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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 3-

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03 出動

 翌日――ライブの当日である。

 町田家の客間で就寝した『KAMERIA』の四名は、午前の八時半に起床した。


 前夜もけっきょく日が変わる頃には眠りに落ちたので、睡眠時間も十分以上である。そして、布団の上に身を起こしためぐるは、自分でもびっくりするぐらい清々しい心地であった。


 めぐるはべつだん、そうまで頑なに家庭環境を隠していたわけではない。しかしやっぱり、なるべくならば町田アンナと栗原理乃には知られたくないという思いが残されており――それがいつしか、見えない重圧になっていたのかもしれなかった。


 めぐるが彼女たちと一緒にいて幸福な心地であるのは、本心を偽る必要がないからだ。その中で、自らの境遇を語らずにいるという行いが、めぐるに罪悪感のようなものを抱かせていたのだろうか。

 理由は、あまり判然としない。

 ただめぐるは普段以上に澄みわたった心持ちであり、そしてこれまで以上にメンバーたちの存在が愛おしかった。ともすれば、起きぬけに涙をこぼしてしまいそうなほどであった。


「……あんたはいったい、朝から何を感極まってるのさ?」


 と、隣の布団であくびを噛み殺していた和緒が、長いリーチでめぐるの頭を小突いてくる。

 言うまでもなく、めぐるにとってもっとも愛おしいのは和緒の存在である。それでけっきょく涙をにじませてしまっためぐるは、それを手の甲でぬぐいながら笑顔を返すことになった。


「かずちゃん、おはよう。それに……しつこいようだけど、昨日はありがとう」


「はいはい、どういたしまして。……だいたいあんたは、いちいち考えすぎなんだよ。四足獣は四足獣らしく本能のままに振る舞ってれば、思い悩むこともないだろうにさ」


 寝ぐせのついた自分の頭をかき回しながら、和緒はそのように言いたてた。


「そもそも不幸な生い立ちなんざ、自分でぺらぺら喋って回るようなもんじゃないんだからね。それを隠し立てしたところで、誰に文句をつけられるいわれもないだろうさ」


「うん、そうだね。でもやっぱり、メンバーに隠し事はしたくなかったから……」


「隠し事をしたら、信頼関係に支障が生じるってかい? そんなていどで揺らぐ関係なんざ、どうでもいいじゃん。……あたし、兄貴がいるんだよね」


 幸福な気分にひたっていためぐるは、「え?」と目を見開くことになった。


「い、いま、お兄さんがいるって言ったの? かずちゃんは、ひとりっ子でしょ?」


「あたしがいつ、ひとりっ子なんて自称したかね」


「そ、それはそうかもしれないけど……でも、いつ家に行ってもそんな気配はなかったし……」


「あいつは京都の大学を受験するために、あっちの親戚の家に引っ越したんだよ。ちょうどあたしがあんたと出会う直前ぐらいの話だね」


 そんな風に言いながら、和緒は立てた片膝に頬杖をついた。


「で、あたしはあいつが大っ嫌いだから、盆と正月の里帰りが憂鬱でならないのさ。……以上、秘密の開示でした。こんな話を二年半も隠し通して、あんたとの信頼関係は風前の灯火かな?」


「い、いや、そんなことはないけど……」


「だったら町田さんたちも、あんたを見損なうことはないだろうさ。小さな話で、いちいちオタオタしなさんな」


 頬杖をやめた和緒は、「うーん」と大きくのびをした。


「あ、ちなみに今のは、あんたを啓蒙するための作り話だからね。ゆめゆめ信用なさらないように」


「えーっ! そ、それじゃあやっぱり、ひとりっ子なの? わたし、さっぱりわけがわかんないよ!」


「ふふふ。思うさま、思考の迷路をさまようがいいさ」


 和緒はとびきり人の悪い笑みを浮かべてからめぐるの頭に手をのばし、それを支えにして立ち上がった。

 すると、栗原理乃の向こう側に横たわっていた町田アンナが、ぴょこんと身を起こす。きわめて元気な挙動であったが、その笑顔は完全に寝ぼけていた。


「あれー? めぐると和緒は、もう起きてたんだー? なんか、ひとりっ子がどうとか聞こえたけど、なんの話ー?」


「十二歳で弟さんを亡くしたプレーリードッグをひとりっ子と見なすかどうか、議論してたのさ。あんたは、どう思う?」


「朝っぱらから、ヘヴィーな話題だねー! ちょっとはTPOってもんを考えたらー?」


 町田アンナは気まずさを覚えた様子もなく無邪気に笑い、勢いよく立ち上がった。


「おー、もう八時半じゃん! こんだけ寝たら、もう十分っしょ! ほらほら、理乃も起きなってばー! みんなでシャワーを浴びに行こー!」


 そうしてその日は、ついに幕が開かれた。

 めぐるは和緒のおかげで、朝から心をかき乱されてしまったが――しかしそれも、すぐさま温かい感情に塗り潰されて、また幸福な気分にひたることができたのだった。


                 ◇


「今日の入り時間は、午後の三時だもんねー! リハからばっちり音を鳴らせるように、たっぷりウォームアップしておかないと!」


 そんな町田アンナの発案によって、朝食を済ませた後は部室を目指すことになった。本日は土曜日であるし、制服姿で町田家に出向いたため、部室に出入りすることも可能であったのだ。その際には、親切な町田家の母親がワゴン車で送ってくれた。


 ただし、部室に到着したのは午前の九時半過ぎで、正午前には練習も切り上げられる。本番は夜になってからであるので、体力の確保も念頭に置かれたのだ。しかしそれだけの練習時間でも、めぐるの体内に生じた熱情を適度に発散させるには十分であった。


 帰りは父親の運転するワゴン車に迎えられて、町田家に舞い戻ったならば母親の手による昼食をいただく。何から何まで、町田家に甘え放題である。町田アンナを除く三名のメンバーは恐縮することしきりであったが、ご両親は終始笑顔でめぐるたちの面倒を見てくれた。


「こうやってみんなの世話を焼いてると、俺たちまでメンバーの一員にでもなったような気分だからさ! 何も遠慮することはないよ!」


「ふーんだ! あんたなんか、ぜーったいメンバーに入れたりしないからねー!」


 父親に対しては容赦のない町田アンナであるが、こういう際には楽しそうな笑顔である。それでめぐるも、町田家の家庭環境を心配するには至らなかった。


 そうして昼食をいただいたのちにはしっかり食休みを取って、午後の二時前には出発の準備である。

 文化祭のときと同じように、必要な物資はボストンバッグにまとめられる。実は本日も町田家に宿泊させていただくので、制服や学生鞄は置き去りだ。かえすがえすも、『KAMERIA』のメンバーというのは各自の家から自由な行動を許されていた。


 また、すっかり肌寒い時節になってきたので、誰もが秋の装いになっている。和緒は厚手のニットカーディガン、町田アンナはミリタリー風のワークジャケット、栗原理乃は細身のロングコート、めぐるは――以前に和緒からいただいた、おさがりのマウンテンパーカーである。


 現地での手間をはぶくため、栗原理乃は出発前から三つ編みにされた髪をアップにまとめる。その上からフレアハットをかぶれば、出発の準備も完了だ。栗原理乃のお嬢様めいたコーディネートに、町田家の妹たちはご満悦の面持ちであった。


「それじゃー、いざ出陣だねー! エレンたちは、また夜にね!」


「うん! みんな、がんばってねー!」


 二人の妹と父親に見送られて、今度は母親の運転するワゴン車に乗り込む。新たに導入された電子ピアノのおかげでいっそうの大荷物になってしまったが、それでも何とかこちらのワゴン車だけで移動することができた。


「そういえば、チケットは全部売ることができたのよね?」


 運転席の母親が問いかけると、助手席の町田アンナが「うん!」と元気に応じた。


「ママたちで四枚、ブイハチで三枚、センパイたちで二枚、ウチのツレで六枚! あとまだチケットは渡してないけど、『ケモナーズ』ってバンドの人たちが五人も来てくれるんだー! それできっかり、二十枚だね!」


「あら。先輩たちは、二人しか来てくれないの?」


「二年生は、修学旅行の真っ最中なんだよ! すっごく残念がってたから、次の機会には来てくれるんじゃないかなー!」


「そう。何にせよ、お金がかからなかったのなら、よかったわね」


「うん! でも、機材費やら撮影費やらは別料金だからさー! あと四枚売れればそれもカバーできたんだけど、今回はしかたないねー!」


 町田アンナは無邪気にそう言っていたが、それはひとえに彼女を除く三名が不甲斐ないためである。そもそも他のメンバーは自分がバンド活動していることを公言していなかったので、チケットを売るあても皆無であったのだった。


「そう考えると、お客の半数は町田さんの関係者なんだよね。さすがに傍若無人で傲岸不遜のあたしでも、申し訳ない気分が生まれちゃうかな」


「そんなの、気にする必要ないって! ただ、ウチのツレもそこまでバンドに興味があるわけじゃないからさ! 次のライブにつなげるには、今日のライブでトリコにしてやらないとねー!」


「ふむ。あんたは中二からバンド活動をしてたのに、音楽好きのご友人はいないのかい?」


「その頃のメンバーとは完全に縁が切れちゃったし、それ以外にはバンド好きのやつもいなかったんだよねー! 高校のクラスメートなんて、もっとカイメツテキだもん!」


「そのおかげで、あたしらも平穏な学校生活を送れてるわけだ。文化祭以降も、あたしらが軽音学部だって露見した気配は皆無だしね」


「それだけみんな、バンドに興味が薄いんだろうねー! 文化祭のステージは大盛り上がりだったけど、けっきょくその場限りのお祭り騒ぎだったのかなー!」


 そんな風に言いたてながら、町田アンナは笑顔で後部座席を覗き込んできた。


「でもさ! やっぱジューヨーなのは、知らない人らをお客につけることだから! 今日も対バンのお客をがっちりつかめるように、かっとばしていかないとねー!」


「そんな話は、頼もしきフロントマンの面々におまかせするよ。あたしは暗がりで、リズムマシーンを演じるだけさ」


「和緒だってかっちょいーし、口さえ開かなけりゃ美人なんだからね! おかしなファンがつかないように、気をつけなよー?」


 行き道から、町田アンナは大層なテンションである。

 しかし、それを見守るめぐるもまた、胸の内側には熱いものが満ちみちている。昼前の練習に発散した分も、すっかり熱を取り戻してしまったようであった。


 そうして楽しく騒いでいる間に、四十五分ほどで目的地に到着する。所要時間は電車の移動と同程度であるが、もちろん身体への負担は比較にもならない。とりわけ電子ピアノなどは十キロ以上の重量であったし、カートに積んでもひどくかさばるので、町田家の厚意はありがたくてならなかった。


 ライブハウスの店頭では迷惑になる恐れがあったため、駅前のロータリーにて荷物を下ろす。二組のギグバッグとエフェクターボード、スティックケースとバスドラペダルのケース、電子ピアノとボストンバッグで、やはりかなりの質量だ。しかし、荷物が増えれば増えるほどバンドが充実したような心地で、めぐるはひそかに胸を高鳴らせていた。


「それじゃあ、また夜にね。みんなも、頑張って」


 朗らかな笑みを残して、母親の運転するワゴン車は消えていく。

 それを見送ってから、町田アンナは「さて!」と荷物を手に取った。


「じゃ、いざ出陣だねー! 気合を入れていこー!」


「今からそんなはしゃいでたら、本番までもたないよ」


 クールに応じながら、和緒もペダルのケースを肩にさげる。めぐるも、自前のギグバッグとエフェクターボードだ。ただし、町田アンナはギグバッグを背負った姿で電子ピアノのカートをひっつかみ、栗原理乃は幼馴染のエフェクターボードとボストンバッグを担当する。栗原理乃はめぐるよりも非力であったため、電子ピアノの運搬はいつも町田アンナが受け持っていたのだった。


 カートに積めば荷物の重量は軽減されるものの、全長百三十センチの電子ピアノはバランスが悪く、けっきょく腕力が必要になるのである。格闘技の稽古で鍛えあげた町田アンナのフィジカルというのは、『KAMERIA』の大事な財産であった。


 そうして一行は列を成して、駅から徒歩四分の位置にあるライブハウス、『ジェイズランド』を目指す。文化祭の二日目、本日のチケットを受け取るために四人で辿ったのと同じ道だ。あの日にジェイ店長の語っていた数々の言葉を思い出すと、めぐるの胸はいっそう高鳴ってしまった。


「……かずちゃん。今日も頑張ろうね」


 街路を進みながら、めぐるは最後尾に陣取った和緒に笑いかけた。

 和緒は「前方注意」とつぶやきながら、ポーカーフェイスでめぐるの頭を小突いてくる。それでいっそうの勇気を得ためぐるは、ギグバッグを担ぎなおして本日の舞台を目指したのだった。

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