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芽依が俺の隣に目を向けたのがわかった。かくいう俺も、芽依の隣に立つ男性から意識を逸らせない。それはよく見ると知った顔で、俺が唯一三北高の教師で名前を認識している人物だった。芽依の担任で美術部の顧問、斎藤先生――。
「おや、央芽さんではないですか。その節はどうも」
「こちらこそ、芽依がクラスに部活にとお世話になっているようで」
憎たらしくなるほどの爽やかな笑顔だ。というか憎たらしい。憎たらしくてしょうがない。何だってこいつは、こんな夜遅くに、芽依と二人っきりでいるんだよ。
「いえいえ。それより、芽依さんをこんな時間まで拘束してしまい、すみませんでした。責任を持って家まで送ろうかと思いましたが、央芽さんがいるなら大丈夫そうですね」
そう言って頭を下げる斎藤先生は、心底申し訳なさそうに見える。でも、それなら何故こんな時間まで芽依といたのか。そう言ってやりたくなる。流石に言わないけど。
「それで、知遥さんは……?」
芽依が知遥から視線を逸らさず訊いた。いつもの外でする落ち着いた微笑みを浮かべてはいるが、その目は鋭く細められていて、正直すごく怖い。そういえば、今まで泣いたり笑ったりと色んな表情の芽依を見てきたが、怒った芽依というものを見たことがない。そんな芽依を見て、ようやく今の状況に考えが至った。知遥とはいえど女だ。こんな時間に女と二人っきり、談笑しながら歩いていようものなら、傍から見たらどう映るか。俺が芽依に怒るなら、芽依だって俺に怒るだろう。
「あ、アタシはタケの荷物を和久君が持ってくれるっていうからお言葉に甘えただけで。でもっ、もうウチすぐそこだからもういいよ。ありがとねっ」
珍しく慌てた様子の知遥は、俺の肩から鞄をひったくると、そのまま夜の闇へと駆け出していってしまった。芽依の怒りが伝播したのだろう。知遥には何だか申し訳ないな。
「それじゃ、先生。お見送りありがとうございます」
「おう。気をつけてな」
そのままの表情で芽依が頭を下げると、斎藤先生は苦笑しながら手を振った。この人にはお見通しなのだろうか。芽依のことも、俺のことも。
***
二人になってからの芽依は、終始無言だった。俺も思うところがあったので、そんな芽依の気を和らげようとか、そういうことまで頭が回らなかった。俺たちの間に空いた三十センチの隙間が一度も埋まることなく家に着くと芽依は、ポケットから出した鍵をドアノブに差し込み、さっさと家に入ってしまった。俺が内鍵を締めた時、すでに芽依は部屋の隅にスクールバッグを下ろしていた。部屋に入ると、芽依が腕を組んで仁王立ちしていた。こちらを強く睨みながら。いや、澄んだ瞳に溢れんばかりの涙を溜め込みながら。
「どういうこと」
その声の震えているのが、怒りの為なのか、悲しみの為なのか、俺には判断がつかなかった。
「どうって――」
「どうして知遥さんと二人っきりでいたの!? それもあんな遅い時間に。ねえ何で?」
俺をキツく睨みながらも、とめどなく涙を流す。怒りか悲しみかではなく、両方だったのか。そう気づく前にはもう、口を開いてしまっていた。
「どうってことないさ、あんなこと。それより芽依は何であの教師と一緒にいたんだよ! もうとっくに部活の終わってる時間は過ぎてるだろ!?」
「それは……それは央芽には関係ないじゃん! そんなことより何で知遥さんと――」
「何でもなくはないだろ! 俺は芽依の彼氏なんだぞ!」
“彼氏”という言葉に一瞬はっとなったかのように固まっていたが、それも一瞬のことだった。
「彼氏だったら何でも言わなきゃいけないの? 央芽だからこそ言いたくないことだってあるんだよ?」
「何だ、言えないようなことしてたのか」
「そうじゃないけど――」
「じゃあ何だよ。言ってみろよ」
そう問い詰めると、途端に芽依の顔が翳ってしまった。
「それは……まだ無理」
以前言っていた“内緒”のことだろうか。それにしたって釈然としない。
「ほれみろ。結局はそういうことなんだろ!」
「違うよ! それより央芽こそ、さっきから知遥さんとのこと、話そうとしないじゃん! 何か後ろめたいことでもあるんじゃないの?」
「違っげえよ。知遥とは――」
「もういい。今は央芽と喋りたくない」
強制的に話を打ち切った芽依は、部屋着のパーカーを手に風呂場へと向かった。
「ちょっと待てよ――」
「見ないでっ!」
脱いでいるところで見ないでと言われてしまったら、視線を外さざるをえない。俺を拒絶したまま、芽依は風呂に入ってしまった。いつもは丁寧にハンガーへと掛けられるブレザーは、風呂場の前で無造作に丸まっていた。
何だよ。知遥とは何でもねえよ。ただ剛史の荷物を持って、一緒に帰ってただけじゃないか。何でそれだけのことを説明させてくれないんだよ。俺は芽依と違って後ろめたいことなんてないんだぞ。
やり場のない怒りをぶちまけることもできず、ただただ項垂れるしかなかった。芽依はいつまでも風呂から出てこなかった。
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