06 オンステージ
『ハロー、エブリワン! ウィーアー、「KAMERIA」!』
四種の楽器が鳴らされる中、町田アンナがおどけた調子でそんな声を張り上げた。
さまざまなお国の血を受け継いでいる彼女であるが、いかにも英会話とは無縁そうなカタカナ英語の発音である。町田アンナはどうせ覆面をかぶるならば、普段と異なるキャラクターを演出してみたいと発案していたのだった。
『ファーストソング! チイサナマド!』
曲名を示す日本語まで、おかしな発音になってしまっている。めぐるは思わずくすりと笑ってから、右手の親指を4弦に叩きつけた。
『小さな窓』のリフとなる、スラップだ。ビッグマフとソウルフードおよびラットを使用した歪みの音色が、背後のアンプから暴風のように吹き荒れた。
ただし、B・アスマスターの音色に比べると、温かみを感じるほどである。
しかしベース本来の音色を考えれば、極悪きわまりないのだろう。リッケンベース本来の持ち味を活かしたいと願いつつ、歪みの音色ではこれっぽっちも妥協できないめぐるであった。
そして、ギターとドラムとピアノの音色も、そこにかぶせられてくる。
町田アンナは、この『小さな窓』でラットを使用していた。そちらもまた、派手に歪んだ音色である。ベースの重低音を補強するような分厚さを備えつつ、それよりも際立っているのは鋭い刃のような響きだ。しかもアンプはマーシャルであったので、町田アンナのギターサウンドもめぐるに負けないぐらい獰猛な様相であった。
それにやっぱり町田アンナは、フレーズそのものが獰猛である。このイントロなどは基本的にコードをかき鳴らすバッキングであるのだが、六本の弦が奔放に暴れて、ベースでは届かない高みの領域を存分に引き裂いていた。
栗原理乃のピアノも、それに負けない勢いで狂騒的な音色を奏でている。「イントロのインパクトがジューヨーだよ!」という町田アンナの提案に従って、栗原理乃は最初から速弾きの技巧を披露していた。
それらの音色を、和緒のドラムががっしりと支えている。
やはり和緒もバスドラのペダルを購入して以来、もともとの力強さと安定感がさらに増していた。轟木篤子には、どうしてこの魅力が伝わらないのか。めぐるはすでにハルのドラムの心地好さも体感していたが、それ以上に和緒のドラムに魅了されていた。
和緒がドラムを始めてから、すでに五ヶ月以上が過ぎている。
めぐるなどは、半年以上だ。もちろん町田アンナや栗原理乃に比べれば、実にささやかなキャリアであろうが――しかし少なくとも、和緒のドラムは初心者の域を超えている。町田アンナばかりでなく、『V8チェンソー』の面々までもがそのように保証してくれているのだから、その事実を疑うことはできないはずであった。
しかしまあ、そのような小理屈はどうでもいい。めぐるにとって和緒は最高のドラマーであるという、重要であるのはその一点であった。
めぐるがそんな想念にひたっている間に、楽曲はAメロに突入する。
栗原理乃はピアノを弾く手を止めて、あの魅惑的な歌声を振り絞った。
やはり本日も、モニターの返しを上げる必要はなかった。どれほどの轟音が響きわたろうとも、栗原理乃のヒステリックなバイオリンめいた歌声は何よりも鮮烈に世界を駆け巡った。
町田アンナはラットをオフにして、アンプの歪みだけで荒々しいバッキングにいそしむ。部室のミニアンプでは再現できない構成だ。マーシャルのアンプというのは、エフェクターの力を借りずともこれだけの激しい音を奏でることがかなうのだった。
いっぽうめぐるは、ルートに沿ったスラップを披露する。
こちらも夏頃に比べると、よほど装飾の音符を加えることができていた。この二ヶ月ていどで、めぐるたちもそれだけの練習を重ねてきたのだ。
Bメロでは全員が音圧を抑えて、栗原理乃が歌いながら繊細なピアノの音色を加える。
あれこれ模索してみたが、この『小さな窓』ではけっきょく町田アンナのコーラスも加えられなかった。町田アンナの歌声は魅力的であったが、すべての楽曲で活用できるわけではないのだ。
しかし、それを物足りなく思う人間はいないことだろう。栗原理乃はたとえひとりでも不足のない歌唱力と表現力を持っているのだ。それを証し立てるべく、栗原理乃は繊細なBメロから荒々しいサビへと移行した。
町田アンナはラットをオンにして、めぐるはスラップでリフを奏でる。そして和緒も、音数と音圧で楽曲の盛り上がりの中核を担った。その上で、栗原理乃はアイスブルーの雷鳴めいた歌声を響かせた。
普段と異なる音響の具合も、まったく気にならない。
めぐるは普段以上に、幸福な心地であった。
そうして短い間奏から二番のAメロに差し掛かり、しばし出番のなくなっためぐるはエフェクターを切りつつ客席へと視線を転じる。
町田アンナの妹たちは、本日も満面の笑みで飛び跳ねていた。
軽音学部の面々は、それぞれステージ上の演奏に見入ってくれている。そしてその背後に、ちらほらと人が集まり始めていた。制服やジャージを着たこの学校の生徒たちや、私服姿の少年少女たちが、あるいは笑顔で、あるいは驚嘆の面持ちで、パイプ椅子から腰を上げたのだった。
めぐるは取り急ぎ、ステージ上にも視線を巡らせる。
栗原理乃はやわらかなタッチで鍵盤を叩きつつ、それ以外は直立不動で、機械人形めいた歌声を振り絞っている。
その向こう側で、町田アンナは小刻みに身を揺らしつつ、ミュートを多用したリフを弾いている。やはり演奏が抑えめの場面では、彼女もむやみに暴れたりはしないようだ。
そして和緒は栗原理乃よりも真っ直ぐに背筋をのばして、淡々とリズムを刻んでいる。紙袋の覆面と相まって、そちらも機械人形であるかのようだ。スティックの振り幅の均一さと、そこからもたらされる安定した音色が、いっそうそんな思いを強めるのかもしれなかった。
ふた回し目からはベースも加わるので、めぐるは視線を指板に戻す。
この二ヶ月ばかりの鍛錬で、少しは指板を見ずに弾けるようにはなっていたが――しかしめぐるは、必要以上に顔を上げる気持ちにはなれなかった。めぐるは耳から得られる情報だけで、十分に幸福な心地であったのだ。
(もしかして……みんなが紙袋なんてかぶってなかったら、もっと見ていたいって気持ちになるのかもな)
そうしてひときわ繊細なBメロに至り、サビではこれまでの分を取り返すように爆発する。
町田アンナは楽曲の中に緩急を織り込むことを好んでいたし、Cメロ以外はずっと同じコード進行である『小さな窓』に関してはいっそうそれが顕著であった。それで他のメンバーも、静から動に移り変わるダイナミクスをひときわ意識しているのだった。
その成果として、めぐるはとてつもない昂揚を覚えている。
時には、寝不足で体調のおかしかった初ライブのときのような浮遊感を覚えることもあり――そして本日も、それに含まれた。猛烈なる音の奔流に巻き込まれて、めぐるは宙に浮いているような心地であった。
しかし、意識が消されてしまいそうな危うさはない。
めぐるは激しく昂揚しながら、その浮遊感をも楽しむことができた。和緒のドラムも町田アンナのギターも栗原理乃の歌とピアノも、何もかもが心地好くてならなかった。
そんなさなか、めぐるはふっと顔を上げてしまう。
練習中にはなかったことだが、みんなはどんな様子であるのかと確認したくなってしまったのだ。
栗原理乃は荒々しく鍵盤を叩きながら、それでもまったくの無表情で、機械人形の咆哮めいた歌声をほとばしらせていた。
町田アンナはモニタースピーカーに片足をかけて、豪快なバッキングを披露している。
和緒もまた、基本の印象は変わらないまま、ただスティックの振り幅と音数を増やすことで迫力の増加に寄与していた。手足だけが躍動して、体の軸がいっさいブレないのが、和緒のプレイスタイルである。
めぐるは存分に心を満たされながら、指板に目を戻した。
サビが終われば、ギターソロだ。町田アンナは、ここでダイナドライブを追加した。町田アンナは長らく愛用していたそちらのエフェクターを、ラットのブースターとして使う決断をしたのだ。
ギターの音もフレーズも、これまでで一番の迫力と荒々しさを見せる。
めぐるはルートの進行に従った派手なスラップであるが、もはや町田アンナの音が埋もれることはない。マーシャルのアンプでラットを使用する限り、町田アンナはめぐると同等以上の暴力的な音を奏でることがかなうのだった。
また、ソロの裏では栗原理乃がピアノのバッキングを担ってくれている。それがめぐるのスラップや和緒の織り成すリズムとがっしりスクラムを組んで、町田アンナの躍動を支えていた。
それからダークな雰囲気であるCメロを経て、最後の大サビに突入する。
大サビからアウトロは、この楽曲で最大の盛り上がりだ。めぐるは再びの浮遊感に見舞われながら、『小さな窓』を終了させることがかなった。
『サンキュー! アーユーハッピー?』
曲が終わるなり町田アンナが声を張り上げると、ノリのいい人々が欧米人のように「イエーイ!」と同調した。
めぐるは多少の気恥ずかしさを覚えつつ、チューニングを確認する。やはりたったの一曲でも、多少の狂いが生じていた。
『オッケー! ネクストソーング! ……アオイヨルトツキノシズク!』
次はいよいよ、初のお披露目となる新曲である。
それに選ばれたのは、長らくタイトルもつけられていなかった六拍子の楽曲であった。町田アンナが考案したフレーズとコード進行から発展させて、みんなで練りあげた楽曲だ。
ほんのひと月ほど前にようやく決定された曲名は、『青い夜と月のしずく』となる。
それは『小さな窓』や『転がる少女のように』とはまったくテイストの異なる、幻想的な歌詞であった。栗原理乃は萩原朔太郎という詩人の作品からインスパイアされたとのことである。
まずは栗原理乃が、こまかな雨粒のようなタッチで物悲しいフレーズを奏でる。
しばらくして、和緒がライドシンバルでひっそりとリズムを重ねた。
それらの旋律に、町田アンナのもたらすハウリングの音色があやしくかぶせられ――それに呼応するように、ピアノとシンバルの音色も音量と切迫感を増していく。その最果てで、四人全員が同時に激しく音を鳴らした。
めぐるは、B・アスマスターとラットをブレンドした音色である。
和緒は表の拍でバスドラを鳴らしつつ、スネアとシンバルを乱打する。ベースはそれに合わせてローからハイまでひっきりなしに駆け巡り、スライドとグリスとビブラートとチョーキングを多用する、現在のめぐるには限界いっぱいの難解なフレーズであった。
その裏で、町田アンナはギターをかき鳴らしている。ハイポジションの、耳に突き刺さるようなカッティングだ。
そして栗原理乃は、左手で低音のバッキングを奏でながら、右手でヒステリックな速弾きを披露する。まるでピアノが苦悶にのたうち回っているかのようであった。
これは『小さな窓』よりも、さらに荒々しいイントロであろう。
以前はこれほど、極端な構成ではなかった。めぐるがB・アスマスターというエフェクターを持ち込んだことにより、このようなアレンジが発案されたのだった。
「このままいくと、カバー曲が一番激しいってことになっちゃいそうじゃん? それじゃあ何か悔しいから、この曲をめいっぱい極悪に仕上げちゃおうよ!」
そのように言い出したのは、町田アンナである。
そうしてアレンジが固められていくにつれて、なかなか進行しなかった歌詞までもが速やかに完成させられたのだった。
やがて十六小節に及ぶイントロが終了すると、一気に音圧が減じられる。
ギターとベースは頭の音をのばし、そのままフェードアウトする。あとは繊細なタッチに戻されたピアノと音数を抑えたドラムだけで、Aメロが綴られるのだ。
そこで解き放たれる歌声は、声音もメロディも歌詞も哀切で、真っ暗な夜の闇を連想させた。
めぐるとしては、ワルツを思わせる曲調に思えたが――ワルツというのは三拍子で、六拍子とは根幹から異なっているという話である。しかし何にせよ、それはめぐるが思い描く哀切なワルツそのものの様相であった。
同じリズムでBメロに入ったならば、ベースは頭の音だけを弾き、ギターはハイフレットでアルペジオという技法を見せる。ベースはラットを切ったB・アスマスターの粘ついた音、ギターはボリュームを絞ったクリーンの音である。ボリュームを絞ると、あれだけ歪んでいたアンプの音色もこれほどに美しく響くのだ。
そしてサビではギターのボリュームがマックスに戻されて、ラットもオンにされる。それと同時にベースもラットをオンにするのが、めぐるにとっては愉快な心地であった。ギターとベースが同じエフェクターを同じタイミングで踏むというのが、めぐるの心をくすぐってならないのである。
しかしもちろん同じエフェクターでも、ギターとベースでは音色が異なる。楽器の周波数も、ツマミのセッティングも異なっており、なおかつベースはソウルフードでブーストしている上にB・アスマスターとブレンドさせており、ギターはマーシャルアンプの歪みを活用しているのだ。同じていどの獰猛さを剥き出しにしながら、ギターとベースはそれぞれ異なる音色でサビの激しさを体現させた。
和緒のドラムもそれに相応しい乱打を見せて、ピアノは比較的シンプルなバッキングだ。ただし、何より際立っているのは、栗原理乃の歌声であった。
すべての激しい音色は、あくまで歌の伴奏なのである。
これだけの荒々しい伴奏にも負けることなく、栗原理乃の歌声は鮮烈に、そして限りない哀切さも保持したまま、めぐるの心を揺さぶってくれた。
(わたしや町田さんが好きなように音を鳴らせるのは、リズムを支えてくれるかずちゃんと……それに、こんな凄い歌声を持っている栗原さんのおかげなんだ)
重々しくも激烈な轟音の奔流に身も心もゆだねながら、めぐるはそんな思いを噛みしめた。
どのような楽曲においてもドラムが重要なのは、当然の話である。リズムの要であるドラムが不安定であったならば、ギターもベースも本領を発揮させることは難しいだろう。
しかしそれと同じぐらい重要であるのは、ヴォーカルであった。
きっと並大抵の歌声であったなら、これほどの轟音には太刀打ちできないのだ。もしかしたら声量などはPAの加減でどうにかできるのかもしれないが、めぐると町田アンナは歌声を脅かすほどの極悪な音を鳴らしているのだと思えてならなかった。
つまりは、声質の問題である。
こんな暴風雨のごとき演奏の中でも、栗原理乃の歌声は何よりも鮮烈な存在感で君臨している。むしろ、周りが派手に騒げば騒ぐほど、主人公たる歌声の存在が際立つかのようであった。
(だから……轟木先輩も、栗原さんとバンドを組みたいって思ったのかな)
そんな思いが落ち葉のように舞い、すぐさま轟音の向こうに吹き飛んでいった。
重い六拍子のリズムで、世界が震撼している。実際の世界はどうだかわからなかったが、めぐるの世界はまぎれもなく揺れていた。これは、『KAMERIA』の他の楽曲でも味わえない感覚であった。楽曲にはそれぞれ独自の魅力があり、めぐるにとってはどれもかけがえのない存在であった。
最初のサビが終わったならば、すぐさま二番のAメロに突入する。
そちらではギターとベースも極悪に歪んだ音色のまま頭の音を鳴らし、ドラムはいくぶん不規則にタムやスネアを叩き、歌声も繊細なだけではない切迫した空気を漂わせた。
そしてそのまま、間奏へと移行する。
そちらでは、ギターとピアノがソロプレイの掛け合いを見せた。
ベースとドラムはどっしりとリズムを支え、その上でギターとピアノが跳ね回る。めぐるはいつも、この場所でピエロを連想した。青黒く閉ざされた空の下で、ほのかな月明りに照らされながら、二人のピエロが泣きながら踊っているようなシーンを思い浮かべてしまうのだ。
そちらのダンスは、スネアの連打によって終止符が打たれる。
そして、自らのピアノだけを伴奏にして、栗原理乃はBメロを歌いあげた。
歌もピアノも、哀切さの極致である。
まるで、機械人形が泣いているかのようだ。
そちらの最後の一小節で、ベースが無遠慮な乱入を果たす。
エフェクターをオンにして、極悪に歪んだ音色でハイフレットにスライドさせ、最後にビブラートで音を震わせる。それを合図にして、また轟音の奔流たるサビが展開された。
サビは一番の、倍の長さとなる。
そしてその後半部で、初めて町田アンナが歌声を響かせた。
栗原理乃はもともとのメロディを継続し、町田アンナが低い音程でハーモニーを奏でる。彼女の歌声に栗原理乃ほどの存在感を求めることはできなかったが、しかし主旋律に厚みを持たせるには十分以上であった。
そうしてサビが終わったならば、ギターとベースとドラムは頭の音を長くのばす。その中で、ピアノだけが一番最初の繊細なフレーズを奏でた。
他なる楽器の音色がフェードアウトすると、ピアノもそれを追いかけるように音を弱めて、テンポもスローになっていき――最後はひっそりと息絶えるように、消失した。
何もかもが死に絶えたかのように、静寂が落ちる。
次の瞬間、それが歓声と拍手に叩き壊された。
めぐるがびっくりして顔をあげると、壇のすぐ手前に何十名もの人々が押し寄せている。そして、パイプ椅子に座ったままの人々とともに、盛大な歓声と拍手を送ってくれていた。
かつて『KAMERIA』が、これほどの祝福を届けられたことはない。
それでめぐるが呆然としていると、町田アンナが『サンキュー!』と声を張り上げた。
『ザンネンデスケド、ネクストガラストソングデース! ラストソーング! コロガルショージョノヨーニ!』
そうして町田アンナはめぐるたちにチューニングや休憩の猶予も与えず、『転がる少女のように』のイントロをかき鳴らした。
きっと彼女も、昂揚で我を失っているのだろう。口だけが笑いの形をした覆面の下では、満面の笑みを浮かべているに違いない。めぐるもまた、泣きたいような心地で笑いながら、和緒のスネアを合図にしてイントロのフレーズを奏でてみせた。




