06 最初の夜
七名のバンドメンバーが練習部屋にこもっている間に、粛々と時間は過ぎていき――午後の七時を迎えたところで、ディナーが開始されることになった。
合宿初日のディナーは、豪勢にバーベキューである。こちらの別荘には、中庭にバーベキューの器具まで取り揃えられていたのだった。
「すっげー! 高そうな肉が山盛りだー! ウチらは三日分の食事代で三千円ずつしか払ってないのに、ほんとに大丈夫なのー?」
「大丈夫さぁ。値の張る食材は、みんなフユの実家からちょろまかしてきたからねぇ」
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。いつまで経っても冷凍庫から減らない分を、拝借してきただけさ」
そんなやりとりとともに、大量の食材が鉄板で焼かれていく。七名の人間が織り成す活力と炎の熱気で、めぐるは目が眩んでしまいそうだった。
しかし同時に、めぐるの心は深く満たされている。この数時間は普段と異なる練習やディスカッションに没頭することができたし、それを終えたのちも自宅の離れに戻ることなくバンドメンバーたちと同じ場所で同じ時間を過ごせるのだ。たとえディナーがこれほど豪勢なものでなくとも、めぐるの抱く充足の思いに変わりはないはずであった。
町田アンナとハルは楽しそうにはしゃぎながら、次々と食材を焼きあげていく。栗原理乃はひっそりと幼馴染の仕事を手伝っており、浅川亜季とフユは備えつけのベンチでビール缶を傾けている。そして、そちらの対面のベンチに座しためぐるは、和緒と横並びで町田アンナたちの焼きあげてくれた肉や野菜をついばんでいた。
日が沈んで気温が下がったため、屋外でもそれほど過ごしにくいことはない。暗い空に白い煙がもうもうとたちのぼっていくさまが、なんとも非日常的だ。見知らぬ場所で見知った相手とくつろいでいるこのシチュエーションが、めぐるの心を絶え間なく揺さぶっているようであった。
「えーっ! それじゃあめぐるちゃんって、あの立て看板を見ておじいちゃまのお店に向かうことになったのー?」
と、ハルがびっくりまなこでめぐるのほうを振り返ってくる。
めぐるがきょとんとしていると、町田アンナが元気よく「そうだよー!」と応じた。
「あの立て看板にリッケンベースの絵が描かれてたから、それでふらふらあの路地に引き寄せられちゃったんだってー! そーだよね、めぐる?」
「は、はい。それがどうかしましたか?」
「どうしたもこうしたも! あの立て看板って、あたしが描いてあげたんだもん!」
ハルの言葉に、めぐるは心から驚かされることになった。
そうしてめぐるが言葉を失っている間に、ハルはおひさまのような笑みを浮かべる。
「それでめぐるちゃんがリッケンベースを買うことになったなんて、なんか不思議な気分だなー! もしもあたしがリッケンじゃなくジャズベやプレベを描いてたら、めぐるちゃんはおじいちゃまのお店に行かなかったかもしれないんだもんねー!」
「うんうん、ほんとだねー! そしたら、ウチらの運命までわやくちゃだったよー! ハルちゃんは、ウチらの大恩人だねー!」
「あはは! 大恩人は、言い過ぎだよー! お店でベースを売ったのは、アキちゃんなんだしね!」
「そうだねぇ。ってことは、フユだけ『KAMERIA』結成のお役に立ってないわけかぁ」
「やかましいね。そんなもん、関わらなくて幸いだったよ」
フユはぶすっとした面持ちでビール缶を握り潰し、それをゴミ入れのビニール袋に投げ捨てた。それを横目に、ハルはまた笑顔で声を張り上げる。
「それにしても、学校の軽音楽部で『KAMERIA』みたいに凄いバンドが結成されるなんて、ほとんど奇跡だよねー! こんな個性的なメンバーが同じ学校の同じ学年に集まるなんて、普通はありえないと思うよー!」
「えへへ。自分でもそう思ってるけど、人に言われると照れちゃうなー!」
町田アンナはにこにこと笑いながら、鉄板の肉塊をひっくり返した。
「そーいえば、ブイハチのみんなはどうやって知り合ったの? 好きな音楽がバラバラなのに、どうしてバンドを組むことになったんだろうって、ずーっと不思議に思ってたんだよねー!」
「お、それを聞いちゃう? 話せば長くなるんだけど、うちらもすったもんだあってさー!」
町田アンナと一緒に働くかたわらで、ハルもレモンハイの缶を傾けた。ハルが飲酒する姿を見るのは、めぐるも初めてのことである。
「あたしらが初めて出会ったのは『ジェイズランド』のイベントだったんだけど、その頃はみんな違うバンドを組んでたの。あたしはパンク系のガールズバンドで、アキちゃんはゴリゴリのガレージロック、フユちゃんはファンク系のミクスチャー、ナッちゃんは男女ヴォーカルの歌ものロックって感じでさ!」
「へー! そんなバラバラのジャンルで、同じイベントに出てたの?」
「うん! ジェイさん企画の、『ノンジャンル・ウォー』ってイベントでさ! あえてバラバラのジャンルのバンドをぶつけて、おたがいに刺激を与え合うべしっていうコンセプトだったんだよ! あれはあれで面白いイベントだと思うんだけど……ただ、あたしらのバンドはみーんな問題を抱えててさー! あたしのバンドはお金関係、フユちゃんのところは音楽の方向性、アキちゃんとナッちゃんは異性関係のトラブルって感じでね! 出演バンドの四つ全部が、空中分解寸前の状態だったんだよー!」
黙って話を聞いていためぐるも、思わず目を丸くすることになった。
そんなめぐるの隣で大人しくしていた和緒も、ひさかたぶりに「へえ」と発言する。
「バンドにトラブルはつきものだって聞きますけど、ずいぶんひどい状態だったみたいですね。音楽の方向性はまだしも、お金と異性関係のトラブルなんて、たまったもんじゃありませんね」
「でしょー? だから、当時のあたしらはみんなストレスマックスだったんだよー! それで、最初は……そうそう、本番前にフユちゃんとナッちゃんが楽屋で愚痴り合ってたんだよねー!」
「ほうほう。初対面で、いきなり愚痴り合うことになったんですか?」
「うん! たしか、ナッちゃんのほうからフユちゃんに話しかけてきたんだよね?」
ハルに水を向けられると、フユは心底どうでもよさそうに新たな缶ビールをあおった。
「あいつのバンドの男ヴォーカルにひっかけられないようにって、ご忠告をいただいたんだよ。こっちはそれどころじゃないんだよって言い返したら、おたがいのバンドの不満合戦みたいになっちまったのさ」
「うんうん! そこにたまたま、あたしとアキちゃんが出くわしてさ! ついつい不満合戦に参加しちゃったの! いやー、あの頃は若かった!」
「ちなみに、ハルさんはどんなストレスを抱えてたんです?」
「あたしはねー、ベース&ヴォーカルのコがギターのコにたかってたんだよ! ヴォーカルのコの金銭感覚がハチャメチャで、スタジオ代もライブ代もギターのコに立て替えさせてたの! そんな甘やかすのはよくないよーって、あたしはいっつも忠告してたんだけどね! ギターのコはギターのコでヴォーカルのコに依存気味だったから、どんなに忠告しても無意味でさー! それでいて、夜中に泣きながら電話してくるし! それであたしも、さすがにめげちゃってねー!」
「あたしがそんな状況に置かれたら、秒で逃げてるでしょうね。それじゃあ、浅川さんは?」
「アキちゃんのほうは、まだ平和かなー! そっちもスリーピースでアキちゃんがギタボだったんだけど、ベースとドラムの男の子が二人してアキちゃんを好きになっちゃったんだよねー!」
「ちっとも平和じゃなかったさぁ。女の尻を追っかけたいなら、バンドの外でやってくれって話だよねぇ」
そんな風に語りながら、浅川亜季はのほほんと笑っている。めぐるは彼女の年老いた猫めいた雰囲気に心をひかれていたが、まあ異性が恋心を抱く気持ちもわからなくはなかった。
「それで楽屋は不満合戦で盛り上がっちゃったんだけど、いつ他のメンバーが顔を出すかもわからなかったからさ! ライブの後で飲みなおそうって話に落ち着いたんだよ! それでいざ飲み屋に移動したら、普通に楽しくってさ!」
「うんうん。それで、せっかくパートもバラけてることだし、今度いっしょにスタジオにでも入ろうかって話になったんだよねぇ。四人とも、気兼ねなく演奏することに飢えてたからさぁ」
「そうそう! それで別の日にスタジオでセッションしてみたら、これがまた楽しくってさー! 四人とも、それまでのバンドを続けていく意義をなくしちゃったってわけだねー!」
「なるほどー!」と、町田アンナがトングを振り上げた。
「そんでもって、四人の名前がハルナツアキフユだったんだもんねー! そりゃーウチでも、運命を感じちゃうかなー!」
「あははぁ。今じゃあ夏が欠けちゃったけどねぇ」
浅川亜季は、あくまでのんびり笑っている。
すると、和緒が「ふむ」と声をあげた。
「さっきパートはバラけてるって仰いましたけど、浅川さんと土田さんってお人はどっちもギタボだったんでしょう? 土田さんってお人は、浅川さんを押しのけるほど凄いヴォーカルだったんですか?」
「うーん。どっちかっていうと、適材適所って感じかなー! 前にもちょろっと話したけど、アキちゃんの曲を本人が歌うとワイルドなスタイルがハマりすぎちゃうからさ! それよりも、ナッちゃんの可愛らしい歌声のほうが独自性を打ち出せるかなって思ったんだよ!」
「それに、歌の力量や馬鹿さ加減は互角でも、ギターの力量は雲泥の差だったからね。こっちの馬鹿が作詞作曲にヴォーカルとリードギターまで兼任したら、あっちの馬鹿の存在意義が薄すぎるでしょうよ」
酒が入っているためか、フユも饒舌に語っている。そのさまが、まためぐるの心を和ませてくれた。
「それでヴォーカルとして盛り立ててやったのに、このざまだ。三ヶ月分のライブをドタキャンして、ケツをまくりやがって……一発ぐらい、蹴っ飛ばしておくべきだったよ」
「へー! ちなみにあのアイドルちゃんって、いつバックレたの?」
「今年に入って、すぐだったねー! あたしらはもう二年ぐらい活動してるけど、ちょっと壁にぶつかってたからさー! それで、見切りをつけられちゃったみたい!」
「二年ですか。そういえば、みなさんっておいくつなんです?」
「あたしが今年で二十三、フユちゃんがいっこ下、アキちゃんがさらにもういっこ下って感じだねー! ナッちゃんは、フユちゃんとタメだったよー!」
「えーっ! ハルちゃんが最年長だったんだー? それに、アキちゃんが最年少ってのも、オドロキなんだけど!」
「あはは。どこにいっても、そう言われるよー! フユちゃんだって年齢以上の貫禄なのに、あたしとアキちゃんのおかげで助かってるよねー!」
「やかましいよ。とっとと新しい肉をよこしな」
そんな具合に、ディナーの時間は賑やかに流れ過ぎていった。
めぐるはほとんど発言していないが、しかしずっと心は満たされている。『KAMERIA』のメンバーが心の支えであることはもはや大前提であるとして、めぐるにとってはいまや『V8チェンソー』のメンバーも敬愛の対象であったのだ。これほど賑やかな場でめぐるが居たたまれなさを感じずに済んでいるのは、本当に驚くべき話であった。
(でも……それはきっと、今日の練習時間のおかげなんだろうなぁ)
めぐるはこの別荘に到着するまで、三割ていどの不安を抱えていた。それが日中の練習時間で、ほぼ完全に解消されたのだ。もちろんめぐるはまだまだ気後れしているし、こういう集団の場では自ら口をきこうという気持ちにもなれなかったが――しかしそれでも、彼女たちの織り成す賑やかさが心地好くてならなかったのだった。
(フユさんも、エフェクターのことを丁寧に教えてくれたし……もちろんわたしのことなんて、鬱陶しくてたまらないんだろうけど……それでも親切にしてくれるぐらい、優しい人なんだろうなぁ)
めぐるがそんな感慨を噛みしめている間に、ついにすべての食材が胃袋の内に収められた。
火の始末をしたのちは、広々としたリビングに場所をかえて、酒盛りが継続される。もちろん飲酒しているのは年長者の三名のみであったが、町田アンナもそれに負けないテンションではしゃいでいた。
「わーっ、もう十時だー! あっという間に、三時間も経っちゃったねー!」
「うんうん! こんなに楽しいと、時間が過ぎるのが速いよね! あたしも普段は運転役だから、のんびり飲めるのは合宿の日だけなんだよー!」
やはり賑やかさの中心にいるのは、おおよそ町田アンナとハルである。栗原理乃はめぐるに負けないぐらい静かにしているが、しかし大切な幼馴染が楽しそうにしているさまを嬉しそうに見守っている。そんな栗原理乃を見守っていると、めぐるも温かい気持ちになれた。
「……あんたはそろそろ、禁断症状が出てきたんじゃないの?」
と、こちらでは和緒がめぐるに囁きかけてくる。
めぐるは心のままに、笑顔で「うん」とうなずいてみせた。
「さっきから、ずっと指先がうずいちゃってるんだけど……でも、この場所を離れたくないんだよね」
「へえ。極悪非道なプレーリードッグにも、ついに人間らしい情感が……あっ」
と、和緒が身じろぎすると同時に、めぐるの肩が何者かに抱かれた。
仰天して振り返っためぐるは、さらに仰天する。それは酒気で目のふちを赤くした、フユであったのだ。
「あんたたちは、ずうっと二人で喋ってるよねぇ。団体行動を乱してるって自覚は持ってるの?」
そんな風に語りながら、フユは強い力でめぐるの身を引き寄せてくる。そうすると、彼女が纏っているお香のような香りがいっそう濃密にめぐるの鼻腔をくすぐってきた。
「あんたたちは、中学時代からのつきあいなんだってね。バンドの外でもべったりって話なのに、こんな出先でも二人の世界を作るってのは感じ悪くない?」
「あたしらは、そんな風にべったりくっついた覚えもないですけどね。おたがい、節度をわきまえてるもんで」
和緒がクールな口調でそのように言い返すと、フユは「節度ぉ?」と調子っ外れの声を発した。
「節度が、聞いて呆れるねぇ。だいたい私は、あんたじゃなくってこいつに聞いてるんだよ」
「そうでしたか。では、プレーリードッグさん、どうぞ」
和緒があっさり身を引いてしまったため、めぐるは「えっ?」と目を泳がせてしまう。
「わ、わたしはその……ついかずちゃんを頼ってしまうだけで、みなさんのことをないがしろにしているつもりはなかったんですが……」
「ふん。でも、私のことは避けてるんでしょ? そりゃあこんな口うるさい女にかまっちゃいられないよねぇ。ただでさえ、昼間には何時間もつまらない話につきあわされてたんだからさぁ」
「つ、つまらないなんて、とんでもないです。エフェクターのお話は、とてもためになりましたし……」
「ふん。ハルやアキが相手だったら、あんたもこんな面倒を抱えずに済んだのにねぇ。恨むんなら、ベースを始めた自分を恨むこったねぇ」
よほど酒が回っているのか、いつも毅然としているフユの口調が浅川亜季に負けないぐらい間延びしている。それに、切れ長の目もとろんとしていて、妙に色っぽかった。
「あー、ついにフユちゃんの絡み酒が始まっちゃったかぁ。でも、今日は楽しそうだから、心配いらないよ!」
こちらの騒ぎに気づいたハルが、笑顔でそのような言葉を飛ばしてきた。
「それにやっぱり、めぐるちゃんのことを気にかけてたんだねー! フユちゃんは酔っぱらうと、甘えたい相手に遠慮なく甘えちゃうんだよー!」
「ふざけんなぁ。こんなやつ、明日からもいじめぬいてやるからねぇ」
と、フユはめぐるの頭に頬ずりをしてくる。
それでめぐるが目を白黒させていると、浅川亜季も「あははぁ」と楽しげに笑った。
「ほんとに今日は、臨界突破したみたいだねぇ。きっと明日には何にも覚えてないだろうから、めぐるっちもどさくさまぎれで言いたいことを言っちゃったらぁ?」
「い、言いたいことって言われても……わ、わたしは本当に、フユさんに感謝してますから……」
「何が感謝だよぉ。どうせあんたが欲しいのは、ベースの知識だけでしょぉ? 私のことなんか、ムカつくババアだとか思ってるくせにさぁ」
「そ、そんなことはありません。フユさんは、とても親切だと思いますし……」
「嘘つけぇ」と、フユは両腕でめぐるの身を抱きすくめてくる。
めぐるが困惑の極みに陥って和緒のほうを振り返ると、「よ、人たらし」という無慈悲なエールが送られてきた。
かくして合宿初日の夜は、その後も何時間にもわたって至極にぎやかに過ぎ去っていったのだった。




