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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 2-

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03 新たな課題

 賑やかな食事を終えた後は、それぞれシャワーをお借りしてから、寝場所としてあてがわれた広大なる客間に移動である。そして、町田アンナが二階の自室からギグバッグを担いできたので、めぐるは胸を高鳴らせることになった。


「ベースの生音って聴き取りづらいから、ホントはめぐるにアンプを貸してあげたいところなんだけどさー。でも、ギターアンプでベースを鳴らすのはよくないってウワサを聞いたことがあるんだよねー」


「ああ、ベースのほうが出力が大きいから、アンプが故障する危険があるらしいね」


「和緒って、ドラム以外の楽器についてもけっこーくわしいよねー! やっぱめぐるのために、あれこれ調べてあげたの?」


「そんなもんは、一般常識でしょ。わざわざなけなしの親切心を振り絞るまでもないさ」


 そんなやりとりを聞きながら、めぐるもいそいそとギグバッグを開帳することになった。

 今日は部室も使えなかったし、昼からはアルバイトであったため、めぐるも午前中に生音で少しばかりの自主練習に励んだに過ぎない。実のところ、めぐるは町田家に向かう道中から指先が疼いてしかたがなかったのだった。


「さて! 楽器を引っ張り出したはいいけど、どうしよっか? ドラムの代わりになるようなもんはないし、理乃もこんな場所で声を張り上げるのは気が引けるだろうしねー」


「あたしのことは、かまいなさんな。それより、あのギャラリーをどうにかしてあげたら?」


「ギャラリー?」と、町田アンナは小首を傾げつつ和緒の視線を追いかける。部屋の入り口であるふすまが十センチほど開かれて、黒い瞳と鳶色の瞳が覗いていたのだ。


「あんたたち、何やってるのさー? 用があるなら、入ってきたら?」


「で、でも……練習の邪魔になっちゃわない?」


「練習ってほど大したことはできないと思うよー! とにかく、そんなノゾキ見されてるほうが、こっちは落ち着かないってば!」


 そうして町田アンナの妹たちも、もじもじしながら入室することになった。ただ、どちらの瞳も期待に輝いている。


「うーん! こうなってくると、なんか一曲ぐらいは合わせてみたいもんだねー! アコースティックバージョンのつもりで、『あまやどり』でもやってみる?」


『あまやどり』は、スローテンポのバラード曲である。めぐるとしても、生音で合奏するにはもっとも相応しいように思われた。


「となると、和緒にも何かしらで参加してほしいよねー! ローサ、いらない雑誌とかあったら、持ってきてくれない?」


「うん。いいよ」


 座布団を温める間もなく、上の妹が部屋を出ていく。小柄な体と相まって、野ウサギのように俊敏な所作である。やはりこちらの三姉妹は、格闘技の稽古によってひとかたならぬ躍動感というものを育まれたのかもしれなかった。

 やがて彼女が漫画雑誌の束を持ってきてくれたので、それがスネアの代わりとされる。和緒はいかにもしかたなさそうにケースからスティックを取り出し、雑誌の表紙を小気味よく乱打した。


「……なんか腕だけ動かしてると、忌まわしき鼓笛隊の思い出が蘇りそうだよ」


「あはは! なんでもかんでも忌まわしい思い出にしないの! じゃ、テキトーにやってみよっか! 理乃も、こいつら相手だったらキンチョーしないっしょ?」


「き、緊張しないことはないけど……せっかくだから、頑張ってみるよ」


 栗原理乃がはにかむように微笑むと、下の妹がにこにこと笑いながらその腕を抱きすくめた。

 そうしていざ『あまやどり』の演奏を始めてみると――イントロの半ばで、町田アンナが「ダメだー!」と手を止めてしまった。


「やっぱ、ベースの音がちっとも聴こえないやー! これじゃー、ウチもノれないよー!」


「そ、そうですか? わたしはかろうじて、自分の音も聴こえますけど……ああでも、これはベースの音が体に響いてるからなのかな……」


「うん。耳で聴こえる分は、すっかりギターに負けちゃってるね。なんなら、全員であんたにひっつけば――」


 そこまで言いかけて、和緒は思案顔になった。


「……そうか。要するに、音を反響させればいいんだよね。お姉ちゃま、こちらのお宅にバケツなんかはあるかな?」


「気色悪い呼び方しないでよー! そりゃーバケツぐらいあるけど、そんなもんどーするの?」


「いや、メガホンの代わりぐらいにはなるかと思ってさ」


 一同が首を傾げる中、上の妹が再び調達係を担ってくれた。

 運ばれてきたのは、そこそこの大きさを持つプラスチック製のバケツだ。和緒は真面目くさった面持ちで、そのバケツをそっとめぐるの頭にかぶせた。


「あ、間違えた。これでちょっと弾いてもらえる?」


 めぐるの頭から外されたバケツの底が、ベースのヘッドに押しあてられる。

 それでめぐるが4弦5フレットのA音を弾いてみると――明らかに、これまでよりも音量を増した低音が鳴り響いた。


「うわー、なんでなんで? 別にヘッドから音が出てるわけじゃないのにー!」


「いやいや。ギターやベースってのは、楽器本体の鳴りも重要だって話じゃん。そのボディ鳴りってやつを、バケツに反響させただけのことさ。スルーネックのリッケンベースは、鳴りがいいって評判だしね」


「すげーすげー! 悔しいけど、やっぱ和緒ってIQが高いんだろうなー! こんな話、ウチじゃ絶対思いつかないもん!」


「ふん。IQの無駄遣いも、ここに極まれりだね」


 町田アンナの興奮を軽くいなして、和緒はもとの席に戻った。

 バケツは、上の妹の手によって支えられる。めぐるが試しに『転がる少女のように』のフレーズを弾いてみると、そちらもこれまで以上の音圧で鳴り響いた。


「す、すごいね。わたしも家で、やってみようかな。……あ、でも、ひとりだったら必要ないか」


「うん。ベースの低音ってのは、ずいぶん遠くまで響くもんだろうしね。調子に乗ると、ご家族からクレームをつけられるかもよ」


 それは、是が非でも避けたい事態である。めぐるがバケツを購入する必要はないようであった。


「じゃ、もっぺんやってみよー! ウチもなるべく、音は抑えめにするからねー!」


 あらためて、町田アンナが『あまやどり』のイントロを爪弾いた。

 めぐると和緒は、三小節目から音を重ねる。たとえバケツで増幅させてもベースは生音であるし、ドラムもスネアやハイハットの代わりに雑誌を叩くばかりであったが――そうして三人の音とリズムが絡み合うだけで、めぐるは十分に幸福な心地であった。


 やがてイントロが終了したならば、栗原理乃はほとんど喋り声と変わらないていどの声量でメロディを歌いあげる。そのように声量を抑えると、ヒステリックなバイオリンめいた甲高さが消失するため、人間らしい繊細さと生々しさが上乗せされた。

 だが――それでもやっぱり、どこか独特の歌声である。栗原理乃の歌というのは、音程の移行が異様なほど正確かつなめらかであるのだ。このたびは、人間の声帯が機械のプログラミングで操作されているかのような印象に成り果てていた。


(やっぱり栗原さんは、すごいなぁ)


 めぐるは静かな悦楽にひたりながら、ベースを弾き続けた。

 そうして『あまやどり』が終了すると、二人の妹たちが盛大に手を打ち鳴らす。上の妹も下の妹も、輝くような笑顔になっていた。


「すごいすごーい! こんなきれーな曲もあるんだねー! みんな、かっこよかったー!」


「うん、ほんとだね。それに、バケツを持ってるとベースの音がこっちの手にまで響いてきて、すごく気持ちよかったよ」


「えー、ずるーい! 次はエレンがバケツを持つからねー!」


「それじゃあこうやって、一緒に持とうか。ただバケツにさわってるだけでいいんだと思うよ」


「あはは! それって、もう一曲やれってことー? しかたないなー! じゃ、ひと通りの曲をやってみよっか!」


 そうして『KAMERIA』は、練習中の全四曲をお披露目することになってしまった。

 やはり激しめの曲ほど物足りなさが増すものの、それでもひとりで自主練習に励んでいるときとは比較にならない楽しさである。めぐるは心から満ち足りた気持ちで、演奏に没頭することができた。


 その後は町田アンナの提案で、『小さな窓』と『転がる少女のように』をスローテンポにアレンジしてみる。もっともアップテンポである『転がる少女のように』などは意外にさまになっていたが、ミドルテンポの『小さな窓』はまったくお話にならず、町田アンナが大笑いして演奏を取りやめることになった。


「ダメだこりゃ! 『小さな窓』はアコースティックバージョンでも、やっぱヨコノリにしないとね! 今度はちょっと、ファンク調にチャレンジしてみよっか!」


「そんな練習に取り組んで、あんたはナニを目指してるのさ? アンプラグドのライブでも企んでるの?」


「そんなの考えてなかったけど、あれこれ曲をいじくるだけで楽しいじゃん! この三ヶ月、ずーっとおんなじ曲ばっかり練習してたわけだしねー!」


 これはまさしく、練習ではなく遊びであるのだろう。しかし、めぐるは楽しいばかりであったので、何の文句のつけようもなかった。

 そんな調子で楽器を鳴らしていると、あっという間に小一時間が経過してしまう。『小さな窓』のファンクアレンジというものが一段落したところで、町田アンナが楽器を手放した。


「ちょっときゅーけーい! ひと休みしながら、次のネタを考えよっかー!」


「まだやるのかい。明日はライブの本番なんだよ?」


「でもまだ九時半じゃん! いくら何でも、寝るには早いっしょ! せっかくのお泊まり会なんだから、たっぷり楽しまないとねー!」


 町田アンナは元気に言いながら、手酌の麦茶を豪快にあおった。

 その間も、めぐるは適当にベースを爪弾いている。本日は午前中の分を合計してもまだ四時間ていどしかベースを弾いていないので、まったく欲求は満たされていなかったのだ。

 すると、町田アンナが「そーだ!」と手を打った。


「めぐるって、あの『SanZenon』ってバンドの曲も練習してるんでしょ? ちょっとそれを聴かせてみてよー!」


「ええ? でも……あれはまだまだ、ちっとも弾きこなせていないので……」


「そりゃーあのベースって、めっちゃムズそうだもんねー! それをどれぐらい弾けるのか、いっぺん聴いてみたかったんだよー!」


 町田アンナがそのように言いたてると、下の妹が笑顔でバケツを持ち上げる。めぐるはいささかならず気が引けてしまったが、それでも頑なに拒絶するほどのことではなかった。


「そ、それじゃあ弾いてみますけど……本来のテンポで簡略化したフレーズを弾くのと、遅いテンポでなるべく正確に弾くのと、どっちがいいでしょう?」


「そりゃーどっちも聴かせてほしいけど! まずは、本来のテンポかなー!」


 すると、和緒が座卓に置かれていたスマホを取り上げた。


「だったら、ご本家様と競演してみたら? そのほうが、あんたもノれるでしょ」


「う、うん。そうだね」


 これは何だか、ゴールデンウィークで崩した体調が回復した日を思わせるシチュエーションであった。あの日もめぐるは和緒のスマホのライブ映像に合わせて、『線路の脇の小さな花』を演奏することになったのだ。

 しかし、あれは軽音学部に入部する前の出来事であったため、まるまる三ヶ月が過ぎている。その期間で、めぐるはそれなり以上に上達しているはずであった。


「じゃ、いくよ」と、和緒がスマホの画面をタップする。

 数秒間ほど客席のざわめきが伝えられて、それがいきなりベースの歪んだ重低音によって叩き壊される。めぐるは一小節待ってから、その轟音の渦へと跳び込んだ。


 こちらの曲は、イントロから暴風雨のごとき勢いである。おそらく数値で表すと、テンポ150の16ビートということになるのであろう。なおかつ、基本のフレーズはのきなみ十六分音符で構成されているため、尋常でない疾走感であったのだった。

 めぐるの技量では、右手も左手もスピードが追いつかない。よって、弾ききれない音符は潔く切り捨てて、リズムの核となる部分だけでも正確に音を合わせるのが、めぐるなりのアレンジであった。


 たとえバケツで増幅されようとも、めぐるのベースは生音だ。スマホのスピーカーから響く彼女の音色は、鋼鉄の鞭のように鋭く荒々しくうねっている。毎日何度となく聴き込んでも、めぐるがその勇壮さに飽きることはなかった。


 めぐるは指板と自分の指先だけを見つめ、『SanZenon』の演奏だけを聴く。

 ベースばかりでなく、ギターやドラムも魅力的だ。というよりも、三者の演奏がひとつに合わさってこその、『SanZenon』なのである。めぐるは『KAMERIA』のメンバーで行う演奏を何より心地好く思っていたが、『SanZenon』の音源に合わせて行う演奏にはまた別種の悦楽が存在した。


 そうしてめぐるは、一心に『SanZenon』の演奏を追いかけていたが――その途中で、別なる音が割り込んできた。町田アンナの、激しいバッキングである。町田アンナが、いきなりギターをかき鳴らしたのだ。

『SanZenon』のギタリストとは、まったく異なるフレーズとなる。しかしどうやらコード進行は把握しているらしく、調和を乱すことにはならなかった。それどころか、町田アンナの躍動的な演奏が加わったことで、めぐるはさらなる昂揚を覚えることになったのだった。


 さらには、和緒が雑誌を叩く音色まで加わってくる。そちらもテンポは正確であったが、本来のドラムとは異なる動きだ。ただ、時おり和緒らしいスネアの連打が添えられて、めぐるを幸福な心地にさせてくれた。


 そうして楽曲は、暗い沼の底のように暗鬱なCメロに差し掛かり――最後のサビに突入したところで、驚くべきことが起きた。なんと、栗原理乃まで歌い出したのだ。それも、これまでのような声量を抑えた歌唱ではなく、本気のシャウトである。ただ、どこかくぐもって聴こえたので、おそらくは両手で口に蓋をしながら全力で歌いあげているのだろうと思われた。


 その歌声を耳にした瞬間、めぐるの背筋が粟立っていく。

 町田アンナと和緒の効果でこれ以上もなく昂揚していためぐるの心が、臨界を越えたのだ。もはやめぐるは、部室での練習と同じぐらいの――いや、下手をしたらそれ以上の昂揚に見舞われてしまっていた。


 しかし、最後のサビまで入ってしまえば、もうエンディングまではどれほどの時間も残されていない。遥かな上空まで舞い上がっためぐるの心は、それで無慈悲に地上まで引きずり戻されてしまったのだった。


 最後の一音を弾き終えためぐるは、脱力して息をつく。

 そこに、盛大な拍手が打ち鳴らされた。


「すごいすごーい! めぐるちゃんだけじゃなく、みんなかっこよかったよー!」


「うん、ほんとだね。まるでライブみたいだったね」


 めぐるが顔を上げると、二人の妹たちが星のように瞳をきらめかせていた。

 栗原理乃は華奢な肩を上下させており、和緒はすました顔で麦茶のグラスに手をのばしている。そしてめぐるにつかみかかってきたのは、やはり町田アンナであった。


「めぐる、すげーじゃん! カンリャクカとか言って、ほとんどコピーできてるし!」


「あ、いえ、細かい音符なんかは、どうしても省略するしかないので……」


「そんなのぜんぜん気にならないぐらい、かっちょよかったよー! この曲はもともとかっちょいいけど、めぐるが弾くとカクベツだねー!」


 そのように評されても、めぐるは恐縮するばかりである。めぐるなど、まだまだ『SanZenon』の足もとにも及んでいないはずであるのだ。


「そ、それよりどうして、町田さんまでこの曲を演奏できるんですか? 町田さんは、『SanZenon』にそれほど興味をひかれなかったんでしょう?」


「『SanZenon』の曲ってなーんか中毒性があるから、ついつい聴き込んじゃったんだよー! そもそもウチの好みに合わないのは、ギターの音やプレイだけだしね! で、めぐるの演奏でだいたいコード進行はわかったから、あとはソッキョーさ!」


「私も『SanZenon』の音源は聴き込んでいたので、歌詞やメロディは把握していましたけれど……やっぱり、あんな声でしか歌えません」


「あたしはスネア代わりの雑誌を叩くだけなんだから、べつだん苦労もなかったよ。あんなドラム、真似できるわけないしね」


「いやいや! だけど、コーミョーが見えたんじゃない? これからは、この曲も練習してみよーよ!」


 町田アンナは妹たちよりも明るく激しく鳶色の瞳を輝かせながら、そのように言いたてた。その言葉の内容に、めぐるは愕然としてしまう。


「さ、『SanZenon』の曲を、わたしたちが練習するんですか? でも……町田さんは、人の曲をコピーすることに興味がないんでしょう?」


「コピーじゃなくってカバーだったら、楽しいかなーって思ったんだよ! 実際、今の演奏はすっげー楽しかったからさ!」


「コ、コピーとカバーって、何が違うんですか?」


「そんなの、ウチだってよくわかんないけど! 人の曲を自分なりにアレンジするのが、カバーなんじゃないの? ウチだってあんなギターは弾けないし、弾くつもりもないからさ! さっきみたいに、おもいっきりアレンジするつもりだよー!」


 確かに先刻の町田アンナは、ずっと彼女らしい演奏を見せていた。それでいて、『SanZenon』の演奏ともしっかり調和していたのだ。

 では、『SanZenon』の演奏を抜いて、『KAMERIA』だけで演奏したならば、いったいどのような調和が生まれるのか。めぐるにはまったく想像もつかなかったが――ただ、胸の奥底に熱く渦巻く感情があった。


「わ、私も『SanZenon』のヴォーカルさんみたいに歌うことはできませんけれど……この素敵な歌を、もっとしっかり歌ってみたいと思いました」


「あたしは何がどうでもかまわないよ。誰が作った曲だろうと、こっちの苦労に変わりはないだろうからね」


 栗原理乃と和緒は、そんな風に言っていた。

 そうして『KAMERIA』は、思わぬいきさつから『SanZenon』の曲を練習していくことに決定されたのだった。

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[気になる点] 「人間の声帯が機械のプログラミングで操作されているかのような印象に成り果てていた。」 と言う表現がありますが、「成り果てる」って基本的に悪い意味なのでちょっと違和感を得ました。没落の最…
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