04 足がかり
「じゃ、めぐるっちのほうはだいたい解決したみたいだから、次のステップに進もうかぁ」
浅川亜季がそのように宣言すると、町田アンナが「うん!」と元気いっぱいに応じた。
「アキちゃんは、なんか言いたげだったもんねー! ウチにも、何かアドバイスをくれるのかなー?」
「そうだねぇ。アドバイスってよりは、半分がた好奇心で聞かせていただきたいんだけど……この合宿の時間だけで、あたしはアンナっちのイメージがずいぶん変わっちゃったんだよねぇ」
すると、長らく聞き役に徹していたハルが「そうだね」と同意した。
「アンナちゃんって、アキちゃんに似たタイプだと思ってたんだけど、あたしもそのイメージはなくなったかなー。自分が先に目をつけたエフェクターを人に譲るなんて、アキちゃんだったらありえないもんね!」
「あははぁ。幸い、あたしとフユでエフェクターを取り合うことにはならなかったけどさぁ。フユがラットを使ってたのは、前のバンドでだもんねぇ」
「ああ。でも、ギターとベースじゃもともとの周波数が違うんだから、同じエフェクターを使ったってそうそう音がぶつかることはないだろうさ」
「そうだねぇ。でもアンナっちは、それを試す前からめぐるっちにラットを譲ろうとしてるでしょ? それ以外の部分でも、アンナっちってずいぶん謙虚なんだなぁって思い知らされたわけだよぉ」
町田アンナは「えー?」と困ったように笑った。
「ケンキョなんて言われたのは初めてだから、リアクションに困っちゃうなー! なんでアキちゃんは、そんな風に思ったのー?」
「たとえば『小さな窓』のリフなんかも、もともとギターで弾くつもりで作りあげたんでしょ? それをあっさりベースに譲るってのも、謙虚さの表れなんじゃないかなぁ?」
「だからそれは、曲の完成度を一番に考えてのことだよー! ウチはただでさえ出しゃばりだから、引くべきときには引かないとねー!」
「うんうん。ギターとベースのバランスに関しては、そういう配慮がいい効果を生んでると思うよぉ。でも、ヴォーカルとのバランスに関してはどうなんだろうねぇ」
「ヴォーカル? 理乃の歌声はすっげーヌケるから、ウチらがどんな極悪な音を出しても問題なくない?」
「音作りじゃなく、フレーズに関してだよぉ。理乃っちは耳がよすぎるから、ギターとベースは歌の邪魔にならないようにフレーズの手直しをしてるって話だったでしょ? そこに一石を投じたいわけさぁ」
すると、フユが会話に割り込んだ。
「ベースに関しては、それが当然だと思うよ。どんなに派手なプレイをしたって、ベースってのは土台を支えるリズム隊だからね。ベースが歌とぶつかるようなフレーズを弾いてたら、そりゃあ歌いにくいもんさ」
「そうそう。フユもベースラインが歌メロとぶつからないように配慮しながら、あれだけド派手なフレーズを作りあげてくれるからねぇ。まったくもって、ありがたい限りだよぉ。でも……アンナっちのギターって、そんなに歌の邪魔をしてるのかなぁ?」
浅川亜季が言葉を重ねるごとに、栗原理乃の顔はどんどん不安げになっていく。
それに気づいた町田アンナが、陽気な笑顔で幼馴染の肩を抱いた。
「この引っ込み思案の理乃が注文をつけてくるってことは、絶対邪魔になってるんだよー! ウチはもともと、わちゃわちゃフレーズを動かしたくなっちゃう性格だしさ!」
「でも、『KAMERIA』の曲はアンナっちが作ってるんだよねぇ? アンナっち自身、ギターを弾きながら歌えるわけだしさぁ」
「でも、歌うときはギターで難しいこともできないからね! 自分で歌わないときは、つい余計な音も鳴らしちゃってるんじゃない?」
「それって、本当に余計な音なのかなぁ? そもそも、不協和音になってるわけではないんでしょ? 歌に遠慮してギターが引っ込むのは、勢いを殺す結果にもなりかねないと思うんだよねぇ」
「そうだね。実際あんたのギターってのは、歌のある場所とない場所で勢いが違っているように思うよ」
フユがそのように声をあげると、町田アンナは「えー?」と口をとがらせた。
「でも、バンドの主役ってのは、やっぱヴォーカルでしょ? ギターがヴォーカルの邪魔をするってのは、なんか違くない?」
「普通だったら邪魔にならないレベルなのに文句をつけられたら、勢いが削がれるって話だよ。しかもあんたは、こんな極悪な音を鳴らすベースとも共存しなきゃいけないんだからね。そんなあちこちで遠慮してたら、自分の持ち味を殺すことになるんじゃない?」
「うんうん。アンナっちの魅力って、やっぱり爆発力だからさぁ。『KAMERIA』としては、それを重視するべきだと思うんだよねぇ」
「でも――!」と町田アンナが反論しようとすると、悲壮な面持ちをした栗原理乃がその腕を引っ張った。
「私も、そう思う。私のせいで、アンナちゃんの魅力が殺されちゃうのは……やっぱり嫌だよ。私が頑張れば、それで済む話なんだし……」
「頑張るとか頑張らないとか、そーゆー話なのかなー? なんか、イマイチ納得できないんだけど!」
すると、浅川亜季がまたチェシャ猫のように白い歯をこぼした。
「それじゃあ、ここからがおせっかいなアドバイスねぇ。耳がよすぎてギターのフレーズがひっかかるっていうんなら、歌メロのガイドになる音を別個で鳴らせばいいんじゃないのかなぁ?」
「歌メロのガイド?」
「うん。たとえば、ピアノとかねぇ」
浅川亜季の軽妙なる返答に、町田アンナは顔をしかめて、栗原理乃は青ざめた。
「理乃に、ピアノを弾けってこと? ウチ、ツインギターも好みじゃないけど、キーボードってのもあんま好みじゃないんだよねー!」
「『KAMERIA』のサウンドにデジタルな音を割り込ませるのは、難しそうだよねぇ。でも、ピアノの音なら、ハマりそうじゃない?」
「んー? でも、ライブハウスにピアノなんて持ち込めないっしょ?」
「あんた、グランドピアノでも想像してるの? バンドで使うピアノなんて、電子ピアノで十分でしょ」
フユの素っ気ない言葉に、町田アンナはきょとんとする。
「ちょっとウチにはよくわかんないんだけど……電子ピアノって、キーボードとは別物なの?」
「私だって鍵盤楽器には疎いけど、想像ぐらいつくさ。電子ピアノってのは、アナログのピアノの音を再現できるように突き詰められた代物でしょ」
「うんうん。鍵盤なんかもしっかり重くて、グランドピアノに負けないぐらいタッチをつけられるはずだよぉ。もちろん普通のキーボードにだってピアノの音色は内蔵されてるだろうけど、やっぱりずいぶん趣は違ってくるんじゃないかなぁ」
「えーっ! それじゃあバンドでも、生音みたいなピアノの音を使えるんだー?」
町田アンナは鳶色の瞳を輝かせたが、すぐさまオレンジ色の頭を振りやった。
「いやいや! でも、理乃はピアノにトラウマがあるから――わーッ! 理乃、だいじょーぶ? 理乃に無理やりピアノを弾かせたりしないよー!」
栗原理乃がおなかを抱えて屈みこんでしまったため、町田アンナは大慌てでその背中を撫でさすった。
しかし栗原理乃は、張り詰めた面持ちで首を横に振る。
「ううん……大丈夫だよ……それでアンナちゃんが、自由にギターを弾けるなら……私も試してみたい」
「でも、想像しただけでおなかが痛くなっちゃってるじゃん!」
「大丈夫だよ……そのために、リィ様を準備したんだから……」
栗原理乃は真っ青な顔色で、凛々しい表情になりながら、口もとをほころばせた。
「まずは、練習で試してみるよ……電子ピアノだったら、練習用に買ってもらったから……ずっと物置に眠ってるの」
「本当に? いくらバンドのためでも、理乃が無理する必要はないんだよ?」
「無理じゃないよ……それで『KAMERIA』が、もっと素敵なバンドなれるなら……私も、試してみたい」
町田アンナは「もー!」と声を張り上げながら、幼馴染の華奢な体を抱きすくめた。
「ほんと理乃も、めぐるに似てきたよねー! 理乃とめぐるにはさまれてると、ウチって実はケンキョな人間だったのかなーって思えてきちゃうよ!」
「うんうん。アンナっちも遠慮なく暴走したら、『KAMERIA』はますますかっこよくなると思うよぉ」
浅川亜季がそのように言いたてると、フユがさらに言葉を重ねた。
「あんたたちの演奏は、まだまだ骨っぽい。その骨をどれだけ太くして、どんな肉をつけられるかで、結果は変わってくるだろうさ。あんたたちが上を目指すなら、出し惜しみはしないことだね」
「別に、出し惜しみをしてるつもりなんてなかったけどさー! バンドにピアノを持ち込むなんて発想、ウチらにはなかったし!」
「それじゃあ、あんたの歌に関してはどうなのさ? あれだけの歌声を持ってて使わないのは、出し惜しみも同然だよ」
「あたしも、そう思う! 理乃ちゃんとアンナちゃんの歌声は、すごくハマってたもん! コーラスとかツインヴォーカルとかでうまく使えば、すごい武器になるはずだよー!」
ハルも元気に声をあげると、「ウチの歌かー」と町田アンナはオレンジ色の頭を引っかき回した。
「確かにライブで歌ってみたら、想像以上に気持ちよかったけどさー。でもやっぱり、ギターをしっかり弾こうと思ったら、歌まで手が回らないんだよねー」
「ふふふ。それが、頑張りどころなんじゃない? あたしだってそれなり以上の努力をして、ギタボを受け持ってるつもりだしねぇ」
そんな風に言ってから、浅川亜季は年老いた猫のように微笑んだ。
「でもまあ、最後に決めるのは本人だよぉ。めぐるっちのエフェクターに関しても、理乃っちのピアノに関しても、アンナっちの歌やギターフレーズに関しても、自分たちでしっかり考えて、納得のいく答えを出せばいいさぁ。あたしらなんて、しょせん部外者なんだからねぇ」
「もー! めぐるが呪いとか言ってた意味がわかったよ! ほんっと、こっちを悩ませてくれるよねー!」
そんな風に応じつつ、町田アンナは彼女らしい陽気な笑みをたたえた。
「でもまあ、しっかり考えてみるよ! てゆーか、どれもこれも実際に試してみないとわかんないからね! こりゃーしばらくは、シコーサクゴの日々だなー!」
「うんうん。頑張ってねぇ。それじゃあお昼までは、それぞれのバンドに分かれて練習に取り組むことにしよっかぁ」
浅川亜季がそのように言いたてると、和緒がひさびさに「あの」と発言した。
「あたしはひとりで蚊帳の外なんですけど、なんのアドバイスもいただけないんでしょうか?」
「うん。和緒っちは、そのまま頑張ればいいと思うよぉ。現時点でも、キャリア数ヶ月とは思えない完成度だからさぁ」
浅川亜季の気安い返答に、和緒は「そうですか」と肩をすくめる。
「まあ、あたしみたいに無個性な初心者にはアドバイスの送りようもないんでしょうね。せいぜい人間メトロノームとして磨きをかけることにしましょう」
「んー? 和緒っちは、ハルとのディスカッションが足りてないのかなぁ?」
「いやー、あたしはあたしなりにアドバイスしたつもりなんだけど! 和緒ちゃんは、なかなか納得してくれないんだよねー!」
と、ハルが和緒のほうに身を乗り出した。
「あのね、和緒ちゃんって、かなりいいセンいってるの! テンポは正確だし、リズムも安定してるし、音も綺麗にヌケてるし! ドラマーとして必要な三拍子がそろってるんだよ! 何度も何度も言ってるけど、それってすごいことなんだからね!」
「そうだよねぇ。機械みたいな正確さって、あたしは最大限のほめ言葉のつもりなんだけどなぁ。和緒っちは、お気に召さないみたいだねぇ」
「お気に召さないというか、それを自慢する気持ちにはなれないってところですかね。正確さを求めるなら、リズムマシーンで十分じゃないですか」
和緒がすました顔でそのように応じると、フユがうろんげに眉をひそめた。
「どうもあんたは、リズムマシーンをなめてるみたいだね。もしかして、リズムマシーンにグルーブはないとでも思ってるの?」
「はあ。グルーブやらフィーリングやらってのは、生身の人間が生み出すものなんじゃないんですか?」
「だったらどうして、ダンスミュージックのドラムはリズムマシーンが主流なのさ? 人を踊らせたくなるようなリズムってのは、グルーブの一環なんじゃないの?」
すると、ハルが「あはは」と笑い声をはさんだ。
「フユちゃんって、ラッパーとDJのユニットにもゲスト参加してるんだよ! だから、そっち系の音楽を語らせるとうるさいよー?」
「ふん。とにかくね、機械には機械ならではのノリってやつがあるんだよ。あんたは機械みたいに正確だけど、機械じゃない。だったら、機械と人間のノリを両立させるぐらいの気概を見せてみな」
「うんうん。そのいい見本が、理乃っちなんじゃないかなぁ? 理乃っちってボカロみたいな歌声だけど、妙に生々しい部分があるでしょ? これこそ、デジタルとアナログが絡み合ったような魅力だと思うんだよねぇ」
「そうそう! ヴォーカルとドラムの縦のラインと、ギターとベースの横のラインで、『KAMERIA』には二種類の魅力があると思うんだよねー! それががっちりクロスしてるからこそ、『KAMERIA』はこんなにかっこいいんじゃないかなー! もしもあたしが『KAMERIA』のドラムだったら両サイドの勢いに流されまくって、理乃ちゃんが浮いちゃうかもしれないもん!」
『V8チェンソー』のメンバーに包囲網を敷かれて、さしもの和緒も白旗を上げることになった。
「承知しました。ひとりだけ蚊帳の外で、ついついかまってちゃんとしての一面が出てしまったみたいです。みなさんのお言葉を励みに、これからも頑張ったり頑張らなかったりします」
「あははぁ。そんな言葉を真顔で吐けるのも、和緒っちの魅力だよねぇ。……じゃ、あらためて練習に取りかかろっかぁ」
この時点で、時計の針はまだ午前の十一時にもなっていない。リビングで朝食を終えてから、まだ一時間も経過していないのだ。
しかしこの一時間足らずで、自分たちはどれだけ成長の足がかりをつかむことができたのか――めぐるには、想像することも難しかったのだった。




