03 実感
『青い夜と月のしずく』が終了すると、客席にはこれまで以上の歓声と拍手が巻き起こった。
めぐるは満足の吐息をつきながら、照明の落とされたステージ上でチューニングに取り組む。ここではMCをはさむ段取りでもなかったので、悦楽にひたっているいとまはなかった。
そうして歓声が波のようにひいていくと、町田アンナがいつになく抑制した声音で『あまやどり』と宣言する。
和緒がスティックでカウントを鳴らし、四人が同時にイントロを開始した。
ライブでは初の披露となる、『あまやどり』である。
スローテンポで、分類はバラードとなる。町田アンナがめぐるや和緒と出会う前に作りあげた楽曲であった。
ただし、『KAMERIA』で練習を始めてからの数ヶ月間で、アレンジはずいぶん様変わりしている。基本のコード進行や歌メロなどに大きな変更はなかったが、曲の構成やイメージなどはずいぶん変化したはずであった。
そもそも当初はピアノが存在しなかったため、おおよそはギターが主体になっていた。この曲ばかりはめぐるも派手なプレイは避けて、和緒とともに土台を支えようと苦心していたのだ。
それから夏の間までで、こちらの曲はほとんど完成に近づいていたのだが――バンド合宿を経ることで、また大きく様変わりすることになった。ピアノと町田アンナの歌が加えられたことで、楽曲全体のアレンジを見直す必要に迫られたのだ。
こういうゆったりした曲こそ、ギターやピアノの独奏で開始するのが相応しいのではないかという案もあった。
しかし『KAMERIA』においては、他の楽曲がすべて何らかの独奏で始まるアレンジとなっている。であればこちらで異なるスタイルに取り組んでみようと、そんな話に落ち着いたのだった。
しかしそれでも、決して派手な演奏ではない。
ピアノは流麗なるバッキング、ギターはクリーントーンで単音を主体にしたフレーズ、ドラムは音数と音量を抑えた8ビートで、ベースはトーンを絞ったやわらかい音色によるシンプルなフレーズだ。さらに音量を抑えるために、めぐるは指板の上――18フレットの辺りで弦を弾いていた。
「音量を抑えたいならボリュームペダルが定番だけど、ピッキングの位置と力加減だけでもそれなりにコントロールできるんだよ」
フユのそんな教えに従って、めぐるはこのようなプレイに落ち着いたのである。
指板の上で弦を弾くと、ピックアップにアタック音を拾われにくいためか、いっそうやわらかい音になる。さらにリアピックアップのトーンを絞ると、うっとりするほど甘い音色を出すことができた。
ただし、力加減を間違えると弦が大きく振動し、指板とぶつかって、別なるアタック音が生じてしまう。それはそれで心地好い音色であるのだが、この『あまやどり』では限界までやわらかい音色を目指す所存であった。
この前に披露していた『青い夜と月のしずく』などは『KAMERIA』でもっとも激しい楽曲であるのだから、恐ろしいまでの落差であろう。
しかしこれもまた、緩急の落差を好む町田アンナの発案によるものであった。彼女は曲中ばかりでなく、曲順でもそういう効果を狙いたいと主張していたのだ。
これまでの二曲で昂揚していためぐるの心が、自分たちの演奏によって優しくなだめられていくような心地である。
であれば、客席の人々も同じような心地なのであろうか。
あるいは、もっと激しい曲を望む人々も存在するのかもしれなかったが――申し訳ないことに、めぐるにとっては二の次の話であった。めぐるはどうしても、まず『KAMERIA』のメンバーたちと同じ喜びを分かち合うことを一番に考えてしまうのである。
そうしてイントロと同じ調子を保ったまま、Aメロに差し掛かる。
栗原理乃の歌声もまた、声量を落とすために硬質さが減じられた。
それでもやっぱり、普通の人間らしい歌声とは思えない。どれだけゆったり歌っても、メロディラインを辿る異様なまでのなめらかさが、機械人形めいた印象を強く残していた。
ただ、演奏のボリュームが落とされて、テンポもゆるやかであるために、他の楽曲よりもいっそう歌詞が聴き取りやすい。
これは、世界に馴染めない少女の悲哀を歌った歌であった。
基本の部分は、『小さな窓』と似ているのだろう。
『小さな窓』と『あまやどり』は、『KAMERIA』が結成される前に――栗原理乃がめぐるや和緒と出会う前に作られた歌詞であるのだ。我が道を突き進む『転がる少女のように』や幻想的な『青い夜と月のしずく』とは、まったく趣が異なっていた。
この『あまやどり』を聴いていると、めぐるは出会った当時の栗原理乃を思い出してしまう。あの頃の彼女はめぐるよりもおどおどとしていて、いつも不安げな力ない面持ちであったのだ。
そんな彼女の内面を表すかのように、この歌詞の主人公である少女もひそやかである。気弱で、臆病で、いつも乱雑な世界に怯えているような――それは、あまりに弱々しい姿であった。
しかしまた――その当時から、彼女のかたわらには町田アンナの存在があったのだ。
それを証し立てるように、こちらの歌詞にも救いがあった。いつも陰鬱な雨に濡れそぼりながら、時には雨やどりをして静かな安息にひたる瞬間が存在したのだった。
もちろんそんな直截的な言葉ばかりで、歌詞が綴られているわけではない。
しかし、いかに感受性が貧しいめぐるでも、多少ばかりは察することができた。小さな窓から見える大きな世界に憧れる少女も、冷たい雨をしのげる居場所を見いだせた少女も、どちらも町田アンナを大切に思う栗原理乃の投影であるのだ。
だからきっと、この歌には町田アンナへの思いが込められているのではないだろうか。
だから栗原理乃の歌声は、こんなにもめぐるの心に深く食い入ってくるのではないだろうか。
それは、めぐるが和緒に抱く思いとほとんど同一であるように感じられてならなかったのだった。
(もちろん本当のことは、栗原さん本人しかわからないけれど……)
しかしめぐるは、そのようなことを問い質すつもりはなかった。
これはあくまで、歌であるのだ。栗原理乃がどのような思いを込めていても、どのように受け止めるかは聴く側の問題なのである。重要であるのは、この歌がめぐるの情動を揺さぶってやまないという、その一点であった。
他の楽曲では、こうまで歌詞の世界にひたることもない。
それはきっと、歌詞の内容だけが原因ではないのだろう。同質の歌詞である『小さな窓』をプレイしているさなかには、めぐるがこのような思いにとらわれることもないのだ。
バラード調の曲というものは、他の曲よりも歌詞の存在が大きいのかもしれない。
まあ、音楽の素養のないめぐるには、それも勝手な思い込みであったのかもしれないが――ともあれ、めぐるはこの『あまやどり』を演奏する際、その歌詞の世界にどっぷりとひたることが常であるのだった。
めぐるは普段とは異なる音色で、ゆったりと、やわらかく甘い低音を紡ぐ。
それは、どうしようもなく歪んだ音色で激しい楽曲に取り組む際と同じぐらいの幸福な心地であった。
ギターの音もドラムの音も、時おり差し込まれる町田アンナのコーラスの歌声も、栗原理乃の歌を優しく支えている。
和緒や町田アンナは、めぐるよりもよほど優しい人間であるのだ。だからこそ、この『あまやどり』はいっそうめぐるの胸を打ち震わせるのだろうと思われた。
そうしてゆったりとした曲調の中でも確かな緩急を織り込みつつ、『あまやどり』は終わりに向かっていく。
やがて、イントロの開始と同じように、アウトロの最後の一音が四人同時に鳴らされると――そこに、歓声と拍手が重ねられた。
これまで以上に力のある歓声と拍手である。客席の人々の大多数は、この選曲に満足してくれたのだ。その事実が、想像以上にめぐるの心を揺さぶった。
『どうもありがとー。ウチらにとっては貴重なバラード曲、「あまやどり」でした』
町田アンナも普段よりかしこまった調子で声をあげ、ぺこりと一礼する。
そうして顔が上げられると、そこには彼女らしい朗らかな笑みがたたえられていた。
『いやー、ウチらは五曲しか準備できなかったから、この曲の置き場所に困っちゃってさ! けっきょくど真ん中に置くことにしたんだけど、問題なかったかなー?』
はやしたてるような歓声や指笛が、町田アンナの言葉に応えた。
ギターのチューニングにもいそしみながら、町田アンナはにぱっと笑う。
『どうもありがとー! 残り二曲はかっとばしていくから、みんなも気持ちを切り替えてねー! ま、しんみりした空気が残ってても、ウチらの演奏で吹き飛ばしてあげるけどさ!』
町田アンナが声をあげればあげるほどに、会場は盛り上がっていく。これこそが、MCを担当する人間の資質というものであろう。めぐるなどにはとうてい真似のできない芸当であった。
『でね! 次の曲はカバー曲なんだけど! めっちゃかっちょいー曲だから! 実はこれ、ベースのめぐるが大好きだった「SanZenon」っていうバンドの曲なんだよねー!』
いきなり水を向けられためぐるは、チューニングをしながらぎょっと身をすくめてしまう。
めぐるが慌てて振り返ると、人形のように立ち尽くす栗原理乃の向こう側で、町田アンナは陽気に笑っていた。
『それでウチらも聴いてみたら、確かにめっちゃかっちょよくてさー! 音源はもう廃盤みたいだけど、たまーにオークションとかで出てるみたいだから! キョーミを持った人は、探してみてねー! めっちゃかっちょいー動画もあるから、そっちも要チェック!』
そのように言い放つなり、町田アンナはE7のコードをかき鳴らした。
和緒もシンバルを打ち鳴らし、栗原理乃は不吉な音色――『悪魔の音楽』たる三全音の旋律を奏でる。めぐるは、じっと我慢の時間であった。
『あ、だけど! 「SanZenon」とウチらはぜーんぜんプレイスタイルが違ってるから! それだけは、ご勘弁ね! じゃ、「SanZenon」のカバーで、「線路の脇の小さな花!」』
めぐるはひとつ大きく息を吐いてから、チューナーのペダルをオフにして、指を指板に走らせた。
『小さな窓』と同じように、ビッグマフとソウルフードでブーストさせたラットのブレンド音である。あれこれ試した結果、イントロに相応しいのはこの音色であった。
『SanZenon』のベーシストは、ソウルフードもラットも使用していないのだろう。少なくとも、あのライブ映像で使用しているのはビッグマフとラインセレクターのみであるという話であったのだ。
よって、めぐるの奏でる音色もあのライブ映像と大きく異なっている。彼女と同じぐらいの狂暴さを目指しながら、ラットによって金属的な響きを加えていた。
それに、フレーズも大きく異なっている。このテンポで完璧に真似ることは不可能であったので、めぐるの技量で追いつけない部分は削ぎ落したフレーズだ。
しかしめぐるはめぐるなりに、このフレーズを完成させたつもりでいる。
技量の足りないめぐるでも、何とかこの曲の格好よさを伝えられるように――そんな一心で練りぬいたフレーズであった。
イントロは指弾きで、4弦を主体にした重低音である。そこに要所でハイ・ポジションの高音をうならせるのが、こちらのフレーズの肝であった。
これだけフレーズを簡略化しても、めぐるにとっては技量いっぱいの難解さである。
だが――もっとも重要なのは、その一点なのではないかと思われた。『SanZenon』の彼女も技量いっぱいの音数を詰め込むことで、あれほどの切迫感を生み出しているのではないかと思えてならないのだ。
まあ、それも真実は本人にしかわからない。
めぐるはただ、内なる激情をベースに叩きつけるのみである。
そうしてめぐるが八小節の独奏を終えると、他なる楽器の音色が重なってきた。
町田アンナもラットを踏んだ荒々しい音色で、ピアノはベースを補強するような速弾き、ドラムはスネアを連打する16ビートだ。それらのすべてが、限界いっぱいであるめぐるをがっしりと支えてくれた。
やがてAメロに突入したならば、和緒はハイハットワークを駆使したビートに切り替える。
町田アンナは、ハイ・ポジションのカッティングだ。
めぐるは小節の前半で音をのばし、後半に装飾のフレーズを差し込む。このフレーズがまた難解で、それがせわしない緩急を生み出した。
そんな中、栗原理乃は機械人形の悲鳴めいた歌声をほとばしらせる。
彼女こそ、『SanZenon』とは対極的な歌声である。生々しさの極致である『SanZenon』に対抗して、栗原理乃は凍てつくほど冷たい声音を放っていた。
その白い指先は右手のみ、ぱらぱらと雨粒めいた音を鳴らしている。
不協和音に聴こえかねないほどの不規則な音の羅列に思えるが、これこそが歌メロのガイドとなる旋律であるそうなのだ。とてもそうとは思えないほど、その音色は狂騒的に楽曲を彩っていた。
それらの演奏と歌声にひたっていると、めぐるはぞくぞくと背筋が粟立ってくる。
『SanZenon』とは、まったくの別物だ。しかしそれは、『KAMERIA』でしか実現できない演奏であった。爆発力に満ちた町田アンナのギターと、正確で力強い和緒のドラム、栗原理乃の人間離れした歌声と、確かなテクニックに裏打ちされたピアノ――それらが合致することで、『SanZenon』とはまったく別種の迫力が現出するのだった。
やがてBメロに入ったならば、めぐるはビッグマフをオフにする。
それでも、他の演奏に埋もれることはない。ビッグマフを切るとラットと原音のブレンドになり、厚みが減るぶん抜けはよくなるのだ。
そうしてサビに入ったならば、ビッグマフではなくB・アスマスターをオンにする。
ビッグマフよりもノイジーで粘ついたオクターブファズのサウンドが入り混じり、いっそう狂暴な音色に変じる。その音色で、めぐるはサビのスラップを奏でてみせた。
試行錯誤の末、めぐるはついにビッグマフの音を切る決断をしたのだ。
これでまた一歩、原曲から遠ざかったことだろう。
しかし、『KAMERIA』のメンバーとベストの調和を目指すならば、この音色こそが相応しい。それが、めぐるの決断であった。
竜巻のごとき音の奔流の中で、栗原理乃はいっそう機械人形の悲鳴じみた歌声を振り絞る。それを支えるのは彼女の手によるピアノの激しいバッキングと、町田アンナのコーラスだ。ここではユニゾンのメロディで主旋律に厚みを持たせるのが町田アンナの役割であった。
めぐるは和緒の力強いビートに支えられながら、スラップのフレーズに注力する。
これもまた、めぐるにとっては限界いっぱいの難解さである。二本の弦を同時にプリングするのも、太い3弦をプリングするのも、細い2弦をサムピングするのも、何もかもが難解であった。そしてその難解さの果てに、またとない調和と悦楽がひそんでいるのだった。
まったくもって、『あまやどり』とは対極的な悦楽である。
これこそ、肉体が限界を迎えて脳内麻薬でも分泌されているのではないかと思えるほどであった。
しかし、理由などどうでもかまわない。
楽曲には、それぞれの魅力と悦楽が存在する。『小さな窓』にも、『青い夜と月のしずく』にも、『あまやどり』にも、『転がる少女のように』にも、それぞれ異なる魅力と悦楽が満ちあふれているのだ。この『線路の脇の小さな花』も、それは同様であるのだった。
めぐるは、『SanZenon』に魅了されている。めぐるはこの『線路の脇の小さな花』のライブ映像を目にしたことで、人生が一変したのだ。そんなめぐるであれば、この曲を演奏することでまたとない幸福を覚えるのも当然のことなのだろう。
しかしめぐるは、『SanZenon』よりも深く『KAMERIA』に魅了されていた。
『KAMERIA』を結成して半年以上が経過した現在、めぐるはそのように断言することができる。もちろん『SanZenon』というのはめぐるが目指す頂点のごとき存在であるし、自分たちがその足もとにも及んでいないのは百も承知のことであったが――それでもなお、めぐるにとってもっとも重要であるのは『KAMERIA』の存在であった。
めぐるは『SanZenon』を目指しているが、それは彼女たちの演奏をそのまま真似たいという意味ではない。彼女たちのように調和して、合致して、『KAMERIA』としての演奏を完成させたいのだ。
(もしもこの演奏が気に食わなかったら……そのときは、ごめんなさい)
いつかこちらのライブ映像を目にするであろう『SanZenon』の元メンバーに、めぐるはそんな思いを抱くことになった。
そして、そんな思いも音の奔流に呑み込まれていく。
『KAMERIA』は、四分ほどの時間をひと息に駆け抜けて――そして、『線路の脇の小さな花』を終息させた。
その末に待ちかまえていたのは、これまでで一番の歓声と拍手である。
めぐるはしとどに汗をこぼしながら、その祝福にひたることができた。
『どうもありがとー! それじゃー名残惜しいけど、次が最後の曲だよー!』
町田アンナがギターをかき鳴らしながらそのように宣言すると、客席からは不平の声もあげられた。
ぼんやりとその声を聞いていためぐるも、慌ててCの音を鳴らす。ここは和緒の調整のために、音を鳴らして時間を稼ぐ場面であったのだった。
『たぶんまだ、二十分ぐらいしか経ってないよねー! 次にライブをやるときは、もう一曲ぐらい増やそうと思ってるからさ! 物足りないと思った人は、また遊びに来てねー!』
そんな風に言ってから、町田アンナはドラムセットを振り返る。
和緒は取りすました顔で、スネアの位置を調整していた。
町田アンナは苦笑して、またギターをかき鳴らす。めぐるは和緒のお役に立てる嬉しさを噛みしめながら、指先をハイ・ポジションに走らせて、適当なフレーズを紡いでみせた。栗原理乃は完全無欠の無表情で、ダイナミックな和音を鳴らす。
『今日はこの後もかっちょいーバンドが勢ぞろいしてるから、最後まで楽しんでいってねー! ……ドラムさん、そろそろネタが尽きてきちゃったんだけどー?』
町田アンナがそのように言いたてると、客席からは笑い声がこぼされる。
和緒は肩をすくめつつ、乱雑にシンバルを叩きまくった。
『やっと準備ができたみたいだねー! それじゃー、最後の曲! 「転がる少女のように」!』
めぐると和緒と栗原理乃は音を消し、町田アンナもひとたび音をのばしてから、あらためて『転がる少女のように』のイントロをかき鳴らす。
アンプだけで歪ませた、ごくナチュラルな音色だ。
そして、そこに重ねるベースの音も、歪みのエフェクターは使用していない。プリアンプのトーンハンマーだけをオンにしたクリーンサウンドだ。
ギターもベースも歪みのエフェクターを使用していないため、音の広がりは減じていることだろう。
しかしその分、真っ直ぐ音が響いている。クリーンにはクリーンならではの力強さが存在するのである。それでこの『転がる少女のように』が、締めの曲に選ばれたのだった。
それにこの曲は、『KAMERIA』の持ち曲の中でもっともアップテンポだ。『線路の脇の小さな花』は16ビートであるのでこちら以上の疾走感であろうが、それでもタテノリを強調した8ビートの楽曲には独自の勢いというものが存在した。
めぐるは何の不満もなく、昂揚している。
そして客席の人々も、それは同様であるようであった。
今日はいきなり出だしでつまずいてしまったが、それ以降は理想の演奏ができている。その演奏の喜びを、客席の人々と正しく分かち合えたようだ。
それを実感できたとき、めぐるは思わず涙を流してしまったが――これだけ汗だくの姿であれば、それを気づかれる恐れはなかった。
ライブをやれば、バンド活動がもっともっと楽しくなる。
かつて浅川亜季から聞かされたその言葉は、めぐるなりに理解したつもりであったが――それを本当の意味で実感できたのは、今日この瞬間であったのかもしれなかった。




