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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 1-

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05 前夜

 それからの日々は、怒涛の勢いで過ぎ去っていった。

 初めてのスタジオ練習に臨んだ日から一週間後にはもう夏休みとなり、めぐるたちもこれまで以上の情熱をバンドの練習に注ぐことがかなったのである。


 夏休みの期間も、部室を使えるのは月曜日から土曜日までとなる。ただし、午前の九時から午後の六時まで、毎日使い放題であるのだ。めぐるにとって、それほど悦楽に満ちた日々というのはなかなか想像できないぐらいであった。


 もちろんすべてのメンバーが、フルタイムで部室の練習に参加できるわけではない。人にはそれぞれ、プライベートの用事というものが存在するのだ。それを持ち合わせていない人間は、メンバーの中でめぐるただひとりであった。


 一学期の終業式からライブの本番まで、期間はおよそ二週間となる。その期間、めぐるは朝から晩まで部室に入り浸った。他にメンバーがいなければ個人練習に打ち込むばかりであるし、和緒がいればリズム練習、町田アンナがいれば音作りやアレンジの相談と、いくらでも有意義な時間を過ごすことができた。また、栗原理乃は町田アンナのいない時間にやってくることはなかったので、ヴォーカルと二人きりになる事態には見舞われなかった。


 めぐるは夏休みに入ったらアルバイトのシフトを増やす心づもりであったが、それもライブの本番を終えてからのことだ。今でも毎週日曜日にはきっちり六時間働いていたので、資金に困ることはなかった。なおかつ、日曜日の労働を終えた後には町田アンナと二人きりでスタジオ練習に臨む機会も生じたのだった。


「この前の一回だけじゃ、音作りも不安っしょ? 二人までなら個人練習あつかいでスタジオ代も安く済むから、部屋が空いてたらチャレンジしよーよ!」


 町田アンナと二人きりでスタジオまで出向くというのは、めぐるにとってなかなかにプレッシャーである。同じバイト先からスタジオまで出向くならば、行き道も行動をともにしなければならないのだ。和緒という精神的な支えの存在しない場で町田アンナと交流して、愛想を尽かされてしまったりはしないか――めぐるが不安に思うのは、ただその一点のみであった。


 しかしそれでも最後には、バンド活動に対する情熱が上回った。確かに一回きりのスタジオ練習では、音作りをマスターしたとは言い難い心境であったのだ。そして、他のメンバーが居揃っている場ではあまり音作りにばかり時間をかけられないため、二人きりで音作りに集中するというのはきわめてありがたい申し出であるはずであった。


 それでめぐるが勇気を振り絞って、町田アンナと二人きりのスタジオ練習に臨んでみたところ――実に呆気ないぐらい、無事にやりとげることができた。町田アンナはめぐると二人きりでも何ら気詰まりを感じない様子で、やいやい騒ぐばかりであったのだった。


「今さらだけど、ウチらっておたがいのことをなーんも知らないよねー! 普通はもっと、好きなバンドとかの話題で盛り上がるもんなのにさー!」


「す、好きなバンドですか。わ、わたしは『SanZenon』というバンドしか知らないんですよね」


「そーそー! その『SanZenon』ってやつについてもさ! ウチや理乃は、和緒に教えてもらったライブ映像しか知らないし! よかったら、今度音源を貸してくれない? ウチもオススメのCDを貸すからさー!」


 そんな具合に、めぐるは町田アンナと多少ばかりは交流を深めることができた。

 ただ――それでのちのち判明したのは、町田アンナがそれほど『SanZenon』に興味を引かれなかったという、驚くべき事実であった。


「いやー、バンドとしてはすっげーかっちょいいと思うけどさ! ギターの音が、ウチの好みじゃないんだよねー! あーゆー空間系とかをメインにしたサウンドは、これっぽっちも興味がないからさー!」


 町田アンナは実に屈託のない笑顔で、そのように語っていたものであった。


「でも、ベースはすっげーと思うから、めぐるが惚れこむのは理解できるよー! ウチはウチの音で対抗するから、めぐるは遠慮なく『SanZenon』をお手本にしちゃってねー!」


 めぐるには、それだけの言葉で十分以上であった。めぐるにとって『SanZenon』というのはかけがえのない存在であったが、他のメンバーにとって同じ存在である必要はないのだ。それでもめぐるは町田アンナの奏でるギターサウンドを心から好ましく思っていたため、何ら不都合はなかったのだった。


 そんな感じに、めぐるは満ち足りた日々を過ごすことができた。

 練習を重ねるごとにバンドの音も固まっていき、もはや結成当時とは比較にならない完成度であるように思える。そうしてメンバーたちとともに一歩ずつ成長していく行程が、めぐるをいっそう幸福な心地にさせてくれた。めぐるの人生でこれほど充足した時間というのは、他に存在しないはずであった。


 そうして日々は移ろっていき――ついに迎えた、七月の最終金曜日である。

 ライブイベントの前日となるその日も、『KAMERIA』は部室での練習に没頭した。そうして最後の一曲を演奏し終えるなり、町田アンナは「よっしゃー!」という雄叫びをほとばしらせたのだった。


「とりあえず、やれることはやったよね! あとはもう、当たって砕けろでぶちかましてやろー!」


「それで木っ端微塵に砕け散ったら、誰が骨を拾ってくれるんだろうねぇ」


 スポーツタオルで汗をぬぐいながら、和緒が愛想のない言葉を返す。

 そして、栗原理乃が真剣きわまりない面持ちでめぐるたちを見回してきた。


「遠藤さん、磯脇さん、それにアンナちゃんも……今日まで、本当にありがとうございました。みなさんの努力を台無しにしないように、明日は死ぬ気で歌ってみせます」


「おやおや? まるで明日が最後の舞台みたいな物言いだねぇ」


「そ、そんなことはありません。明日のライブを、しっかり乗り越えて……それでこれからも、みなさんとバンド活動を続けさせてもらいたく思っています」


 和緒の冷やかしに頬を染めつつ、栗原理乃の真剣な表情に変わりはなかった。

 町田アンナはにこにこと笑いながら、そんな幼馴染の肩を抱く。


「理乃はいちいち大げさだなー! ライブで大失敗したって、べつにいーんだよ! 失敗したら、また次に頑張るだけなんだからさ! そんな思い詰めないで、明日はめいっぱい楽しもーね!」


「そ、そうですよ。たとえ何かあっても、絶対にバンドを辞めるなんて言わないでくださいね?」


 めぐるも慌てて声をあげると、栗原理乃は目もとを潤ませつつ「ありがとうございます」と微笑んだ。


「私がこんなに頑張れたのは、全部みなさんのおかげです。私みたいにどうしようもない人間を見捨てないでいてくれて、本当に感謝しています」


「だから、大げさだってばー! 理乃だって、大事なメンバーのひとりなんだからね! そんなヒクツになる必要はないんだよー!」


「うん。明日のライブを乗り越えられたら……私も心からそう思えるようになると思うよ」


 そう言って、栗原理乃はいっそうやわらかい笑顔を見せてくれた。

 そうして後片付けを終えたならば、四人で一緒に部室を出る。職員室に鍵を返す役割は交代制で、本日は町田アンナと栗原理乃が受け持つ日取りだ。ギグバッグを背中に担ぎ、幼馴染と腕を組んだ町田アンナは、最後に笑顔でぶんぶんと手を振ってきた。


「じゃ、また明日ねー! 二人とも、遅刻なんてしないでよー? めぐるも個人練は、ほどほどにねー!」


「は、はい。そちらも帰り道は気をつけて」


 七月も終わりに差し掛かり、午後の六時でもまだ太陽は沈みきっていない。町田アンナの髪やギターに似た色合いの夕陽が振り注ぐ中、めぐるは和緒と二人で裏門をくぐることになった。


「いよいよ明日が本番だね。わたしのほうこそ何か大失敗するんじゃないかって、不安な気持ちになっちゃうよ」


 めぐるがそのように伝えると、和緒は正面を向いたまま「はん」と鼻を鳴らした。


「一番の初心者を差し置いて、不安ぶってるんじゃないよ。こちとらキャリア二ヶ月半ていどで、ライブなんざに引っ張り出されるんだからね」


「あ、それでももう二ヶ月半も経つんだね。それじゃあ、わたしは――」


「あんたはそれより一ヶ月ちょい長いぐらいでしょ。ただし、常人の五倍ぐらいは練習してるんだろうから、キャリア一年以上も同然ってことさ」


 そんな風に言いながら、和緒は横目でめぐるを見やってきた。


「部室での練習だって、フルタイムの皆勤賞なんでしょ? 家での個人練まで含めたら、この夏休みは一日二十時間ぐらい練習してることになるんじゃないの?」


「さすがにそこまではいかないよ。学校までの往復とか食事の時間とかを考えたら……せいぜい十七、八時間ぐらいじゃない?」


「恐ろしいことを、さらっと言うねぇ。しかも、とびきりの笑顔ときたもんだ」


「うん。だって、こんなに楽しい生活は他に考えられないからね。どうせ他には、何の予定もないしさ」


「ふーん。そういえば、あたしは誰かの全おごりでどこかに遊びに行くっていう約束をしてたような気がするなぁ」


 和緒のそんな言葉に、めぐるは総身の血が引く思いであった。


「ご、ごめん! 忘れてたわけじゃないけど……あ、いや、ほんとは忘れてたんだけど……でも、約束を破るつもりはないから!」


「あんたには、優しい嘘をつく機能もないのかい」


 和緒はめぐるのこめかみに拳を押し当てて、ぐりぐりと蹂躙してきた。


「ほんとにごめん……約束は、絶対に守るから……」


「十年後でも二十年後でも、約束を破ったことにはならないだろうさ。だいたいこっちだって、毎日毎日バンドの練習でへとへとなんだからね。ただでさえ忌々しい季節なんだから、デートのお誘いは秋以降でお願いするよ」


 そのように語る和緒は、隠しようもなく目もとに笑いをたたえている。きっとめぐるの困り果てた顔を見るのが、楽しくてならないのだ。そういう性格をしているからこそ、和緒はめぐるを見放さずにつきあっていけるのだろうと思われた。


 その後はバンド以外の話題でぽつぽつと言葉を交わしながら、帰路を辿る。

 電車とバスを乗り継いで、自宅までは三十分足らずだ。ひとつ手前の停留所で降車するめぐるは、最後に和緒へと笑顔を投げかけた。


「それじゃあ、また明日ね。かずちゃんも、今日はゆっくり休んでね」


「その言葉、まるっとお返しするよ」


 めぐるは「うん」とうなずいて、ひとり歩道に降り立った。

 夕闇を押しのけるようにして、バスは走り去っていく。何とはなしにそのさまを見送ってから、めぐるは待つ者もない自宅の離れへと足を向けた。


(いよいよ本当に、ライブなんだ……今日ぐらいは、早めに休まないとなぁ)


 ひとりになると、またむやみに胸が高鳴ってしまう。大勢の人間の前で演奏を披露するなど、本来のめぐるにとっては耐え難い行為であるはずなのだ。

 しかしめぐるは、不安と同じぐらいの大きさをした期待というものを抱いている。ライブをやったら、バンド活動がもっと楽しくなる――浅川亜季のそんな言葉が、めぐるの心をしっかりと呪縛していたのだった。


(よくよく考えたら、わたしはいつも大事な場面で浅川さんに後押しされてるんだなぁ)


 リッケンバッカーのベースを買ったのも、軽音学部に入部したのも、そしてライブに挑戦することになったのも、すべて浅川亜季の導きであったのだ。ライブに関しては他のメンバーの意向も強く介在していたものの、めぐるの心を最初に後押ししたのはまぎれもなく浅川亜季であったのだった。


 そんな浅川亜季も、明日は会場にやってくる手はずになっている。それも、『V8チェンソー』のメンバーを引き連れてだ。それもまた、めぐるの不安と期待を激しく増幅させてやまなかった。


(とにかくわたしは、ベストの演奏ができるように頑張るだけだ。みんなを信じて、頑張ろう)


 そうして自宅の離れに帰りついためぐるは、いつもの習慣で真っ先に『SanZenon』の音源を聴きあさった。

 ミニアルバムの全五曲を聴き通すと、否応なく胸が熱くなってくる。それで小一時間ばかりベースを弾きたおしてから、ようやく着替えをして夕食の支度を始めるというのが、もはやめぐるの日常になっていた。


 ここ最近の夕食の定番は、鶏の胸肉と小松菜のトマト煮込みである。格安の冷凍肉と小松菜を刻んで、缶詰のトマトで煮込むのだ。味付けは塩と胡椒と固形コンソメのみであったが、食事に興味の薄いめぐるには不足のない味わいであった。

 あとは相変わらず、卵と納豆と白米を食している。そこに不足している栄養は何かと考えて、鶏の胸肉と小松菜とトマト缶を選び取ることになったのだ。ゴールデンウィーク以降は、それらの食材によってめぐるの健康が保たれていたのだった。


 そうして食事をした後は、また生音で練習ざんまいである。

 それでも本日は早めに練習を切り上げて、午後の十一時半にはシャワーを浴びる。それからさらに小一時間ほどベースを爪弾いてから、めぐるはきちんと布団を敷いて横たわった。


 時刻はすでに午前一時近くになっているが、普段に比べれば二時間以上も早い就寝であろう。それに、寝落ちをしないで布団で眠るというのも、ゴールデンウィークに寝込んでいた時期を除けば、まずありえないことであった。

 ただ――眠気はまったく下りてこない。心臓は高鳴ったままであるし、両手の指先が疼いてしかたがなかった。


(うーん……生活リズムを変えると、むしろ調子が狂っちゃうかなぁ)


 よくよく考えると、明日の待ち合わせは正午であったため、普段よりも朝寝をできるのである。それならば、早めに就寝する甲斐もないように思われた。


(よし。眠くなるまでベースを弾こう。そのほうが、リラックスして眠れるはずだ)


 めぐるは消したばかりの照明をつけて、再びベースを手に取った。

 弦をチューニングしていると、いよいよ胸がわきたっていく。めぐるが早寝を心がけようとも、もはや肉体のほうが許してくれないのだ。そしてめぐるの腕に抱かれたベースも、笑顔で出迎えてくれたような心地であった。


(明日は、一緒に頑張ろうね)


 めぐるは限りなく優しい気持ちで、ベースを爪弾いた。

 そうすると、温かい低音がめぐるの心を包んでくれる。アンプで鳴らすエレキサウンドはめぐるを昂揚させてやまないが、こうしてひとりでベースの生音にひたるのも、めぐるにとっては大事なひとときであった。


 ゆるやかな気持ちに従って、まずはバラード調である『あまやどり』を演奏する。ここ最近はライブでお披露目する二曲にかかりきりであるが、時には気分転換としてこちらの曲も練習しているのだ。まだまだ完成にはほど遠いものの、めぐるはこちらの曲にも同じだけの愛着を抱いていた。


 そして、いまだに歌詞のついていない六拍子の曲に移行する。こちらはメロディまでもが栗原理乃に託されたため、いささか進行が遅れているのだ。ただ、じょじょにラインの固まってきたメロディは、完成する前からめぐるの期待をかきたててやまなかった。


(明日は二曲しか演奏しないけど、普通のライブだと五曲ぐらいはできるんだもんな。いつかはこの曲や『あまやどり』も、ライブでやるかもしれないんだ)


 そんな風に考えると、いっそう胸が高鳴っていく。

 めぐるはMP3プレーヤーを持ち出して、メトロノームに合わせながら『小さな窓』と『転がる少女のように』の練習にも励んだ。さらには『SanZenon』の音源も聴き、新たな意欲のもとに練習を再開する。これを数時間ばかりも繰り返して寝落ちするというのが、めぐるにとっての日常であった。


 しかし本日は、なかなか眠気が下りてこない。

 気づけば、午前の三時である。平均的には、このあたりがめぐるの就寝時間であるはずであった。


(まあ、寝るのが三時間ぐらい遅くなっても、睡眠時間に変わりはないもんね)


 寝よう寝ようと焦ったところで、睡魔は遠ざかるばかりであろう。そんな風に割り切って、めぐるは練習を楽しむことにした。

 メンバーの演奏を想像しながら練習に取り組むと、いっそう気持ちが浮き立っていく。さらなる刺激を求めるならば、『SanZenon』の楽曲の練習だ。めぐるはすでに五曲すべてのコード進行を把握していたし、『線路の脇の小さな花』に関してはずいぶん細かい部分までフレーズを真似ることができるようになっていた。原曲のテンポに合わせることは不可能であるものの、フレーズそのものはすべて解読できたようであるのだ。きっとあちこち間違っている部分もあるのであろうが、それを遅めのテンポで最後まで弾き通すのも、めぐるにとってはひそかな楽しみであった。


 また、教則本の練習フレーズに関しては、ほぼ完璧にマスターできたと自負している。

 よって、そちらはいくつかの練習フレーズを選び抜き、教則本の指定よりも早いテンポで弾く練習に取り組んでいた。それこそ筋力トレーニングの感覚で、左右の指先を鍛錬しているのだ。『KAMERIA』や『SanZenon』の楽曲の練習に比べると面白みは少なかったが、こと達成感に関してはこちらも決して引けを取らなかった。


 そうして午前の六時になる頃には、外もすっかり明るくなってくる。

 ここで眠れば、普段と同じだけの睡眠時間を確保できるわけだが――相変わらず、めぐるの頭は冴えわたっていた。

 やっぱりこれは、ライブに対する不安と期待が睡魔を追いやってしまっているのだろうか。めぐるはあくびのひとつもこぼすことなく、さらにベースを弾きたおすことに相成った。


 それからも、刻々と時間は過ぎていき――気づけば、午前の七時に達してしまう。

 学校のある日は、これが起床の時間である。しばし迷った末、めぐるは朝食を準備することにした。経験上、空腹というのは睡眠の妨げであるはずなのだ。

 朝食はいつも簡単に、格安の玄米フレークと牛乳のみである。それをゆっくりと食してから、めぐるは布団に横たわってみたが――やはり、睡魔はやってこなかった。


(でも、これ以上練習を続けるのは、きっとまずいよね)


 めぐるはまぶたを閉ざして、睡魔がやってくるのを待ち受けた。

 そうして静かに過ごしていると、雀のさえずりや車のエンジン音などが耳孔に忍び込んでくる。午前の七時ともなれば、このニュータウンそのものも目覚め始めるのだ。部屋もすっかり明るくなっていたし、このような状況で眠ろうとしているのが何とも奇妙な心地であった。


(かずちゃんたちは、もう起きてるのかな。町田さんなんかは、きっとぎりぎりまで寝てるんだろうな)


 そんな風に考えていると、また指先が疼いてしまう。バンドメンバーの面影というのは、練習の意欲に直結しているのだ。

 しかしめぐるには、それ以外に追憶の材料もなかった。今のめぐるにとっては、バンド活動が生活のすべてであるのだ。たったいま眠りをむさぼろうとしているのもまた、数時間後に控えているライブのためであったのだった。


(だからこそ、きちんと眠っておかないと。寝不足のせいで失敗なんかしたら、悔んでも悔やみきれないよ)


 そうしてめぐるは無駄に寝返りを打ちながら、長きの時間を過ごすことになった。

 そして――突如として鳴り響いた目覚まし時計のベルの音に、仰天して飛び起きることになったのだった。


 慌ててベルを止めてみると、時刻は午前の十時半である。

 めぐるがごろごろと転がっている間に、三時間もの時間が過ぎてしまったのだ。めぐるとしては、この世ならぬ存在に時間を盗まれたような心地であった。


 ともあれ、起床の時間になってしまったのだ。

 本来はこれから朝食をとる予定であったので、三十分ばかりはゆとりがあるわけだが――そんなわずかな時間で睡魔がやってくるとは思えなかったし、三十分間の睡眠にどれだけの価値があるのかもわからなかった。


 そうしてめぐるは一睡もしないまま、人生で初めてのライブに臨むことに相成ったわけであった。

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