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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 1-

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03 スタジオ練習

 ライブイベントへのエントリーを果たしてからしばらくは、めぐるの生活も少なからず沈滞することになった。

 何せ、期末試験の一週間前となり、部室での練習が禁じられてしまったのである。実際の試験日も含めれば、十日以上もアンプで音を鳴らすことができないのだ。至福の日々を送っていためぐるにとって、これは想像以上のもどかしさであった。


 期末試験を重んじていない町田アンナあたりがスタジオ練習というものを企画してくれるのではないかという期待もあったのだが、残念ながらそういう事態にも至らなかった。めぐるや町田アンナと異なり、和緒や栗原理乃は決して期末試験を軽んじていなかったのである。


「特に理乃の家は、親が厳しいからさー! 理乃ぬきで練習するのはやっぱさびしーから、スタジオ練習は試験明けのお楽しみってことにしておこーか!」


 そんなわけで、めぐるも生音の個人練習に没頭するしかなかった。

 時には家でも教科書を開こうかという思いに至らなくもなかったが、最終的には誘惑に負けてしまうのだ。めぐるが練習を禁じるには、もはやベースを手の届かない場所に追いやるしか手段はないのかもしれなかった。


「それじゃーさ、試験の最終日にスタジオに入ろーよ! たしかその日も部室の使用は禁止だったから、ちょうどいいっしょ!」


 めぐるはそんな言葉を支えに、苦悶に満ちみちた日々を耐え抜くことに相成った。

 そうして亀の歩のごとく、のろのろと時間は過ぎていき――ついに迎えた、七月の第二金曜日である。最後の科目の答案用紙を埋めるだけ埋めためぐるは、脈拍を上げながらチャイムの鳴る瞬間を待ち受けることになったのだった。


「ったく。テンション上げるのは勝手だけど、暴走はほどほどにしておいてよ? こちとら狂暴なプレーリードッグにはあらがうすべもない、かよわき人間様なんだからさ」


 試験後に昇降口で出くわした和緒は、仏頂面でそのように言いたてていた。

 町田アンナと栗原理乃は、すでに帰宅してしまったらしい。めぐるたちは京成線、町田アンナたちはJR線と、最寄り駅が異なっているため、スタジオ練習は現地集合であったのだ。


「それに、あの楽器店にだって練習スタジオはあるって話なのに、わざわざ片道四十五分もかけて市外にまで出向こうってんだからね。あんたなんかは、電車賃だって惜しいぐらいなんじゃないの?」


「う、うん。でも、あの楽器店のスタジオには、目当てのアンプがないって話だったから……いちおう今回の主旨は、イベントで使われるアンプに慣れておくことだからね」


「そもそもそのイベントだって、まだ合格通知は届いてないじゃないのさ。ああもうわかったから、そんなきらきらした目であたしを見ないでよ」


 そうしてめぐるは和緒に頭を小突かれながら帰宅して、出発の準備を整えることになった。

 簡単な昼食を済ませた後は、わずかな時間を使ってベースを弾き、しかるのちに家を出る。駅までのバスに乗り込むと、そちらで和緒と合流することができた。


「ふうん。やっぱりこういう日にも、おめかしするわけだ」


「お、おめかしって言っても、みんなかずちゃんのおさがりだけどね」


 本日のめぐるは、フードのついた半袖のトップスに膝丈のキュロットスカートという格好で、くたびれたスニーカー以外は和緒からもらいうけた品となる。そして恐るべきことに、和緒がこれらの衣服を着用していたのは中学校に上がる前という話であった。


 そんな和緒は、ざっくりとした襟なしのシャツにチノパンツにデッキシューズというラフな装いである。王子様のような容姿をした和緒には、そういうボーイッシュなファッションがよく似合うのだ。


 やがて最寄り駅に到着したならば、およそひと月前のライブ観戦と同じ道のりでスタジオを目指す。本日利用するスタジオは、くだんのライブハウスからも遠からぬ場所に位置していたのだった。

 そうして目的の駅に降り立ったのちは、和緒のスマホだけが頼りとなる。スタジオはライブハウスよりもやや遠く、徒歩で十分ていどといったところであった。


「おー、来た来た! 遅刻もしないで、感心感心!」


 入り口を入ってすぐに地下へと続く階段があり、その下には広々とした待合スペースが広がっている。めぐるたちがそちらに足を踏み入れると、ボックス席に収まっていた町田アンナが目ざとく声を投げかけてきた。


 店内にはバンドのポスターやフライヤーなどがあちこちに張られており、アメリカンテイストな装飾品や古びたギターなどが飾りつけられている。雰囲気としてはライブハウスに近かったが、ただしこちらは煌々と照明で照らされていた。そして、待合スペースの中央に受付カウンターが、壁のあちこちに練習スタジオへと通じる扉が、それぞれ設置されていたのだった。


「まだ時間に余裕があるから、めぐるたちもくつろぎなよ! 咽喉がかわいたら、あっちに自販機があるよー!」


「そ、そうですか。……町田さんは、しょっちゅうこちらのスタジオを利用していたんですか?」


「しょっちゅうってほどじゃないけど、一時期は地元以外のメンバーとバンドを組んでたからさ! ま、どのバンドもすぐにポシャっちゃったから、ここを利用したのはほんの数回かなー!」


 そのように語る町田アンナはTシャツの上にカラフルなチェックのベストを羽織っており、足もとはハーフパンツとオレンジ色のブーツだ。あとはオレンジ色の頭にキャップをかぶり、アルバイト先で顔をあわせる際よりもいっそう華やかな装いであった。


 いっぽう栗原理乃はくすんだベージュ色のワンピースで、薄手のカーディガンを羽織っている。とても清楚な印象で、栗原理乃にはよく似合っているように思えたが、かたわらの町田アンナとはずいぶん対照的であった。


「そーいえば、和緒と私服で会うのは初めてだったねー! めぐるもバイトのときより、すっげー可愛いじゃん!」


「そ、そうですか。これはその……もらいものなので……」


 なんとなく、和緒のおさがりであると打ち明けるのは気恥ずかしい心地である。和緒も多くは語らないまま、さっさと空いていた席に腰を下ろした。


「で? このスタジオには、お目当てのアンプがそろってるってわけ?」


「うん、そーそー! 例のイベントの予選会場って、先月に『V8チェンソー』がライブをやったハコだったからさー! ベーアンは、アンペグなんだよ! で、あの楽器店のスタジオにはアンペグのベーアンが置いてなかったから、こっちのスタジオまで出張るしかなかったってわけさ!」


「え? それじゃあ、わたしのためにここまで出てくることになったわけですか?」


「ベースの音しだいでウチの音作りも変わってくるんだから、めぐるのためじゃなくってバンドのためだよー! 初ライブのために、バンゼンを期しておかないとねー!」


「だから、まだ合格通知も来てないでしょうに」と、和緒はあくまでクールである。


「ま、本番でいきなりでかいアンプを扱うことになったら、この人食いプレーリードッグがどんな暴走を見せるかもわかんないからね。ワンクッションは必要か」


「うんうん! 部室のベーアンって、たしか15ワットでしょ? 調べてみたら、アンペグのベーアンってヘッドが450ワット、キャビが800ワットだったんだよねー! それじゃあ勝手が違いすぎるっしょ!」


「そ、そんなに数字が違うんですか? 十倍以上も開きがあるとは、想像していませんでした」


「うんうん! ちなみにウチが使うマーシャルは、ヘッドが100ワットでキャビが300ワットねー! やっぱベーアンってのは、それだけパワーが必要なんじゃないかなー!」


 そんな話を聞いているだけで、めぐるは心臓が高鳴ってきてしまう。

 そうしてめぐるが平常心を取り戻す前に、町田アンナはぴょこんと立ち上がった。


「じゃ、そろそろ料金を払ってこよーか! みんな、学生証を忘れてないだろーね? 学割がきかなかったら、料金も三割増しだよー!」


 本日は、三時間の練習時間を予約している。それで学割を適用させて、料金は四千六百円ていどであった。


「ひとり頭、千二百円弱か。思ったほど高くはなかったけど、部室ならタダだからなぁ」


「でも、それだけの価値があるはずだよー! 部室のドラムも、けっこーガタがきてるみたいだしねー! きちんとメンテされたドラムを叩いたら、和緒も気持ちいいんじゃない?」


「ふん。それで暴走するほどの熱情は持ち合わせてないけどね。……ああ、今のはバンドやドラムじゃなく人生に熱情を持ってないって意味だから、お気になさらず」


「またまたー! 和緒って、熱くなってないフリをするのが上手いよねー!」


 町田アンナもめぐるに劣らず、発奮しているようである。それに、部室が使えない間はあまり顔をあわせる機会もなかったので、彼女の元気な物言いにも懐かしさを覚えるほどであった。

 ただその賑やかさは心地好いばかりであるし、栗原理乃のひっそりとした空気も同様である。それでめぐるは、彼女たちから遠ざかっていた日々の空虚さを再確認させられたような心地であった。


 それから五分ていどが経過して、ついに練習の開始となる午後の二時である。

 町田アンナの案内で二重のドアをくぐっためぐるは、そこに待ち受けていたベースアンプの巨大さに言葉を失うことになってしまった。


「うわ。本当にこいつは、冷蔵庫みたいだね。ライブハウスでは遠目だったから、ここまでの馬鹿でかさだとは思わなかったよ」


 さすがの和緒も、いささか呆れた声をあげている。こちらのベースアンプはめぐるの身長と変わらないぐらいの高さがあり、横幅は六十センチ以上、厚みも四十センチていどという巨大さであったのだ。単純な質量で言えば、余裕でめぐる以上であった。


「あはは! めぐるがちっちゃいから、余計に大きく見えちゃうねー! だけどまあ、驚くのは後にしてセッティングしちゃおーよ! スタジオ練習ってのは、一分一秒にもお金がかかってるんだからさ!」


「そ、そうですね。すぐに始めます」


 めぐるは惑乱する心をなだめながら、ギグバッグから取り出したベースをスタンドに立てかけた。収納スペースからは、二体のエフェクターと三本のパッチケーブル、それに二本のシールドとチューナーを取り出す。シールドにチューナーまで加えると、あれだけゆとりのあった収納スペースももう限界いっぱいであった。


 十日以上ぶりにエフェクターの設置をしていると、今度はひさびさの合同練習に対する期待と昂揚までもがたちのぼってくる。自宅の離れで個人練習に打ち込みながら、めぐるはこの日がやってくるのを一日千秋の思いで待ちかまえていたのだ。

 そうしてめぐるがチューニングを終えたところで雷鳴のごときギターサウンドが響きわたり、めぐるの心をいっそう翻弄したのだった。


「うーん! やっぱマーシャルは、鳴りが違うねー! ウチもスタジオは数ヶ月ぶりだから、テンション上がっちゃうなー!」


 町田アンナのギターサウンドが、一変していた。音の鳴りも、迫力も、部室での音色とは桁違いであるのだ。ただボリュームが増しているというだけでなく、音の質そのものが違っているようにしか思えなかった。


「どうどう? ベースに合わせてウチも調節しなきゃだから、めぐるもよろしくねー!」


「は、はい。ちょっとだけ待ってくださいね」


 めぐるは心臓が痛くなるぐらい昂揚しながら、チューナーから外したプラグをエフェクターのジャックに差し込んだ。

 そうしてアンプの電源をオンにして、各種のツマミに目をやって――そして思わず、フリーズしてしまう。そこには見覚えのないツマミと正体の知れないスイッチ類が羅列していたのだった。


 スイッチ類はひとまず無視するとして、このツマミは何なのか。三種のトーン・コントロールはミドルがウルトラ・ミッドという表示に差し替えられているだけで違和感もなかったが、ボリュームのツマミが見当たらず、その代わりにマスターとゲインというツマミが加えられていた。


(マスターは、マスターボリュームってこと? それじゃあ、ゲインっていうのは何なんだろう。とりあえず、無視してもいいのかな……)


 そうしてめぐるが立ち尽くしていると、いきなり背後から頭を小突かれた。

 めぐるが半ば無意識に振り返ると、和緒が立ちはだかっている。そして、その手に携えたスマホをめぐるのほうに突きつけてきた。


「これがセッティングのコツだってさ。マスターは出力、ゲインは入力って解釈で合ってるのかな。まあとにかく、ゲインを上げすぎるとそれだけで音が歪んじゃうから、歪まないギリギリのポイントに調節するのがセオリーっぽいよ」


 和緒の差し出すスマホには、ベースアンプのイラストと解説のテキストが表示されていた。

 めぐるがそちらに注目していると、今度は横合いから頭を小突かれる。


「あたしはスマホ台じゃないんだよ。こっちにだって、ドラムのセッティングがあるんだからね」


「なんかスマホをいじくってると思ったら、そんなのを検索してたのかー! もー、和緒のめぐる愛にはダツボーだなー!」


 町田アンナはけらけらと笑いながら、また迫力のあるギターサウンドを響かせる。それに負けない声量で、めぐるはお礼の言葉を申し述べることになった。


「あ、ありがとう、かずちゃん。こんなときまで面倒をかけちゃって、ごめんね」


「おうよ。子々孫々まで、あたしの偉大さを語り継ぐがいいさ」


 めぐるの手にスマホを押しつけた和緒が、颯爽とした足取りでドラムセットのほうに舞い戻っていく。栗原理乃もいつしかマイクとミキサーのセッティングを終えて、声出しのチェックを始めていた。


 そうしてめぐるはスマホの情報を頼りに、アンプでベースの音を鳴らし――その迫力に、心臓を撃ち抜かれることになった。

 これはただ出力が大きいだけでなく、アンプの形状の影響も大きいのだろうか。こちらのアンプはめぐるの身よりも巨大であったため、文字通り全身に重低音を叩きつけられたような心地であったのだ。


 それに、まだエフェクターをオンにしていないのに、ベースの音色がうねりをあげている。エフェクターで軽く歪みをかけたのと遜色ないぐらいの、荒々しい音色である。これならば、『転がる少女のように』のほうではエフェクターを頼る必要もないようであった。


(大きなアンプだと、こんなに音が違うんだ……)


 めぐるは半ば陶然としながら、エフェクターのペダルを踏んでオンにした。

 とたんに、不穏なハウリング音が響きわたり――それを蹴散らすようにして、めぐるは『小さな窓』のリフを弾いてみせた。


 スラップ奏法で弦を叩き、引っ張ると、鋼鉄の牙めいた音色がめぐるの身と心に食い入ってくる。

 その瞬間、めぐるは涙をこぼしてしまった。

 この音色は――確実に、『SanZenon』と同系統のものである。完全な一致などは望むべくもなかったが、これまでは遠くにぼんやりと霞んでいた彼女の姿が、いきなり眼前に迫ったような心地であった。


「……自分の音に涙するって、はたから見てるとなかなかに異様な光景だよ」


 と、横合いから和緒の声が飛ばされてくる。めぐるはアンプに向かい合っていたが、ドラムセットはそれを横から眺められる位置に設置されていたのだ。

 めぐるとしては、手の甲で涙をぬぐいながら笑顔を返すしかなかった。

 そして、この後の合奏ではどれほどの衝撃や喜びが待ちかまえているのかと想像すると、また心臓が痛いぐらいに跳ね回ってしまったのだった。

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