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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 2-

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03 歪み

「それにしても、フユちゃんはすっげー数のエフェクターを持ってるんだねー! 予備まで合わせたら、二十台オーバーじゃん!」


 やがてフユの激昂がいくぶん収められると、町田アンナが陽気な調子でそのように言いたてた。そしてすぐさま、「あれー?」と目を見開く。


「これって、ラットじゃん! しかも、ベース用とかじゃなくって、アキちゃんのと同じやつじゃない?」


「ああ、ラットはギター用でも太い音が出るから、ベーシストでも愛用者が多いらしいよぉ。あたしもけっこう、好きな感じかなぁ」


 フユではなく浅川亜季がそのように答えると、町田アンナは「へー!」と鳶色の瞳を輝かせた。


「だったら、めぐるも使ってみればー? 二人してラットを使ったら、面白いかも!」


「ま、町田さんは、そのラットっていうエフェクターを買うことに決めたんですか?」


「うん! 今のところ、最有力候補だねー! いちおー楽器屋で、ディストーションのペダルを試しまくるつもりだけどさー!」


 すると、浅川亜季が「へえ」と愉快げに笑った。


「あたしもアンナっちのテレキャスにラットはマッチするなあって思ってたけど……でも、オレンジ色じゃないのに、いいのかなぁ?」


「うん! いざとなったら、自分でデコりまくるよー! ジューヨーなのは、やっぱ音だしねー!」


 そんな風に語ってから、町田アンナはぐりんっとめぐるに向きなおってきた。


「で、どーかな? めぐるも歪みのバリエーションを増やしてみたら?」


「は、はい。でも、これはフユさんのエフェクターですので……」


 めぐるがもじもじしていると、フユは「ふん!」とそっぽを向いてしまう。

 すると和緒が、再び「どうしても」と囁きかけてきた。


「も、もうだまされないからね! かずちゃんは、ほんとにひどいよ!」


「うむ。ようやくあたしの非道さがマイフレンドにも伝わったみたいで、感無量だよ」


 和緒のすました顔をにらんでから、めぐるはフユに向きなおった。


「あ、あの、フユさん……こちらもちょっと、お借りしていいですか? もちろん音を確認したら、すぐにお返ししますので……」


「……それよりあんたは、ビッグマフの音作りを何とかするべきじゃない?」


 フユはそっぽを向いたまま、横目でめぐるをねめつけてきた。


「あんたはまだまだ、ビッグマフを使いこなせてないように思うよ。ギター用のビッグマフを無理やり使おうってんなら、せめてブースターでもかましてみたら?」


「ぶ、ぶーすたー?」


「ギターでも、歪みにブースターをかますのは定番なんだよ。強い歪みは輪郭がぼやけがちだから、低域を引き締めたり中域をブーストさせたりするのが目的だね。私もラットを使うときは、このオーバードライブをブースターとして使ってた」


「へー! でも、歪みに歪みを重ねたら、余計わやくちゃになっちゃうんじゃないのー?」


 町田アンナがそのように言いたてると、フユは鋭い眼光をそちらに向けなおした。


「だから、オーバードライブのほうはドライブをカットするか、クランチていどにしておくんだよ。オーバードライブの持ってる中域のブースト機能で、ヌケをよくしようってのさ。世の中には、それを目的にしたTS系のペダルなんてもんが出回ってるぐらいだからね」


「へーっ! よくわかんないけど、めぐるも試してみなよー! ついでに、ラットのほうもお願いねー!」


 町田アンナの熱情に引きずられる格好で、めぐるはさまざまなエフェクターを配線することになった。自前のラインセレクターの前段にトーンハンマーなるプリアンプを繋ぎ、さらに後段にはオーバードライブ、ラット、ビッグマフと三台もの歪みのエフェクターを並べる格好である。なおかつ、フユのエフェクターはいずれも電源アダプターや電池の準備がなかったため、電源供給はすべてパワーサプライでまかなわれることに相成った。


「あっ。このオーバードライブって、ビッグマフと同じメーカーなんですね」


「……エレハモのベース用ソウルフード。解説文にもオーバードライブ兼クリーンブーストって書かれるぐらい、ブースターとしても優秀だよ。何せ、名機として名高いケンタウロスを再現したエフェクターだからね」


 どれだけ機嫌を損ねても、機材の解説には手間を惜しまないフユである。それをありがたく思いながら、めぐるはセッティングを完了させた。


「ドライブはカットしたね? それじゃあまず、ビッグマフだけをオンにしてみな」


 フユの指示通り、めぐるはビッグマフをオンにした。

 ラインセレクターによって原音とブレンドさせた歪みの音が、凶悪に響きわたる。トーンハンマーもオンにしていたが、力強さが増すばかりで大きな印象の変化はなかった。


「原音を混ぜてるから、そこまでヌケが悪いわけじゃない。でもやっぱり、ビッグマフとしては物足りない。素直にベース用のビッグマフを買っておけば、もっと苦労は少なかったろうにさ」


「す、すみません。それで、こちらのソウルフードというのをオンにすると……どうなるんでしょう?」


「そんなもん、自分の耳で確かめてみなよ。言っておくけど、私はビッグマフを自分のボードに組み込んだことはないからね」


 仏頂面のフユに頭を下げてから、めぐるはソウルフードのスイッチをオンにした。

 とたんに、音量が下がってしまう。ソウルフードのボリュームを下げすぎていたのだ。それでめぐるが、そちらのツマミを少しずつ上げていくと――これまで以上に迫力のある音が響きわたった。


「わーっ! なんかちょっと、ギラッとした感じじゃない?」


 町田アンナの言う通り、金属的な鋭さが増したようである。

 ビッグマフがもともと有している重圧感も、決して損なわれてはいない。ただ、ぼわぼわとくぐもっていた部分がいくぶんシャープになった印象だ。


 それでスラップも試してみると、そちらでも輪郭が強調されたように感じられる。

 これは、好ましい変化であった。


「じゃあ次は、ラットねー!」


 と、町田アンナが横から手をのばして、ラットのスイッチをオンにした。

 とたんに、歪みの音色が盛大にくぐもってしまう。めぐるが力を込めて弦を弾いてみても、ボーボーとくすんだノイズめいた音が発せられるばかりであった。


「あははぁ。ビッグマフを切ってないから、音が飽和しちゃってるんだよぉ」


「あっ、そっかー! ごめんごめん!」


 町田アンナは笑顔でオレンジ色の頭をかきながら、ビッグマフをオフにした。

 とたんに、威勢のいい音色が響きわたる。しっかり低音も出ているが、それよりもジャリジャリとした金属感の強い、きわめて好ましい音色であった。


「おー、やっぱりかっちょいー! ビッグマフとは別物のかっちょよさだねー!」


「それがすなわち、ファズとディストーションの違いってことかなぁ。めぐるっちはラインセレクターで原音も混ぜてるから、いっそうヌケがいいみたいだねぇ」


 めぐるは何だか、背中がむずむずしてしまった。

 何か相反する二つの感情が、せめぎあいを始めたのだ。その正体を確認するべく、めぐるは自ら手をのばしてラットのスイッチを切り、ビッグマフをオンにした。


 こちらはやはり、ラットよりも低音が強い。歪みの質感も、どこかザラついているラットと異なり、ちりちりと毛羽立っていながら、まろやかで丸みが感じられた。

 それからすぐにラットに切り替えてみると、鋭くシャープな質感が心地好い。ビッグマフが全身をくるむような質感であるとしたら、こちらは鋭利に食い込んでくるような質感であった。


「本当に、どっちも格好いいですね……わたしはビッグマフと同じぐらい、ラットの音が好みに合うみたいです」


 そんな風に言ってから、めぐるは心中に生じたもどかしさを吐き出した。


「でも、ふたついっぺんに使おうとすると、あんなおかしな音になってしまうんですね。ビッグマフとラットの音を同時に出せたら、すごく格好よさそうなのに……それが残念です」


 すると、フユが溜息をつき、浅川亜季は「あははぁ」と笑った。


「だったら、ふたつの音を同時に鳴らしてみればいいんじゃない? せっかく機材がそろってるんだからさぁ」


「え? でも……それはさっき、試してみましたよね?」


「さっきのは、ラットで歪ませた音をビッグマフでさらに歪ませた状態でしょ? そうじゃなくって、二つの音をブレンドさせるんだよぉ」


 めぐるがきょとんとしていると、和緒が「ああ」と反応した。


「今このラインセレクターは、Aラインが原音でBラインが歪みなわけですよね。ビッグマフとラットのどちらかを、そのAラインに移すっていうことですか」


「そういうことぉ。そうしたら原音はブレンドできなくなっちゃうけど、ラットのほうは原音なしでも使えるって話なんだから、試す価値はあるんじゃないかなぁ」


 それでめぐるにも、ようやく理解できた。というよりも、ラインセレクターとビッグマフを購入した際に楽器屋の店員から聞かされた言葉を思い出したのだ。ふたつのラインでそれぞれ異なるエフェクターを通せば、それらの音もブレンドできる、と――店員は、確かにそのように語っていたのだった。


「え、ええと、それってどうやればいいんでしょう? Aラインって、この一番上のやつですよね?」


「そうそう。そのアウトからラットに差して、ラットのアウトからセレクターのインに繋げばいいんじゃないかなぁ? フユ、パッチケーブルのおかわりをお願いねぇ」


「ったく、手間のかかる娘っ子だね。……それなら、どっちをソウルフードでブーストさせるかも、それぞれ試してみな。案外、ラットのほうをブーストさせてヌケのよさを片方で強調したほうが、バランスはいいかもしれないよ」


 浅川亜季とフユの指導のもと、めぐるは自分の手でエフェクターを配線しなおした。

 ラインセレクターには、インとアウトのジャックが三つずつ存在する。その最上段のAラインにソウルフードとラットを繋ぎ、二段目のBラインにビッグマフ、そして最下段にベースとアンプを繋ぐ格好であった。


 そうして何とかセッティングを終えためぐるは胸を高鳴らせながら、すべてのエフェクターをオンにした。

 それでベースを弾いた瞬間――めぐるは、慄然としてしまった。


 ビッグマフの重厚でまろやかな歪みと、ラットのシャープで鋭い歪みが、まさしく同時に放出されたのだ。

 分厚い壁のような存在感を保持しつつ、耳を刺すような鋭さも加えられる。めぐるは言葉を失ってしまったが、町田アンナは「おーっ!」と歓喜の雄叫びをあげた。


「すげーすげー! 試しに、『小さな窓』のリフを弾いてみてよ!」


 めぐるは深呼吸をしてから、町田アンナの言葉に従った。

 これまで以上に凶悪な音色が、練習部屋の空気を震わせる。それは、めぐるが初めて味わわされる迫力であった。


「へえ。ビッグマフとラットのブレンドなんて、初めて聴いたけど……これは、極悪な音色だねぇ」


 めぐるが手を止めると、浅川亜季がのほほんとした笑顔でそのように言いたてた。


「どっちの持ち味も活かされてるし、これはなかなかの出来栄えだと思うよぉ。ただ……ベースがここまで強烈だと、それに対抗するギターのほうが大変かなぁ」


「ふふーん! そこはウチが、何とかしてみせるさー! ……でも、ウチまでラットを使ったら、音がぶつかっちゃうかなー? もしそうだったら、ウチは他のディストーションを探してみるよ!」


 町田アンナのそんな言葉に、浅川亜季の笑顔がチェシャ猫めいたものに切り替えられた。


「ずいぶん決断が早いねぇ。アンナっちも、ラットの音を気に入ってたんでしょ?」


「うん! でも、ジューヨーなのはバンドとしての音だしね! めぐるの音はめっちゃかっちょいーから、ウチもそれに負けないエフェクターを探してみるよー!」


 そんな風に宣言してから、町田アンナは「あり?」と小首を傾げた。


「アキちゃん、なんか言いたげなお顔だね! ウチ、なんかおかしなこと言っちゃったかなー?」


「いやいや。言葉の内容そのものは、立派だと思うよぉ。ただ、ちょっと気になる部分もあるんだけど……まずは、こっちが先かなぁ」


 浅川亜季は同じ笑顔のまま、めぐるのほうに向きなおってきた。


「めぐるっちも、ご満悦の様子だねぇ。でもたぶん、『SanZenon』のベーシストはビッグマフとラットのブレンドなんてしてないと思うよぉ?」


 めぐるはまだ半分放心したまま、「え?」と浅川亜季の笑顔を見返した。

 浅川亜季はにんまりと笑いながら、めぐるの顔を見つめている。


「めぐるっちは、『SanZenon』のベースが理想なんでしょ? だったら、彼女がラットやソウルフードやトーンハンマーを使ってたかどうか、元メンバーさんに聞いてみないでいいのかなぁ?」


 めぐるは考えがまとまらないまま、「はい」と応じてみせた。


「あの人と同じ機材を使っても、同じ音を出せるかはわかりませんし……それに……」


「それに?」


「それに……わたしは『SanZenon』じゃなくて、『KAMERIA』のメンバーですから……『KAMERIA』に必要な音を探したいと思っています」


 浅川亜季はゆったりと右腕を持ち上げると、めぐるの額を指先でつんとつついてきた。


「昨日の段階でそんな言葉を聞かせてくれたら、フユもやきもきしないで済んだのにさぁ。ほんとにめぐるっちは、自分の気持ちを言葉にするのが苦手なんだねぇ」


「は、はい。どうもすみません。わたし、頭がお粗末なもので……」


「いいさいいさぁ。心がお粗末より、よっぽど上等だと思うよぉ」


 浅川亜季はくつくつと笑い、フユは「ふん!」とそっぽを向く。

 めぐるとしては、床に額をこすりつけてお礼を言いたいぐらいの心境である。めぐるは今、ベースを初めてアンプで鳴らしたときと同じぐらいの昂揚と悦楽に見舞われていたのだった。

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