならわたしの命令を聞くみたいだから。わたしこれでもけっこう偉いのよ」えっへんとドレスで強調された胸をはるジーナ。
たしかに、かつてボスとして君臨していた彼女は無数のレイスを従えていた。
それが今も通用するならこれほど頼りになる相棒はいない。
「よし。じゃあ始めよう」
ジーナに説明して、準備にとりかかる。
モンスターを仲間にし、たった一人で突入する。
前代未聞の迷宮攻略だ。




