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妹に戴いた挿絵を掲載しています。苦手な方ご注意ください。
植物園は、片田舎の動物園の一角とは思えないほど立派だった。入った瞬間空気がねっとりしたものに変わったかと思うと、蛙が乗りそうな蓮や、やたらと背の高い南国風の植物に出迎えられた。芽依や真知は懐かしがりつつも若干飽きたような顔をしていたが、俺からしたらどれも始めて見るものばかりで新鮮だった。そもそも実家のある東京では植物を見ること自体そんなに多くない。現在静岡に移り住んでから多少見る機会が増えたとはいえ、それでも一体何段飛ばしたよ。と言いたい気分だ。
「じゃあ、次は動物園かな?」
芽依の言葉に異論はなかったので、少し歩いた先にある動物園のコーナーへと向かった。正直上野とかで見慣れている俺からしたら、物足りない感が否めない。だがライオンにトラ、キリンにゾウなど、一通りの動物は揃っている。ウサギに触れるコーナーというのもあって、芽依も真知もでれっでれな顔で抱いていた。二人とも見ているこちらが恥ずかしくなるほどの恐ろしく緩んだ表情だ。
「何だ、慣れたもんなんじゃないのかよ」
「そうだけどー。でも可愛いものは何度見ても可愛いの」
「本当に。央君は女心がわかってないねー」
真知の言葉には刺が含まれてる気がする。
「はいはい、どーせ俺にはわかんないですよーだ」
***
約束通り真知は、シロクマ・ペンギンコーナーにたどり着くと「ちょっと孔雀見てくる」とか何とか言って抜け出した。てか孔雀いんのかここ。ちょっと見てみたいかも。
「全く真知は勝手なんだから。シロクマ可愛いのに」
少し寂しそうに唇を尖らせる芽依もまた可愛い。思えば最近、芽依を見るたびに何かと可愛いって思ってるな。自制してるつもりが、むしろ酷くなってやがる。
「ま、いっか。央芽シロクマ見よーよ。すっごく可愛いんだよー」
無邪気に微笑みながら、袖を引っ張ってくる。そんな姿がたまらなく愛おしいのに、思わずその手を振りほどいてしまった。
「央芽?」
「あっ、違っ、これは……」
楽しそうだった芽依の顔がみるみる曇り、行き場のなくなった手で自分の服の裾を握った。何やってんだ俺は。何また芽依を傷付けてんだ。
「――ゴメン」
違うって。謝るべきは俺なんだ。芽依がそんなに申し訳ない顔をする必要はないんだ。
「えっ?」
「ほら行くぞ。シロクマ見るんだろ?」
さっきは自分で解いてしまった手を、力強く握る。芽依は戸惑いながらも、そっと握り返してくれた。
「……うんっ!」
ああ、やめてくれ。そんな嬉しそうな、そんな気を許した顔をしないでくれ。これじゃあお前を忘れるなんて出来ないじゃないか。
『じゃあ央君はそれでお姉ちゃんのことを諦めきれるの? 無理でしょ。何にもせずに気持ちを断ち切るのって、実は一番難しいんだよ』
改めて真知の言葉が脳裏によぎる。今まで何度となく実感してきたが、この時ほどその真意をわかった時はなかった。
「わああ、やっぱ可愛いねえ。そう思わない? 央芽」
伝えてしまうと芽依を傷付けるかもしれない。かといって伝えないと、俺の気持ちはますます膨れ上がり、またさっきのように傷付けてしまうだろう。どちらにせよ傷付けてしまうのなら、俺は――。
「ねえ聞いてる央芽――っ、えっ?」
腕の中に小さく暖かいものを感じる。それは何よりも愛おしく、離しがたい。
「好きだ」
抱きしめた時と同じように、勢いのまま溢れた。その言葉の真意に流石に気付いた芽依は、俺の胸に手をついて拘束から逃れた。
「それって、あれだよね? 妹みたいに好きとか、そういうことだよね?」
今ならまだ冗談だったとか言って誤魔化せる。だがそんな言葉は出てこなかった。言う気にならなかった。俺が何も返さないので、芽依も確信したのだろう。そっか、と一言呟くと俺に背を向けた。俺の顔などもう見れないということなのだろうか?
「あれってさ、やっぱそういう意味だったの?」
芽依の声はいつもと変わらずはっきりとしている。だがよく見ると、わずかに見える耳は真っ赤だ。
「あれ、って?」
心当たりは、ある。だけどまさか、芽依が知ってるなんて――。
「キス」
ああ、あの時芽依は寝てなんかいなかったのか。無意識とはいえキスしてしまったというのに、俺は何もなかったような顔をして、芽依は気付いてないのだと自分に言い聞かせて。最低だな、俺って。キスも、告白も、いつも勢いのまま。
「あれは、その、スマンかった。気付いてたらしちゃってたんだ」
「それって……」
「その時から……いいやもうちょっと前かな。とにかく、いつの間にか俺の中で、月野芽依という女の子は特別な存在になってたんだよ。俺にとっての三角点みたいに、なくてはならないものに」
芽依は振り返り、俺の顔をじっと覗き込んだ。顔は真っ赤だったけれど、瞳は力強く俺の目を射る。
「ハッキリ言って。何となくわかったけど、ハッキリと、確かな言葉で聴きたい」
その視線に臆することなく、こちらも強く見返す。俺の意思の強さを示すかのように。
「俺は芽依が好きだ。親戚の子とか、妹みたいにとか。そういうの関係なしに、女の子として、異性として好きだ。芽依は違うだろうけど」
「何で私は違うって思うの?」
「だってお前今朝、俺のこと最高のお兄ちゃんだって――」
芽依は歩み寄り、頭を俺の胸に落とした。表情は見えないけど、芽依のぬくもりを直に感じる。
「っもう、ファーストキスだったんだからね。……央芽だからよかったけど」
芽依は胸の中でそっと呟いた。くぐもった声だったけど、一語一句、最後の一言まではっきりと聞こえた。
「それって……」
「お兄ちゃんって言ったのはただの照れ隠しだから。真知の手前でもあったし」
真知は俺の気持ちは知ってるんだけどな。多分だけど、芽依の気持ちにも薄々気付いてたんじゃないかとも思う。
「私もね、央芽のこと、男として見ちゃってた。いつからだろう? やっぱキス辺りからかなあ」
「そっか」
じゃああのキスも結果オーライってことなのかな。芽依を傷付けることになってなくてよかった。
「ねえ」
「何だ?」
俺の服を握り締めて、芽依が真っ赤な顔を上げた。普段は冷静で、俺より年上なんじゃと思うほど弄んでくるだけに、こうして照れる姿は尚更愛おしい。ううん違う。照れる姿だけじゃない。俺を弄る芽依も、真面目でしっかりとした芽依も、時折甘えてくる芽依も、全てが芽依で、全てが愛おしい。それほどまでに俺は、芽依のことが好きだ。
「――またしてくれないの?」
ああもう。ああもう! そんな顔でそんなこと言われたら、もう抑えられなくなるじゃないか。俺だってさっきからずっとしたいと思ってたんだ!
小さくて柔らかい芽依の肩に手を置くと、彼女は潤んだ瞳を閉じた。はやる気持ちを残った僅かな理性で抑えつつ、傷付けないようゆっくりと顔を近付けた。あの時とは違う、その場の勢いではない、意思の伴ったキス。遠慮がちにとはいえ、芽依も気持ちを返してくれる。ああ、キスとはこんなにも暖かく、気持ちのいいものだったろうか。この温もりさえあれば、この先何が起ころうと大丈夫だという気がしてくる。
それはあくまで“気がする”だけだったのだが。貴女への地図は、まだまだ指標を得たに過ぎない。それでも今この瞬間の幸福は本物であると、それだけは確信を持っていえる。
これにてep1「三角点」は完結です。いかがでしたでしょうか?
実は終盤の芽依のセリフ「っもう、ファーストキスだったんだからね。……央芽だからよかったけど」は、この話を考えた当初から言わせたかったものでした。ここまで漕ぎ着けたことに一人感慨に耽っております。
次回からはep2「多角測量(仮題)」に入ります。が、以前割烹に書いたとおり、次回更新は来年一月七日(水)を予定しております。詳しくはまた割烹に書こうと思います。
それではこれで。三角点を読んでくださった全ての読者に感謝を込めて。
高階珠璃




