エピローグ 夏の終わり
『どうもありがとうございましたー! 最後までイベントを楽しんでいってくださーい!』
めぐるたちがステージ裏のスペースで待機していると、やがてそんな声が聞こえてきた。
やがて各自の楽器を抱えてこちらのスペースに戻ってきたのは、夏の盛りに着ぐるみめいたルームウェアを纏った高校生の五人組――その名も、『ケモナーズ』の面々である。奇しくもセッションタイムの前の出順であったのは、かつて『KAMERIA』がライブイベントでご一緒した彼らであったのだった。
「あれー? ブイハチと『KAMERIA』のみなさんだ! どうしてみなさんがいらっしゃるんですか?」
猫の格好をしたヴォーカル&ギターの少女が、びっくりまなこで問いかけてくる。それに応じたのは、ワインレッドのレスポールを抱えた浅川亜季であった。
「この後のセッションタイムで遊ばせてもらおうと思ってさぁ。よかったら、みんなも見物していってねぇ」
「えー! ブイハチと『KAMERIA』でセッションするんですか? どんな演奏になるのか、想像もつきませんね!」
もともと彼らは軽音学部の先輩がたの知人であったのだが、『V8チェンソー』の存在も最初から知っていたようであるのだ。それで先月のライブイベントを経て、親睦が深まったわけであった。
精神的な余裕のないめぐるは、そちらと目が合ってしまわないように気をつけながら、移動の準備をする。すると、リィ様の姿をした栗原理乃がニワトリの格好をした少女の前に進み出た。
「セッションタイムでは、あなたのキーボードを使わせていただけるそうですね。お礼の言葉を申し述べさせていただきます」
「え? あ、いや、それはもともと店長さんに頼まれていたことなんで……が、頑張ってください」
「ありがとうございます」と深々と一礼してから、栗原理乃は颯爽たる足取りでステージに出ていった。
めぐるも無差別に頭を下げながら、その後を追う。準備を終えたエフェクターボードは、心優しき和緒が運んでくれた。
ステージは、以前の野外音楽堂と同じぐらい広々としている。
そしてすでに午後の三時という時間であり、数々のバンドが演奏を終えているためか、その場にはとてつもないほどの熱気がたちこめていた。
『さあ! それではここからは、お待ちかねのセッションタイムです! その先陣を切るのはうちのハコでもお馴染みの「V8チェンソー」と、先月シバウラ楽器さんのイベントに出演した「KAMERIA」のみなさんです!』
ステージの端からそのような声を響かせたのは、ビア樽のような体形をした中年男性であった。髭もじゃで、眼鏡をかけており、ペンションのオーナーか何かが似合いそうな容姿をしている。どうやらこちらが、ライブハウスの店長であるようであった。
そんな店長のトークを聞きながら、めぐるは演奏の準備に取り組む。
しかし、二本のシールドとパワーサプライの電源アダプターを繋げば、あとはアンプのセッティングだけだ。これこそが、事前に準備をできるエフェクターボードの利点であった。
和緒や町田アンナも、普段通りの調子でセッティングを進めている。ひとり勝手が違うのは、キーボードを拝借する栗原理乃だ。彼女は合宿所の練習でも小ぶりなキーボードを使用していたので、その成果をさっそくお披露目するようであった。
さらに、フユはプリアンプのエフェクターにラインの配線を繋ぐようにスタッフへと声をかけており、ハルはシンバルや太鼓が寄せ集められたパーカッション・セットの鳴り具合を確認している。浅川亜季も普段とは異なるギターアンプを使用するため、誰もが勝手が違うはずであった。
めぐるたちは合宿所でも七名がかりで『KAMERIA』の楽曲を演奏していたが、それは日に一度のことだ。つまり『V8チェンソー』の面々は、たった三回の練習でステージに臨もうとしているのだった。
しかもこの場には、コード進行や曲の構成を記したホワイトボードも存在しない。めぐるであれば、そんな状態で他のバンドの楽曲を演奏することなど絶対に不可能だ。『V8チェンソー』のメンバーの演奏力と度胸には、心から敬服するばかりであった。
ともあれ――今はめぐるも、自分のことで手一杯である。
めぐるもまた、昨日借りたばかりのエフェクターを使おうとしているのだ。ステージに準備されていたのは巨大な冷蔵庫のごときアンプであるのだから、合宿所とはまったく勝手が違うはずであった。
(でも……色んなことを教えてくれたフユさんの期待に応えなくっちゃ)
めぐるはベースアンプのゲインとボリュームを調節したのち、トーン・コントロールのツマミはフラットにして音を鳴らしてみた。
ケタの異なる音圧で、ベースの重低音が鳴り響く。すでにプリアンプの調整をしているので、この段階でも十分に迫力のある音色であった。
だが、プリアンプでパワーが加えられているためか、低音がいくぶんきつく感じられる。
音質の調整は、ブーストよりもカットの加減を重んじるべきである――フユのそんな教えに従って、めぐるは躊躇なく低域のツマミを下げた。
これまではフラットよりも上げる方向でばかりツマミを動かしていたので、何とも落ち着かない心地である。これで本当に必要な低音を出せているのか――それは、自らの耳と肌で判断するしかなかった。
(……うん。きっと大丈夫だ)
やがて他のメンバーが音を鳴らし始めると、自分の音の輪郭がぼやけたように感じられる。
めぐるはベースアンプではなくエフェクターのプリアンプで、中域を少しだけブーストさせた。
だが、望む通りの結果は得られない。めぐるはそちらのツマミをもとに戻し、今度はベースアンプの中域を操作した。
音の輪郭が増した分、今度は太さが損なわれたように感じられる。
そこでプリアンプの低域をフラットに戻すと、もっとも理想に近づいたように感じられた。
めぐるはまだまだ、何もかもが手探りだ。
これでどのような外音が鳴らされるのかも、想像はつかない。
だけどきっと、誰もがこうして自分の音を作りあげていったのだろう。フユも、『SanZenon』のベーシストも――まったく想像しにくいところであったが、誰もが最初は初心者であったのだった。
(わたしも一歩ずつ、頑張っていこう)
まずは、自分が納得できるように。その次は、メンバーたちに納得してもらえるように。そして最後は、客席の人々にも同じ音を届けられるように――めぐるはまだ、よちよち歩きで自分の音を探しているさなかなのであろうと思われた。
「あ、あの、ドラムとギターの音を、もう少しだけ大きくしていただけますか? ……あ、ギターはマーシャルのアンプを使っているほうだけでけっこうです」
めぐるがそのように伝えると、スタッフがインカムを使ってPAに指示を送ってくれた。
和緒のドラムと町田アンナのギターがモニターから返されて、圧力を増す。浅川亜季のギターとフユのベースは、最初から申し分のない音量で鳴っていた。
(二人の音は、すごく聴きやすい。もしかしたら、それも音作りが上手いからなのかな)
そうして、七名のセッティングが終了した。
それを告げられた店長は、笑顔でマイクを握りなおす。
『それでは準備ができたようなので、セッションを楽しんでいただきましょう! ハルちゃん、紹介をよろしく!』
『はーい! さっき店長さんも紹介してくれましたけど、あたしたちは「V8チェンソー」と「KAMERIA」っていうバンドの合体ユニットでーす! 演奏するのは「KAMERIA」のオリジナル曲なんで、最後まで楽しんでくださいねー!』
元気に声をあげながら、ハルはパーカッションの小さなシンバルを鳴らした。
それに合わせて町田アンナと浅川亜季がギターの音色を響かせたので、めぐるも歪みのエフェクターをオンにした上でAの音を鳴らす。これまでは楽曲の開始と同時にエフェクターをオンにしていたが、町田アンナの提案で変更することになったのだ。
さらにフユもエフェクターを駆使したベースの音を鳴らすと、重々しく幻想的な雰囲気が満ちあふれる。
めぐるはそれらの音色にひたりながら呼吸を整えつつ、眼前の客席を見回した。
広大なる芝生に、百名以上の人々が集まっている。その過半数はのんびりと座っていたが、ステージの真ん前まで押しかけている人間も決して少なくはなかった。
軽音学部の先輩たちに、『ケモナーズ』のメンバーたち――めぐるが知るのは、その数名だけだ。また、客席においても『KAMERIA』を知る人間などはほとんど存在しないはずであった。
それらの人々を失望させずに済むかどうか――そんな想念がちらりとよぎったが、めぐるはすぐに思いなおした。
まずは、自分が楽しめるように。そして、同じステージに立つメンバーたちと同じ楽しさを分かち合えるように、だ。そこを二の次にしてしまったら、めぐるはベースを弾く意味を見失ってしまうはずであった。
(わたしはこういう人間なんです。ごめんなさい)
めぐるは誰にともなく頭を下げてから、右手の親指を4弦に叩きつけた。
『小さな窓』の、スラップのリフである。
さまざまなエフェクターで加工された凶悪な音色が、ステージ上の熱気をかき回した。
そうして、六種もの音色がそこにかぶさってくる。
和緒のドラム、町田アンナと浅川亜季のギター、フユのベース、ハルのパーカッション、そして栗原理乃のキーボードである。
ほんの数時間前にも、めぐるたちは同じ楽曲の演奏に取り組んでいたが――機材と環境が異なるために、それとは比較にならない迫力であった。
二本のギターは耳をつんざくような轟音であるし、ドラムの打撃音は胸と腹に食い入ってくる。めぐるが初めて体感するパーカッションの音色は小気味よく跳ね回り、フユのベースは流麗さと妖艶さの権化であった。
唯一、キーボードだけは存在感が薄い。キーボードはピアノとずいぶん弾き心地が異なるという話であったし、栗原理乃は昨日着手したばかりの立場であったのでフレーズもほとんど即興であるのだ。それでしっかり演奏に参加できるだけで、大したものであるはずであった。
そして栗原理乃の本業は、ヴォーカルである。
そちらの迫力と存在感は、まったく損なわれていなかった。
先日の野外フェスをも上回る勢いで、栗原理乃の歌声が響きわたる。あの日の無念を晴らそうという思いも相まってか、めぐるはその迫力に背筋が粟立つほどであった。
そうすると、めぐるもどんどん昂揚していく。
七名がかりの演奏というのは、まだまだ決して肌に馴染んでいなかったが――しかしこれは、『KAMERIA』単体の演奏を上回る圧力であるのだ。あらゆる音色がめぐるの心を揺さぶり、悦楽の境地へと導いてくれた。
そんな環境でも、和緒のドラムは普段通りの正確さと力強さでリズムを刻んでくれている。
『V8チェンソー』のメンバーはそれこそが『KAMERIA』の強みであると言ってくれていたが、めぐるは心から賛同することができた。和緒がいてくれるからこそ、他のメンバーはこうまで好きに音を暴れさせることがかなうのだった。
そんな和緒のドラムと並走しているのは、ハルのパーカッションだ。そちらにはバスドラも存在しないため、各種の太鼓とシンバルの音がこれまで以上に軽やかな彩りを与えてくれていた。
どのような楽器を使っても、ハルには独特の躍動感が存在する。この際は、真っ直ぐに突き進む機関車のような和緒のリズムを、小さな野ウサギのごときハルのリズムがぴょこぴょこと追いかけているような印象だ。そのイメージは、めぐるの心をじんわりと和ませてくれた。
ラットのエフェクターは浅川亜季に返却したため、町田アンナのギターサウンドはこれまで通りである。しかしその躍動感は、はっきりと向上していた。キーボードが導入されたことで、町田アンナはギターのフレーズを見直すことになったのだ。歌の邪魔をしないようにというリミッターを外した町田アンナの演奏は、はっきりと勢いを増していた。
そこに、浅川亜季のギターがねっとりと絡みついている。町田アンナのギターが歯切れのよさを前面に打ち出しているためか、浅川亜季の奏でる音色はいっそう粘っこく感じられるのだ。それで両者は、実に対照的な魅力を体現することができていた。
そしてフユのベースは、それよりも上空に舞っているように感じられる。
ベースは低音の楽器であるのに、さまざまなエフェクターの効果でギターよりもくっきりと耳に食い込んでくるのだ。それはまた、めぐるのベースとぶつからないように低域を大幅にカットした結果でもあるはずであった。
フユは幼少期にバイオリンを習っていたそうであるが、こちらで鳴らされる音色もそれに近いように感じられる。フレットレスのベースやオクターバーのエフェクターなどが、さらに拍車をかけているのだろう。『V8チェンソー』のステージとはまったく異なる魅力であった。
そして、これだけの演奏に負けない栗原理乃の歌声というのは、やはり圧巻である。
存在感は薄いものの、キーボードで奏でる歌メロのガイドというのが効を奏しているのだろうか。生命を授かった機械人形さながらの歌声が、何よりも際立って響きわたっていた。
それらの音色に包まれて、めぐるも幸福な心地でベースを弾くことができている。
やはりこれだけ音が重ねられると自分の音も遠くなってしまいがちであるが、それでも各種のエフェクターで増幅された歪みのサウンドが、めぐるの心身をぞんぶんに震わせてくれた。
ギターソロは倍の長さで、前半は町田アンナ、後半は浅川亜季が受け持つ。
そこまで楽曲が進んでしまうと、エンディングはもう間近だ。
Cメロでいったん抑制したのちは、最後のサビで全員が力を振り絞った。
そうすると、思わず笑いたくなってしまうほどの迫力である。
めぐるもまた、後悔のないようにすべての力を叩きつけた。楽曲が終わってしまう物寂しさも、それで昇華するしかなかった。
暴風雨のごときサビとアウトロを走り抜け、楽曲はついに終了する。
それと同時に、小さからぬ歓声と拍手が巻き起こった。
演奏の爆音に比べれば、実にささやかなものであったが――しかしそれはめぐるにとって、これまででもっとも盛大な祝福であるはずであった。
めぐるは手の甲で額の汗をぬぐいつつ、客席に視線を巡らせる。
軽音楽部の先輩がたは、頭上に腕をのばして拍手をしてくれていた。
それに、芝生に座った人々も、かなりの人数が拍手をしてくれているようである。それは何だか、めぐるに得も言われぬ温もりを与えてくれるようであった。
『ありがとうございまーす! それじゃあもう一曲だけ、このメンバーでやらせてもらいますね! アンナちゃん、曲紹介をよろしく!』
『はいはーい! 今のは「小さな窓」っていう曲で、次は「転がる少女のように」だよー! セッションタイムなのに、うちらの持ち曲ばっかりでごめんねー!』
スタンドマイクでそのように語ってから、町田アンナはめぐるたちを見回してきた。
めぐるは大慌てでチューニングを確認する。普段以上に力が入ってしまったのか、1弦も2弦もわずかにゆるんでしまっていた。
和緒もハイハットの位置を調整し、浅川亜季はチューナーを使わずにチューニングをする。それらの作業が終わるのを見届けてから、町田アンナは客席に向きなおった。
『それじゃあ、さくさく始めるねー! 暑いけど、最後まで頑張ろー!』
そんな掛け声とともに、町田アンナはギターをかき鳴らした。
アップテンポでタテノリの、『転がる少女のように』だ。こちらの曲ではフユも妖艶さを抑えて、それこそ軽妙なバイオリンを思わせる音とフレーズを紡いだ。
めぐるは和緒のリズムに合わせて、ベースをうねらせる。歪みのエフェクターはオフにしたが、プリアンプの効果でこちらもこれまで以上のうねりを出すことができた。
浅川亜季も歪みを加減して、ワウペダルを駆使した小気味いいバッキングを披露している。また、ハルの躍動感が活きるのも、こちらの楽曲だ。小さなシンバルや太鼓だけで、ハルは彼女ならではの弾けるようなリズムを添加した。
『小さな窓』が重厚であった分、こちらの楽曲の疾走感がいっそう際立つようだ。
めぐるもまた、満足の吐息をこぼしたくなるぐらい、満ち足りた思いであった。
そして、栗原理乃と町田アンナは昨日考案したばかりのアレンジを恐れげもなくお披露目した。
Bメロを町田アンナが歌い、ギターの代わりにキーボードが派手なフレーズを担うのだ。
たとえ弾き心地が異なろうとも、キーボードはピアノの音色に設定されている。キーボードは電子ピアノよりも音の強弱やニュアンスを出すのが困難であるという話であったが、めぐるには何の不足もない華麗な演奏であるように感じられてならなかった。
そうしてサビでは、両名がハーモニーを奏でる。
主旋律は町田アンナで、高音が栗原理乃だ。幼子のように乱暴で元気いっぱいである町田アンナの歌声と、限界すれすれの高音で生々しさがふくれあがる栗原理乃の歌声が、またとない調和を見せていた。
それらもすべて、合宿の成果である。
フユから数々のエフェクターを借り受けためぐるはもちろん、和緒だって何らかの成果を発揮しているのだろう。この三日間の体験があったからこそ、めぐるたちは今この瞬間の心地好い音を紡ぐことができているのだった。
そんな『KAMERIA』の演奏をそっと支えるかのように、『V8チェンソー』の三名がそれぞれの音を鳴らしてくれている。『小さな窓』よりも主張が少ない分、彼女たちの優しさや心強さが音に表れているように感じられた。
間奏では、また町田アンナと浅川亜季が順番にギターソロをお披露目する。
そうして最後のBメロに差し掛かったとき――めぐるの背中に、何か温かいものがぶつかってきた。
演奏に集中していためぐるも、思わず背後を振り返ってしまう。
そこに待ち受けていたのは、浅川亜季の笑顔であった。彼女はめぐるの背中に自分の背中を押し当てながら、肩越しに笑顔を覗かせていたのだった。
浅川亜季が、これまで見せたことのない顔で笑っている。
その眠たげな目はやわらかく細められているが、口もとには白い歯がこぼされており――それは彼女の持つ、年老いた猫めいた表情と悪戯なチェシャ猫めいた表情のブレンドされた笑顔であった。
指板から目を離しためぐるは、コードを切り替える場所でミスタッチをしてしまう。
しかしそれでも、めぐるは彼女の笑顔から目を離すことができず――さらに、彼女の向こう側に広がる光景にも目を奪われてしまった。
町田アンナはおもいきりギターをかき鳴らしながら、心から楽しそうに歌声を張り上げている。
栗原理乃はわずかにうつむき、人形のような無表情のまま、凄まじい勢いで鍵盤に指先を走らせていた。
フユはハイ・ポジションに指をすべらせて、艶やかなバイオリンめいたフレーズを紡いでいる。
ハルは小さな体を弾ませながら、両手でシンバルと太鼓を鳴らしまくっていた。
そんなメンバーたちの勇躍を見守りながら、和緒は淡々と、しかし力強くリズムを刻んでいる。
これまで頭で想像していた通りの光景が、現実のものとしてめぐるの網膜に焼きつけられた。
そして――それらの光景が、透明の輝きにぼやけていく。こらえようもなく、めぐるの目に涙があふれかえってしまったのだ。
めぐるは大きく首を振ることで、その涙を振り払った。
その際に、またミスタッチをしてしまった。
しかしめぐるは指板に視線を戻さず、浅川亜季とその向こう側にたたずむメンバーたちに笑いかけてみせた。
なんだか、夢でも見ているような心地である。
この数ヶ月間で培ってきた喜びと幸福が、今この場に集約されたような感覚であった。
だが――もうじき夏は終わってしまうが、めぐるたちの人生は終わらない。
明日からも、また幸福な日々が続いていくのだ。そんな思いが、めぐるに涙を流させたのかもしれなかった。
(みんな、ありがとう……きっとこれからも、たくさん迷惑をかけちゃうだろうけど……どうか、よろしくお願いします)
最後にめぐるの背中をぐっと押しやってから、浅川亜季はギターアンプの前に舞い戻っていく。そのタイミングでめぐるも指板に視線を戻して、思うさま指先を走らせた。
そうしてめぐるの十六回目の夏は、かつて味わったことのない熱気の中で終わりを迎えることに相成ったのだった。




