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お久しぶりです。今日からまた、毎週水曜二十時に一話ずつ更新していきますので、どうか。
昼間だというのに、外は薄暗い。窓を閉め切っているにも関わらず、部屋中が蒸し蒸ししている。外の湿気が入り込んでしまっているようだ。東京も大概だったが、ここ静岡の梅雨もなかなか過ごしにくい。芽依にはうちの方がもっと蒸し暑いよ、と言われてしまったが。その芽依の実家に遊びに行ってから、もうひと月が経つ。
洗濯機の止まる音がし、数学のテキストと格闘していた芽依は洗濯かごを持って立ち上がった。この天気だと今日も部屋干しだろう。俺は狭い部屋の一角を占拠してしまっている室内用の物干しから、残っていた自分の服を手早く取り込んだ。そうするとそこに残っているのは、芽依のシャツやズボン。そして――。
「わわっ、それは見ないで央芽っ!」
「だだ、大丈夫だ。白い上下の下着なんて見てないから!」
心なしか頬を染めた芽依が、咎めるような目を向けてくる。
「……ゴメン」
「まあ、いいけどさ」
いいと言いながらも、そっぽを向いた芽依の横顔からは、赤みが引くどころか更に増している気がする。あれ以来――あれというのは動物園でのアレだ、こうして芽依が頬を染める機会が多くなった気がする。そして、芽依から俺の身体に触れる機会が減った気がする。俺に対して恥じらいを感じてくれるのは素直に嬉しいが、少し寂しくも感じる。キスだって、あの日から一度もしていない。当然、その先など何も進展がない。同じ部屋で生活し、同じ布団で寝ているというのに。
芽依は俺のことを好きだと言ってくれたが、実際俺の考えているようなあんなことやこんなことをしたいと考えているのだろうか? もしかして俺と芽依では、気持ちの重さに大きな差があったりするのだろうか? そんな俺の内心になど気づいていないであろう芽依は、黙々と二人分の服を干している。ハンガーを掛けるために手を掲げると、左の手首が電灯の光を反射させて翡翠色に光った。そこにはめられたエメラルドでできたブレスレットは、先の五月五日、芽依の誕生日に俺から渡したものだ。あれから芽依は、肌身離さず身につけてくれている。
「ねえ央芽、今日どうする?」
洗濯物を干し終わったらしい芽依の声が軽やかに響く。俺の混沌とした思考を洗い流すのには充分すぎるほどに。
「どうったってなあ」
今日は日曜日。いつもなら二人で一週間分の買い出しをしたり、駅の方まで出かけたりするのだが……。
「芽依はこんな雨の中、出かけたくはないよな」
「うん。央芽は出かけたかったりするの?」
「いや。だが買い出しはしとかないと。今週分のストックなんてあったっけ?」
「待って。確認してくる」
冷蔵庫に走る芽依の背中は、しゃんと真っ直ぐ伸びていて、小さくて、儚げだった。一瞬芽依を遠くに感じたことが怖くて、戻ってきた芽依が俺の隣にちょこんと腰を下ろすと同時に、強く抱きついた。
「ちょ、ちょっと央芽!?」
「好きだ」
それだけ言って腕に力を込める。俺の背中に芽依の腕が回ってきて、暖かさをより強く感じる。
「私も、その……好き」
もぞもぞと動く芽依が、上気した顔でこちらを見上げてくる。目が合うと、そのパッチリとしたつり目(こういうのを猫目というのだろうか)を静かに閉じた。こちらに向けられた色素の薄い、仄かな唇に引き込まれるように顔を寄せ、芽依の柔らかさを味わいながら勢いのまま床に押し倒した。貪り食う、という表現が適切なほどに芽依を求め、芽依も真っ赤になりながらそれに応えてくる。お互いの歯がぶつかり、舌が絡み合い、芽依を強く感じる。
充分過ぎるほど求め合い、頭の髄が溶けてなくなってしまうのではと感じ、芽依の残香に惹かれつつも唇を離した。お互い息も絶え絶えになりながら見つめ合った。そのまま俺が芽依のグレーのパーカーに手を伸ばしかけたその瞬間、芽依が遠慮がちに口を挟んだ。
「央芽。外、雨止んでる」
見れば確かに、先程までの豪雨はなりを潜めていた。だが――。
「ちょ、ちょっと。今のうちに買い物行かないと……やっ、央芽脱がさないでっ」
ここまで来て止めるわけにはいかない。いや、止められない。芽依の薄手のパーカーの中身を知りたい。この先の芽依の感触を知りたい。芽依の全てを知りたい――っ。でもパーカーを捲る手は、芽依の小さな手に遮られてしまった。
「芽依……んっ」
続きを言おうとする俺の口は、芽依の唇に塞がれた。一瞬触れただけで離れた赤い唇が、耳を澄まさなければ聞き漏らしそうなほど小さく、言葉を紡いだ。
「あのね、私だってその……してみたいよ。央芽とだったらそういうことになってみたいよ。でも今は、ね?」
顔を真っ赤にしながらも、恥ずかしそうにしながらも、決して俺から目を逸らさない。それだけで充分だった。芽依の気持ちが充分わかり、芽依の思いやりが充分すぎるほど伝わり、俺の頭も平静を取り戻した。はちきれそうだった欲望の象徴からも、力の抜ける気配がする。そうだな。俺たちまだ付き合い始めてひと月じゃないか。出会ってからの時間や会えなかった時間と比べたら、まだまだこれからじゃないか。何も焦る必要ないじゃないか。
俺は黙って芽依の手を掴んで立ち上がらせると、もう一度、今度は俺から小さなキスをした。
「じゃ、パパッと済ませちゃうか」
「うん!」
ちなみに家を出てほどなくなりを潜めていた豪雨に襲われたため、結局俺らはずぶ濡れになった。
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