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あれから、芽依と口を利いていない。視線がぶつかることもない。お互い避け合い、誤解を解くような機会を一つ一つ潰していった。このままでいい訳がない。このままでは、恋人としてだけではなく、親戚としての関係すら崩壊してしまう。それはわかっているし、誤解を解きたい、謝りたいという気持ちはずっとあるのだけど――。
状況が状況だけに、知遥にはひどく心配された。喧嘩の翌日、俺の姿を見るなり詰め寄ってきて「あれから芽依ちゃん怒ってなかった?」と何度も訊いてきた。知遥に心配をかけたくないあまり、何もなかったと嘘をついた。その時の知遥はしばらく訝しげに俺の顔をジッと見つめていたが、ふっと目を逸らすと「そっか」と一言溢し、それ以来この話題を出すことはなかった。まあ、その話を聞いていた剛史に俺が芽依と同棲していることに気づかれ、終始そのことに突っ込まれていた、というのもあるが。
そして今、そんな調子づいた剛史の「央芽たちの愛の巣にガサ入れに行こーぜ」という提案に知遥が乗ってしまったため、三人で連れ立って俺の家へと向かっている。確かこの時間なら、まだ芽依は帰ってないよな。
「へえ、二人で暮らしてるっていうからある程度広い部屋借りてるとばかり思ったけど、案外狭いんだね。これって普通のワンルームじゃない?」
知遥の疑問も最もだ。慣れてきたとはいえ、二人で住むには狭すぎると思う。
「まあ、元々は俺一人が住むつもりだったし、芽依も家賃のことを考えたらこれくらいで充分って言うから」
扉を開きながら説明していると、脇から剛史が遠慮なく侵入した。
「ほおお、こりゃまた随分狭いなあ。これなら思う存分いちゃいちゃできるじゃん」
「いや、それって広さ関係あるか?」
「そりゃあ、こいつを見りゃあ明らかだぜ」
剛史の視線の先には、部屋の隅で畳まれた“ひと組”の布団。しまった。一番知られたくないことがバレたみたいだ。
「それって……でも確かにひと組くらいしか布団敷くスペースはなさそうだし、ってことは――」
「知遥までやめろって。確かに同じ布団で寝てはいるが、お前らが想像してるようなことはしてないからな」
昨日なんて、お互い背を向けたまま一度も触れ合うことがなかったしな。
「いやいや、そう言いながらやることやってんだろ」
「してないし」
「でもさ、芽依ちゃんみたいな魅力的な子が傍にいたら、男ならそういう気持ちになるでしょ?」
「そりゃあなるけど――って何言わせてんだ二人して! そんなに俺をからかって楽しいのか!?」
「楽しい」という返事が二つ同時に返ってきた。
終始二人に芽依のことをからかわれながら、いつの間に時間が経ったのだろう。玄関を弄る音がしたかと思うと、今一番会うのが気まずい、もう一人の部屋の主が帰ってきた。
いつもなら「ただいま」と一声かける芽依だが、喧嘩をしてからはそれすらなくなった。だが今日は、靴の多さからか、それとも剛史と知遥の騒ぎ声からか、来客に気づいたようで、遠慮がちに「ただいま」と呟きながら部屋を覗き込んだ。知遥を見て一瞬固まったが、すぐ目を逸らしてしまった。と、知遥が立ち上がって、芽依の正面に回った。知遥の方が一段視線が高かったが、それはすぐ芽依の遥か下に下げられた。
「ごめんね、芽依ちゃん。たとえ何もないにしても、あの状況じゃ誤解されて当然だと思う。これからは決して友達以上に近づかないように気をつけるから、だから――」
芽依は逸らした視線を戻そうとはしない。だがその顔には、まさか知遥が一辺倒に謝ってくるとは、と書いてあった。
「顔を上げてください」
その声は、喧嘩して以来一番落ち着いていた。その声に安心してか、知遥も素直に頭を上げた。まだ不安げな表情のままではあるが。
「もういいです。私も知遥さんに強く当たり過ぎましたから」
「それじゃ、許してくれる?」
「はい。知遥さんは許します。これからも央芽のこと、“友達として”お願いしますね」
そう言ってペコリと頭を下げる芽依は、いつもの大人な芽依に戻っていた。若干毒が含まれてたような気もするが。顔を上げた芽依は、いつも外でするような落ち着いた笑顔を知遥に向けた。
ほどなくして、剛史と知遥は家路についた。剛史は「お二人さんの邪魔しちゃあ悪いからな。へへへ」と脳天気に言っていたが、知遥は心配そうな視線を俺たちに向けた。
二人を見送ったとたん、芽依は再び無表情になり、俺に背を向けてしまった。
***
「ねえ和久君。芽依ちゃんと仲直りしたっていうの、あれ嘘でしょ」
次の日大学に言ってみると、開口一番知遥に突っ込まれてしまった。流石にあの状況を直に見てしまったら、訊かずにはいられなかったのだろう。
「まあ、そうだよ」
「ねえ、それってやっぱアタシのせいでしょ。昨日芽依ちゃんは気を遣ってああ言っただけで、本当はまだすっごく怒ってるんじゃないの?」
泣きそうな顔で知遥が詰め寄ってくる。普段は強気な知遥に慣れているので、こういう知遥の姿を見るとどうしても戸惑ってしまう。
「お前のせいじゃないよ。第一芽依は、もう知遥に対して怒ってはいない。それは本当だ」
「でも和久君に対しては怒ってるんでしょ」
「まあ、な」
昨日、結局知遥たちが帰ってからは、喧嘩をした時から変わらず、一言も口を利いてくれなかった。それこそ、剛史や知遥と喋っていた姿が幻に感じてしまうほど。
「ねえ、何かアタシにできることはない? 二人に関係ないって言われても、やっぱり責任感じちゃうからさ。だから遠慮なく言ってよ。アタシが一人悪役になったって構わないからさ。ねえ――」
「それくらいにしとけ、ハル」
「タケ?」
今まで黙って聞いていた剛史が、前髪をいじりながらも真っ直ぐ知遥を見て、続ける。
「人間なるようにしかならん。それで終わっちまうのなら、所詮はその程度なんだよ」
低くてよく通る声が、俺たちの間で冷たく響いた。残酷な正論が頭の中でぐるぐる回ったまま、止まらない。
「ちょっと、何よその冷めた言い方は。タケはもっと心配になったりとかせんの? ……あ、そうか。そういやあタケ、芽依ちゃんのこと気に入っとったもんね。これで自分にもチャンスが巡ってきたとか考えてんじゃないの? ほんっとサイテー」
「おいおい、勘違いも甚だしいぜそりゃあ。第一、俺はハルの思ってるほど芽依ちゃんに入れ込んでねえよ」
「えっ、剛史は芽依のこと好きなんじゃなかったのかよ」
そう思っていたからこそ、今まで剛史が芽依に近づかないよう、家にも来させなかったりしてたのに。
「好きっていうか、この子と付き合えたらいいなあ、くらいの軽い気持ちだよ。――ハルとは違うさ」
剛史がそうこぼした直後、知遥の拳が剛史の顔面を捉えた。
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