03 セッティング
「すげーすげー! センパイたち、チョーかっちょいーじゃん!」
三年生バンドが最初の演奏を終えるなり、町田アンナは大はしゃぎで手を打ち鳴らした。
「この曲、ウチも好きだったんだよねー! 原曲は男ヴォーカルなのに、ブチョーの歌声もめっちゃハマってるね!」
宮岡部長はペットボトルの緑茶で咽喉を潤してから、表情の選択に困っているような顔で微笑んだ。
「それはどうもありがとう。でも、あなたはコピバンに興味なかったんじゃなかったっけ?」
「コピーじゃなくってカバーだったらアリかなーって、最近になって思い直したんだよー! 男の曲を女が歌って、ツインギターを一本にまとめてたら、もう立派なカバーだもんねー!」
そんな風に言ってから、町田アンナは小首を傾げた。
「でも、こんなかっちょいいのにコンテストで落選しちゃったの? あんま他のバンドを悪く言いたくないけど、ブチョーたちが落選して『ケモナーズ』が準優勝ってのは、なんか不思議に思えちゃうなー」
「それこそ、わたしたちはコピバンで、あっちはオリジナルだしね。大会規定には書かれてないけど、やっぱりオリジナルの楽曲には加点されるんだろうと思うよ。それに……わたしたちがコンテストに参加したのは、去年の今頃の話だしね」
そのように応じつつ、宮岡部長は轟木篤子のほうを振り返った。
「今年の春ぐらいまではしっかり練習してたんだから、わたしたちもそれ相応にレベルアップしてるだろうさ。それに、篤子は……春から比べても、いっそう磨きがかかったみたいだね」
「へん。立派な楽器に買い替えて、音がよくなったってだけのこったろ」
無言の轟木篤子に代わって、ドラムの寺林副部長がそのように応じる。その顔に浮かべられているのは、どこか悔しそうな表情であった。
「まあ、これがベストベーシスト賞の実力ってことだよ。バンドのサウンドをまとめあげてくれてるのは、篤子のベースさ」
「うんうん! ベースも、めっちゃかっちょよかったねー! めぐるも、負けずに頑張ってよー?」
と、町田アンナがいきなりめぐるの肩を抱いてきた。
そして、笑いをたたえた鳶色の瞳が、至近距離からめぐるを覗き込んでくる。
「めぐるも、コーコツとしてるねー! いつもの調子で、ラブコールを送ってあげればー?」
「あ、いえ……わたしはそんな、大した感想も言えないので……」
めぐるは確かに感服していたが、我を失うほどではなかった。
轟木篤子のベースというのは、実に魅力的であったが――それでも根本の部分では、めぐるの好みと合致していなかったのだ。
(やっぱりわたしは指弾きで、エフェクターをたくさん使うプレイが好きなんだろうな)
たとえて言うならば、きわめて可愛らしい子犬と出くわしたような心地である。それがどれだけ可愛らしくても、めぐるが本質的に好んでいるのは猫であるのだった。
(でも、轟木先輩は本当に格好よかった。たぶん……『SanZenon』のベースの人とフユさんの次ぐらいだ)
格好よさに順番をつけるなど失礼きわまりないのであろうが、それがめぐるの率直な感想である。何にせよ、本人に聞かせられるような内容ではなかった。
「それじゃあまあ、こっちは練習を続けさせてもらうよ。新曲のほうは完成度も低いだろうけど、ご勘弁ね」
宮岡部長の宣言とともに、三年生バンドの練習が再開された。
それ以降にお披露目された二曲は、確かに一曲目ほどの調和は体現できていない。というよりも、一曲目の完成度とは比較にもならなかった。わずかばかりにリズムが乱れるだけで、音色の心地好さまで木っ端微塵になってしまったような印象であった。
しかしめぐるは、轟木篤子の力量に息を呑むことになった。
どんなにリズムが乱れても、轟木篤子はギターかドラムのどちらかにぴったりと寄り添っていたのだ。つまり、リズムが安定しないのは、ギターかドラムのどちらかが練習不足であるためであったのだった。
轟木篤子はなるべくドラムに寄り添おうとしているようであるが、そちらがあまりに不安定であると、見切りをつけたかのようにギターのほうに寄り添おうとする。そして、さっさとこっちに来いとばかりに、力強くベースを鳴らすのだ。ただし、寺林副部長はそれに気づいた様子もなく、最後までリズムを安定させられずにいた。
きっと先刻の宮岡部長の発言は、謙遜ではなかったのだろう。宮岡部長も寺林副部長も、めぐるから見ればそれなり以上の力量であったが――轟木篤子は、ひとつレベルが違っているのだ。二曲の新しい課題曲に関しても、彼女だけは頭から終わりまですべてのフレーズを完璧に弾きこなしていた。
(受験勉強と並行してベースの練習とアルバイトをしてるなんて、すごいなぁ。こういう性格の人は、ちょっと近寄り難いけど……でも、尊敬しちゃうなぁ)
そうして三十分ばかり練習を見学したのちは、部室の外で二年生の先輩がたと親睦を深めることになった。
まあ、そのお相手をしているのは、ほとんど町田アンナである。あとは和緒が時おり場をまぜっかえすだけで、十分に和やかな空気が形成されていた。
「それにしても、野外フェスのセッションはすごかったね! 『V8チェンソー』に見劣りしないなんて、本当にすごいよ! 遠藤さんなんて、見るたびにベースが上手くなってるしね!」
と、時にはそんな言葉を投げかけられて、めぐるもへどもどすることになった。
「でもさー、センパイがたはまだ二年生で、時間にもゆとりはあるんでしょ? それなのに、そんなのんびりペースでじれったくならないの?」
遠慮を知らない町田アンナがそのように問いかけると、先輩がたは気を悪くした様子もなく「あはは」と笑った。
「そういえば、言ってなかったっけ。僕たちは、校外のバンドがメインなんだよ。まあ、そっちもコピバンなんだけどね」
「あ、そーだったの? じゃ、部活のほうがオマケだったんだー?」
「うん。去年の新入部員は、僕たちしか残らなかったからね。先輩がたにヘルプをお願いするのも限界があったから、メンボでメンバーを集めたんだよ。でも、この学校の生徒じゃないと、部室は使わせてもらえないからさ。普段は、スタジオで練習してるんだ」
「そっかそっかー! そっちは、順調な感じ?」
「うーん、ぼちぼちってところかなあ。けっきょくライブなんて、年に数回のことだし……それも来年の春で、いったん終了だしね」
男子部員の小伊田の言葉に、女子部員の森藤も笑顔で「うん」とうなずく。
「でも、受験が終わったら、また同じメンバーでバンドを組みたいな。その頃には、オリジナル曲を作れるようになってるかもしれないしね」
「うん。まずは、進路次第だね。僕もなるべく、同じメンバーで再結成したいと思ってるよ」
こちらの両名はいつものんびりとしていて、和やかな雰囲気だ。そしてバンドに対しても、きわめてのんびりとしたスタンスで取り組んでいるようであった。
(まあ、楽しみ方は人それぞれだもんね。わたしだって、あれこれ手探りしてる最中だし……今日も練習、楽しみだな)
そうして正午が近づいてきたならば木陰で昼食を取り、食休みしてから部室に戻ることになった。
三年生バンドの面々は、すでに片付けに取りかかっている。部室にはエアコンがつけられていたが全員汗だくで、宮岡部長は上半身だけ体操着の姿になっており、轟木篤子は分厚い黒縁眼鏡をかけ直していた。
「ああ、戻ってきた。わたしたちは撤収するから、戸締りはよろしくね」
「はーい! おまかせあれー!」
町田アンナの元気な返答に、宮岡部長は苦笑する。寺林副部長は、轟木篤子と一緒に知らん顔だ。すると、宮岡部長がそちらの両名を振り返った。
「そういえば、二人はまだ一年生バンドの演奏を見たことがないんだよね。一曲だけでも、見学していったら?」
「ふん。見たことがないのは、こいつだけだろ。俺はさっさと帰らせてもらうぜ」
「ああ、テラは一回だけ出くわしてたっけ。でも、それはもう何ヶ月も前の話でしょ? この子たちは、あの頃とは比べ物にならないレベルに成長してるし……噂によると、わたしが拝見した八月の頭からも、さらに成長してるらしいよ」
「はい! この前の野外フェスも、すごかったですからね!」
と、小伊田がそのように口をはさんだ。
「稲見のフェスから一ヶ月も経ってないのに、すごくかっこよくなってました! まあ、『V8チェンソー』の人たちも参加してたんで、その影響も大きかったんでしょうけど……でも、レベルアップしてるのは確かだと思います!」
「そいつはますます、期待がふくらんじゃうね。……あんたたちも、最上級生なんだからさ。新入部員の活動に関しては、きっちり把握しておくべきじゃない?」
宮岡部長がそのように言いつのると、寺林副部長と轟木篤子はしぶしぶ承諾した。さすがは、部長の貫禄である。
まあめぐるとしては、ギャラリーなど少ないに越したことはないのだが――それでも、ようやく練習できる喜びのほうがまさっていた。どうして昨日の最終日にアルバイトを入れてしまったのだろうと、めぐるはずっと後悔していたのだ。バンド合宿で三日間を費やすために、なるべくアルバイトの日数を確保しておこうという考えであったのだが、おかげでめぐるは熱情を持て余してしまっていたのだった。
(何せ、合宿の間に色んな課題ができちゃったからなぁ)
悦楽に満ちみちたバンド合宿から帰還して、一昨日は朝から晩まで部室にこもっていたし、昨日も午前中は四人で練習に励んだのであるが、めぐるの熱情はとうてい収まっていなかった。
「おー! こんなにギャラリーがいたら、ちょっぴりライブ気分だねー! これは燃えてきちゃうなー!」
町田アンナは嬉々としながら、ロッカーからギグバッグを引っ張り出した。
他のメンバーもそれにならって、各自のロッカーを開帳する。すると、宮岡部長が「あれ?」と声をあげた。
「栗原さんは、キーボードを持参したんだ? しかも、ずいぶん立派なやつだね」
「あ、はい……これは、電子ピアノです」
栗原理乃は一昨日から、さっそく自前の電子ピアノを持ち込んだのだ。幅は百三十センチ、奥行きは三十センチ、厚みは十五センチていどという、実に堂々たるサイズである。そして、家で弾くあてのない彼女は、それをロッカーに仕舞いっぱなしにしていた。
「そっか。栗原さんは、もともとピアノを習ってたんだっけ。でも、あなたたちのバンドにピアノを取り入れるなんて……これはちょっと、想像がつかないね」
「そ、そうですか。まあ、そもそもの目的は歌メロのガイドですので……」
めぐるよりも気が小さい栗原理乃は、先輩部員たちの視線から逃げるように練習スペースへと足を急がせた。
めぐるはギグバッグとエフェクターボードを手に、それを追いかける。そうしてフユから借り受けたエフェクターボードの蓋を開くと、今度はこちらに「うわ」という言葉を投げかけられた。
「遠藤さんは、エフェクターが増殖しまくってるじゃん。しかも、ビッグマフに続いてラットと来たか。つくづく、荒ぶってるねぇ。こっちのエレハモは……ソウルフード? これって、どんなエフェクターだったっけ?」
「ソ、ソウルフードはオーバードライブだそうです。ラットの歪みをブーストさせるのに使っています」
「いわゆる、チューブ・スクリーマー的な? いやはや、驚いた。歪みのエフェクターを三つも並べてるベーシストなんて、初めて見たよ」
めぐるはたいそう恐縮しながら、チューニングに取り組んだ。
その間に、宮岡部長は町田アンナのほうに向きなおる。そちらはすでにセッティングを終えて、早くもギターをかき鳴らしていた。
「町田さんは、相変わらずダイナドライブ一発か。こりゃまた両極端だね」
「ウチもこれから、エフェクターを買いそろえる予定だよー! 今度の日曜日、みんなでお茶の水に行くんだー!」
そう、四日後にはそんなイベントも控えているのである。しかも前日には町田家に泊まり込み、買い物の後にはスタジオに入る予定であったため、めぐるはそちらでも胸を躍らせていたのだった。
夏は終わってしまったが、まだまだ残暑は厳しいし、夏の余韻が嫌というほど残されている。そして本年はめぐるの人生においてもっとも楽しい夏であったので、めぐるの幸福気分も継続中であるという次第であった。
(それで、十月には文化祭か……秋も、楽しくなるといいな)
そんな思いを噛みしめながら、めぐるはセッティングに勤しんだ。
そしてめぐるが視線を感じて、ふっと面を上げてみると――パイプ椅子に座って頬杖をついていた轟木篤子が、仏頂面で目をそらしたのだった。




