前編 「愛新覚羅麗蘭王女、紫禁城へ帰城せり」
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
中華王朝の使節として華日友好の使命を帯びた妾こと愛新覚羅麗蘭は、日本の堺県堺市での公務を滞りなく全うし、祖国への帰国を無事に果たす事が出来た。
中華王朝次期王位継承者である第一王女として公務を果たした充足感を抱きつつ、居城である紫禁城へと胸を張って帰朝する。
普段の公務であれば、恐らくはそのような流れになっていたのであろう。
だが此度に関しては、その限りではなかったのだ。
妾も少なからず関与した此度の一件は、未だに動き続けておる。
それも、妾の手の全く届かぬ所でだ…
「貴公等も、大義であったな。」
「はっ、愛新覚羅麗蘭第一王女殿下。」
目線が合うや否や、三人は一斉に拱手の姿勢を取って妾に礼を示したのじゃ。
軽く一瞥しただけならば、彼女達三人は紫禁城に務める若手官僚に見えるじゃろう。
しかしその洗練された動きには一分の隙もなく、何気無い眼差しにも鋭さが見え隠れしておる。
いかにも、彼女達の正体は平凡な若手官僚等ではなかったのだ。
「枚方京花少佐、並びに和歌浦マリナ少佐に生駒英里奈少佐。貴官達三名の忠勇振り、誠に大義であったぞ。それと目立たぬように妾を護衛し、こうして無事に送り届けてくれたのじゃからな。」
「勿体無き御言葉で御座います、愛新覚羅麗蘭第一王女殿下。されど御気遣いは無用であります。我々は人類防衛機構に所属する特命遊撃士であり、此度の命令は殿下の護衛なのですから。軍務に従うのは軍人として当然の働きであります。」
そっと耳打ちされた青髪の満州服姿は、声こそ潜めていたものの至って快活な微笑を浮かべて妾に応じるのだった。
その屈託のない朗らかな笑顔は、特命遊撃士の枚方京花少佐として日本で見せてくれたのと寸分も違わぬ物じゃったよ。
我が中華王朝が建国される以前、国際社会は未曾有の危機に見舞われておった。
旧ソビエト連邦の実験により開いてしまった連絡通路で地球に襲来した珪素生命体は、自分達を招き寄せた東側陣営を壊滅させたばかりか、瞬く間もなくユーラシア大陸を席巻してしまったのじゃ。
この未曾有の危機は地球人類と珪素生命体との生存戦争と定義され、後に「珪素戦争」と呼称を改められた。
そうして戦禍に見舞われた地球人類を救う切り札となったのが、「サイフォース」と呼ばれる特殊能力に覚醒した女性軍人達じゃ。
薬物やナノマシン等を駆使した生体改造技術とサイフォース研究の分野においては抜きん出ていた大日本帝国は陸軍女子特務戦隊という特殊部隊を設立し、サイフォースを持つ女性軍人達による多国籍軍の結成に尽力したのじゃ。
そうして発足した多国籍軍である「人類解放戦線」は珪素生命体の侵略を退けた後も、国際社会の守護者としてあり続けたのじゃ。
その大日本帝国陸軍女子特務戦隊と人類解放戦線の後継者こそ、妾を無事に中華王朝まで護衛してくれた三人の特命遊撃士の所属する人類防衛機構という訳じゃ。
それにしても、人の縁とは何とも奇妙な物よ。
日本滞在中に枚方京花少佐から聞いた話によると、彼女の曾祖母もまた大日本帝国陸軍女子特務戦隊の忠勇たる軍人であるとの事じゃ。
しかもよくよく詳しく聞いてみれば、その曾祖母とは建国間もない中華王朝の北部で勃発した「アムール戦争」の英雄である園里香上級大佐だと申すではないか。
珪素生命体によって蹂躙されたユーラシア大陸は人類解放戦線と国連の主導により復興事業が行われ、その過程で二つの新興国が建国された。
一つは帝政ロマノフ・ロシア、もう一つは我が中華王朝だ。
珪素戦争の直接的な元凶となった旧東側陣営への忌避感もあり、この二つの新興国の君主にはマルクス主義台頭以前に存在した王室の血筋の人間が着任する流れとなった。
ロマノフ王家最後の生き残りであるアナスタシア姫直系の子孫であるナターシャ・ロマノフ一世と清朝最後の皇帝である宣統帝の直系の愛新覚羅紅蘭女王陛下が君主として即位したのには、そのような流れが存在する。
即位当時は幼さを残した少女君主ではあったが、革命を生き延びた王女の直系という高貴な出自に由来するカリスマ性と優れた素質を持ち合わせていたナターシャ一世は、優秀な賢臣達の支えもあって優れた名君として大成した。
そして清朝の太祖である努爾哈赤を想起させる雄々しき気高さと聖母を思わせる慈悲深さを兼ね備えられた愛新覚羅紅蘭女王陛下は、謙虚で聡明な姿勢で優れた賢臣達と見事に連携され、古の名君である周の文王や中華王朝の前身である清朝の四代皇帝であらせられる康熙帝に勝るとも劣らない仁政で安定した治世をもたらされた。
こうして誕生した二つの新興国は見事に国際社会の仲間入りを果たし、文化風俗面においてはマルクス主義台頭以前の王朝時代のそれに回帰する動きを見せたのじゃ。
我が中華王朝にしても、王族や文武百官は伝統的な漢服や満洲服を普段使いしておるし、王城も清朝の伝統を受け継ぐ形で紫禁城を用いている。
とはいえ決して万事に渡って清朝時代に回帰したのではなく、権力の暴走を防ぐために導入した立憲君主制を始め、今日の国際社会に協調する形で様々な部分を近代化してはおるがな。
こうした諸々の施策の根底に、かつて人類社会に重大な危機をもたらしたユーラシア大陸の旧体制に対する反発心と忌避感があった事は、想像に難くないじゃろう。
しかしながら、忌まわしきマルキシズムの残党達は確かに生き延びていたのじゃ。
旧体制の息がかかった軍閥達はアムール川流域で密かに集結し、不遜にも「紅露共栄軍」を名乗って武装蜂起を企ておった。
その行動目的は言うまでもなく、中華王朝や人類解放戦線によって構築された戦後新体制の壊滅と、彼等が掲げるマルキシズムの復権じゃ。
こうして珪素生命体の侵略を退けた人類は、再び人類同士の戦争の時代へと回帰する事となってしまったのじゃ。
我が国の公式見解では内戦という事になっているが、この紅露共栄軍を巡る一連の戦闘行為は「アムール戦争」と呼称した方が分かりやすいじゃろう。
このアムール戦争における人類解放戦線とその主力部隊である大日本帝国陸軍女子特務戦隊が果たした役割の大きさたるや、前述した珪素戦争に勝るとも劣らない。
我が中華王朝の英雄である司馬花琳上将軍の率いる国軍と阿吽の呼吸で力を合わせ、紅露共栄軍の殲滅と制圧地域の奪還の為に奮戦する。
その破竹の勢いで展開された反攻作戦が功を奏し、三年弱の短期間で敵対勢力の殲滅を実現出来たのは快挙と呼べるだろう。
もっとも、払った犠牲は決して小さくはなかったが。
あのアムール戦争で沢山の生命が散っていった。
諸悪の根源である紅露共栄軍の賊共は言うに及ばず、我が中華王朝の将兵達に無辜の民草達にも少なからず犠牲が出てしまった。
そして人類解放戦線の中でも特に手練れの古強者が揃った、大日本帝国陸軍女子特務戦隊の女性士官達も。
あの枚方京花少佐の曾祖母である園里香上級大尉も、この時に戦場の土となった者の一人だと言う。
大日本帝国陸軍の勇敢な士官である曾祖母を軍人としても肉親としても敬愛している事は、枚方京花少佐の言葉の端々に注意深く気配りすれば容易に察せられる。
だからこそ妾は、彼女に気後れを感じていたのだ。
我が中華王朝の国内で起きた軍事衝突に彼女の曾祖母を巻き込んでしまい、あまつさえ戦死させてしまった事を。
そして今回は先祖ばかりではなく、彼女の戦友までをもアムール戦争の因果に巻き込み、死地へと送ってしまった事を…
そう考えると、居ても立ってもいられなかった。
「今更詮無き事ではあるが、貴殿の曾祖母である園里香上級大尉については何と申せば良いのやら…それに此度の作戦では貴殿等の同期である吹田千里少佐までもが…」
堰を切ったように溢れてくる悔恨の言葉は、しかし皆まで言う事は出来なかった。
「殿下の御優しい御心遣い、誠に恐悦至極で御座います。しかし吹田千里少佐の安否に付きましては、恐れながら心配御無用で御座います。」
至って冷静沈着な様子で妾の言葉を遮ったのは、艷やかな黒髪を側頭部で結い上げた漢服姿だった。
この和歌浦マリナという年若い少佐は、若手官僚に扮して妾を護衛した特命遊撃士達の姉貴分的な立場を担っているらしい。
「此度の任務を拝命した際、吹田千里少佐は全く怯む事なく誇らしげにしておりました。国賓である殿下を影武者として御守りした上で、危険なテロ組織の殲滅作戦に貢献する。そうした重要作戦に参加出来る事は我々軍人として誉れの極みであり、たとえ生命を散らす事になっても本望であります。」
「それが軍属として望ましき死に様と申すのか…吹田千里少佐も、その例外ではないと?」
確かに我が国にも、「馬革に屍を包む」という従軍兵士の決死の覚悟を指し示す言葉は存在する。
人類防衛機構に所属する彼女達は、それを当然のように弁えているというのか。
妾と大して年の変わらぬ、十代半ばの小娘だというのに。
「仰る通りであります、殿下。ましてや彼女の実家である吹田家は三世代に渡る軍人の家系で、吹田千里少佐自身もまた生粋の軍人気質であります。作戦成功の為なら己の生命も厭わずに捧げ、死して後も護国の英霊として国家の安寧秩序に貢献する事を望む。吹田千里少佐は、そんな誇り高い軍人気質と大和魂の持ち主で御座います。」
和歌浦マリナ少佐の言葉には、微塵の迷いも逡巡も感じられなかった。
妾とそう年齢も変わらぬ少女達に彼程の覚悟を定めさせるとは、人類防衛機構の軍事教育の徹底振りが改めて伺える。
「そっ、それに…千里さんが戦死するとは限りません!」
そうして同僚の後を受けたのは、明るい茶色の髪を腰まで伸ばした漢服姿だった。
日本の戦国武将の末裔にして華族令嬢でもあるという生駒英里奈少佐は、妾の影武者を果たしてくれた吹田千里少佐の無二の親友であるという。
妾の身代わりとして紅露共栄軍残党に意図的に拉致される事で、その本拠地を暴いて援軍を呼び込み壊滅させる。
トロイア戦争で名高い「トロイの木馬」を単騎で遂行するという危険極まりない任務を拝命した親友の安否を、他の誰よりも気に掛けておるはずの人物だった。
「私を始めとする堺県第二支局の特命遊撃士の誰もが、千里さんの力量を信じております。確かに丸腰で捕縛された状態で敵陣に単騎で乗り込む危険極まりない任務ではありますが、増援部隊との緊密な連携と千里さん達の実力がある限り、むざむざと戦死する事は御座いません!」
しかし熱弁を振るう生駒英里奈少佐の表情にも声色にも、敵陣へ単騎突入した同僚を心配する様子は微塵も感じられなかった。
要するに、彼女は全幅の信頼を寄せているのだ。
吹田千里少佐の気骨と力量を。
互いの力量を彼程までに信頼しあえるとは、吹田千里少佐は良い友人達に恵まれたものだ。
これぞ正しく、「刎頸の友」と呼べる間柄だろうな。
そうして彼女達は妾と侍従達とが無事合流したのを見届けると、静かに紫禁城を立ち去ったのだ。
「貴公等三名、実に大義であったぞ。息災にな…」
その凛々しくも颯爽とした後ろ姿を見つめていると、誇らしさと寂しさの綯い交ぜになった不思議な感情が妾の胸中に湧き上がってくる。
あの三人と共に過ごした時間は決して長い物ではないと言うのに、何とも面妖な話じゃ。




