02 黒き雷鳥
「それじゃあ、一年生バンドも文化祭にエントリーするってことで、異論はないね? 生徒会の承認期間は来週いっぱいだから、何か事情があって辞退する場合はそれまでに報告すること。ただし、よっぽどの事情じゃないと、わたしは許さないけどね」
半分冗談、半分本気といった面持ちで、宮岡部長はそのように宣言した。
「それじゃあ次に、部室での練習についてだけど……これまで自由にやらせていた分、今度はこっちが融通をきかせてもらうよ」
「おーっ! 部室の争奪戦だねー! それって、どんな風に勝負をつけるの?」
「そんなにややこしい話にはならないさ。ただ、二年生バンドと三年生バンドで週に一回ずつは、部室を使わせていただきたいっていう話だよ」
と、宮岡部長は何か眩しいものでも見るように目を細めた。
「けっきょくこっちは両方のバンドに三年生が絡んでるから、週一ずつの練習が限界なの。あなたたちは、これまで週六で練習してたってんでしょ? それが週四に減るっていうだけの話さ」
「なるほどー! それでも残念は残念だけど、こればっかりはしかたないねー! めぐるも、暴れちゃダメだよー?」
「あ、暴れたりはしません。でも、それだったら……空いた日には、また音作りのためにスタジオに入ったりできませんか?」
「おー、さすがめぐるは、ゴウヨクのゴンゲだねー!」
「い、いえ。ただ、早く音作りを何とかしないと、フユさんにエフェクターをお返しするのがどんどん遅れてしまいますので……」
めぐるがそのように発言すると、視界の端で轟木篤子が身じろぎしたように感じられた。
しかしめぐるが目をやっても、彼女はあらぬ方向を向いたまま素知らぬ顔をさらしているばかりである。やはりめぐるは、いささか落ち着かない心地であった。
「で、週二回ってのは、何曜日と何曜日なのかなー?」
「それがちょっと不確定なんで、融通をきかせてほしいんだよ。その週ごとにスケジュールを決めるっていう形にさせてほしいんだけど、それでいいかな?」
「うん! どーせスタジオの個人練は前日にならないと予約できないから、問題ないねー! 理乃と和緒も、それでオッケーかなー?」
「週に二日も休息をいただけるなんて、ありがたい限りだね」
「う、うん。私も個人的な用事はほとんどないから……」
ということで、練習スケジュールに関しても速やかに解決した。
宮岡部長は、「よし」と首肯する。
「それじゃあ、今日のミーティングはここまでかな。あんまり話が長引くと、練習時間が削られちゃうからね」
「おーっ! ブチョーも燃えてるじゃーん! 今までは、ずーっと部室でくっちゃべってたのにさー!」
「そりゃあ、燃えるネタがなかったんだよ。夏休みの間に課題曲を選んで、ようやく練習できるようになったわけだからね」
と、宮岡部長は熱意もあらわに微笑んだ。
「それじゃあ今日は十二時半まで、わたしたちが部室を使わせていただくよ。あなたたちは自由にしてていいけど、それまでに戻ってこなかったら、鍵は職員室に返しておくからね」
「せっかくだから、最初は見物させていただくよー! ブチョーたちの演奏を見るのは初めてだもんねー!」
そのあたりの段取りは、昨日の内に整えられていた。めぐるたちは十二時半から午後の六時まで、たっぷり練習できるわけである。
「僕たちも、しばらく見学させていただきます。あの、轟木先輩……頑張ってください」
「ふん。練習の見学なんかで、何をそんなに気負ってるのさ」
小伊田がおずおずと熱情を伝えても、轟木篤子は素っ気ない。しかし、同じベーシストである小伊田がこれほどの熱情を抱いている轟木篤子のプレイがどのようなものであるのか、めぐるも期待をかきたてられてならなかった。
そうして三年生の三名が、それぞれのロッカーから各自の機材を引っ張り出したわけだが――そこで「おい!」と怒声をあげたのは、副部長の寺林であった。
「轟木! お前、そいつはどういうことだよ!」
いきなりの怒鳴り声に、めぐるは栗原理乃と一緒に首をすくめてしまう。轟木篤子がロッカーから取り出したのは、フユがバンド合宿で使用していたのと同じような巨大なハードケースであった。
「……どういうことって、なんの話さ?」
「そいつはギブソンのケースじゃねえか! 予備校通いで部室に顔を出す時間もないとか言ってたお前が、なんでそんな立派なベースを新調してるんだよ!」
ギブソンというのは、浅川亜季が愛用しているレスポールというギターと同じブランドである。それが1900年代の初頭から続く由緒正しい海外ブランドであるということを、めぐるはバンド合宿の場で聞き及んでいた。
「……あたしがベースを新調したら、あんたに何か迷惑でもかかるっての?」
「お前んとこは家が厳しいから、機材は自腹で買うしかないって言ってたじゃねえか! それでどうやって、そんな金をひねりだしたんだよ? お前……本当に予備校に通ってたのか?」
「通ってたよ。予備校にもアルバイトにもね」
「お前――!」
「何をそんなにいきりたってるのさ? こいつを買うには、バイトのシフトも減らせなかったんだよ。それで予備校通いまで重なったら、自由時間なんてゼロに等しいの。どうせ夏休みには課題曲も決まってなかったんだから、あたしがこいつをあきらめる理由はないでしょ?」
顔を真っ赤にして怒っている寺林副部長に対して、轟木篤子はうるさげに眉をひそめるばかりである。すると、ギグバッグとエフェクターケースを手にした宮岡部長が、怖い顔で割り込んだ。
「それは、順番が違うんじゃない? 最初にあんたが夏休みは忙しいって言い出したから、文化祭の準備は二学期に入ってからにしようって話になったんでしょ?」
「だから? どうせあんたたちは、二年生バンドのヘルプで手一杯だったんでしょ? それなら、結果は同じじゃん」
「結果は同じでも、筋が通ってないでしょうよ。それならあんたは、どうしてバイトを続けてることを黙ってたのさ?」
「こうやって、あれこれ騒がれるのが面倒だったからだよ」
轟木篤子は心底どうでもよさそうに、そっぽを向いた。
宮岡部長は溜息をこぼしつつ、ロッカーを閉める。
「もういいや。テラ、練習を始めようよ。何を言ったって、どうせこいつは聞きやしないからさ」
寺林副部長は「くそっ!」とロッカーを叩き閉めた。
その騒音にめぐるがまた首をすくめていると、和緒がこっそり囁きかけてくる。
「どうもこちらのバンドさんは、チームワークもへったくれもないみたいだね。あんただったら、耐えられないんじゃない?」
「う、うん。そうだね。……こんなにいがみあってて、きちんと演奏できるのかな……」
「そこは二年分、あたしらより大人なのかもね。まあ、こんな言い争いをしてる時点で、子供じみてるけどさ」
めぐるたちのかたわらでは、町田アンナが栗原理乃の耳もとに口を寄せている。きっとこちらと同じような言葉が交わされているのだろう。
すると、女子部員の森藤が内緒話に加わってきた。
「部長たちのバンドは、いつもこんな感じなんだよ。轟木先輩がマイペースで副部長が短気だから、すぐにぶつかっちゃうの。それをまとめる部長は、本当に大変だよね」
「はあ。あれでまとまってるんですかねぇ」
和緒の気安い返答に、森藤はくすりと笑う。
「いつもあんな感じだから、演奏に支障はないと思うよ。それに、この三人で練習するのは春休み以来のはずだけど……きっと轟木先輩は、腕も落ちてないんじゃないのかな」
「うんうん。何があっても家での基礎練は欠かさないっていう人だからね」
と、小伊田までもが加わってくる。とりあえず、こちらの両名は三年生の誰に対しても反感を抱いたりはしていないようであった。
そんな中、三年生バンドの三名はセッティングを進めていく。もちろんめぐるの目は、最初から轟木篤子の手もとに向けられていた。
やがて彼女がハードケースから取り出したのは――いささかならず奇妙なボディシェイプをした、真っ黒のベースである。それを目にするなり、小伊田が「うわあ」と感嘆の声をあげた。
「やっぱり、サンダーバードを買ったんですね! これまでもエピフォンのサンダーバードだったから、そうじゃないかって思ってました!」
「ふん。馬鹿のひとつ覚えで、悪かったね」
轟木篤子はやはり素知らぬ顔で、いびつな平行四辺形に丸みを与えたようなベースにストラップを装着する。ヘッドとボディのみならず、ペグやブリッジやピックアップまでもが真っ黒で、指板も限りなく黒に近いダークブラウンだ。ただピックガードだけが鮮やかに白く、そこにナスカの地上絵を連想させる鳥のマークが描かれていた。
なんというか、とても重厚なデザインである。轟木篤子は中肉中背であるため、ベースが大きく感じられてならなかったが――まあそれは、めぐるの言えたことではない。何はともあれ、めぐるにとっても好ましく思えるデザインであった。
手早くチューニングを終えた轟木篤子は、シールドを直接アンプに差し込む。そういえば、彼女はエフェクターを携えていなかったのだ。
(ベースではエフェクターを使わない人が多いんだって、フユさんが言ってたっけ。『ジェイズランド』の店長さんのバンドも、ベースの人はエフェクターを使ってなかったもんな)
めぐるがじっと見守る中、轟木篤子はアンプの電源をオンにする。
そうして彼女が各種のツマミを調整すると、実に心地好い重低音が鳴らされた。
外見の印象を裏切らない、どっしりとしたサウンドだ。
めぐるの愛用するリッケンバッカーのベースよりも、さらに肉厚な音色であるように感じられる。高域の部分までもが重々しく、金属的なきらめきはあまり感じられなかった。
しかし、彼女はピックを使っているため、ほどよく輪郭も出ている。めぐるが指で弾こうとしたならば、音作りでいささかならず苦労させられそうなところであった。
「おー、ブチョーのギターも、なかなか渋いねー。ポール・リード・スミスってやつかー」
と、町田アンナはそのように声をあげている。宮岡部長が掲げているギターは深みのあるブルーのカラーリングで、めぐるが思い描くギターらしいギターと称するに相応しいデザインをしていた。
そちらはいくつかのエフェクターが接続されており、アンプから鳴らされる音色も過不足のない迫力である。町田アンナほどではないがアタック音の押し出しが強く、浅川亜季ほどではないが分厚い音であり、際立った特徴がない代わりに耳に馴染みやすいといった印象であったが――それが機材の特性であるのか音作りの結果であるのかは、めぐるなどに判別できるわけもなかった。
「それじゃあ肩慣らしに、いつものアレをやっておこうか。けっきょくこの曲も、セットリストに組み込まれたわけだしね」
「ふん。昔の曲を使い回すなんざ、その時点で手抜きだよな」
「まあいいじゃん。わたしたちも、この曲が一番ノれるんだからさ」
部長と副部長がそのような言葉を交わしている間も、轟木篤子は素知らぬ顔だ。ただ、彼女は黒縁眼鏡を外して、それをベストのポケットに差し込んだ。
そうして寺林副部長のカウントで、演奏が開始される。
その瞬間――めぐるは息を呑むことになった。轟木篤子のベースの音色が、これまで以上の存在感でめぐるの胸に食い入ってきたのだ。
しかし、イントロを二小節も弾かない内に、轟木篤子は音を長くのばしつつ、ベースアンプのツマミに手をのばした。
すると、ベースの圧力がわずかながらに減少する。おそらくは、低域のツマミを絞ったのだ。
だが、圧力が減じても存在感のほうは増していた。
低域を絞ったことで、いっそう輪郭が明確になったのだ。
しかしまた、決して演奏の調和は乱していない。それどころか、ベースの圧力が減じたことで、三種の楽器がいっそう心地好い調和を見せていた。
(すごい……すごく、かっこいい)
知識の足りないめぐるには、そんな風に表現することしかできなかった。
ただ不思議なのは、演奏が始まったとたんにベースの音色の存在感が増したことである。もともと心地好かった重低音が、ギターやドラムと重ねられることでさらなる魅力をかもし出しているのである。
どっしりとした重量感に、変わるところはない。めぐるがこれまで耳にしてきたピック弾きの演奏ほど硬いニュアンスでないという印象にも、変わりはなかった。
ただ、そこまで輪郭がくっきりしているわけでもないのに、存在感が物凄い。そして、存在感が物凄いのに、ギターやドラムの邪魔はしていない。彼女の音色はまさしくギターとドラムの架け橋となって、すべての調和の中核を担っているように感じられた。
それに――この心地好さは、いったい何なのだろう。
単体で鳴らされていた際よりも、遥かに魅力が上乗せされているのだ。今の心地好い音色に比べると、最初の音色はまだピックのアタック音がノイジーで、低音がくぐもっていたように思えた。それがギターやドラムの音色に隠され、心地好い要素だけが抽出されたかのようであった。
ベースのフレーズそのものは、それほど入り組んではいない。『SanZenon』や『V8チェンソー』に比べれば――いや、『KAMERIA』と比べても、楽曲の構成そのものがシンプルであるのだ。
だが、シンプルすぎることはない。ベースが時おりハイ・フレットに移動して装飾の音符を鳴らすと、めぐるは無意識の内に体を動かしたくなってしまうぐらい胸が弾んでしまった。
「このバンドのCDなら、ウチも何枚か持ってるよー。たしかこの曲は、ウチらが生まれる十年ぐらい前のやつだねー」
と、町田アンナがそんな言葉を囁きかけてくる。
そういえば、先輩がたのバンドはどちらもコピーバンドであったのだ。だからこのようにシンプルな構成でも、アレンジが素晴らしいのだろう。
しかし、それをこうまで魅力的に演奏しているのは、まぎれもなく轟木篤子たちであるのだ。
めぐるは大いに、心を揺さぶられることになった。めぐるは三度にわたるライブイベントで、いくつものバンドの演奏を目にしてきたが――これほど胸の躍らされる演奏というものは、『V8チェンソー』の他になかなか存在しなかったのだった。




