02 増幅
かくして、メンバー一同は練習部屋に移動することになった。
その数分間で、めぐるの頭は冷えている。ただ、胸の奥だけは焼けた鉄を呑み込んだように熱いままであった。めぐるは今、怒りにも似た熱情をかきたてられてしまっていたのだった。
「ベースの音作りに関してはベーシストのお二人に任せるしかないけど、とりあえずあたしらも見守らせていただこうかぁ」
「そんなの、あったりまえだよー! めぐるの音作りは、ウチらにとってもシカツモンダイだからねー!」
そんな風に宣言してから、町田アンナは小首を傾げた。
「でも、どーしてめぐるの音だけしょぼくなっちゃったの? さっきラインの音がどうとか言ってたけど、それは他の楽器も同じことでしょ? 普通のライブ映像でも、音はみーんなしょぼしょぼだしさ!」
「それは、音の撮り方に理由があるみたいだよ」
持ち前の朗らかさを保ったまま、ハルはフユのほうを見る。
めぐるがセッティングするさまを無言で見下ろしていたフユは、そこで初めて発言した。
「ライブハウスで撮影してもらう映像の音がしょぼいのは、あんたの言う通りライン録音だからだよ。ギターやドラムはマイクで拾った音だけど、エアー感はほとんどカットされちゃうからね。それじゃあ臨場感ってもんが出ないし、ついでに各楽器の音量バランスも調整されてないから、結果的にしょぼい出来栄えになる。まあ、ミキサーに集めた音をそのまま録音してるだけなんだから、そこで質を求めることはできないさ」
「うんうん! ジューヨーなのは、実際に現場で鳴ってる音だからね! それでさっきは、どーしてベースの音だけしょぼくなっちゃったの?」
「ギターやドラムはマイクで拾った音をスピーカーで鳴らされるけど、ベースはラインとマイクの音を同時に鳴らされる。それに、私の知るライブハウスでは、だいたいラインの音がメインだし……ハコによっては、ラインオンリーだね」
「それがよくわかんないんだよねー! ギターとベースで、何が違うの?」
「ベースの低音ってのはコントロールしにくいから、マイクで拾った音よりラインの音のほうが扱いやすいのさ。レコーディングなんかでも、ベースの音はだいたいラインで録音されるはずだししね」
そんな風に言いながら、フユはめぐるの使用するベースアンプにぽんと手を置いた。
「あんたはこれで、二回のライブを経験した。だったら、わかるでしょ? あんたがベースからのばしたシールドは、直接アンプに繋がなかったはずだ」
「はい。ベースアンプの上に、小さな箱が置かれていて……たしか、DIでしたっけ? こちらのシールドはそのDIという箱に繋いで、DIからアンプに別のシールドが繋がれている格好でした」
「そう。DIの正式名称はダイレクトボックスで、そこからミキサーにまで繋がれてるんだよ」
そうしてフユは、めぐるのベースアンプから抜いたシールドを彼女のエフェクターボードに繋ぎなおした。さらに、ずいぶんな長さを持つシールドをプリアンプに接続する。
「このプリアンプにはDIの回路もついてるから、ここからミキサーに接続する。こっちのエフェクターは全部オフにしてるから、そのつもりでね」
フユはそちらのシールドを長くのばして、ヴォーカルのマイクが繋げられているミキサーに接続した。
「音を出してみな。とりあえずは、歪みを切ったクリーンでね」
めぐるがベースを爪弾くと、モニターからベースの音が聴こえてきた。
キンキンとした、金属的な音色だ。線が細くて、ベースらしい重々しさに欠けている上に、どこかくぐもっていて輪郭がぼやけていた。
「これが、ラインの音。あんたはベーアンで低域から高域までまんべんなくブーストさせてるんだろうけど、そんな操作も一切反映されることはない。もちろんライブではPAのスタッフがミキシングして、ベースに相応しい音に調節するけどさ。それは、あんたのコントロールの外にあるってわけだよ」
だんだんと、めぐるの頭にもフユの言葉が理解できてきた。
「とにかくライブの会場では、このラインの音がメインで鳴らされてる。もちろんベーアンからも大層なボリュームで鳴らされてるんだから、そっちの比重も小さくはないだろうけどさ。この前の野外フェスみたいに馬鹿でかい会場だと、ラインの音に頼る比重が爆あがりするってことだね」
「なるほどー! それじゃあライブハウスなら、あそこまでしょぼしょぼの音にはならないってことだよねー?」
「そりゃあ、野外の会場に比べればね。でも、ステージから遠ざかれば遠ざかるほど、アンプよりスピーカーの外音のほうが比重は大きくなる。ラインの音を軽視していたら、自分の理想からどんどん外れていくはずさ」
すると、和緒が真面目くさった面持ちで挙手をして、発言した。
「質問です。フユさんみたいにプリアンプが内蔵されたベースだと、ラインの音にもあるていど干渉できるわけですか?」
「あるていどは、ね。でも、昨日も言ったでしょ。ベースに内蔵されたプリアンプだけじゃ、限界がある。より重要なのは、足もとのペダルだよ」
「なるほど。足もとで音を作るベーシストが多いっていうのは、そこに起因するわけですか」
「そういうこと。……あんた、ペダルを踏んでごらん」
めぐるは、ラインセレクターのエフェクターをオンにした。
ビッグマフのほうは最初からオンにしていたので、それでサウンドに歪みがかかる。しかし原音が細いため、その迫力も半減以下であった。
「エフェクターはDIより手前にあるから、プレイヤーがコントロールできる。外音に自分の音作りを反映させたいなら、ベース本体と足もとの音作りが重要ってことさ」
「なるほどなるほどー! いくらアンプのほうで音作りをしても、それはDIとかいう装置の後だから、PAさんのいじくる外音に反映されないってことね! ウチにも、ようやく理解できたよー!」
と、町田アンナが表情を輝かせた。
「だったら、問題解決じゃん! めぐるもエフェクターを買い集めて、そっちで音作りすればいいんだよー!」
「……それで、解決するんですか?」
めぐるがそのように問いかけると、フユは無言のまま浅川亜季に目配せをした。
浅川亜季は得たりと、めぐるのベースから抜いたシールドをフユの五弦ベースに繋ぎなおす。そうしてフユの合図で五弦ベースを爪弾くと――モニターから、実に艶やかなベースの音色が鳴り響いた。
「ミキサーのツマミはいじってないから、しょぼい音だね。でも、あんたのベースとは段違いでしょ? ベース本体のプリアンプでパワーが増幅されてるから、よりクリアーな音を鳴らせるんだよ。……じゃ、エフェクターもオンにしてみな」
「あいあいさー」と、浅川亜季はプリアンプのエフェクターをオンにした。
それから五弦ベースを鳴らすと、モニターからは割れた音色が響きわたる。フユは顔をしかめながら、ミキサーを操作した。
「パワーが出すぎて、音が割れちまったね。……これでどう?」
浅川亜季はしなやかな指づかいで、五弦ベースを弾きまくる。
モニターからは、パワフルで艶のある音色が鳴り響いた。輪郭もくっきりしているため、浅川亜季の指づかいがそのままきっちり出音に反映されている。最初に鳴らされためぐるのベースの音とは、もはや比較にもならなかった。
「こういうことだよ。理解できた?」
「は、はい……ベースとエフェクターの違いで、こんなにも差が出るものなんですね……」
めぐるは、がっくりと肩を落とすことになった。
「でも、わたし……そんなにたくさんのエフェクターを買いそろえる資金はないんです」
「何もいきなり山ほどのエフェクターを準備する必要はないさ。重要なのは、プリアンプだよ」
ミキサーのボリュームを落としてから、フユはめぐるのもとに近づいてきた。
「そもそもあんたの使ってるリッケンは、80年製でしょ? それならピックアップもハイゲインのタイプに切り替わってるけど、リアのほうはハイパスコンデンサーが組み込まれてるタイプのはずだ。もちろんそのピックアップには独自の魅力があって、のちのち後継機の4003シリーズにもビンテージトーンサーキットとして搭載されたぐらいだけど……それでヘヴィな楽曲に取り組むのは、パワー的にちょっと厳しい。リッケンベースにビッグマフをかまそうなんて考える人間は、だいたいピックアップをもっとパワーのあるやつに交換するか、あるいはエフェクターのプリアンプでパワーを出そうと考えるんじゃないのかな」
「ピックアップの交換ですか……ベース本体には、あまり手を加えたくないのですけれど……」
「そんなのは、あんたの自由だよ。プリアンプのエフェクターだって、しょせんは選択肢のひとつさ。そもそもベースにエフェクターをかませるのは邪道だっていう主義の人間だって、世の中には山ほどいるんだからね」
フユはめぐるのかたわらで膝をつき、眼鏡ごしに鋭い視線を突きつけてきた。
「私は私の好きで、エフェクターを使いまくってる。あんただって、自分の好きでビッグマフを使ってるんでしょ? プリアンプだって、同じことさ。あんたが必要だと思えば使えばいいし、そうでないならこのままいけばいい。言っておくけど、ラインで鳴らされるのはベースがもともと持ってる音なんだ。プリアンプをかましたら、どうしたってプリアンプのキャラクターが入り混じって、ベース本来の個性は薄まることになる。リッケンバッカーそのままの魅力を楽しむか、エフェクターで別の魅力を加えるかは、使う人間次第なんだよ」
「わたしは……」と、めぐるは口ごもることになった。
しかし、ここで言葉を失うことは許されない。めぐるは体内に渦巻く思いを、そのまま吐き出すしかなかった。
「わたしはなるべく、このベース本来の魅力を出してあげたいと思っていますけど……でも……ステージと客席で聴こえる音に、そこまで大きな違いが出てしまったら……ライブをやる意味を見いだせそうにありません」
「だったら、そういう音作りを目指すしかないでしょ。リッケンの魅力を損なわないように、自分好みの音を作るんだよ」
フユは再び身をひるがえして、別の壁際に歩み去っていく。そちらで取り上げられたのは、これまで出番のなかった謎のエフェクターボードであった。
フユが使用しているものと同じぐらい、巨大で立派なエフェクターボードである。めぐるのもとに戻ってきたフユが、床におろしたボードの蓋を外すと――その内側には、大量のエフェクターが収納されていた。
「わー、何それ? 使ってないエフェクターが、なんでそんなにいっぱいあるのー?」
「こいつは、私がこれまでに買い集めてきたエフェクターだよ。いま使ってるのは、この中から厳選された精鋭部隊ってことさ」
そのように説明しながら、フユは三台のエフェクターをボードから取り分けた。
さらに、自分のボードからは二台のエフェクターを配線から外して、その横に並べていく。合計で五台のエフェクターが、めぐるの眼前に並べられた。
「こいつは全部、プリアンプだ。まずは、自分のベースで使い心地を試してみな。買うかどうかは、それから決めればいい」
「わざわざそのために、使っていないエフェクターまで持ち込んでくれたわけですか。つまり、あの映像の視聴会からこういう展開になることまで想定済みだったわけですね」
和緒がそのように言いたてると、フユは「やかましいよ」とそっぽを向いてしまう。
めぐるは得も言われぬ感慨に見舞われながら、そんなフユに向かって深く頭を下げることになった。
「フユさん、本当にありがとうございます。こんな親切にしていただいて、どう恩返しすればいいのか……」
「だから、やかましいってんだよ! 御託はいいから、さっさと手を動かしな!」
そんな風にわめきながら、フユのほうが先に手を動かした。五台のプリアンプにパッチケーブルを繋ぎ、新たなパワーサプライで電源を供給してくれたのだ。
めぐるもまた、自分のエフェクターに繋いでいたシールドをプリアンプのエフェクターに繋ぎなおす。その間に、フユはエフェクターのアウトプットに差したシールドをアンプまでのばしてくれた。
「……ああ、そうだ。音作りの基本をわきまえてないと、こんな検証も無意味だろうね」
と、フユがあらたまった口調でそのように言い出した。
「『SanZenon』に憧れてるあんたは、リッケンベースに本来以上のパワーを求めてる。でも、低域を出しすぎると飽和して音が回っちゃうし、中域を出しすぎると歌やギターの音域にぶつかる。だから、スピーカーで鳴らされるラインの音では低域や中域をカットされて、余計に頼りない音になっちまうのさ。どれだけプリアンプで音を作っても、そこで極端なブーストをかけていたら、けっきょく外音は望まない形に修正されることになる」
フユの難しい言葉を何とか理解しようと努めながら、めぐるは「はい」とうなずいてみせた。
そんなめぐるを真っ直ぐに見つめ返しながら、フユはさらに言いつのる。
「だから、重要なのはブーストじゃなく、カットなんだよ。低域を主張したいなら高域をカットして、高域を主張したいなら低域をカットする。プリアンプで基本のパワーを増幅させた上で、そういう調整を心がけるんだ。ベーアンのトーンコントロールは全部フラットにしておいたから、まずはプリアンプだけで音を作ってみな」
「はい、わかりました。わたしにどれだけのことができるかはわかりませんけど……なんとか、頑張ってみます」
「ふん。私の大事なエフェクターで、へぼい音を出すんじゃないよ?」
最後は彼女らしい憎まれ口で締めくくり、フユはプリアンプのひとつをオンにしてくれた。
最初に選ばれたのは、フユが常時かけっぱなしにしているプリアンプである。
めぐるが弦を弾いてみると、実に艶やかな音色が響きわたった。
「確かにベース本体を変えると、音も変わってくるみたいですけど……でもやっぱり、すごく綺麗な音ですね」
「私は、何も言わないよ。自分の耳で、善し悪しを決めな」
「……ツマミをいじらせていただいてもいいですか?」
フユは無言のまま、肩をすくめる。
それを了承の合図と解釈して、めぐるはツマミをいじらせていただいた。
こちらのプリアンプには実にたくさんのツマミがついており、さまざまな音色を楽しむことができた。音質の調整もベース、ローミッド、ハイミッド、トレブルと分けられており、さらに細かく周波数を設定することも可能なようである。こちらのエフェクターに関しては昨日の内からそれなりに解説されていたが、一朝一夕に使いこなすことはできそうになかった。
それに――どれだけツマミを回しても、めぐるが最初に感じた艶やかさに変化はないようである。
きっとこれが、プリアンプの持つキャラクターというものであるのだろう。今やめぐるにとって、それはフユのキャラクターとして感じられてならなかった。
(本当に、プリアンプっていうのは音の根本を決めるエフェクターなんだ……)
めぐるはフユにお礼を言って、最初の試奏を終えることにした。
次なるは、フユが歪みのエフェクターとして使用しているプリアンプである。そちらは最初のプリアンプほど、主張は強くないようであった。
歪みのスイッチをオンにしてみると、そちらの音色も心地好い。ビッグマフとはまったく異なる、吠えるようなサウンドである。ミドルをブーストさせてみると、その心地好さが跳ねあがった。
「おー、いいじゃん! ウチは、こっちのほうが好みかも!」
「こいつは大昔から定番のプリアンプだね。プロでも、使ってる人間が多いよ」
そんな風に言ってから、フユはじろりとめぐるの顔をにらみつけてきた。
「それだけ長年人気を保ってるってことは、使い勝手がいいってことさ。ただし、最後に決めるのはあんただよ」
めぐるは「はい」とうなずきつつ、次のプリアンプに取りかかることにした。
ここからは、まったく未知なる領域である。めぐるが選んだのは、黒地に黄色のカラーリングが鮮やかな機体であった。
「そいつも、定番のプリアンプだ。ただし、さっきのやつよりもクセは強い」
フユの言う通り、そちらのプリアンプを通すとずいぶんな迫力と野太さが感じられた。
これはこれで、きわめて好ましい音色であるのだが――しかし、常時かけっぱなしにするとなると、ずいぶん音色を支配されてしまうようである。そしてやっぱり、どのツマミをいじっても基本の印象に変わりはなかった。多彩な音を作れるのに基本の印象が変わらないというのは、確かにベースアンプのツマミを操作するのと似た感覚である。
(どっちかっていうと、これはビッグマフみたいに特別な場面で使いたくなる感じかな……)
トータル的に、めぐるとしては二番目のプリアンプのほうが好みであるようであった。
そうして四番目のプリアンプは、渋みのあるゴールドとブラックで配色された、いくぶん古めかしく感じられるデザインである。そちらも、実に艶やかな音色であった。
「……そいつは私がブイハチの前のバンドで、メインにしてたプリアンプだ」
フユの言う通り、これは彼女を連想させる音色であった。
艶やかで、力強い。それが、めぐるの持つフユのイメージであるのだ。
(そもそもわたしは、リッケンベースの本来の持ち味がどういうものなのかもわかってないんだけど……それでどうして、さっきはあんな偉そうなことを言っちゃったんだろう)
めぐるは何だか、迷路に彷徨いこんだような心地であった。
いずれのプリアンプも、素晴らしい音色であるように思えるのだ。二番目のプリアンプがもっとも好ましく思えたものの、それだって何に起因しているのかはさっぱりわからなかった。
(基本の音を決めるためのエフェクターを選ぶなんて、わたしには荷が重いのかも……)
そんな思いを噛みしめながら、めぐるは最後のエフェクターに手をかけた。
黒地に白い文字とラインがプリントされた、シンプルなデザインである。めぐるがそちらのスイッチをオンにしてみると――ただ音圧だけがふくれあがった。
ツマミは、六つ存在する。ベース、ミドル、トレブルに、ミドルの数値を設定するフリーケンシー、マスターとゲイン――フリーケンシーを除けば、アンペグのベースアンプと同じような配置である。そのせいか、めぐるはいっそうアンプを操作しているような心地であった。
プリアンプ独自のキャラクターというのは、希薄なようである。
試しにスイッチをオフにして聴き比べてみても、基本の印象に変わりはない。ただ純然と、パワー感が増すような感覚であった。
「わたしは……これが一番、理想的かもしれません」
「……トーンハンマーか」と、フユはスパイラルした前髪をかきあげた。
「そいつは同じメーカーから出してるベース本体用のプリアンプをそのままエフェクターに仕上げた作りで、原音重視のプリアンプって言われてるね。いちおうあんたにも、それを聴き分ける耳はひっついてるわけだ」
「は、はい。あくまで、個人的な印象ですけれど……常にかけっぱなしにするなら、これぐらい自然な音がいいかなと思って……基本の印象は変わらなくても、力強さは増すみたいですし……」
「うんうん! それにやっぱり、迫力も出てると思うよー! 二番目のやつも捨て難いけど、コレだったらウチも文句はないかなー!」
そんな風に声を張り上げてから、町田アンナはにこりと笑った。
「あ、ウチもついつい口を出しちゃったけど、決めるのはめぐるだからねー! どのエフェクターを選んでも、めぐるの自由だよ!」
「はい。とりあえず、このエフェクターを買ってみようかと思います」
めぐるの言葉に、フユは「ふん」と鼻を鳴らした。
「こんなちょろっと試しただけで、いきなり現物を買おうっての? プリアンプのエフェクターなんて、他にも山ほど出回ってるんだよ?」
「は、はい。でも、わたしはぶきっちょなので……実際にスタジオとかライブとかでも使ってみないと、本当の善し悪しはわからなそうですし……」
「あっそう。言っておくけど、そいつの価格は三万円前後だよ」
「さ……!」と、めぐるは絶句してしまった。
フユは無言のまま、めぐるの顔を見据えている。そうしてしばし沈黙がたちこめると、浅川亜季がひさびさに「あははぁ」と笑い声を響かせた。
「ガマン比べが始まっちゃったよぉ。和緒っち、大切な親友をフォローしてあげればぁ?」
「親友じゃなくて、マイフレンドです。それにこのプレーリードッグは何かを我慢してるんじゃなく、バイトで稼いだお金を大放出するかどうか悩んでるだけだと思いますよ」
「そっかぁ。それじゃあやっぱりここは年長者として、フユが折れるしかないんじゃないかなぁ?」
フユは心の底から不機嫌そうに、深々と溜息をついた。
「……私はしばらく、プリアンプを入れ替えるつもりもない。あとは、あんたの出方しだいだね」
「で、でかたしだい?」
めぐるがきょとんとすると、フユは「ああもう!」と自分の頭をかき回した。
「どうしてもって言うんなら、そいつを貸してやるって言ってるんだよ! 私がそいつを持ち帰ったって、またクローゼットに押し込むだけなんだからね!」
「で、でも、そんな高価なエフェクターをお借りするのは申し訳ないですし……」
「壊したら、あんたが自腹で修理するんだよ! 剛三さんだったら、格安で引き受けてくれるだろうさ!」
剛三とは、『リペアショップ・ベンジー』の店主のことである。
それでもめぐるがまごまごしていると、心優しき和緒が何事かを囁きかけてきた。半分がた思考停止していためぐるは、その指示通りに声を張り上げる。
「ど、どうしても!」
フユは一瞬きょとんとしてから、めぐるの胸ぐらをつかんできた。
「あんたねー! 私をからかうとは、いい度胸してるよ!」
「そ、そんなつもりはありませんでした! かずちゃん、ひどいよ!」
「嗚呼、プレーリードッグの運命や如何に。次号へ続く」
かくして、めぐるはフユからトーンハンマーという素敵な名を持つプリアンプのエフェクターを拝借することに相成ったのだった。




