03 新たな出会い
「次のお店は、ここだよー! ここはドラムのフロアもあるみたいだから、和緒もあれこれ試してみればー?」
「はいはい、おおせのままに」
『KAMERIA』の一行は、ついに五番目の店舗に入店することになった。
こちらの店舗はドラムばかりでなく、ギターとベースもフロアが分けられている。それで、二手に分かれることに相成った。
「和緒はめぐるをよろしくねー! ペダルに夢中になって、めぐるから目を離したらダメだよー?」
そんな言葉を残して、町田アンナは栗原理乃とともにギターのフロアに突撃していった。
めぐるは和緒とともに、階段をのぼる。手前に存在するのは、ベースのフロアであった。
「それじゃあ、さっさと済ませちゃうね。もうそんなに時間はかからないと思うから」
めぐるはここまでの道のりで、二十台以上に及ぶエフェクターを試奏していた。ベース用のエフェクターに関してはすぐに候補が尽きてしまったため、ギター用のエフェクターにまで手をのばしつつ、けっきょくいずれもピンとこなかったのだ。ここまで来れば、めぐるも今の自分に新しいエフェクターは必要ないのだろうという気持ちに固まりつつあった。
そうして棚に並べられているエフェクターを物色していると、年配の男性店員が笑顔で近づいてくる。こちらはお客もそう多くなかったので、無聊をかこっていたようだ。
「いらっしゃいませ。エフェクターをお探しですか?」
「あ、はい。その……空間系とかモジュレーション系とかを、色々と試しているんですけど……」
めぐるは恐縮しながら、棚に視線を走らせた。
一台だけ、まだ試奏していないエフェクターを発見する。種類は、コーラスであった。
「あ、あの……こ、こちらを試奏させていただけますか? もしリッケンバッカーのベースがあったら、それも貸していただきたいのですが……」
「リッケンですか。渋いですね」と、年配の店員はいっそう朗らかに笑う。リッケンバッカーのベースを渋いと称されるのは、これが二度目の体験であった。
「ただ残念なことに、リッケンは在庫がないんですよ。もともとリッケンは、生産数が多くないんですよね。よかったら、アイバニーズを試してみますか? リッケンとは音も弾き心地も違いますけど、いちおうスルーネックのタイプなんで。フェンダー系よりは感触が近いと思いますよ」
「そ、それじゃあ、それでお願いします」
めぐるの偏見かもしれないが、楽器店の店員というのは不愛想か面倒見がいいかの両極端に感じられてしまう。こちらの店員は、明らかに後者であった。
「じゃ、あたしはドラムのフロアでも覗いてこようかな」
和緒がいきなりそのように言い出したので、めぐるは思わず「えっ」と身をのけぞらせてしまった。すると和緒は、すかさず頭を小突いてくる。
「冗談だよ。エフェクター一台の試奏を待ちきれないほど、逸っちゃいないさ。ただ、そろそろ歩き疲れてきたよね」
「うん。いつの間にか、お昼を過ぎちゃったもんね。このお店が終わったら、ランチなんじゃないかな」
そうしてめぐると和緒が語らっていると、さきほどの店員が木目のベースを手に戻ってきた。心なし、フユがメインで使用しているワーウィックと似たようなボディシェイプである。そういえば、そちらもスルーネックという仕様であったのだ。
「お待たせしました。そちらの椅子を使ってくださいね。今、セッティングしちゃいますんで」
店員は、てきぱきとエフェクターの配線を繋いでいく。その間も、愛想のいい言葉が止まらなかった。
「僕も昔、リッケンベースをメインにしてたんですよ。リッケンは、いいですよね。武骨な音もデザインも唯一無二の感じがして、他のベースにはない魅力がありますよね」
「そ、そうですね」
「他にも試したいエフェクターがあったら、遠慮なく言ってくださいね。今までも、何かエフェクターを使っていたんですか?」
「はあ……歪みを少々……」
「お見合いかい」と囁きながら、和緒がこっそりめぐるの頭を小突いてくる。
それには気づかず、店員は瞳を輝かせた。
「リッケンで歪みですか。クリス・スクワイアがお好きなんですか? それとも、クリフ・バートンやレミー・キルミスターとか? ロジャー・グローヴァーもいいですよね」
「あ、いえ……アーティストのことは、詳しくないんで……」
「そうですか。リッケンベースもプレイヤーによって、まったくスタイルが違いますよね。まあ、それはどの機材でも同じことなんでしょうけど……リッケンベースはもともと個性的だから、そういうイメージがいっそう強くなるみたいです」
めぐるの頼りない返答に気落ちすることなく、店員は笑顔で配線を完了させた。
「それじゃあ、どうぞ。お好きなだけ試してみてください」
「あ、ありがとうございます」
めぐるはコーラスのエフェクターをオンにして、ベースを鳴らしてみた。
それを数秒ほど検分したのち、店員は「ごゆっくり」と言い残して立ち去っていく。その顔は、最後までにこやかであった。
(あんなににこにこ接客されたら、手ぶらで帰るのも申し訳ないけど……でもやっぱり、ピンとこないなぁ)
そもそも『SanZenon』のベーシストやフユなどは、歪みの音色に空間系やモジュレーション系のエフェクターを重ねることが多かったのだ。もちろん単体で使わないわけではないのだが、めぐるがもともと心をひかれていたのは重ねがけの音色であった。
(だからやっぱり、歪みの音が決まってから別のエフェクターを探すべきなのかな。まあそうすると、『あまやどり』なんかは使わないで終わっちゃいそうだけど……あの曲はトーンを絞った音だけで、他の曲とは違う楽しさがあるもんなぁ)
そんな風に考えながら、めぐるは試奏の手を止めた。
するとそのタイミングで、さきほどの店員が舞い戻ってくる。その手に何か、別なるエフェクターらしきものが携えられていた。
「おや、もうおしまいですか? そちらのエフェクターは、如何でした?」
「は、はい。ちょっと今回は、やめておこうかと……」
「そうですか。よかったら、こちらも試してみませんか? マレッコの、B・アスマスターです」
それは、ピンクとオレンジとダークブラウンが配色された、なかなか年代物であるらしいエフェクターであった。横長の形状で、ビッグマフほどではないが、いくぶん大きめのサイズである。
「はあ……そちらも、コーラスのエフェクターなんですか?」
「いえ。分類は、いちおうオクターブファズってことになってますね。そもそもは、ベースで金管楽器の音を出そうっていうコンセプトで開発されたブラスマスターというエフェクターがありまして。こちらは、そのブラスマスターの再現を目指したエフェクターなんです。金管楽器を意味する『brass』から『r』の字を取ると『bass』になるでしょう? だからこちらは、『B:ASSMASTER』という名称なわけです。一見するとベースマスターとも読めますし、なかなか洒落がきいてますよね」
いきなり熱っぽく語られて、めぐるは思わず言葉を失ってしまう。
すると、心優しき和緒がフォローしてくれた。
「オクターブファズってのは存じませんけど、ファズってのは歪み系でしょう? それも歪み系のエフェクターなわけですか?」
「はい。オクターブファズっていうのはその名の通り、ファズの歪んだ音にオクターブの音を加えるエフェクターなんですよ。ただこのB・アスマスターは、ちょっと趣が違ってますけれどね」
「でも要するに、歪み系なんですよね? どうしてコーラスのエフェクターを試奏してるこの子に、歪み系をおすすめするんです?」
「本家のブラスマスターは、さきほどご紹介したクリス・スクワイアとかが使用していて名前が売れたんです。ベースの歪み系の元祖のひとつでありながら、唯一無二のサウンドで、今でも愛好者は多いんですよ」
店員は、あくまで屈託がない。しかし、そのようなことで怯む和緒ではなかった。
「それならこちらもさきほどご紹介した通り、この子はすでに歪み系のエフェクターを持ってるんですよ。ベースって、そんないくつも歪みエフェクターを使い分けたりはしないもんでしょう?」
「でも、こちらのB・アスマスターは本当に個性的なサウンドですよ。もし他のオクターブファズをお使いでも、まったく別物に感じられることでしょう。無理やり売りつけたりはしませんので、話のタネに試奏だけでも如何です?」
つまりは、めぐるがリッケンバッカーのベースと歪み系のエフェクターを所持していると聞いたことで、こちらの店員は何らかのスイッチを押されたということであるようであった。
まあ、めぐるとしても強く拒む理由はない。それに、数々の試奏で空間系やモジュレーション系のエフェクターを試しまくっためぐるは、いささか歪み系の凶悪な音色が恋しくなっているところであった。
(もしかしたら、ラットよりこっちのエフェクターのほうが好みに合うかもしれないもんな。それならそれで、悪い話じゃないか)
そうしてめぐるは、新たなエフェクターの試奏に挑むことになった。
そして――度肝を抜かれることになった。
そちらはまさしく、これまで耳にしたこともないような音色であったのである。
確かに、強烈に歪んでいる。そこに、普通のベースにはありえないヒステリックな音色も入り混じっているようである。
しかしめぐるもバンド合宿で、歪みとオクターバーの重ねがけを試奏させてもらっている。あれはまさしく、歪んだ音にオクターブ音が追加されるという効果であったが――こちらは軋むような高音とうなるような低音が複雑にもつれあい、アンプの故障を疑いたくなるような破壊音めいたサウンドを炸裂させているのだった。
「ね? すごい音でしょう? 今はフルテンなんで飽和気味ですけど、ちょっと絞っても魅力的な音ですよ」
店員がひとつのツマミを下げていくと、ボウボウとうなっていた音色がギャリギャリとした金属的な音色に変じていく。しかし、重々しさと甲高さの奔流に変わりはなかった。
(ビッグマフにもラットにも似てない……こんな音は、初めてだ……でも、『SanZenon』の音源では、少し似た感じの音があったかも……)
しかし、重要であるのは『KAMERIA』の演奏で使えるか否かである。
めぐるはとめどもなく心臓が高鳴っていくのを感じながら、かたわらの和緒を振り仰いだ。
「あ、あのさ。この音って、六拍子の新曲に合いそうな気がするんだけど……どうだろう?」
「知らんよ。だけどまあ、ビッグマフの音よりは合うのかもね」
六拍子の新曲は、いまだタイトルや歌詞が確定していない。ただ、ビッグマフの音は合っていないし、素の音ではいささか物足りず、めぐるとしても音作りで悩んでいるさなかであったのだった。
「……こちらのエフェクターは、おいくらなんでしょう?」
めぐるがおずおずと問いかけると、店員は初めて「うーん!」と悩ましげな顔をした。
「実は、これから売り値をつけるところだったんですよね。そいつはリペア品で、箱も説明書もありませんから、多少の値引きを考えていたんですけど……大マケにマケて、二万八千円ってところですかね」
「に、にまんはっせんえんですか……」
「はい。新品だったら四万以上ですし、中古でも三万以下はなかなか見当たらないと思いますよ」
すると、和緒が魔法のようにスマホを操作した。
「本当だ。こちらの通販サイトでは、中古で三万二千八百円ですね。コピーモデルなのに、どうしてそんなにお高いんです?」
「それだけ立派なエフェクターであるということです。ちなみに本家のブラスマスターは希少なビンテージ品ということで、三十万や四十万という値で取り引きされていますね」
めぐるは、心の底から煩悶することになってしまった。
きっとこれが数ヶ月前であったなら、熱情のままに「買います」と言ってしまっていたに違いない。そこに歯止めをかけているのは、ここ数ヶ月の――というよりも、バンド合宿で得たさまざまな知識と体験に他ならなかった。
めぐるはフユから借りたエフェクターをこれから本格的に試そうとしているさなかであるのに、また新たなエフェクターを衝動買いしてしまっていいのか。しかも、当初から考えていた空間系やモジュレーション系ではなく、歪み系のエフェクターだ。これでもしもラットやソウルフードの購入も決定されたならば、めぐるはビッグマフと合わせて四種もの歪み系エフェクターを並べることになるわけであった。
そうしてめぐるは、悩みに悩みぬき――
「……帰りの電車の時間まで、考えさせていただいてもいいですか?」
本日は、そういった言葉を口にすることになったのだった。




