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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 3-

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08 祭のあと

 軽音学部のステージを終えてから、およそ九十分後――軽音学部の部員一同は、あらためて部室に集合することになった。

 時刻は午後の五時過ぎで、外来のお客は退出の刻限ある。そして、完全下校時間である午後の六時まで、軽音学部の部員一同はこの場で打ち上げに臨む段取りになっていた。


「まあ、文化祭はまだ初日だけど、我が部の出番は今日までだからね。明日は全員顔をそろえるかどうかもわからないし、今日の内に苦労をねぎらっておこうってことだよ」


 宮岡部長のそんな挨拶とともに、ペットボトルのドリンクで乾杯が交わされた。

 折り畳み式の長テーブルには、申し訳ていどに菓子やスナック類が広げられている。弁当以外で持ち込みの飲食が許されるのは、この文化祭の期間のみであるという話であった。


 室内には、意外に和気あいあいとした空気が生み出されている。轟木篤子はさっさとひとりで離れた場所に陣取ってしまったが、宮岡部長や二年生の男女がひっきりなしに声をかけているので、彼女が孤立することにはならなかった。そして『KAMERIA』のメンバーに対しては、珍しくも寺林副部長が接近してきた。


「俺たちのステージは、どうだったよ? ちっとは勉強になったろ?」


 他の部員たちには『KAMERIA』と轟木篤子にまつわる騒動など、いっさい伝わっていないのだろう。寺林副部長もいつになく上機嫌で、めぐるたちに笑顔を向けていた。


「えーとえーと、ちょっと待ってね! いま、キャッカンテキな自分を引っ張り出すから!」


「なんだよ、そりゃ? まさか、俺たちのステージにケチをつけようってのか?」


「そーゆーわけじゃないってば! フクブチョーたちのバンド、かっちょよかったよー! ウチ、もともと原曲だって好きだったしさ!」


「へえ、そうなのかよ? 一年坊のくせに、感心だな」


「あはは! フクブチョーだって、二歳しか変わんないじゃん! なんであんな古い曲ばっかりカバーしてるのー?」


「そりゃあ最近のバンドも悪くねえけど、やっぱ80年代から90年代に活躍したバンドってのは、勢いが違うだろ。……ま、こんな話も先輩の受け売りだけどさ」


 そんな具合に、町田アンナのおかげで寺林副部長の存在を持て余すことにはならなかった。

 それにやっぱり寺林副部長も、決して悪い人間ではないのだろう。いささかならず短慮な人柄ではあったものの、それも素直な性格の裏返しであるのだ。


「『イエローマーモセット』は、やっぱり最高ですよ! けっきょく週一の練習しかできなかったのに、春よりもパワーアップしてましたもんね!」


 と、もう一名の男子部員たる小伊田も笑顔でこちらに近づいてきた。


「もちろん僕は『KAMERIA』も大好きなんですけど、なんていうか、対照的な魅力ですよね! 『イエローマーモセット』はドキドキしますけど、『KAMERIA』はゾクゾクしちゃうんです!」


「なんだよ。ボキャブラリーが壊滅的だな。……ま、なんだかんだ言っても、こっちはコピバンだからな。オリジナルであんなムチャクチャをやれるお前たちは、大したもんだよ」


 と、寺林副部長は妙にしみじみとした調子で息をついた。


「全員一年坊であんなライブをやれるなんて、ちっとばかり……いや、尋常でなく規格外だよな。リズム隊は、本当にどっちも初心者なのかよ?」


「ええ。虚偽の申告はしてませんよ」


「ふん。入部当時は偉そうなことを言っちまったけど、もう俺に教えられそうなことなんて残ってなさそうだな。どこかのスクールに通ったみてえに、基礎はできあがってるからよ」


 そんな風に言ってから、寺林副部長はじろりとめぐるのほうをねめつけてきた。


「ただ、ベースはやりたい放題だよな。お前がもうちっと大人しくしてりゃあ、音も演奏ももっとまとまるんじゃねえの?」


「めぐるは、これでいいんだよー! ウチらはちっちゃくまとまるつもりなんて、これっぽっちもないんだから!」


「ああそうかよ。それじゃあ好きなだけ、爆音を鳴らしてりゃいいさ。……それでそっちは、この先どうする予定なんだ? 夏にはあちこちの野外フェスを荒らしてたってんだろ?」


「ウチらは来月、ライブだよー! 『ジェイズランド』だから、センパイがたもヒマだったらよろしくねー!」


「へえ! またライブをやるんだね! 何かのイベントに出るの?」


「ううん! 普通のブッキング! どんなバンドが集められるかは、テンチョーさん次第だねー!」


「普通のブッキングで、ライブをやるのか」と、寺林副部長はいくぶん悔しそうな顔をした。


「……来月の、いつだよ? ヒマだったら、観にいってやる」


「ありがとー! ちょうど一ヶ月後の土曜日だよー!」


「えーっ! 十一月の最終土曜日ってこと? その日は、修学旅行だよ! なんだ、残念だったなー!」


 と、小伊田は肩を落としてしまう。そういえば、秋にはそんな行事も存在するのだった。

 そんな調子で騒いでいると、時間はあっという間に過ぎてしまう。時刻が午後六時の五分前となったところで、宮岡部長は「さて」と手を打ち鳴らした。


「名残惜しいけど、今日はここまでだね。鍵はわたしが返しておくから、みんなは先に帰っていいよ。忘れ物をしないようにね」


「はーい! お疲れ様でしたー!」


 宮岡部長を除く面々は、それぞれの楽器を担いで部室の外に出る。

『KAMERIA』のメンバーは、これから『V8チェンソー』のメンバーと食事会だ。しかし、裏門を出たところで、町田アンナが轟木篤子を呼び止めた。


「あのさー、ちょっと話があるんだけど。五分だけ、時間をもらえる?」


 ハードケースを抱えた轟木篤子は、やぶにらみの目で町田アンナを見返す。

 他の部員たちはいくぶんいぶかしげな面持ちであったが、「お疲れ様」という言葉を残して立ち去っていった。


 校内にはずいぶん居残っていた人間が多かったようで、裏門からは続々と制服やジャージ姿の生徒たちが出てくる。それを避けるために、一行は学校を囲むフェンスに沿って十メートルほど移動することにした。


 これは、あらかじめ決められていた段取りとなる。何につけ直線的である町田アンナは、今日の内にすべての決着をつけておきたいと主張していたのだ。めぐるとしても、その言葉に異論はなかったのだが――ただ、痛いぐらいに心臓が跳ね回るのを抑制することは難しかった。


「で、何の用? あんまり期待できる顔つきじゃないみたいだね」


 ハードケースを地面に下ろした轟木篤子は、あらためて町田アンナをにらみつけた。

 それと相対する町田アンナも、いつになく引き締まった面持ちである。そうすると、もとが西洋的な彫りの深い顔立ちであるため、彼女は誰よりも精悍に見えた。


「面倒な話は、これっきりにさせてもらおうと思ってさ。……ウチと理乃は、絶対にあんたの誘いには乗らないから。この先、二度と、そんな話は持ち出さないでもらえない?」


「ふうん。今日のステージを観ても、まったく心は変わらなかったってことか」


「うん。そっちのバンドはかっちょよかったし、あんたのベースも上手だと思うよ。でも、ウチらはめぐると和緒のプレイが好きなの。ずっとこの四人でやっていくつもりだから、あんたはあんたで理想のメンバーを探してよ」


「それは、食わず嫌いなんじゃない? 前にも言ったけど、あたしだったらもっとあんたたちの魅力を引き出せるはずだよ」


 轟木篤子は、引き下がらない。

 しかし町田アンナも決して我を失うことなく、ただ力強い言葉を返した。


「ウチはそう思わないし、たとえそうだったとしても、あんたとバンドを組む気にはなれないね。ウチと理乃はプレイヤーとしてだけじゃなく、人間としてもめぐると和緒が大好きだからさ。バンドってのは、人間関係もジューヨーでしょ?」


「人間関係、か。そんなの、自分の心がけしだいでしょ。あたしだって寺林との相性は最悪だけど、今日までやってこれたんだからさ」


 そう言って、轟木篤子はずいっと身を乗り出した。


「結論を出す前に、あたしといっぺんプレイしてみない? そうしたら、あんたにもあたしの言葉が理解できるはずさ」


「やだよ。そんなの、恋人がいるのに他のやつとデートするようなもんじゃん」


「結婚相手を探すには、そういうやり口も有効だと思うけどね」


「だったら、ウチらはもう結婚してるようなもんなんだよ。フリンのお誘いなんて、大迷惑なだけさ」


 町田アンナはきりっとした面持ちで、そのように言いつのる。

 すると、轟木篤子は深々と溜息をついた。


「まったく、嫌われたもんだね。こっちは筋を通そうとしたのに、それが裏目に出ちゃったわけか」


「ん? なんの話?」


「陰でこそこそ誘うのは筋が通らないから、四人そろってる場で誘ったんだよ。あんたはそれで、あたしにムカついたってわけでしょ? まったくもって、逆効果だったね」


 すると町田アンナは、初めて困惑したように眉を下げた。


「だからあんたは、ウチらの目の前でめぐるを小馬鹿にしたわけか。そんなの、逆効果に決まってるじゃん」


「あたしは小馬鹿にしたつもりはないよ。ただ、事実を口にしたまでさ」


「だから、その言い草がムカつくんだよ。あんただって、メンバーのプレイスタイルを小馬鹿にされたら、ムカつくでしょ?」


「いや。そんなセンスのないやつは、鼻で笑うだけさ。宮岡はもちろん寺林だって、そこまで悪い腕じゃないからね」


「だったらウチらも、鼻で笑えばよかったの? ……きっとあんたは、エフェクターを使いまくるベースが好みじゃないんだろうね」


「もちろんさ。ベースで一番いい音を鳴らせるのは、アンプ直なんだからね。せっかくのリッケンベースをエフェクターで歪ませまくるなんて、論外だよ」


「へえ」と、和緒がクールに口をはさんだ。


「でも往年のベーシストでも、リッケンベースを使いながら音を歪ませまくってる人なんて珍しくないみたいじゃないですか。以前、楽器屋の店員さんがそんな風に力説してましたよ」


「……メタルやプログレってのは、あたしの好みじゃないんだよ」


「つまりは、好みの問題なわけですね。こちらの町田さんや栗原さんは、歪みまくったベースの音がお好みのようですよ」


「そーゆーこと! 歪みを踏まない曲だって、めぐるのベースは最高だからね!」


 と、町田アンナはやおら本来の朗らかな笑みを復活させた。


「ウチらはもう、理想の相手と巡りあっちゃったんだよ。だから、あんたの期待には応えられないの。ウチらにつきまとうのは時間の無駄だから、あんたも頑張って理想のメンバーを見つけてよ。あんただったら、きっとまたかっちょいいバンドを作れるさ!」


「だけどあたしには、あと四年ちょいの時間しかないんだよ。大学を出る前に、音楽で食べていく道筋を作らないといけないんだからさ」


 轟木篤子のそんな言葉に、和緒はポーカーフェイスのまま小首を傾げた。


「あなたは、家が厳しいそうですね。それが親との約束というわけですか?」


「ああ、そうさ。あたしは中学時代から、親の出す条件を乗り越えながらバンド活動を続けてきたんだよ。それも、大学の卒業まででタイムアップってわけさ」


「ふうん。成人したら、親の干渉なんてどうとでもできそうですけどね。こっそりお金を貯めて、家を出ちゃえばいいんじゃないですか?」


「そうしたら、地獄の果てまで追いかけられて、半殺しだろうね。あたしが五体満足でバンドを続けるには、大学の卒業までにメジャーデビューするしかないんだよ」


「それはなかなか、難儀な話ですね。だけどまあ、こちらのお二人をお譲りしたところでメジャーデビューできる保証はないので、無用の罪悪感は抱かずに済みそうです」


「そうですね。それにやっぱり、根幹の違いが理解できたように思います」


 と、ついに栗原理乃も凛々しい面持ちで口を開いた。


「私たちは、メジャーデビューを一番の目標にして活動しているわけではありません。私やアンナちゃんとバンドを組んだら、あなたはさぞかしもどかしい思いを抱え込んでしまうことでしょう」


「ふん。あたしの動機が不純だとでも言いたいわけ?」


「いえ。あなたも永続的に音楽活動を楽しむためにメジャーデビューというものを目指しておられるのでしょうから、それを不純だとは思いません。ただ、立場が違っているというだけです」


「そーだね! メジャーデビューを目標に頑張るっていうのは、ウチらの性分じゃないからさ! やっぱりウチらとあんたは、一緒にバンドをやる運命じゃなかったんだよ!」


 おひさまのように笑いながら、町田アンナはそう言った。


「でもウチは、あんたにも頑張ってほしいと思うよ! だから、理想のメンバーを探して頑張ってよ! それでいつか、一緒にライブをやれたら嬉しいかな!」


「……ふん。あんたたちは色恋沙汰でも、そうやって言い寄ってくる男どもを笑顔で蹴散らしていくんだろうね。せいぜい刺されないように気をつけるこった」


 轟木篤子は最後に『KAMERIA』のメンバーをにらみ回してから、ハードケースを持ち上げた。


「それじゃああたしは、帰らせていただくよ。この後にも、地獄の受験勉強が待ってるんでね」


「うん! 大変だろうけど、頑張ってね! ウチらも応援してるからさ!」


 轟木篤子は何も答えず、立ち去ろうとした。

 ずっと発言の機会をうかがっていためぐるは、そこでようやく「あの!」と声をあげてみせる。


「わ、わたしはその……先輩の行動に、すごく心をかき乱されて……メンバーのみんなにも、すごく迷惑をかけちゃいましたけど……そのおかげで、自分の気持ちを見つめなおすことができました。だから……あ、ありがとうございます」


 知らん顔をしていた轟木篤子は、黒縁眼鏡の向こう側できょとんと目を丸くした。


「……なんであたしが、あんたにお礼を言われなきゃならないのさ?」


「で、ですからそれは、さっき説明した通りで……先輩がいなかったら、わたしは自分がどれだけ恵まれているかも実感できなかったでしょうし……あ、いえ、それは実感しているつもりでしたけど、まだ認識が甘かったっていうか……」


「それでも、あたしにお礼を言う筋合いはないでしょうよ」


「い、いえ。先輩には、感謝しています。それに、先輩はすごいと思います。家がそんなに厳しいのに、受験勉強とアルバイトとバンド活動を両立させるなんて……わたしには、とうてい真似できません。だから……どうか、頑張ってください」


「……だったら、そっちの二人を譲ってくれない?」


「い、いえ! それだけは、どうしても無理なのですけれど……」


「冗談だよ」と、轟木篤子は苦笑する。

 それは、彼女が初めて見せる笑顔であった。


「あんたがベースでさえなかったら、真っ先に引き抜きたかったのにさ。地獄に落ちやがれ、この変態ベース野郎」


 それが、轟木篤子の最後の言葉であった。

 ハードケースを重そうに抱えた後ろ姿が、すっかり日の落ちた街路の向こうに遠ざかっていく。十月も終わりに差し掛かり、いよいよ日は短くなっていた。


「あー、やっとスッキリした! 言いたいこと言って終わりにしようと思ってたけど、あいつも意外に悪いやつじゃなさそうだったねー!」


「はてさて。受験が終わったら、またしれっとスカウトしてくるかもしれないけどね」


「そのときは、また追い返すだけさ! なんだったら、メンバー探しに協力してあげてもいいけどね! あいつだったら、すっげーかっちょいいバンドを作れそうだしさ!」


 そう言って、町田アンナはオレンジ色のエフェクターボードを振り上げた。


「じゃ、ブイハチのみんなと合流しよっか! もっとじっくり、今日の感想を聞いておきたいしねー!」


 めぐるは邪心なく、「はい」と応ずることができた。

 そしてもういっぺん、轟木篤子の消えていった街路の果てへと視線を巡らせる。

 どうか彼女にも、素晴らしい出会いがもたらされますように――誰よりも恵まれた環境を授かることになっためぐるは、そんな風に祈ることしかできなかった。

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