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貴女への地図  作者: 高階珠璃
episode3 等高線
33/45

 新幹線とバスを乗り継いで帰ってきた。部屋の空気は重い。以前大喧嘩した時にも匹敵するほどの重苦しさ。いや、少し違う。あの時は怒りや悲しみが支配していたが、今はそれとは異質の、どう表現したらいいかわからない苦しさ。それはまるで、気持ちの整理がつかない俺自身を表しているようで。

「真知は知ってるのかな」

 二人きりになって初めて開かれた芽依の口から出てきたのは、もう一人の妹の心配だった。

「多分知らないんじゃないかな。少なくとも、五月の時点では」

「だよね……」

 実際のところ俺と真知の付き合いなんて稀薄なはずだが、実の兄妹をくっつけようだなんて意地悪はしないだろうという確信めいた思いがあった。俺より遥かに深い付き合いの芽依も、それには同意見なようだった。

「教えてあげた方が、いいよね?」

「俺もそう思う」

 事実を教えることで、俺たちを後押ししてしまったことを気に病んでしまうかもしれない。だが、先延ばしにして後から知ってしまう方がなお辛い。それを身をもって知ってしまった直後に、事実を伏せておこうという選択肢は出てこなかった。

「私、いまから真知に電話するね」

「頼む。俺も由実姉――母さんに真意を訊いてみるよ」

 お互い同じ家から、同じ家にいるであろう別の人物へ電話をかける。その歪な状況が、今の俺たちの状態を表しているかのようだった。


「もしもし」

『央芽――このタイミングということは、姉さんから聞いたの?』

「ああ、聞いたよ。そして由実姉にも色々と訊きたいことがある」

 唾を飲み込む音が聞こえた。それが自分のものなのか、由実姉のものなのかはわからない。

『何で今まで言わなかったのか、なのかな』

 由実姉の声は震えていたが、それでもハッキリと一言、核心を突いた言葉で俺を貫いた。

「う、うん。一番気になったのはそこ。そして、何で今になって言う気になったのかも」

 沈黙。一瞬のことだが、それが酷く長く感じる。そして、一つ一つ丁寧に紡ぐように由実姉の胸中が語られた。

『元々はね、央芽を産むことは姉さんたちに猛反対されてたの。気を悪くしないでね。私も芳克さんもまだ高校生だったし、ましてや芳克さんは私が身籠っているなんて知らなかったんだから。そして、私の意志が固いことを知った姉さんは、産む代わりに自分たちが育てることを提案したの。とても胸が引き裂かれるような思いだったけど、今自分で育てるのと姉さんたちが育てるのと、どっちが央芽にとって幸せなのかって考えたら、答えは一つしかなかった』

「それは……!」

 違う、とは言えなかった。俺だってもう子供じゃないんだから、現実的に考えて合理的で現実的な話なのはわかる。わかるんだけど、肯定したくない自分もいる。

『本当はもっと早く打ち明けて引き取るつもりだったんだけど、姉さんたちの家族に溶け込んでて幸せそうな央芽を見てたら、とても言い出せなかった。本当にごめんなさい』

 電話越しでも伝わるほど涙を含んだ由実姉を、とても責めることはできなかった。由実姉は、俺たちよりも遥かに前から、ずっと苦しんでいたんだ。今の苦しみは、由実姉も、母さんも、芽依も、誰も悪くない。誰も悪くないからこそ、なおのこと苦しい。

「それで、何で今になって――?」

『それは――』

 先程までよりも明らかに長い沈黙。それはまるで、由実姉の苦悩の丈のようで。

『芳克さんにね、央芽と芽依がお似合いだなって言われたの。馬鹿ね、私も。それまで、その可能性に全く考えが及んでなかった。央芽と芽依は兄妹だから、そんなことはないって。兄妹だということは央芽も芽依も知らないというのに』

 もう手遅れだよ。その一言が喉元にまで込み上げてきたが、寸前で抑えた。だって、もう手遅れだから。俺の芽依への気持ちは、後戻りができないほど深いものだから。

「由実姉の気持ちはよくわかったよ。ごめんな、遅い時間に」

 そう言ってすぐ、電話を切ってしまった。耳元で「ごめんね」と聞こえたような気もしたが、それは俺の願望なのかもしれない。


 芽依の方を見やると、丁度同じタイミングで電話を切り上げたところだった。こういうところで息が合ってしまうのを、今は喜ぶ気分になれない。

「真知はどうだった?」

 芽依は、静かに顔を伏せたのみだった。それだけで、電話越しの真知の様子が痛いほどに伝わってきた。顔を伏せたまま、芽依は静かに泣いた。それを見て、俺も泣いた。抱き寄せて慰めようとした腕は、目的を果たすことなくなだれ落ちた。それからのことはよく覚えていない。二つの抜け殻はそれでもルーティンとなった日常だけは忘れなかったようで、気づけば冷たい布団に入っていた。



 真知が俺たちの部屋を訪ねてきたのは、翌日の朝、まだ鶯の鳴き声が微かに聴こえるほど早い時間だった。

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