-Track 1- 01 訪問
それから紆余曲折を経て――めぐるたちは、『V8チェンソー』からのお誘いを了承することになった。
野外フェスというイベントも、バンド合宿という小旅行も、どちらも受け入れることになったのである。
和緒も語っていた通り、それらの行事はまったく別口の話であった。野外フェスは一週間後、バンド合宿は八月下旬、前者は地元のライブハウスが主催、後者は『V8チェンソー』のプライベート企画と、時期も内容も完全に別件であったのだ。『V8チェンソー』の面々は、そんなお誘いをふたつまとめて『KAMERIA』の面々にぶつけてきたわけであった。
『その野外フェスっていうのは、和緒ちゃんとめぐるちゃんを最初にお誘いしたライブハウスの主催でさ! あたしらは昔っからお世話になってるんで、今回も融通をきかせてもらったの! 出順は二番目でお客さんもほとんど期待できないけど、よかったらどうかな? もちろんチケットノルマとかはないから、費用はかからないよー!』
和緒に見せてもらったスマホには、そのようなメッセージが表示されていた。
『それで、バンド合宿っていうのはね、フユちゃんの実家が南房総に別荘を持ってるんで、しょっちゅうお世話になってるの! 機材はそれなりに充実してるし、朝から夜まで演奏し放題だから、楽しいよ! こっちも予定が合うようだったら、よろしくねー!』
そんなメッセージを目にすると、めぐるはそちらのイベントにも胸が高鳴ってしまった。部室でも練習はし放題であるものの、時間は午前の九時から午後の六時までという制限がかけられているのだ。それに、『V8チェンソー』のメンバーと泊まりがけで小旅行というのは、いささかならず腰が引けてしまうが――その反面、『KAMERIA』のメンバーとの小旅行という話には、自然と胸がわきたってしまうのだった。
(わたしはかずちゃんだけじゃなく、町田さんや栗原さんにもそれだけの思い入れを抱いてるんだなぁ)
そんな風に考えると、めぐるは別の方向からも胸を揺さぶられてしまった。この三年間で、めぐるが和緒以外の相手に興味をひかれたことは一度としてなかったのだ。しかも、出会ってからまだ三ヶ月も経っていないのだと考えれば、感慨もひとしおであった。
ともあれ、めぐるたち四人は『V8チェンソー』のお誘いを了承することに相成った。ずっとぶちぶちと文句を言っていた和緒も、最後には賛同してくれたのだ。
「盆にはまた忌々しい里帰りが待ち受けてるけど、幸か不幸かどっちのお誘いも時期は外れてるしね。里帰りよりも忌々しい思い出にならないことを祈るばかりだよ」
「あはは! どっちのイベントも楽しいに決まってるから、そんな心配はいらないっしょ! てゆーか、楽しい思い出は自力で作りあげないとねー!」
町田アンナはそんな風に笑っていたが、めぐるとしてはもう一段階深い部分で和緒の心情を思いやらずにはいられなかった。それでその日の練習の帰り道、和緒と二人きりになったタイミングでこっそり本心を確認することになったのだった。
「ねえ、かずちゃんはいつも最後にはこっちの話を受け入れてくれるけど……無理をしたりはしてないよね?」
「ふむ。あたしがそんな無理をしてまで、周囲の人間に迎合するとでも?」
「う、ううん。かずちゃんは絶対に自分を曲げたりはしないと思うけど……でも、かずちゃんは優しいから……」
「あたしのどこに優しさなんざを感じるのか、はなはだ疑問なところだね。あたしぐらい自分本位な人間は、この世に存在しないだろうと思うよ」
そんな風に語りながら、和緒はわしゃわしゃとめぐるの頭をかき回してきた。
「ま、だから周囲の暴走も知らん顔で、淡々とテンポキープできるのかもね。その一点だけは、ドラマーとしての適性があったのかな」
たとえ軽口であっても、和緒がバンド活動に対して前向きな言葉を口にするのは滅多にないことである。それでめぐるは安心すると同時に、心から幸福な気持ちになり――その結果、いっそうの荒っぽさで頭をかき回されることになったわけであった。
「それにしても、たった一週間の猶予期間で野外フェスの出場を持ちかけてくるとはね。あのお姉さまがたも親切顔をして、なかなかシビアな試練をぶつけてくるもんだよ」
「そ、そうだね。だけどまあ、持ち時間が十分で二曲しか演奏できないなら、この前のイベントと同じ条件だし……それで浅川さんたちも、これなら大丈夫だって思ってくれたんじゃない?」
「でも、あたしのイメージだと野外のステージってのはひときわ音響の環境がシビアなはずだよ。どうもこのメンバーは音響の具合に大きく左右されるみたいだから、当日にガッカリしないように心の準備をしておくべきかもね」
そんな和緒の忠告も、めぐるにはありがたい限りであり――それと同時に、和緒の優しさを感じてやまなかった。
そうしてメンバー間の意思確認を終えた後は、また練習の日々である。
ただし、練習の時間はそれほど残されていなかった。もともと野外フェスまでは一週間しか猶予がなく、しかもめぐるはその期間内に三日間ほどアルバイトのシフトを入れてしまっていたのだ。めぐるはアルバイトの日でも朝から部室に立ち寄っていたものの、フルタイムで合同練習できる日はわずか四日間しか存在しなかったのだった。
しかしまあ、先月のイベントでお披露目した二曲であれば、同じクオリティで演奏することができるだろう。『V8チェンソー』はあの日の演奏で『KAMERIA』の力を見込んでくれたのであろうから、あとは音響の悪さというものだけを警戒しつつ、力を尽くすしかなかった。
それでめぐるたちは、夏休みと思えないほどの多忙な日々を過ごし――あっという間に、野外フェスの前日になってしまった。
野外フェスの前日は、町田家に泊まり込みである。こちらはふってわいたようなイベントであったが、めぐるはここでも胸を高鳴らせてしまった。バンド合宿の前に『KAMERIA』のメンバーだけでお泊まり会を決行したいという町田アンナの申し出は、めぐるの心を温かくしてやまなかったのだ。それでも小心者のめぐるにとっては、期待七割、不安三割という心境であったわけであるが――不安に倍する期待を抱いていることは誤魔化しようもなかった。
ちなみに野外フェスが開催されるのは祝日となる月曜日で、前日の日曜日は部室も使えず、めぐると町田アンナは物流センターにおけるアルバイトである。それでめぐるは午後の一時から七時までの六時間勤務を終えたのち、町田アンナの案内で彼女の自宅を目指すことになったわけであった。
「わ、わたしは方向音痴なので、助かります。まあ、かずちゃんと一緒だったら、スマホの地図で案内してくれたでしょうけれど……」
「あはは! ベースを弾いてないと、めぐるは頼りないなー! そーゆー部分が、和緒のボセーホンノーだとかキシドーセーシンだとかを刺激するのかもねー!」
すっかり薄暗くなった歩道を跳ねるように歩きながら、町田アンナはご機嫌の様子であった。それを追いかけるめぐるは、ギグバッグを担いだ姿である。このまま町田家で夜を明かしてイベント会場に直行する予定であったため、必要な荷物はアルバイト先の事務室に預けて勤労に励むことになったのだ。着替えの詰まったリュックは、親切な町田アンナが担いでくれていた。
アルバイト先も町田家も同じさくら市内であるが、めぐるにとってはまったく馴染みのない区域だ。そもそもさくら市というのは江戸時代から軍都として栄え、現在でも城址や武家屋敷などが残されている由緒正しい土地柄であり、めぐるや和緒の住まうニュータウンのほうこそが四十年ばかりの歴史しか持たない新興エリアなのである。JRの駅から徒歩圏内であるというこの区域も、それほど賑わっていない代わりに、どことなく古い街ならではの落ち着きや風情というものが感じられてならなかった。
「……町田さんは、ずっとこちらにお住まいなんですよね?」
「うん! 親父も若い頃は世界中をうろつき回ってたみたいだけど、ちょうどママと出会った頃にじっちゃんが亡くなって、実家を相続することになったんだってさー! で、ムダにでかい家を改築して、ママと一緒に道場をオープンさせたんだって!」
町田アンナの実家は、格闘技の道場を経営しているのである。その情報だけではめぐるも尻込みしてしまいそうであったが、幸いなことに先月のイベントでご家族の全員と対面していたため、相当に心をなだめられていた。
「そーゆーめぐるは、あのニュータウンで生まれ育ったんじゃないの? 和緒とは、中学からのつきあいなんでしょ?」
「あ、はい。家の都合で、中学にあがる頃に越してきて……かずちゃんとは、二年生で同じクラスになったんです」
めぐるはこの段に至っても、家族の死にまつわる家庭環境を町田アンナや栗原理乃に打ち明けていなかった。べつだん意図があって隠しているわけではなく、こんな話を聞かされても反応に困るだろうという判断だ。それに、バンドのメンバーから同情や憐れみの目を向けられるというのは――想像するだに、決して楽しいものではなかった。
(まあ、わたしが自意識過剰なだけかもしれないけど……わたしの家庭環境なんて、どうでもいい話だもんね)
めぐるがそのように考えたとき、町田アンナが「おりょりょ?」とスマホを引っ張り出した。
「あ、理乃からだー! もしもーし、どーしたの? ……あ、そーなんだ? りょーかーい! ウチらももうすぐ合流できるからねー!」
町田アンナはすぐさまスマホをポケットに戻して、めぐるのほうを笑顔で振り返ってきた。
「理乃は和緒に頼まれて、駅前で合流したんだってー! ウチらとは、家の近くで合流だねー!」
「あ、そうなんですか。何かアクシデントとかじゃなくて、よかったです」
「うんうん! それにしても、理乃と和緒が二人きりなんて、なんか新鮮だねー! 理乃のやつ、和緒にいじめられてないといいけど!」
そんな風に言ってから、町田アンナはいっそう楽しそうに顔中をほころばせた。
「なんかちょっと、くすぐったいみたいな気分じゃない? めぐるがウチと同じバイトを始めたとき、理乃や和緒もこーゆー気分だったのかもねー!」
「そうかもしれませんね」と、めぐるは自然に笑うことができた。
町田アンナや栗原理乃と出会ってから、間もなく三ヶ月。たったそれだけの期間で、めぐるはこんな穏やかで満ち足りた気持ちを授かることができたのだ。家族を失う前の小学生時代にも、果たしてこのような気分を抱く機会はあったのか――めぐるがどれだけ頭をひねっても、そんな遠い記憶はほじくり返せそうになかったのだった。




