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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 2-

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05 二日目の夜

 その後もめぐるたちは、またとない充足感の中で一日を過ごすことになった。

 それぞれのバンドに分かれてのミーティングと練習を終えた後は簡単な食事でカロリーを補給して、午後からはまたパートごとに分かれて指導を受けたり、音作りの研究に勤しんだり、はたまた楽器を交換してお遊びの演奏を楽しんだりと、硬軟織り交ぜた内容であったが――めぐるにとってはとにかく楽しくて、満ち足りた時間であったことに間違いはなかった。


 そうして夜を迎えたならば、町田アンナと浅川亜季の指揮のもとにカレーライスを作りあげて、ディナーである。普段は食事に強い関心を持たないめぐるであったが、この場においてはそれも楽しいひと時であった。


 食事の席では酒も出されたが、年長者の三名も昨日ほど痛飲してはいない。この後もしっかり練習に励んでから、あらためて打ち上げという名のもとに酒を楽しむのだそうだ。『V8チェンソー』のそんな心意気も、めぐるを幸福な気分にさせてくれた。


「いやー、朝から晩まで練習に没頭できるなんて、ほんとに天国みたいだねー! こんな楽しい合宿に誘ってくれて、あらためて感謝だよー!」


 ディナーの席で、町田アンナはそのように語っていた。


「でも、ブイハチのみんなも、普段はスタジオでリハしてるんでしょ? 自宅にこーゆー練習部屋を準備したら、いつでも練習し放題じゃん!」


「住宅街のど真ん中じゃあ、防音設備のレベルが違ってくるんだよ。……そもそも、うちの親どもがそんな真似を許しちゃくれないさ」


「ふーん? でも、この別荘を大改造することは許してくれたんでしょ?」


「こいつは税金対策で買い入れた別荘だからね。名目上は私も親の会社の社員だから、保養地として活用させてもらってるのさ」


 すると、ビールをちびちび舐めていた浅川亜季も発言した。


「でも本当に、交通の便さえ除けば最高の環境だよねぇ。老後はこういう場所でだらだら過ごしたいなぁ」


「あんたは今だって、だらだら過ごしてるでしょうよ。まったく、剛三さんの苦労がしのばれるよ」


 言葉の端々から、フユは浅川亜季の祖父に敬愛の念を抱いてることが感じられた。

 それでめぐるがひそかに共感の思いを噛みしめていると、フユの切れ長の目がいきなりこちらに突きつけられてきた。


「……ところであんたは、ベースのメンテをきちんとしてるの?」


「え? フ、フレットのクリーニングは、三ヶ月目にしましたけど……あとは弦交換のたびに、指板をクリーニングしているぐらいです」


「重要なのは、ネックの調整でしょうよ。ネックってのは、気候の影響を受けやすいんだからね。私は年に二回、夏と冬の変わり目に全部のベースをメンテしてもらってるよ。剛三さんは格安の金額でメンテを受け持ってくれるんだから、あんたもしっかり考えな」


「あはは。フユもようやく、めぐるっちと気兼ねなくおしゃべりできるようになったみたいだねぇ」


「やかましいよ! 私がこいつに気兼ねする理由なんて、最初っからありゃしないさ!」


 フユは事あるごとに声を張り上げていたが、しかしめぐるはこの二日間で彼女に対する敬愛の念が倍増していた。まあ、これだけお世話になっていれば、それも当然のことであろう。めぐるがこの期間で受けた恩恵というのは、まったくもって計り知れなかった。


(フユさんは、すごく真剣に音楽活動と向き合ってるから……わたしみたいにぼんやりした人間を放っておけなくなっちゃうんだろうなぁ)


 めぐるはそんな思いとともに、カレーライスを噛みしめることになった。

 それから練習を再開させるまでは、しばし食休みである。そこで話題にあがったのは、それぞれが楽器を始めたきっかけについてであった。


「ウチはねー、道場の門下生にバンドマンがいたの! 今は引っ越して道場も辞めちゃったんだけど、その人のライブがチョーかっちょよくてさー! それでウチもギタリストになるんだーって決心して、親を説得したんだよー!」


「わ、私は自分の意思とは関係なく、ピアノのレッスンをさせられていたので……でも、その経験が少しでも『KAMERIA』で活かせていたら、嬉しいです」


「あたしはマイフレンドの暴走に巻き込まれただけのことです。主体性のない自分に、嫌気がさしちゃいますね」


「あはは! でもあたしも、中学時代にクラスの友達から誘われたのがきっかけだよー! それでドラムになったのも、他にやりたがる人がいなかったからだしね! 今でもギターやベースは弾ける気がしないから、誘ってくれた友達には感謝だねー!」


「私はもともとバイオリンを習わされてたけど、クラシックにはハマれなかった。それから小学生の終わりぐらいにジャズやロックにハマって、自然にベースを選ぶことになったね」


 めぐるがベースを始めた経緯は周知の事実であったので、今さら語るべき言葉はない。

 ということで、最後の出番は浅川亜季であった。


「そういえば、アキちゃんはどういうきっかけでギターを始めたの? まあ、おうちがリペアショップなんだから、なんの不思議もないけどさ」


「そうだねぇ。でも、じーさまと同居を始めた当時は、べつだん興味をひかれなかったなぁ。あの頃は、まだ小学三年生だったしねぇ」


 浅川亜季は、最初から祖父と同居していたわけではなかったらしい。彼女が小学三年生の頃に両親が離婚して、母方の祖父のもとに預けられたのだそうだ。


「うちの母親は裁判をちらつかせてまで親権をゲットしたくせに、あたしを育てる気は皆無でさぁ。まあ、目的は養育費だったんだろうねぇ。それで母親は実家にも近寄らないで遊び歩いて、じーさまがあたしの面倒を押しつけられることになったわけさぁ」


 しかし彼女の祖父は身内にも子供にも甘い顔を見せない人間であったため、まったく交流は深まらなかったらしい。そして彼女もまた、楽器の修理にばかり熱情を燃やす祖父のことが理解できなかったのだそうだ。


 そうして無味乾燥な同居生活が一年ほど続いた頃、浅川亜季はゴミ置き場に不法投棄されているエレキギターを発見した。

 彼女はさして深い考えもないまま、それを自宅に持ち帰った。そんなに楽器の修理が好きならば、その材料をくれてやろうというていどの考えであったそうだ。しかし、それを受け取った祖父は、普段以上の渋面をこしらえることになった。


「こいつは完全にネックが折れてしまっているな。しかもこいつはノーブランドの安物だから、リペアしたところで買い手はつかんだろう」


「ふうん。それじゃあ、ゴミなんだねぇ。あたしと一緒だぁ」


「うん? 何でお前さんが、ゴミなんだ?」


「いらないゴミだから、捨てられたんでしょ? ゴミがゴミなんか持ち込んじゃって、ごめんねぇ」


 小学四年生になったばかりの孫娘からそのような言葉を聞かされた祖父は、いったいどのような心持ちであっただろう。

 黙って話を聞いていたフユが、そこで眉を吊り上げることになった。


「あんたねぇ……あんまり剛三さんを困らせるんじゃないよ」


「ええ? そこは両親に見捨てられたいたいけな子供に同情する場面じゃないのぉ?」


「相手があんただと思うと、同情する気も失せるんだよ」


「あははぁ。日頃の行いって、大事だねぇ」


 ともあれ――当時の浅川亜季は冷めた子供であったため、祖父とのやりとりも気にとめずに就寝したとのことである。

 そうして翌朝、目を覚ましてみると、綺麗に修理されたギターが枕もとに鎮座ましましていたのだった。


「たとえ買い手がつかなくても、ギターはギターだ。ゴミではない」


 彼女の祖父は、それしか語らなかったらしい。

 そうして彼女は買い手のつかないそのギターでもって、練習に取り組むことになったのだという話であった。


「なるほど。きっとあんたも一生買い手はつかないだろうけど腐らずに生きていけっていう、剛三さんのありがたいメッセージが込められてるわけだね」


「あははぁ。フユが憎まれ口を叩けば叩くほど、じーさまの風評被害がつのるばかりだねぇ」


「そうだよ! おじいちゃまが、そんなひどいこと考えるわけないでしょ? 『KAMERIA』のみんなが信じちゃったら、どうするのさ!」


 メンバーたちに左右から責めたてられると、フユは珍しくも慌てた顔をした。


「い、今のはあくまで、冗談だからね! 剛三さんは、すごく立派な人なんだ! あんたたち、剛三さんにおかしなイメージを持ったら、ただじゃおかないよ!」


「あはは! なーんでウチらがセッキョーされるんだろー! でもまあウチもアキちゃんのじーちゃんは大好きだから、心配いらないよー! ウチもあーゆー渋いパパが欲しかったなー!」


 そんな感じで、食休みの時間も賑やかに過ぎ去っていった。

 その後は、あらためて合同の練習である。肩慣らしにセッションを楽しんだのちは、再びパートごとに分かれてのディスカッションであった。


「基本的に、あんたはアタックが強いよね。たったひと月で弦が切れるっていうのも、たぶんそれが原因だよ。ベースの弦なんて、使う人間によっては何年も切れないもんなんだからさ」


 めぐるはフユから、そんな言葉をいただくことになった。


「わ、わたしは軍手なんか使ってるから力みが取れないんだろうって、店主さんに注意されていたんです。それが、悪いクセになってしまったんでしょうか……?」


「アタックの強さイコール力みではないでしょうよ。そもそも変に力んでたら、一日に十時間以上も練習できるもんか。クセはクセなんだろうけど、それをよしとするかどうかはあんた次第だよ」


 そんな具合に、フユは厳しい言葉を並べつつ、めぐるを否定しようとはしなかった。自分の見解や一般論などを提示して、あとは自分で考えろというスタンスであるのだ。それはめぐるのように不出来な人間にとって、きわめてありがたい話であった。


「……ところであんたは、アンプを通すより生音で練習する時間のほうが、圧倒的に長いって話だったよね?」


「は、はい。家にはアンプもありませんし……今は夏休みで部室を使える時間も長いですけど、授業のある日は二時間半ていどですし……」


「何をビクビクしてるのさ。あんたみたいにエフェクターを使いまくろうとしてる人間は、生音での練習も大事だよ。特に強烈な歪みのサウンドってのは、ミスをごまかしやすいからね。それでごまかしグセがついたら、上達は遅れるばかりだろうさ」


 そんな風に語りながら、フユはやおら身を起こした。

 そして、壁際に放置されていたエフェクターボードをつかみ取る。この練習部屋に持ち込まれたエフェクターボードの、最後のひとつである。それは、フユが使用しているものよりは小さく、浅川亜季が使用しているものよりは大きい、ほどほどのサイズのエフェクターボードであった。


「……私の大事なエフェクターを、いつまでも床に並べてるんじゃないよ。そいつはまとめて、こいつにしまっておきな」


「え? で、でも……トーンハンマーだけは、貸してくださるというお話じゃ……?」


「だったらあんたは、ラットとソウルフードを即買いするつもりなの? あんたはぶきっちょだから、スタジオやライブで試してみないとわからないんじゃなかったの?」


 フユは究極的に不機嫌そうな面持ちで、めぐるの手もとに空のエフェクターボードを押しつけてきた。


「だったらまずは、スタジオで試してみな。それに、ディストーションだってブースターだって、山ほど種類があるんだからね。本当だったら、楽器屋で試しまくってから買うかどうかを決めるべきなんだよ」


「そ、それじゃあ……全部のエフェクターを貸してくださるんですか?」


 めぐるがそのように言いつのると、フユは怒った顔を赤くした。


「あんたはいちいち、何でもかんでも口に出さないと気が済まないの? いいから、とっとと片付けろって言ってるんだよ!」


「は、はい! すみません!」


 めぐるはあたふたとしながら、六台のエフェクターを仕舞い込むことになった。

 自分の所有物である、ビッグマフとラインセレクター――フユから借り受けた、トーンハンマー、ラット、ソウルフード、パワーサプライ――これらの六台を駆使することで、あの素晴らしい凶悪な音を鳴らすことができるのだ。その事実が、あらためてめぐるの胸を熱くした。


「……そうだ。もしかしたら、あんたはステージでもそのしょぼいチューナーをエフェクターと一緒に繋いでるの?」


 めぐるが自前のチューナーもエフェクターボードに仕舞いこもうとすると、フユがすかさず声をあげてきた。


「あ、はい。さ、最初のライブのときは繋いでいなかったんですけど……ライブの最中にもチューニングをしたいなと思って……前回の野外フェスでは、一緒に繋ぐことにしました」


「だったらそいつも、音痩せの原因のひとつだね。そんなしょぼいチューナーを間にはさんだら、音が劣化しちまうんだよ」


 そんな風に言い捨てながら、フユは予備のエフェクターが詰まったボードから新たなエフェクターをつまみあげる。それはめぐるが使用しているラインセレクターと同じブランドで、『TU-3』という名が記載されていた。


「こいつは、チューナーのエフェクターだ。このブランドのバッファー回路を嫌がる人間もいなくはないけど……そのラインセレクターに不満がないんなら、問題ないでしょうよ。少なくとも、そんなしょぼいチューナーを間にはさんでるよりは、百倍マシさ。ついでに、こいつも仕舞っておきな」


 六台のエフェクターに対する感動が冷めやらぬ内に新たなエフェクターを手渡されて、めぐるは思考停止してしまう。

 そしてフユは、さらにたたみかけてきた。


「……で、あんたはこの先、リバーブやらオートワウやらも買い集めるつもりなの?」


「は、はい。たぶん……でも、しばらくは歪みの音作りで手一杯でしょうし……それに、『KAMERIA』の曲で使うあてがなかったら、買わずに終わるかもしれません」


「そう」と、フユはそっぽを向いた。


「それじゃあ、新しいエフェクターを買い集めて窮屈になるまでは、そのボードも貸しておいてやるよ」


「え? でも……」


「ボードってのは、窮屈になるたびに買い替えなきゃいけないんだ。私も今のやつに買い替えたから、そいつはこのさき使うあてもない。だったら、クローゼットで眠らせておくよりはマシでしょうよ」


 今回はめぐるに面倒な話をされる前に、自分から説明してくれたのだろうか。

 そんなフユの気づかいが、めぐるの揺らいでいた情緒を刺激した。そうしてめぐるは思わず涙をこぼしてしまい、フユをぎょっとさせることになったのだった。


「あ、あんた! いきなり何を泣いてんのさ!」


「す、すみません。なんだかあまりに、ありがたくて……わたしなんかが『KAMERIA』のベースで、本当に申し訳ありません」


「あん? それはどういう謝罪なのさ?」


「え? だから……他の人がベースだったら、フユさんももっと楽しい気持ちで指導できたでしょうから……」


 ラグマットの上であぐらをかいていたフユは、そのまま突っ伏して頭を抱え込んでしまった。


「疲れる……マジで疲れる……あんたはいったい、なんなんだよ……」


「ご、ごめんなさい! わたしは本当に、駄目な人間なので……」


「そんなのは、この二日間で思い知らされたよ!」


 そうしてフユが声を張り上げると、練習部屋の各所に散っていたメンバーたちがわらわらと集まってきた。


「ついにうちのプレーリードッグを落涙させましたか。さすがフユさんですね」


「あはは! めぐるが泣くところなんて、初めて見ちゃったよー! でもきっと、嬉し涙なんだろーね!」


「わ、笑っちゃ悪いよ。……遠藤さん、大丈夫ですか?」


「もー。フユちゃんは優しいのに、言葉がきついからなー。めぐるちゃん、あんまり気にしないでね?」


「そうそう。フユの愛情表現は、小学生レベルだからなぁ。愛されまくりのあたしにも、罵詈雑言がきつくってさぁ」


「や、やかましいよ、あんたたち!」


 そんな言葉にくるまれためぐるは、「あはは」と笑いながらいっそう涙をこぼすことになった。

 めぐるが和緒以外の人間に涙を見せるのは、これが初めてのことだろう。しかしめぐるは、それを恥じる気持ちにはなれなかったし――『KAMERIA』で演奏をしているときと同じぐらい、幸福な心地であったのだった。

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