03 合奏
「さてさて。準備ができたはいいけど、まずは何から取りかかるべきだろうねぇ」
全員のセッティングが完了すると、浅川亜季がそのように言いたてた。
次に発言したのは、この場でもっともアクティブな気性をした町田アンナだ。
「確かにこの人数だと、何をどーするか迷っちゃうね! 普段の合宿では、どんなことをやってるのー?」
「基本的には、新曲や持ち曲のアレンジだねぇ。あとはセッションを楽しんだり、パートを入れ替えてのお遊びとかかなぁ」
「でもここは、二つのバンドがそろってることを活かしたいよね!」
と、ハルも元気に声をあげる。
「パートごとに分かれてディスカッションってのも楽しそうだけど、まず肩慣らしに七人全員で遊びたいかなー! 『KAMERIA』では、セッションとかしてる?」
「セッションは、あくまで曲作りのとっかかりかなー! 『転がる少女のように』も、セッション一発で作ったもんねー!」
うずうずと身を揺すりながら、町田アンナはそのように言いたてた。
「完全に遊び感覚のセッションってのは、未体験かも! うちもめぐるも音楽理論とかさっぱりだから、何をどーしていいのかもよくわかんないしね!」
「なるほどぉ。それなら未体験の領域にもチャレンジさせてあげたいけど、最初の一発でずっこけちゃうと物悲しいよねぇ」
にんまりと笑いながら、浅川亜季はそう言った。
「それじゃあやっぱり、ここは年寄りが未来ある少女たちに寄り添うべきかなぁ。『KAMERIA』の曲を演奏してもらって、あたしらが割り込んでみよっかぁ」
「おー、楽しそー! でも、みんなはライブでしかウチらの曲を聴いてないっしょ? そんな簡単に参加できるの?」
「とりあえず、コード進行とざっくり構成だけでも教えてもらおっかぁ。そうしたら、あとは何とかなるでしょ」
この練習部屋には、大きなホワイトボ-ドというものも存在した。そちらにコード進行と曲の構成を書き記したのは、こういう際にもっとも頼もしい栗原理乃である。『KAMERIA』内の協議の末、選ばれた曲は『小さな窓』であった。
「こっちの曲のほうが、自由度が高いだろうからねー! ブイハチのみんなは、遠慮なくかき回しちゃってよ!」
「うんうん。楽しみなことだねぇ。……ところで、理乃っちは変身しないでいいのかなぁ?」
「あ、はい。いちおう準備はしてきましたけど……あくまで練習だったら、問題ないかと思います。それに、みなさんはもう見知った仲ですし……」
栗原理乃がおずおずと微笑みながら答えると、浅川亜季もまた「そっかぁ」とやわらかく微笑んだ。
「理乃っちにそう言ってもらえるのは、嬉しいもんだねぇ。それじゃあ、さっそく始めよっかぁ」
「うんうん! 楽しそうだねー!」
そんな風に語りながら、町田アンナと浅川亜季がAのコードをかき鳴らした。
和緒やハルは、シンバルの音色を薄く響かせる。音の数が倍になっているが、『小さな窓』を始めるための前準備である。ギターの音が長くのばされて、ハウリングへと移行したならば、めぐるの出番であった。
このような環境で演奏のスタートを切るというのは、たいそう気が引けるものである。
しかしめぐるは気後れを上回る昂揚を胸に、スラップのリフを披露してみせた。
所定のポイントで、和緒と町田アンナが音をかぶせてくる。
そしてさらに、『V8チェンソー』の演奏までもがそこに重ねられた。
ハルは、和緒のドラムをそのまま真似ているようである。
浅川亜季は、肩慣らしとばかりに小節の頭にだけ音を鳴らした。
そして、フユは――何か、奇怪な音色で奇怪なフレーズを紡いでいる。これが本当にベースのサウンドであるのかと、めぐるは耳を疑ってしまった。
ベースらしい低音も感じられるが、それと一緒に1オクターブ高い音も絡みついている。そしてその音は冷たく透き通った残響を尾に引きながら、それこそバイオリンか何かのように流麗なるうねりを見せていた。
これはきっと、複数のエフェクターを駆使した音色であるのだろう。
そこには『SanZenon』の音源とも共通する音色が含まれていたため、めぐるを激しくおののかせてやまなかった。
そんなめぐるの感慨もよそに、栗原理乃が歌声を響かせる。
こちらは、相変わらずのクオリティだ。『V8チェンソー』のメンバーが居揃ったこの場においても、彼女は物怖じすることなく鮮烈な歌声をほとばしらせていた。
ただ――やはり、プレイヤーの人数が倍になったため、音の圧力が凄まじい。
めぐるの耳はフユのベースに引きつけられてならなかったが、浅川亜季のギターとハルのドラムが生み出す効果についても、すぐさま思い知らされることになった。
楽曲が進行しても浅川亜季の演奏は控えめであったが、存在感のほどは誰にも負けていない。彼女は小節の頭でコードをかき鳴らし、小節の終わり目で装飾の音符を加えるていどであったが、その音色は町田アンナのギターよりも激しく歪んでいて、分厚いのだ。それはどこか、金属でできた獣が遠吠えをしているような風情であった。
そしてハルのドラムは、可能な範囲で和緒と同じフレーズを追っている格好であるが――同じようなフレーズが重ねられるため、音が大きくふくらんでいた。ただ音圧が増すばかりでなく、音が前後に揺れているような印象であったのだ。
和緒の叩き出すリズムは正確で力強いが、そこに躍動感が加えられている。二人のリズムのコンマ何秒のズレが、普段にはない幅と厚みをもたらしているのだ。めぐるはもともと和緒の正確さに頼りきっていたが、その頼もしさが倍増した心地であった。
そしてやっぱり最終的には、フユのベースに心を引き寄せられてしまう。
彼女は明らかに、リズム隊ではなく上物としての役目を果たしていた。ドラムとともにリズムを支えるのではなく、絢爛なる音色とフレーズで楽曲を彩っているのだ。それがただきらびやかなだけの存在であったなら、きっと調和を乱していたのであろうが――彼女の奏でる音色とフレーズはどこか妖艶にねっとりとしていて、『小さな窓』の有する獰猛さと重量感にしっかりとマッチしていた。
めぐるは胸が躍るあまり、演奏の手が乱れてしまいそうなほどである。
しかし、和緒や栗原理乃は一切ゆらぎを見せていなかったし――町田アンナに至っては、普段以上に音が跳ね回っていた。彼女が普段以上に昂揚している証拠である。彼女は『KAMERIA』のメンバーの中で、もっとも演奏に気分が反映されやすいタイプであったのだ。
(わたしは何だか、圧倒されちゃいそう……ミスをしないように、頑張らないと)
めぐるはいつも以上に指板を注視して、弦に指先を叩きつけた。
周囲の様相があまりに異なっているために、めぐるのベースはこの音作りでいいのか、このフレーズでいいのかと、そんな不安までわきたってしまうが――演奏中に手直しすることは不可能であるのだ。めぐるにできるのは、この音の奔流の中で自分を貫くことだけであった。
そんな中、楽曲はギターソロに突入する。
町田アンナの演奏は、やはり普段以上のテンションを発揮していた。昂揚のあまりにミスタッチも増えてしまっているものの、勢いと躍動感がさらなる魅力を打ち出している。浅川亜季のギターサウンドがどれだけ分厚かろうとも、町田アンナはそれに負けない爆発力を有していた。
そうしてギターソロが終わりに差し掛かると、町田アンナが「もっぺん!」という声を響かせた。
部室の練習中にもたびたび聞かされる、リピートせよという合図である。それでめぐるがCメロに移行せず基本の進行を繰り返すと、そこに重ねられたのは浅川亜季のギターソロであった。
町田アンナから、目配せで合図でももらっていたのだろうか。まるで最初から準備されていたかのような展開である。そして彼女は初めて演奏する楽曲においても、何ら臆することなく彼女ならではのギターソロを披露できていた。
浅川亜季のギターというのは、音が太くて強い。それに彼女はワウペダルというエフェクターを多用しているのだと、めぐるは町田アンナから聞かされていた。このギターソロでもそちらのエフェクターが駆使されているらしく、分厚くてのびやかなギターサウンドがワウワウと奇妙なうなりを響かせた。
そうしてCメロに到達したならば、音の圧力が減じられる。
『V8チェンソー』のメンバーももとの構成を重んじて、ここでは音数を絞っていた。ただし、演奏の手を止める人間はおらず、少ない音数で効果的なフレーズを差し込んでくる。それで、もともとの重々しさが倍増したようであった。
そして、最後のサビでは津波のようにさまざまな音色が押し寄せてくる。
フユのベースは歌声に負けないぐらいヒステリックに響き、浅川亜季のギターはリフにアレンジを加えたフレーズを紡いだ。ハルのドラムはいっそう小気味よく跳ね回り、和緒とは異なる場所でもスネアやシンバルを打ち鳴らした。
同じ勢いのままアウトロに至ると、町田アンナと浅川亜季は競い合うように奔放なフレーズをかき鳴らす。
それで四分と少しの楽曲は、ようやく終わりを迎えたのだった。
「いやー、楽しかったねー! やっぱブイハチのみんなは、センスも演奏力も段違いだなー!」
興奮さめやらぬ様子で、町田アンナはそのように言いたてた。
笑顔でそれに応じたのは、ハルである。
「もとの曲がかっこいいから、あたしも楽しかったよー! でも、ついついトバしちゃったから、和緒ちゃんはやりにくかったでしょー?」
そのように呼びかけられた和緒は、「いえ、べつだん」とクールに応じた。
「あたしは普段から、暴走に引きずられてる身なもんで。どれだけ演奏が賑やかになっても、さほど影響はないみたいです」
「うんうん。和緒っちって、ほんとに動じないタイプなんだねぇ。機械みたいな正確さで、こっちはすごくやりやすかったよぉ」
浅川亜季が悪戯小僧のような笑顔で口をはさむと、和緒はクールな眼差しをそちらに移動させた。
「それはつまり、機械みたいに面白みがないってことですかね。まあ、自覚はしてますんでご心配なく」
「ふふふ。そこのところは、ドラマー同士でじっくり語ってもらおっかぁ。……動じないと言えば、理乃っちも大したもんだねぇ。これだけ周囲が騒がしくなったら、歌いにくくてしかたなかったでしょ?」
「ええ、まあ……」と、栗原理乃は目を伏せてしまう。
その姿に、フユがすっと目を細めた。
「言いたいことは、言っておいたら? じゃないと、あんたは最後まで不満なままだよ」
「あ、いえ、決して不満なわけでは……」
「でもあんたは、ずっと私やアキのことをちらちら見てたよね。何か文句でもあるんじゃないの?」
フユに追及されると、栗原理乃はますます縮こまってしまう。
すると、それをフォローしたのは町田アンナではなく和緒であった。
「栗原さんは耳がよすぎて、いろいろ苦労してるんですよ。たとえ不協和音じゃなくても、メロディラインにぶつかる音には過敏に反応しちゃうみたいですね」
「あー、ウチやめぐるなんかも、しょっちゅうフレーズを手直しさせられるもんねー! こればっかりは、しかたないかー!」
町田アンナはぴょんぴょんと跳ねるようにして幼馴染のもとに近づき、その肩を抱いた。
「この七人でバンドを組むとかだったら、あれこれ話し合わなきゃだけどさー! 肩慣らしの演奏で、そこまでする必要はないっしょ? だから、アキちゃんもフユちゃんも気を悪くしないでねー!」
「なるほどぉ。理乃っちは天才肌の部類かと思ってたけど、むしろゴリゴリの理論派だったのかぁ。これは楽しい新発見だなぁ」
「うんうん! それに、歌に関してはやっぱり天才的だよー! あんな歌声はなかなか出せるもんじゃないし、あんな爆音でもまったく埋もれないもんねー!」
浅川亜季とハルは笑顔でそのように評し、フユは面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした。そしてその切れ長の目が、今度はめぐるに向けられてくる。
「……で、あんたは?」
「は、はい? わたしが、何でしょう?」
「何でしょうじゃないよ。あんたは、どういう心持ちだったのさ?」
フユの眼光の圧力に、めぐるはつい言葉を失ってしまう。
すると、浅川亜季が取りなしてくれた。
「あたしもめぐるっちの感想が気になるところだなぁ。他のメンバーは三者三様みたいだけど、めぐるっちは楽しかったぁ? それとも、やりづらかったぁ?」
「え、えーと……やりづらいけど、楽しかったっていうか……みなさんの演奏に、圧倒されちゃいそうでした」
「ふむふむ。めぐるっち自身も、まだ自分の気持ちを整理できてないみたいだねぇ」
そう言って、浅川亜季はにんまり微笑んだ。
「じゃ、七人がかりだと話もとっちらかっちゃうだろうから、ここでいったんグループ分けしよっかぁ。とりあえず、上物とリズム隊で分けてみるぅ?」




