-Track 5- 01 開場
その後、『KAMERIA』のメンバーは客席ホールでお客を出迎えることになった。
最初に姿を現したのは、町田家の面々である。本日はどのような休日を過ごしたのか、誰もが昼頃に別れた折と変わらぬ元気な姿であった。
その次には、宮岡部長と寺林副部長、それに『ケモナーズ』の面々もやってくる。森藤と小伊田が修学旅行に出向いている現在、軽音学部に関連するお客はこれが総勢であった。
「いよいよ『KAMERIA』のフルステージだねー! 文化祭もすごくかっこよかったから、期待してるよー!」
ギター&ヴォーカルを担当している少女を筆頭に、『ケモナーズ』の面々は誰もが好意的であった。ちなみに彼女たちは軽音学部のコンクールにて全国大会まで出場したが、結果はまたもや準優勝だったとのことである。
「『KAMERIA』や『イエローマーモセット』が出場してたら、優勝を狙えたかもね! そうしたら、わたしたちは三位になっちゃうけど!」
「いやいや。『KAMERIA』はともかく、わたしたちは過大評価でしょうよ」
「そんなことないよ! この前の文化祭は、ほんとに見違えてたもん! 春で解散しちゃうなんて残念だなー!」
こちらの少女はまだ高校二年生のはずだが、年長者の宮岡部長に対しても屈託がない。去年のコンクールで交流を結んで以来、それだけ親睦が深まっているのだろう。めぐる自身はまだ緊張が解けていなかったが、『KAMERIA』のことをひいきにしてくれる彼女たちのことはそれなりに好ましく思っていた。
「おー! みんな、ひっさしぶりー!」
と、町田アンナがこちらから離脱して、新たなお客たちのもとに駆け寄っていく。彼女の個人的な友人たちが到着したのだ。それはいずれも同世代の少女たちで、華やかな格好をしていたりスポーティーな格好をしていたりとファッションはさまざまであったが、いかにも町田アンナの友人らしい明るい空気を振りまいていた。
そうして最後に満を持して、『V8チェンソー』の面々が到着する。
浅川亜季は相変わらずのスカジャン、ハルも文化祭で着込んでいたスタジアムジャンパー、フユはエスニックな紋様が刺繍されたニットのアウターである。スパイラルヘアーの黒髪は、本日も首の横でひとつに束ねられていた。
「やあやあ、お疲れさまぁ。珍しく、アンナっちと理乃っちは別行動なのかなぁ?」
「ええ。町田さんはあちらで旧交を温めてる最中で、リィ様は楽屋にて精神統一のさなかです」
「そっかそっかぁ。そちらのみなさんも、お疲れさまぁ」
この場に集っている面々も、おおよそ『V8チェンソー』とは見知った仲だ。ただひとり文化祭でも交流を結ぶ機会のなかった寺林副部長は、表情の選択に困っているような面持ちであった。
そうしてひと通りの相手と挨拶を交わしたのち、浅川亜季はあらためてめぐると和緒の姿を見比べてくる。
「いやぁ、ついにこの日が来ちゃったねぇ。存分に楽しみながら、『KAMERIA』の底力を検分させていただくよぉ」
「はい。ですが例の件に関しては、どうかよろしくお願いします」
例の件――もちろん、『V8チェンソー』主催のイベントにまつわる一件である。和緒は柴川蓮の名前も『マンイーター』の名前も出すことなく、ただ『ブイハチ主催のイベントにまつわるお話はすべてのステージが終了した後にお願いします』というメッセージを送っていた。
「あれはいったい、どういう了見なのさ? もうちょっとわかるように説明してもらいたいもんだね」
フユが小声でそのように問い詰めると、和緒はポーカーフェイスで「そうですね」と応じた。
「ちょっとわけあって、他のバンドの方々の耳をはばかる事態になってしまったんです。それもまとめて全ステージの終了後に説明しますんで、それまではご内密に願えますか?」
「さっぱりわけがわからないね。……まさか、初の通常ブッキングで、さっそく余所のバンドともめたんじゃないだろうね?」
「もめるまでは行ってないと言いたいところですね。まあ、それも含めて全ステージの後ということで」
『KAMERIA』が『V8チェンソー』主催のイベントに抜擢されるかもしれない――そんな話を聞き及んだら、柴川蓮はまた取り乱してしまうだろう。そのために、彼女たちのステージが終わるまではその話を持ち出さないようにと、和緒はそのように取り計らったのだ。やはりめぐるとしては、和緒の機転と優しさに感じ入るばかりであった。
「ちなみにブイハチのみなさんは、本日出場するどのバンドとも交流がないっていうお話でしたよね?」
「うん! もちろん今日はなかなかのツワモノぞろいだから、どこかしらの会場で挨拶ぐらいはしてるけどねー! まったく知らないのは、二番目のバンドぐらいかなー!」
と、ハルが笑顔でそのように答えた。
「特にトリの『マンイーター』ってのは、なかなか面白いバンドだよねー! なんか、ベースのコがフユちゃんとカブるしさ!」
「ふん。たまたま機材が似てるってだけでしょうよ。同じようなベースとエフェクターを使ってりゃあ、音が似るのは当然さ」
「し、柴川さんは、やっぱりフユさんと同じ機材を使ってるんですか?」
めぐるが思わず口をはさむと、フユは仏頂面で「ああ」と応じた。
「って言っても、一緒なのはベース本体のブランドと、二台のプリアンプぐらいだね。私はそもそもヘッドも自前のを持ち込んでるから、そこまで似た音にはならないよ」
「そ、そうですよね。わたしも、雰囲気が似てるかなっていうぐらいのイメージでした」
あまり深入りすると和緒の計画が台無しになってしまいそうであったので、めぐるが語るのはそこまでにしておいた。
(音だけじゃなくって、プレイスタイルもフユさんに似てるように思ったんだけど……まあ、わたしは知識が足りてないからな)
めぐるがそのように考えたとき、背中にやわらかいものがぶつかってきた。
めぐるがびっくりして振り返ると、小柄な人影が頭を下げてくる。それはころんとした体型の、三十歳ぐらいに見える女性であった。
「あ、ごめんなさい。こげん人混みはひさしぶりやったんで……」
ちょっと独特のイントネーションで語りながら、申し訳なさそうに眉を下げている。実にふくよかな体格であるが、背丈はめぐるとさほど変わらず、とても柔和そうな面立ちの女性であった。
「い、いえ。こ、こちらこそすみません。お怪我とかはなかったですか?」
「大丈夫ばい。心配してくれて、ありがとね」
その女性はふにゃんとした笑みをたたえて、人混みの向こうに消えていった。
それを見送った和緒が、「ふむ」と小首を傾げる。
「やっぱりライブハウスってのは、色んな人が来るもんだね。あたしはもうちょっと、ガラの悪い人間が集まるイメージだったよ」
「うん。今日はそういう人も少ないみたいだね」
「まあ、トップバッターがあたしらで、二番手が大学生バンドっていう影響もあるのかな。後半に出演するバンドのお客さんなんて、まだほとんど来てないんだろうしね」
確かに現在、客席ホールには若い人間が多いように感じられる。二十歳を大きく超えているのは町田家のご両親と、さきほどの女性ぐらいであるのかもしれなかった。
大学生バンドの面々も、あちこちに散ってお客の相手をしている。『KAMERIA』が呼んだのは二十名きっかりであったので、それ以外はみんな彼らのお客であるのだろう。こちらのお客を含めて、総勢は五十名ていどであるようであった。
「あー、ブイハチのみんなも来てくれたんだねー! どーもありがとー!」
と、友人たちのお相手をしていた町田アンナも、跳ねるような足取りで舞い戻ってくる。
「ウチらもそろそろ準備しなきゃだよねー! ウチらがブイハチのイベントに相応しいかどうか――むがが」
「こっちが口止めをお願いしたのに、あんたが大声を出してどうするのさ」
和緒の手の平が、再び町田アンナの口をふさいだのだ。それを振り払った町田アンナは「ごめんごめん!」と屈託なく笑った。
「じゃ、そーゆーわけだから! 感想、楽しみにしてるからねー! みんなも、また後で!」
町田アンナがくるりときびすを返したので、めぐると和緒もその場の面々に頭を下げてからそれを追いかけることにした。
人混みをかきわけて、まずは客席ホールを出る。楽屋に向かうには、いったん一階に上がらなければならないのだ。そうして階段をのぼりながら、町田アンナは首をねじって笑顔を届けてきた。
「動画の撮影は、ウチのツレに頼んでおいたからさ! かっちょよく撮れるといいねー!」
「ああ、『SanZenon』の元メンバーさんに動画を送るんだっけか。でも、ライブハウスにも撮影を頼んでるんでしょ?」
「前にも言ったけど、ライブハウスの映像は固定カメラだし、ラインの音オンリーで音量のバランスもわやくちゃなんだよー! どーせだったら、かっちょいい映像を観てもらいたいじゃん!」
「だったらどうして、ライブハウスでも撮影を頼んだのさ? あっちは二千円もかかるのにさ」
「ラインの音だと、ごまかしがきかないからねー! 反省会の材料にはもってこいなんだよ! それにやっぱり、今日の思い出はしっかり記録しておかないとさ!」
町田アンナの元気で前向きな言葉を聞いていると、めぐるはますます胸が高鳴ってきた。
やがて一階のバーフロアに出てみると、そちらにもそれなりの人間が集まっている。ただ大半は、三番手と四番手のバンドの関係者であるようだ。何とはなしに、客席ホールよりも大人びた雰囲気が感じられた。
「……そういえば、『マンイーター』ってのはうちらの次ぐらいに若そうだよね。それでもトリを任せられるってのは、それだけの実力を見込まれてるってことなのかな」
和緒がそんな疑念を呈すると、町田アンナはオレンジ色の髪を揺らしながら「んー」と小首を傾げた。
「それはたぶん、レギュラーバンドの責任ってやつなんじゃないかなー。三番手と四番手のバンドは余所のハコのレギュラーだって話だから、『ジェイズランド』にとっては外様のお客さんって扱いになるんじゃない?」
「お客さん、か。トリよりも、中盤のほうが優遇されてるってこと?」
「ユーグーかどうかはわかんないけど、トリだとお客も帰りが遅くなっちゃうじゃん? それに、序盤や中盤のバンドを観にきたお客だって、なかなかトリまでは居残らないだろーからさ! 中盤に出たほうが、たくさんのお客に観てもらえる可能性があるんじゃないかなー!」
「なるほど。感心した」
「えー? そんな感心するほどの話かなー?」
「いや。あんたもこれだけ理路整然と語ることができるんだってことに感心した」
「おー! ウチにケンカを売ってるわけだ! めぐる、ウチの代わりにそいつをどついておいてねー!」
けらけらと笑いながらバーフロアを踏み越えた町田アンナは、楽屋のドアを開いて入室した。
めぐると和緒もその後に続いてみると――リィ様の姿をした栗原理乃は壁に向かって直立不動であり、『マンイーター』の三名がソファに座している。練習スタジオに突撃しようとしていた柴川蓮も、無事に連れ戻されたのだ。その柴川蓮はソファで落ち着かなげに身を揺すっており、坂田美月は申し訳なさそうに笑っていた。
「楽屋は出番前のバンドに譲らないといけないんだけど、ちょっと今日はお邪魔させてね。みんなのステージは、きちんと客席で見届けるから」
「いいよいいよー! べつに大した準備はないしさ!」
町田アンナは笑顔で応じながら、カラフルなチェックのベストと七分袖のシャツを脱ぎ捨てる。その下には『KAMERIA』のTシャツを着ているので、それで準備はほぼ完了であった。
それに続いて、めぐると和緒も上に着込んでいたものを脱いでいくと、亀本菜々子が「へえ」と楽しそうに笑った。
「おそろいのバンドTシャツかぁ。いいねぇ。初々しいねぇ」
「あはは! 『マンイーター』のみんなだって、ウチらとそんな変わんないトシでしょー?」
「いやいや。なんだかんだで、うちらももう二十歳だからねぇ。そういえば、『KAMERIA』のみんなは高校何年生なの?」
「ウチらは、一年生だよー!」
坂田美月は「えっ!」と長身をのけぞらし、ソファでうつむいていた柴川蓮は小さな背中をぴくりと震わせた。
「高校生だとは聞いてたけど、まだ一年生なの? それであの演奏ってのは……確かにちょっと、並外れてるね」
「えへへ。テンチョーさんは、年齢なんて関係ないって言ってたけどね!」
「それも、程度によるでしょう。あたしが高一の頃なんて、ライブをやれるようなレベルじゃなかったもん」
坂田美月と亀本菜々子は感じ入ったように、息をつく。
そして柴川蓮は深くうつむいたまま、ちろちろと燃える目をめぐるたちに向けてきた。
「……でも、重要なのは現時点での完成度だよ。ただ若いってだけじゃ、ブイハチのみなさんが目をかける理由にはならないね」
「うん! ウチらのことは、今日のステージで判断してほしいかな!」
町田アンナは笑顔で胸を張りながら、そのように言い放った。
「ま、ウチらは楽しくやるだけだけどねー! みんなにも一緒に楽しんでもらえるように、頑張るよー!」
「うんうん。楽しみにしてるよ。それじゃあ、そろそろ客席に移ろうか」
坂田美月が立ち上がろうとすると、柴川蓮がその腕を全身で抱きすくめた。
「ま、まだ早いよ! 客席の照明が落とされるまで待たないと!」
「なんだよ、もう。レンレンだって、しょっちゅうブイハチのライブに行ってるでしょ? どうして顔をあわせるぐらいで、そんなあたふたしないといけないのさ?」
「だ、だって! そういうときは、前の日から心の準備をしてるから!」
柴川蓮は、すがるように坂田美月の顔を見上げている。そんなさまも、飼い主に何かをせがんでいる柴犬さながらであった。
(なんだか……やっぱり、可愛い人だよなぁ)
決して口にはできないつぶやきを心中でこぼしつつ、めぐるは呼吸を整えた。
そこに、スタッフがやってくる。
「お疲れ様です。今日はオンタイムで始めますので、あと五分で開演です。準備ができたら、ステージのほうにお願いします」
「りょーかいでーす! ほらほら、リィ様! スタンバイだってよー!」
「承知しました」と、栗原理乃がこちらを振り返る。
アイスブルーのショートヘアーに、黒いフリルの目隠し、白いワンピースとその上に着込んだ白地の『KAMERIA』Tシャツ――白と黒とアイスブルーだけで構成された、精巧な機械人形めいた姿だ。その鼻から下しか見えない端麗な顔は完全無欠の無表情で、彼女の周囲だけ気温が何度か低いように感じられる冷ややかさであった。
「おっとっと! こいつを忘れるところだった!」
ステージに通ずる階段に向かいかけていた町田アンナが、ボストンバッグから三枚の紙袋を引っ張り出す。本日も、最初の一曲目だけは紙袋の覆面をかぶってみようという話になっていたのだ。
「……アンナさん、ちょっとよろしいでしょうか?」
あらためて階段のほうに向かおうとした町田アンナのもとに、栗原理乃が音もなく忍び寄る。その手に、リップスティックが握られていた。
「覆面をかぶるのでしたら、こういった趣向は如何でしょう?」
栗原理乃の白い指先が町田アンナの頬にあてられて、逆側の頬にはリップスティックの先端があてられる。そして、鮮烈なる真紅の色合いで、大きく『A』と書き記された。
「一曲目を終えて覆面を取り去ったとき、何の細工もないというのは面白みに欠けるように思います。このていどの細工でも、多少は効果的なのではないでしょうか?」
楽屋の壁に設置されていた姿見を覗き込んだ町田アンナは、心から楽しそうに笑い声をあげた。
「何これー? リィ様は、いつからこんなことを考えてたのさー?」
「最初に思いついたのは、ずいぶん古い話となります。ただ、これが本当に正しい選択であるのか、なかなか判断がつかなかったため……この待機時間を使って、シミュレーションを重ねることになりました。もしご賛同をいただけないようでしたら、クレンジングも準備していますので」
「いやー、悪くないと思うよー! でもそれなら、めぐると和緒にも書いてあげないとねー!」
「はいはい。どうぞお好きなように」
和緒は肩をすくめながら、自ら栗原理乃のもとに歩み寄っていく。めぐるは思考もまとまらないまま、それを追いかけることになった。
リップで頬に文字を書かれるというのは、なかなかにくすぐったいものである。その感触に耐えた末、和緒の頬には『K』、めぐるの頬には『M』の一文字がが書き記された。
そして栗原理乃は姿見を見ようともしないまま、自らの左頬にもリップスティックを走らせる。もちろんそちらは、『R』の一文字だ。
『KAMERIA』の名を構成する、四つの文字である。その事実が、めぐるの胸を高鳴らせてやまなかった。
「それじゃあみんな、こっち向いてぇ」
と、坂田美月が笑いを含んだ声で呼びかけてくる。
その手には、スマホが構えられていた。
「ステージの後は、汗だくだろうからね。せっかくだったら、綺麗な状態で撮ってあげるよ」
「ありがとー! あとでスマホに送ってねー!」
四人の顔が、アップで写真におさめられた。
そのタイミングで、階段のほうからさきほどのスタッフが顔を出す。
「あのー、どうかしましたか? ステージの開始まで、あと三分ですよ?」
「はいはーい! 今すぐにー!」
町田アンナは三人のメンバーの肩を順番に叩いてから、先頭を切ってステージを目指した。
めぐるは『マンイーター』の面々に頭を下げてから、それを追いかける。すると、その後に続いた和緒が「ふふふ」とわざとらしい笑い声をあげた。
「あんたがドMの本性を全力でアピールしてるみたいで、ちょいと愉快な心地だね。自らの性癖を満天下にさらす気分は如何かな?」
「あはは。それなら、かずちゃんの『K』は何の略だろうね。やっぱり、カッコイイの『K』なのかな?」
「狂人でもキテレツでも、お好きなように」
和緒は薄く笑いながら、めぐるの頭を小突いてきた。
やっぱり和緒も、本心から愉快な心地なのだろうか。おそろいのTシャツのみならず、顔にまでこんな細工を施すというのは、ずいぶん子供じみているのかもしれないが――それでもめぐるは、ずっと頬を撫でられているようなくすぐったい気分であったのだった。




