05 会場入り
『KAMERIA』のメンバーと町田家の面々を乗せた二台の車は、何事もなく目的地に到着した。
稲見海浜公園という施設内に存在する、その名も野外音楽堂である。めぐるたちの地元から車で四十分という距離であったが、もちろん矮小な世界に生きるめぐるにとっては初めて名前を聞く見知らぬ場所であった。
「あ、めぐるたちは初めてだったんだー? ウチらは毎年、海水浴で遊びに来てるんだよー!」
助手席の町田アンナは、笑顔でそのように言いたてていた。
めぐるの右側で窓の外を眺めていた和緒は、「ふーん」と気のない声をあげる。
「ちなみにそのウチらってのは、ご家族のことかな? それとも、今ここには肉体しか存在しない幼馴染のことかな?」
「理乃と海に行ったことはないなー! なんか、水着になるのが恥ずかしいとか言っちゃってさ!」
「なるほどね。栗原さんとは、いい酒が飲めそうだ」
そんな言葉が飛び交う中、リィ様の扮装をした栗原理乃は人形めいた無表情で黙りこくっている。町田家からこちらの目的地に到着するまでの間、彼女はほとんど口をきいていなかった。
「それじゃあ、駐車場に入れちゃうね」と、町田アンナの母親がなめらかなハンドルさばきで車を進ませていく。こちらの海浜公園というのはなかなかの規模の施設であるようで、駐車場も実に広々としていた。
そうして後続の軽自動車も隣のスペースに落ち着いたところで、一同は車外に出たわけだが――とたんに、栗原理乃がぐらりと身を傾げて車体にもたれかかってしまった。
「わーっ! リィ様、どーしたの? もしかして、車酔い?」
「……その可能性は否めないかもしれません」
栗原理乃の声音は冷ややかなままであったが、もともと血の気の薄い顔が真っ白になってしまっている。すると、町田アンナの母親が笑顔でその肩を力強く支えた。
「理乃ちゃんの面倒はわたしが見るから、あなたたちは荷物を出しちゃいなさい」
「うん、よろしくねー! あと、理乃じゃなくってリィ様だから!」
「ああ、そうだったね。ほら、リィちゃん。気分が悪かったら、水でも飲みなさい。時間にはゆとりがあるし、何も慌てる必要はないからね」
めぐるは栗原理乃の身を案じつつ、町田アンナとともに大事な楽器を搬出することにした。
時刻は、午前の九時半ていどである。暑さの盛りはこれからであろうが、八月の日差しは容赦なく照りつけてくる。もしも前回のライブのように一睡もしていなかったら、めぐるもただでは済まなかったのかもしれなかった。
「……どうもお手数をおかけしました。私は、もう大丈夫です」
と、町田家のご家族に介抱されていた栗原理乃が、すっくと身を起こす。それこそ機械人形めいた挙動であったが、その細面は真っ白なままであった。
「ほんとにだいじょーぶ? 出番まで車で休んでてもいいんだよ?」
「いえ。私も『KAMERIA』の一員として、みなさんと行動をともにしたく思います」
町田アンナは「そっか」と優しい顔で笑い、栗原理乃の頭につばの大きなフレアハットを、自らの頭にはキャップをかぶせた。
「じゃ、出発しよーか! 今日の会場は、すぐそこだからさ!」
そうして一行は、あらためて会場に向かうことになった。
めぐるは右も左もわからないが、町田家の面々は勝手知ったる場所ということで迷いもなく歩を進めていく。そうしてなだらかな湾曲を描く歩道を突き進んでいくと、潮の香りがふわりと鼻腔をくすぐってきた。
めぐるたちの地元に海はないので、めぐるがこのような香りを嗅ぐのも数年ぶりのことである。
ただやっぱり、めぐるの胸を高鳴らせるのは海の香りではなく演奏の音色であった。園内の歩道を進んでいく内に、スピーカーで増幅されたドラムの音色が聴こえてきたのだ。
「あー、あれだあれだ! いっつも通り道で見かけてたけど、ステージとして使われるのを見るのは初めてだなー!」
行く手に白くて大きな屋根が見えてくると、町田アンナが浮かれた声をほとばしらせる。
それからさらに突き進むと、ついに野外音楽堂なる施設の全容があらわにされた。それほど高さのないレンガ色の舞台に、白い屋根がにゅっとかぶさっている。ライブハウスよりもよほど大きなステージで、そこにドラムセットやアンプなどが間遠に設置されていた。
現在は、サウンドチェックのさなかであるのだろう。ケーブルの束を抱えたスタッフがステージ上を右往左往しており、ドラムセットに陣取ったスタッフは一定の間を置いてスネアだけを叩いている。その澄んだ打撃音がPA機器によって増幅されて、夏の空に響きわたっていた。
「へーえ。思ったよりも、立派な舞台みたいだね」
「うん! 普段はブラバンとかの演奏で使われてるんだろうしねー! あれだけ広かったら、暴れ甲斐があるなー!」
「で、でも、アンプやドラムセットの配置が遠いですね。またモニターでしっかり音を返してもらわないと、まわりの音がすごく聴きづらそうです」
「うんうん! 今回も、しっかりPAさんに話を通しておこーね! そーしたら、もうバッチリだよ!」
そんな言葉を交わしている間に、大きな会場が目前に迫った。
舞台の手前は広くひらけており、そのスペースをはさんだ芝生の斜面に十段ばかりのベンチシートが設えられている。そちらの座席だけで、数百人は収容できそうであったが――今はめぐるたちと同じように楽器のケースを携えた人々がちらほらとくつろいでいるばかりであった。
「あー、いたいた! ほらほら、ブイハチのおねーさまがただよー!」
町田アンナがぶんぶんと手を振ると、ベンチシートの頂上付近から小柄な人影が手を振り返してくる。それは麦わら帽子をかぶったハルであり、左右には浅川亜紀とフユも居揃っていた。
そちらの面々は動く気配がなかったので、めぐるたちはベンチシートの間に設置された階段をのぼっていく。そうすると、ハルが元気いっぱいに「おはよー!」と笑いかけてきた。
「みんな、早かったねー! 今日はわざわざ、ありがとー!」
「なーに言ってんのさー! ライブに誘ってもらえたんだから、こっちこそ感謝だよー!」
まずはおたがいのバンドでもっとも社交的である両名が、笑顔で挨拶を交わす。そののちに、浅川亜紀がのんびり笑いかけてきた。
「お疲れさまぁ。『KAMERIA』の演奏を拝見するために、あたしらも早起きしちゃったよぉ。この苦行を帳消しにするライブをよろしくねぇ」
「は、はい。ご期待に沿えるかはわかりませんけれど……自分たちなりに、頑張ります」
「あはは。めぐるっちは、真面目だなぁ。こんなしょうもない挨拶には、うるせえ馬鹿野郎とでも返しておけばいいんだよぉ」
心の恩人たる浅川亜紀に、めぐるがそのような暴言を吐けるわけもなかった。
ともあれ、『V8チェンソー』の面々も相変わらずのようである。浅川亜紀はキャップをかぶり、派手なカラーリングのタンクトップとミリタリーパンツにジャングルブーツ。ハルは大きな麦わら帽子に、相変わらずのTシャツとハーフパンツとスニーカー。そして無言のフユは、ノースリーブのエスニックなワンピースにシースルーのショールを羽織り、栗原理乃とよく似たフレアハットの脇から細かくスパイラルした髪をこぼしていた。
「お、同志発見だぁ」
浅川亜紀がだらしなく座ったまま右足を突き出すと、町田アンナは「あはは!」と笑いながらオレンジ色のブーツで爪先をタッチさせた。きっと夏場にブーツというのは、少数派であるのだろう。同じフレアハットとワンピースの姿である栗原理乃とフユは、当然のようにおたがいの存在を黙殺していた。
「あっ! ご家族のみなさんも、お疲れ様です! 合宿の件はご了承をいただけて、ありがとうございます! 絶対に事故なんかのないように気をつけますので、よろしくお願いします!」
ぴょこんと立ち上がったハルが、麦わら帽子を外して深々とお辞儀をする。それに対して、町田アンナの父親は「いえいえ!」と豪放な笑顔を返した。
「うちの娘は頑丈なんで、存分にしごいてやってください! 何かあったら、すぐに俺も駆けつけますんで!」
「あんたが駆けつけるような話は、なんもありゃしないよ! そーゆー話は、ママにまかせておきなって!」
町田アンナは顔をしかめながら、父親の尻を蹴るふりをする。父親に対してはいつも荒っぽい町田アンナであったが――それでもかつてのめぐるよりは、よほど本音でコミュニケーションできているのだろうと思われた。
「そういえば、他のみんなのご家族にご挨拶はいいのかなぁ? なんなら、手土産を持参してお宅までお邪魔するよぉ?」
浅川亜紀がそのように言いたてると、こちらの三名を代表する形で和緒が「いえ」と答えた。
「あたしらの家は放任主義なんで、ご挨拶は不要です。家族と接触されるのは気まずさの極致なんで、是非ともご遠慮ください」
「うん、了解だよぉ。ただし、何かあったら困るから、緊急の連絡先だけは交換しておかないとねぇ」
「ええ。それが使われないことを切に願っておきます」
めぐるも同意を示すために、頭を下げておいた。
すると、これまで無言であったフユが、切れあがった目でめぐるの姿をじろりとにらみあげてくる。
「……調子は?」
「ちょ、調子ですか? ちょっと先週はアルバイトの都合で、練習時間が短くなってしまいましたけど……調子を乱すほどではないかと思います」
「そうじゃなくって、体の調子を聞いてるんじゃない? あんたは前回のライブで、おもいっきりぶっ倒れてたでしょうよ」
和緒が頭を小突いてきたので、めぐるは大慌てでまた頭を下げることになった。
「そ、その節はご心配をおかけしました! 昨日はたくさん眠れたので、きっと大丈夫なはずです!」
「なんで私が、あんたの心配をしなくちゃならないのさ」
フユは冷ややかな面持ちで、つんとそっぽを向いてしまう。しかし最近の彼女は自らめぐるなどに声をかけてくれるので、それだけでもありがたい限りであった。
「それじゃあ、店長に挨拶に行こっか! 『KAMERIA』の出演をねじ込んでもらったのはあたしたちだけど、いちおうみんなも筋を通しておかないとね!」
そんなハルの呼びかけで、一同は移動することになった。楽器の見張りを町田家のご家族にお願いして、バンドメンバー七名の移動だ。その向かう先は、ベンチシートの最下段のど真ん中であった。
そちらでは、全身黒ずくめの人間が寝そべっている。ベンチに立てかけた真っ黒の日傘で顔が隠されており、やたらと骨ばった体格をしているため、一見では男性か女性かも判然としなかった。
「店長! この子たちが、『KAMERIA』ですよー! 飛び入りの出演を許してくれたお礼にうかがいましたー!」
ハルがそのように呼びかけると、黒い人影がかったるそうに身を起こした。
日傘の陰から現れたのは、黒いざんばら髪と幽霊のように青白い細面だ。頬がこけて、目が落ちくぼみ、下唇に銀色のピアスを光らせており、本当に幽霊じみた面相であったが――それは、女性に他ならなかった。
「ああ……あんたたちが、噂の女子高生バンドか……ずいぶんとまあ、可愛らしい娘さんたちだねぇ……」
そのように語る声音は、ガラガラにひび割れている。酒か煙草か、あるいはその両方の影響であろう。七分袖のTシャツにスキニーパンツにデッキシューズといういでたちで、それらがすべて真っ黒の色彩であるものだから、やたらと陰気に見えてしまった。
(でも、襟もとや袖口の模様が綺麗だな)
そんな風に考えかけためぐるは、ぎょっと身をすくめることになった。衣服の装飾かと思ったそれらの模様は、地肌に刻まれたタトゥーであったのだ。それは栗原理乃の目隠しに負けないぐらい、精緻で細やかなフリルのごときデザインであった。
「この人が、店長のジェイさんだよ。見た目ほど怖くはないけど、失礼のないようにねー」
ハルが笑顔でそのように告げると、町田アンナが「はーい!」と応じた。
「本番の一週間前に無理やりねじこんでくれて、どーもありがとーございます! テンチョーさんの期待に応えられるように、頑張りまーす!」
さしもの町田アンナも多少ばかり口調をあらためていたが、その元気さに変わるところはない。すると、ジェイなる呼び名を持つ店長は面倒くさげに手を振った。
「ブイハチが若いバンドをプッシュするなんて珍しいから、あたしも魔がさしただけのことさ……べつだん期待しちゃいないから、自分たちが楽しめるように頑張りな……」
「ちなみにジェイさんは、トップバッターで出るんだよー。コピバンだけどめっちゃカッコいいから、みんなも裏から覗き見するといいよ!」
「へー! テンチョーさんもバンドをやってるんだねー! どんなバンドか、楽しみにしてまーす!」
町田アンナはコピーバンドに興味がないはずであるし、なおかつ目上の相手でもおべっかを使ったりはしない。ということは、きっとジェイ店長そのものに興味をひかれたのだろう。めぐるの目から見ても、この人物はあまり只者ではなかった。
そうしてジェイ店長がまた寝そべってしまったため、挨拶は終了する。けっきょくハルと町田アンナしか口を開かないまま、一行はもとの場所に逆戻りすることになった。
「ああ見えて、ジェイさんは根っからの音楽バカだからさぁ。きっとめぐるっちたちも、気に入られるよぉ」
「そ、そうだといいんですけど……浅川さんたちは、あちらの店長さんと仲良くされてるんですよね?」
「うん。あたしらは初ライブが『ジェイズランド』だったんだけど、速攻でレギュラーバンドにしてもらえたからさぁ。ジェイさんには、足を向けて眠れないねぇ」
「れぎゅらーばんど……?」
「レギュラーバンドってのは、そのライブハウスで定期的にライブをやるバンドのことだよぉ。レギュラーになるとこういうイベントにお誘いされたり、都内のライブハウスを紹介してもらえたり……あと、普段のライブでもチケットノルマなんかをずいぶん楽にしてもらえるんだよぉ」
すると、軽い足取りで階段をのぼっていたハルも会話に加わってきた。
「都内のライブハウスなんかだと、昼の部のオーディションに受かったら、レギュラーバンドとして夜の部に出られるっていうシステムが多いんだよね! あっちはとにかく競争率が激しいし、プロへの道も開かれてるからさ!」
「プ、プロですか……それはちょっと、現実味がないですね」
「あはは! あたしも高校生の頃は、ただ演奏を楽しむだけだったよー! それで全然かまわないから、今日も楽しいライブをお願いねー!」
そこで和緒が、「おや」と声をあげる。その理由は、めぐるにもすぐ知れた。町田家のご家族のもとに、見覚えのある面々が集っていたのだ。
「あーっ、センパイたちじゃん! マジで観にきてくれたんだねー!」
「やあ。そっちも、お疲れ様」
それは、宮岡部長の率いる軽音学部の面々であった。本日も副部長の姿はなく、左右に控えるのは二年生の男女部員だ。
「こんな早くから、ありがとねー! でも、ブチョーは受験勉強、だいじょーぶなの?」
「ご心配いただき、恐縮の限りだね。今日ぐらいは、羽根をのばさせていただくよ」
宮岡部長が肩をすくめると、男女の部員は笑顔で発言した。
「僕たちは、もともと最初から観るつもりだったからね。トップバッターの『ヒトミゴクウ』は、すごくカッコいいからさ」
「うん。だけど『KAMERIA』がいきなり出演するって聞いて、びっくりだったよ。楽しみにしてるから、みんな頑張ってね」
先月末のイベントの効果で、こちらの三名は『KAMERIA』に興味や好意を抱いてくれたようである。人づきあいの苦手なめぐるは恐縮するばかりであったが、それでも『KAMERIA』のライブが紡いでくれたご縁と思えば、心が温かくなってやまなかった。
「あはは! これでけっきょく、この前とおんなじメンツがそろっちゃったねー! ウチらも気合を入れて、がんばろー!」
町田アンナのそんな呼びかけに、同じテンションで応じられるメンバーはいない。
しかし、めぐるの心は数十分後に迫ったライブに向けて、否応なく昂揚しまくっていたのだった。




