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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 1-

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43/327

-Track 6- 01 変身

「おはよう、マイフレンド。昨日は、きちんと眠れた?」


 バスの車内で顔をあわせるなり、和緒がそのように問うてきた。

 ギグバッグを抱えて和緒の隣に腰を下ろしながら、めぐるは「ううん」と首を振ってみせる。どんなに尻込みしようとも、和緒に嘘をつくことはできなかった。


「いちおう布団には入ったんだけど……眠くなる前に、起きる時間になっちゃったの」


「うん? つまりは、完徹ってこと?」


「うん……三時間ぐらいは、横になってたはずなんだけど……」


 和緒はうろんげに眉をひそめつつ、めぐるの顔を間近から覗き込んできた。


「その割には、顔色も悪くないみたいだね。むしろ、普段より元気に見えるぐらいだよ」


「ほ、ほんとに? わたしも調子は悪くないんだよね。今も、ちっとも眠くないしさ」


「まあ、横になってるだけでも、体力はあるていど回復するらしいしね。でも、眠くもないのに三時間も横たわってるなんて、ほとんど拷問じゃない?」


「うん……でも、ずっと練習し続けるのはまずいような気がしたから……とにかく、横になってたんだよね」


「あんたにしては、歯止めがきいたじゃん。ま、寝不足で大失敗したところで、一番ダメージを負うのは本人なんだから、気にしなくていいんじゃない?」


 めぐるがこのような有り様でも、和緒の調子に変わりはなかった。これだから、めぐるは和緒の存在に心をつかまれてやまないのである。


「ありがとう、かずちゃん。絶対に寝不足を言い訳にしたりしないから……今日は一緒に頑張ろうね」


「何にお礼を言ってるのか意味不明だし、あたしに熱血の素養は皆無だよ」


 和緒は素知らぬ顔で、窓の外へと視線を転じてしまった。

 やがてバスが駅に到着したならば、今度は電車でライブハウスを目指す。その間も、めぐるが睡魔に見舞われることはなかった。


 そうして目的の駅に到着したのは、午前の十一時五十分となる。会場入りは午後の一時であったため、その前にメンバー四名でランチを取る手はずであったのだ。


「あっちはもう到着してるってよ。どれだけハンバーガーが好きなんだかね」


 スマホを確認した和緒が、そのように言いたてた。ランチを取る場所は、京成とJRの駅をつなぐショッピングロードのハンバーガーショップと指定されていたのだ。まったく土地勘のないめぐるは、この日も和緒の後をついて回るばかりであった。


 本日は土曜日で、しかも夏休みの期間であるため、駅の付近はこのような時間から大層な賑わいである。そして道行く人々の中には、和緒に目を奪われる人間も少なくなかった。和緒は本日もざっくりとしたシャツにチノパンツというシンプルな装いであったが、そのすらりとした長身と王子様めいた美貌だけで人目を集めてやまないのだ。


(まあ、町田さんや栗原さんと合流したら、それも三倍増だけどさ)


 つくづくめぐる以外の三名は、容姿に恵まれている。めぐるは自分の容姿が凡庸かそれ以下であることを自覚していたが、それをコンプレックスにはしていなかったため、この三名とつつがなくおつきあいできるのだろうと思われた。


(そもそもそんなコンプレックスを抱えてたら、かずちゃんの隣を歩くことにも引け目を感じそうだもんなぁ)


 めぐるがそんな益体もない想念にひたっている内に、目的の店に到着した。

 そちらの自動ドアをくぐると、たちまちエアコンの涼風が吹きつけてくる。本日はまだまだ夏の小手調べといった気温であったものの、うっすらと汗ばんだ体には心地好い限りであった。


「ああ、いたいた。いたけど……なんだ、ありゃ?」


 と、和緒がうろんげな声をあげる。

 めぐるがその視線を追うと、一番奥のボックス席にオレンジ色の頭が覗いていた。その隣に見えるのは、白い帽子の頭頂部だ。

 めぐるは身長が足りていないため、和緒が何を不思議がっているのかもわからない。ただ栗原理乃が店内でも帽子を外していないことをいささか奇妙に思うばかりであった。


 とにもかくにも、まずは受付のカウンターで注文をして、いざボックス席を目指す。

 そうしてソファの背もたれに隠されていたものの全容を目にしためぐるは――思わず立ちすくむことになってしまった。


「おー、来た来た! 二人とも、お疲れさまー!」


 町田アンナはチェックのベストにハーフパンツにオレンジ色のブーツという、いつも通りの姿である。

 しかし、栗原理乃のほうは――それが本当に栗原理乃であるのかどうかも判然としなかった。


 本日の彼女は、夏用のカーディガンもワンピースも純白で、つばの広いフレアハットをかぶっている。避暑地のお嬢様めいたファッションであるが、まあそれほど素っ頓狂な装いではないだろう。

 だが――その帽子の陰に見えるのは、つやつやと照り輝くアイスブルーの髪であった。

 しかも、その長い前髪の下には黒い目隠しなどをしている。それで、精緻な造作をした口もとなどは完全に無表情であったため――一見では、人間か人形かも疑わしくなるほどであった。


「気持ちはわかるけど、まずは腰を落ち着けたら?」


 町田アンナは、何も異常事態など起きていないように笑っている。それで和緒が腰を下ろしたため、めぐるも夢遊病者のように追従することになった。


「あ、あの、そちらの御方は……栗原さんですよね?」


「それは説明が難しいところだねー! でも、ウチらのヴォーカルだってことに間違いはないよ!」


 町田アンナは悪戯小僧のように笑いながら、フライドポテトを口に運んだ。


「それではご紹介いたしましょう! こちらは『KAMERIA』でヴォーカルを担当する、リィ様でございます!」


「リ、リィ様? 栗原さんの、新しいニックネームですか?」


「そこらへんの設定はまだ煮詰めてないんだけど、最有力候補は理乃の別人格ってところかなー!」


「つまり……その設定で、ライブのプレッシャーやらストレスやらを克服しようってこと?」


 和緒が前髪をかきあげながら反問すると、町田アンナは「そーゆーこと!」といっそう愉快げに笑った。


「ま、これでライブをやれるんなら、安いもんっしょ? 和緒とめぐるも、協力してよね! 今のこいつは栗原理乃じゃなく、リィ様って設定だから!」


「はあ……まあ、何がどうでもかまわないけどさぁ」


 さしもの和緒も、呆れ返っている様子である。

 いっぽうめぐるも、まだまだ最初の衝撃から覚めきっていなかった。


 普段の栗原理乃はロングの黒髪であるが、現在の彼女はぎりぎり肩に届かないぐらいのショートヘアーだ。そして、サイドの髪がくるんと内巻きになって、いっそう人形めいて見えた。

 まあ、アイスブルーの髪というのはなかなか素っ頓狂であれども、ウィッグであると考えればそこまで驚くほどのことではない。それよりも異彩を放っているのは、やはり黒い目隠しであろう。彼女は十センチほどの幅を持つ黒いレースの織物を目もとに巻いて、鼻から下しかあらわにしていなかったのだ。


「……リィ様は、それで前が見えてるのかな?」


 和緒がその眼前でひらひらと手を振ると、彼女は初めて「はい」と言葉を発した。銀の鈴めいた声音はそのままであるが、何の感情も感じられない冷ややかな口調だ。


「こちらはレース素材ですので、とりたてて不便はありません。夜道を歩くぐらいの感覚ですね」


「ふーん。ま、栗原さんは……おっと、リィ様か。リィ様は絶世の美貌であられるから、そんな格好もまたとなく似合っておられますね」


 和緒のそんな冷やかしにも、彼女は「恐縮です」と無感動に応じるばかりであった。


「本当は、もっと別人っぽい名前にしたかったんだけどさー! でも、バンド名の都合があるから、『リ』の字は外せなかったんだよ! そんなわけで、よろしくねー!」


「はいはい、おおせのままに。……あんたはずいぶん呆けてるみたいだけど、大丈夫?」


「う、うん。ちょっとびっくりしただけだよ。でも……すごく似合ってると思います」


 ようよう我を取り戻しためぐるは、そのように答えてみせた。


「それにその格好は、すごく歌声にも似合ってるように思えたから……それで余計に、びっくりしちゃったんです。アイスブルーの髪っていうのは、リィさんの歌声にぴったりですね」


 すると、アイスブルーの髪をした少女が、エラーを起こした機械人形のようにびくりと身を震わせた。

 そののちに、「恐縮です」と一礼する。やっぱり無感動な所作であるため、どのような感情が去来したかは謎である。


「とりあえず、これで準備は万端だねー! ただ、昨日はぜーんぜん寝つけなくてさー! 気づいたらもう朝になっちゃってて、びっくりだったよー!」


「へえ。まさか、一睡もしていないとでも?」


「うん! おひさまが出ちゃったら、もう眠れる気がしないからねー! それで時間がたっぷり余っちゃったから、ひさびさに道場でひと汗かいてきたよ!」


「呆れたもんだ。リィ様は、いかが?」


「私も、いっさい眠れませんでした」


 和緒は半身になってソファの背もたれに頬杖をつきながら、横目でメンバー一同を見回した。


「それじゃあぐーすか眠りこけたのは、あたしひとりってわけね。あんたもちょっとは気が楽になったんじゃない?」


「う、うん。そうだね」


「そうだねじゃないんだよ。あたしひとりだけ、大失敗の言い訳がないじゃんか」


 和緒は八つ当たりのように、めぐるの頭を小突いてくる。その姿に、町田アンナは「あはは」と笑った。


「ってことは、めぐるも寝てないんだ? それじゃあ今日は三人そろって、ドーパミンがどばどばだねー! 和緒も負けずに、くらいついてきてよー?」


「はいはい。よくよく考えたら、普段も似たような状況だからね。今さら嘆いても始まらないか」


 そのとき、店員がめぐると和緒のオーダーを運んできてくれた。その際も、店員はちらちらと栗原理乃のほうをうかがっていたが――彼女の機械人形めいた面はさざ波ひとつの感情も覗かせなかった。


「さあさあ、めぐるたちも、ちゃっちゃと食べちゃいなー! 食べ終わったら、お着換えタイムだからねー!」


 そんな風に言いながら、町田アンナがベストの胸もとを開帳した。

 彼女がその下に着込んでいたのは、ターコイズブルーのTシャツである。そしてその胸もとには、一輪のツバキのイラストと『KAMERIA』の名がオレンジ色でプリントされていた。


「へーえ。それがあんたの準備したステージ衣装ってわけかい」


「うん! 道場の門下生に、古着屋ショップの店長さんがいてさ! その人が、趣味で作ったTシャツも販売してるの! それで、無料で作ってもらえたんだー!」


「色んな人脈を抱えてるもんだね。どうせだったら、生地のほうをオレンジにすりゃいいのに」


「それじゃあ、ギターのカラーリングが映えないじゃん! ちなみにめぐるはパープルで、和緒はピンクだからねー!」


「……どうしてよりにもよって、図体のでかいあたしが乙女カラーなのさ?」


「ギャップ狙いだよー! 和緒がブラックとかだと、面白くないしねー!」


 そんな風に言ってから、町田アンナはめぐるに向きなおってきた。


「で、ペパーミントグリーンを引き立てる補色は、淡いパープルなんだって! これでめぐるもリッケンベースも、おたがいを引き立て合って映え映えだよー!」


「ありがとうございます」と、めぐるは自然に笑うことができた。

 メンバー全員でおそろいのTシャツを着ることも、和緒を除く全員が寝不足であることも、栗原理乃が懸命にプレッシャーを跳ね返そうとしていることも――何もかもが、めぐるに温かい気持ちをもたらしてくれるのだ。めぐるは昨晩眠れなかったことで、期待感よりも不安感がまさってしまっていたのだが、それがこのひとときで一気に逆転したような心地であったのだった。

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