-Track 4- 01 挨拶
文化祭の二日目――十月の最終日曜日である。
二日連続で町田家に宿泊した『KAMERIA』の一行は、また四人で一緒に学校を目指すことになった。
ただし、もともと文化祭の期間は自由登校とされており、学校側から出欠を取られることもない。クラスや部活動の出し物で何の役目も負っていなければ、登校するかどうかは本人の自由であるのだ。
そんな中、二日目の本日に登校の義務を負っているのは、めぐるひとりとなる。めぐるは本日も、朝から昼下がりまで皿洗いの仕事の当番であったのだった。
「事前準備を免除していただく代償としても、ずいぶん面倒な仕事を押しつけられたもんだよね。もうちょっと上手に立ち回れなかったの?」
「う、うん。バンドの練習時間さえ確保できれば、あとのことはどうでもよかったし……それより、わたしひとりのためにみんなを学校につきあわせるのは申し訳ないっていうか……」
「まーだそんなこと言ってんのー? めぐるひとりを働かせて、ぐーすか眠ってられるわけないじゃん!」
手ぶらの姿でジャージを羽織った町田アンナは、スキップまじりに歩きながらけらけらと笑う。
「昼休みは、一緒になんか食べよーね! なんだったら、皿洗いの仕事も手伝ってあげるからさ!」
「い、いえ。それはあまりに申し訳ないので……みんなと一緒にお昼を食べられるだけで、わたしは嬉しいです」
「おー! そーんな可愛い笑顔を見せられたら、和緒がノーサツされちゃうよー!」
「あいにく、あたしの精神はそこまでやわじゃないんでね」
と、めぐるは何故か和緒に頭を小突かれることになった。
めぐるは朝から、幸福なばかりである。まあ、一昨日の放課後からずっと『KAMERIA』のメンバーと行動をともにしているのだから、幸福な心地であるのが当然であろう。この一日半の間で彼女たちと別行動であったのは、それこそ皿洗いの仕事に励んでいた時間だけであったのだった。
なおかつ本日は、文化祭の用事を済ませた後も四人一緒に遠出をする予定になっている。来たるべき来月のライブに備えて、『ジェイズランド』までチケットを受け取りに出向くのだ。
本来、初めて正式にブッキングを申し込んだ『KAMERIA』は、もっと早い段階からライブハウスまで出向いて、書類上の手続きをする必要があったのだと聞いている。しかし、ジェイ店長とは野外フェスで対面しているし、『V8チェンソー』と懇意にしているバンドであるならば、手続きはいつでもかまわないと言ってもらえたのだった。
『もしもあんたたちがバックレたら、ブイハチの連中に八つ当たりさせてもらうからねぇ……それでかまわないなら、お好きにどうぞ……』
かつて電話でブッキングを申し込んだ折、ジェイ店長は陰気な笑いを含んだ声でそのように言っていた。もちろん『V8チェンソー』を心から敬愛しているめぐるたちが、そんな不義理な行いに及ぶことはありえなかった。
「普段は練習が忙しくて、なかなか遠出もできなかったしねー! いよいよ『KAMERIA』のチケットを受け取るんだって思うと、それだけでワクワクしちゃうなー!」
町田アンナはそんな風に言っていたし、めぐるもそれは同じ気持ちであった。
そうしてその日もめぐるは無心で働き、昼休みにはメンバーたちと一緒に屋台の軽食で空腹を満たし、午後にも小一時間ばかり働いてから、その足で『ジェイズランド』を目指すことに相成ったのだった。
◇
ということで――稲見なる地に存在するライブハウス、『ジェイズランド』に到着である。
めぐると和緒にとっては二度目の来店、町田アンナと栗原理乃にとっては初めての来店だ。中学時代からバンド活動に励んでいた町田アンナも、『ジェイズランド』に足を運ぶ機会はなかったのだという話であった。
「でも、『ジェイズランド』ってのは激しめのバンドが多いみたいだねー! どんなバンドが同じ日にブッキングされたのか、期待しちゃうなー!」
町田アンナは意気揚々と、店内に足を踏み入れた。
一階は、バーを思わせる待機スペースである。町田アンナがウェブサイトで確認したところ、こちらのスペースはまさしく『バーフロア』という名称であるらしい。奥のほうにはちょっとしたステージも準備されており、日によってはアコースティックのライブやDJイベントなども開かれているという話であった。
まだ営業時間ではないはずだが、そちらのバーフロアには照明が灯されている。以前にめぐるたちが入店した折よりも明るいぐらいである。そちらでテーブルの拭き掃除をしていた女性スタッフが、きょとんとした顔でこちらを振り返ってきた。
「何かご用事ですか? 今日の入り時間は、三時のはずですけど……」
「あー、違う違う! 今日はチケットを受け取りに来たんでーす! テンチョーさんには、話を通してるはずなんだけど!」
「店長でしたら、事務所です。たぶん二日酔いでくたばってますから、噛みつかれないように気をつけてくださいね」
ちりちりの黒髪を肩まで垂らした女性スタッフは、やわらかい表情でにこりと笑う。めぐるの記憶に間違いがなければ、それは以前に受付の業務を担当していた人物であった。
そちらの女性スタッフにお礼を言って、事務所を目指す。掃除中の客席スペースを横断すると、その最果てに毒々しい字体の英語でスタッフルームと書かれたドアが待ち受けていた。
「失礼しまーす! チケット受け取りの約束をしてた、『KAMERIA』でーす!」
町田アンナが大声を張り上げながらそのドアをノックすると、寝ぼけた肉食獣のうめき声めいたものがかすかに聞こえてきた。
物怖じを知らない町田アンナは小首を傾げつつ、ドアを開く。そちらは六畳ていどの雑然とした部屋で、雑誌や書類が山積みにされたデスクに見覚えのある人物が突っ伏していた。
「誰だい……? 午後の二時までは死んでも起こすなって言っておいたろう……?」
「テンチョーさん、だいじょうぶー? もう午後の二時半を過ぎてるよー!」
町田アンナが元気に応じると、その人物はざんばら髪の隙間からめぐるたちをにらみ回してきた。ひょろひょろに痩せ細った体に黒いTシャツとスキニーパンツを纏った、幽霊のように陰気な人物――まぎれもなく、ジェイ店長である。彼女がのろのろと身を起こすと、ざんばら髪の隙間から血の気の薄い骨張った顔も覗いた。
「もうそんな時間かい……誰かに時間を盗まれたような気分だねえ……」
「あはは! テンチョーさんは、二日酔いなのー? お昼寝の邪魔して、ごめんなさいでーす!」
「頼むから、もうちょいボリュームを落としておくれよ……頭の中で、ピンクのカバがフラダンスを踊ってるんだからさ……」
そうしてジェイ店長はデスクに転がっていた銀色の平たい水筒から何かしらの液体を摂取すると、人心地ついたように天を振り仰いだ。
「ああ、生き返った……で、あんたたちは、誰だったっけ……?」
「ウチらは、『KAMERIA』だよー! 今日チケットを受け取りに来るって電話しておいたでしょー?」
「ああ……そういえば、そんな話もあったっけ……制服姿が、まぶしいねぇ……」
ハスキーと呼ぶのもはばかられるほどしわがれた声で言いながら、ジェイ店長は下唇にピアスの光る口でにたりと笑った。
「顔をあわせるのは、野外フェス以来だったっけか……ずいぶんご無沙汰だったじゃないか……」
「ごめんなさーい! 色々と忙しくってさ! ライブに必要な手続きとかもお願いしたいんだけど、だいじょーぶですかー?」
「ああ……まずは、こいつに記入をお願いするよ……」
ジェイ店長は書類棚から一枚の紙を引っ張り出すと、クリップボードやボールペンとともに町田アンナへと手渡した。いつぞやのライブイベントでも書かされた、エントリー用紙のようなものであるようだ。頼もしき町田アンナは「りょうかーい!」と応じながらパイプ椅子に腰をおろし、ボールペンを走らせた。
「あんたたちも、座ったら……? 初めてのブッキングだったら、あれこれ説明しておく必要があるからさ……」
その部屋には、パイプ椅子の他にベンチシートも存在した。しかしそこにも雑誌や段ボール箱などが山積みにされていたため、三人で座るのは難しそうなところである。めぐるは遠慮しようかと思ったが、和緒に優雅な手つきでエスコートされたため、栗原理乃ともども恐縮しながら腰を落ち着けることになった。
「いちおー、書けましたー! ジャンルはよくわかんないから『ロック』にしておいたけど、これでいいかなー?」
「自分でそう思ってるなら、それでかまわないさ……へえ……あんたたちは、まだ一年生なのかい……そいつはなかなか、驚きの事実だねぇ……」
町田アンナから受け取った用紙にざっと視線を走らせつつ、ジェイ店長はまた幽霊のように微笑んだ。
「実はこの前、『パルヴァン』の店長と飲む機会があってさぁ……あっちの野外フェスでも、大層な活躍だったみたいじゃないか……」
「うんうん! ブイハチのみんなのおかげで、セッションタイムってやつに参加できたんだよねー! アレもすっげー楽しかったなー!」
先刻から、こちらは町田アンナしか口を開いていない。まあ、小心者のめぐるとしては、頼もしい限りである。ひとり凛然と起立した和緒も、ひたすら静観のかまえであった。
「ブイハチのメンバーいわく、こっちの野外フェスでは音作りの関係でポテンシャルを発揮しきれなかったって話だねぇ……まあ、それでもなかなか愉快なステージだったけどさぁ……だからこっちも、それなりのバンドを集めたつもりだよ……」
そのように語りながら、ジェイ店長はデスクに散乱する書類のひとつをつかみ取った。A4サイズの、スケジュール表のようである。
「ええと……十一月の、最終土曜日だったっけ……出演バンドは、全部で五つ……初ブッキングはあんたたちだけだから、当日はトップバッターを飾っていただくよ……」
「はーい! 他にはどんなバンドが出るのかなー?」
「トリを任せるのは、つい最近うちのレギュラーになった『マンイーター』ってバンドで……ちっとばっかり、昔のブイハチを思い出させるサウンドなんだよねぇ……」
「昔のブイハチ? アイドルちゃんがヴォーカルだった頃の?」
「そうそう……こいつらは、ベース&ヴォーカルのスリーピースなんだけど……イカつい演奏に可愛らしい歌声ってのが、ちょいと昔のブイハチっぽくてさ……ベースの音なんかも、ずいぶん影響を受けてるんだろうねぇ……」
「へー! まあ、フユちゃんってめっちゃ上手いから、影響を受けてもおかしくないだろうねー!」
「そういうこった……で、三番手と四番手は準レギュラーの、『ザ・コーア』と『StG44《エステーゲーヨンヨン》』……面倒だから、うちらはヨンヨンって呼んでるよ……こいつらも余所のレギュラーバンドだから、腕は確かだねぇ……で、二番手は軽音サークルの大学生で……集客はまあまあだけど、腕はぼちぼちかな……」
「あはは! そんなこと、ウチらに言っちゃって大丈夫なのー?」
「まごうことなき真実なんだから、言葉を飾ったってしかたないさ……あたしは本人を前にしたって、言葉を飾れるような人間じゃないからねぇ……」
そう言って、ジェイ店長はゆっくりとめぐるたちの顔を見回してきた。
「だから、あんたたちにも遠慮なく意見させてもらうけど……あんたたちは、将来有望だ……ただ、ブイハチの連中が騒ぐほどとは思わなかった……そういった話は、アキたちから聞いてるんだろう……?」
「うん! 野外フェスのライブ映像も見せてもらったよ! アレは確かに、しょぼかったねー! 中音なんかは、すっげーいい感じだったんだけどさ!」
それで外音が不本意な出来であったのは、ひとえにめぐるの音作りが原因なのである。めぐるがひそかに拳を握り込むと、和緒がさりげなく頭を小突いてきた。
「あんたたちは、それから生まれ変わったらしいねぇ……でも、あたしはその姿を見てないから……この日にきっちり、見届けさせていただくつもりだよ……」
「うん! あの野外フェスから二ヶ月以上たってるし、ライブまではまだ一ヶ月あるからね! 期待に応えられるように、頑張りまーす!」
「うんうん……今回は、期待を込めて見守らせていただくからね……せいぜい頑張ってくださいな……」
ジェイ店長はにたにたと笑いながら、また書類棚をまさぐった。
そこから取り出されたのは、黒と黄色のカラーリングであるチケットの束だ。かつて浅川亜季からプレゼントされたチケットと同じデザインであった。
「それじゃあ、これがチケットだよ……電話でも伝えたけど、チケットの代金は二千円で、ノルマは二十枚……出演料は四万円だから、ノルマ分をさばけば費用はかからない……で、二十一枚目からは、チャージバックが五十パーセント……一枚売るごとに、千円がバンド側に還元されるって計算だね……アンプやドラムセットの機材費はこみこみで二千円、映像の撮影も二千円、それぞれ別途に料金がかかるからそのおつもりで……」
「りょーかいでーす! 機材費もチケット代でまかなえるように頑張りまーす!」
「心強いねぇ……で、当日のリハは三時からだけど、あんたたちはトップバッターだから入り時間は四時二十分でかまわないよ……こまかい決まり事なんかはこっちのパンフに書いてあるから、熟読しておくように……」
クリアケースに収められた書類が差し出されると、町田アンナはおどけた調子で「ははー!」と言いながら受け取った。その姿に、めぐるは思わずくすりと笑ってしまう。
「さて……それじゃあこれで、手続きは完了だね……ここからは、興味本位で聞かせていただくけど……ぶっちゃけ、調子はどうなんだい……?」
「調子は、ゼッコーチョーでーす! 実は昨日も、文化祭のライブでさ! めっちゃ楽しかったの!」
「それはそれは……何よりの話だねぇ……」
と、ジェイ店長はまたにんまりと微笑んだ。
どこか、浅川亜季のチェシャ猫めいた笑顔である。
「あんたたちが高校一年生ってのは驚かされたけど……ま、バンドに年齢は関係ないからねぇ……どんなに若くっても、どんなにトシをくってても、光るやつは光ってるし、ショボいやつはショボいもんさ……だからあたしは、年齢に惑わされないよう心がけてる……で、そういうフィルターを外して見ると……あんたたちは、まだまだよちよち歩きのヒヨッコバンドだと思うよ……」
「うん! まだ結成して、五ヶ月ぐらいだからねー! 自分たちでも、まだまだ満足しちゃいないさー!」
「うんうん……あんたたちみたいなヒヨッコの成長を見守るのも、大きな楽しみのひとつさぁ……ただ、それはそれとして……こんなヒヨッコバンドをブイハチのイベントに出場させるのは、ちょっとどうかと思うんだよね……」
ずいぶん緊張のほぐれかけていためぐるは、そのひと言でまた固まることになってしまった。
いっぽう町田アンナは、オレンジ色の髪を揺らして「んー?」と小首を傾げる。
「だから、それをこのライブでミキワメるって話なんでしょ? テンチョーさんは、それにも反対なの?」
「いやいや……そんなのは、ブイハチの決めることだからねぇ……ただ……あたしはけっこう、ブイハチの連中に目をかけてるからさ……今年のイベントはナツのせいで、気の毒な結果になっちまったし……だからあたしは、全力でサポートしてやりたいのさ……ま、そんなわけで……あんたたちがブイハチのイベントに相応しくない力量だったら、ちょいとキツめに忠告してやるつもりだよ……」
それでめぐるは、安堵の息をつくことになった。
町田アンナも、おひさまのような笑みを浮かべる。
「それはゼヒとも、ウチらからもお願いしたいなー! ウチらみたいなぺーぺーがブイハチのイベントにお呼ばれするなんて、どう考えたって大された話だからさー!」
「ふうん……それじゃあどうして、断らなかったんだい……?」
「だって、ブイハチのイベントには出てみたいじゃん! ブイハチは、めっちゃかっちょいいからさ!」
素直さの権化である町田アンナは、そのように言い放った。
「ただね、ウチらはブイハチのみんなと仲良くさせてもらってるから、ちょっと心配な部分もあったの! 仲良くなりすぎて、見る目が甘くなっちゃってるんじゃないかってさ! テンチョーさんがキビしー目で見てくれたら、すっごく助かるよー! ね、めぐる?」
いきなり水を向けられて、めぐるは「ひゃい!」とおかしな声をあげてしまった。
「そ、そうですね。店長さんが第三者の立場から『V8チェンソー』のみなさんにご意見をくださるのでしたら……とてもありがたく思います」
「だよねー! ウチらは全力で、ブイハチのイベントを盛り上げたいって思ってるから! ウチらにそんな力があるかどうか、テンチョーさんもブイハチのみんなと一緒にミキワメてよ!」
「ははあ……若人の情熱ってのは、つくづくまぶしいもんだねぇ……だけどまあ、あんたたちの心意気は理解できたから……これで心置きなく、当日を迎えられそうだ……」
ジェイ店長は、しゃがれた声でくつくつと笑った。
「それじゃあ、あらためて……『ジェイズランド』にようこそ……あんたたちがどれほどのバンドなのか、思うぞんぶん楽しませていただくよ……」




