06 終演
新曲の『ピタゴラスの祝福』が終了したならば、MCをはさまずにすぐさま『僕のかけら』である。
突如として開始されたタテノリの楽曲に、客席はまた大いに盛り上がる。そして気づくと、ウェンの後方でコッフィが飛びはねていた。
『虹の戯れ』と『ピタゴラスの祝福』の二曲でひそかにサックスを吹き鳴らし、とりあえず気は済んだのだろう。それで確かな満足感を得られたかどうかは、まったく計り知れなかったが――とりあえず、ぴょんぴょんと跳ね回るコッフィは以前のままの無邪気な笑顔であった。
『どうもありがとー! じゃ、ここで貴重なまったりタイムねー!』
次なる曲は、バラード曲の『あまやどり』である。
これを披露するのも、七月終わりの周年ライブ以来だ。短い持ち時間のイベントではどうしてもバラード曲をねじこむ機会がなかったし、鞠山花子主催のイベントにおいてもコンセプト的に自重するしかなかった。
なおかつ、周年イベントではゲストを招いていたので、四人のみの演奏であればさらにさかのぼることになる。おそらくは、『天体嗜好症』の周年イベント以来であろうと思われた。
現在の『KAMERIA』においては、おそらくこの『あまやどり』が異色の曲ということになるのだろう。持ち曲が増えていくにつれて、『あまやどり』はどんどん独自性が強くなっていくような気がした。
しかし『KAMERIA』のメンバーは、こういった楽曲も好んでいるのだ。
それに、たとえバラード曲であっても、演奏の熱量に変わりはない。こちらの曲でも緩急が重視されているため、サビにおける音圧はタテノリの楽曲にも負けていないはずであった。
客席の人々も、満足そうにゆったりと身を揺らしてくれている。
ステージ全体の緩急を考えても、こういった曲は重要であるはずだ。めぐるもまた、この後に控えたクライマックスに向けて熱情を充填しているような心地であった。
『ありがとー! 「あまやどり」でした! みんな、まったりできたかなー?』
町田アンナが呼びかけると、客席からは目の覚めたような歓声が巻き起こる。
静かにしていたコッフィとウェンも、それぞれ腕を振り回してくれた。
『今日のステージも、ついに残り二曲だよー! その前に、告知をしておこうと思ったんだけど……実は、予定らしい予定もないんだよねー! また年末イベントにはお邪魔させてもらうつもりだけど、それ以外はスケジュールがまっさらなの! もう年内は間に合わないだろうから、来年の予定が立ったらSNSでアップしていくねー!』
十一月も半ばを過ぎると、もう来年のことを語らなければならなくなるのだ。
客席からは、ちょっと残念そうな声もあげられていた。
『あと、Tシャツをちょろっとと、ステッカーをどっさり持ってきてるから! キョーミのあるヒトは、ウチに声をかけてねー! ……告知するのは、それぐらいかなー? みんなは、何かある?』
町田アンナが視線を巡らせると、栗原理乃は静かに首を横に振り、和緒は肩をすくめる。めぐるも慌てて首を振ると、町田アンナはにっこり笑って客席に向きなおった。
『それじゃーラスト二曲は、ぶっつづけでいくよー! みんな、最後まで楽しんでいってねー! この後も、ブイハチとバナトリのステージで盛り上がろー! ではでは、Mさん、どーぞ!』
めぐるはぺこりと頭を下げてから、エフェクターを踏んで指先を走らせた。
指弾きの、速くて重くて難解なフレーズ――『線路の脇の小さな花』である。これもまた、周年イベント以来のお披露目であった。
しかし、部室やスタジオでは毎回すべての曲を一回は合奏しているので、めぐるたちの記憶が薄れることはない。
客席からも、期待のこもった歓声があげられていた。
アップテンポだがタテノリではない、一種独特の疾走感にあふれかえった楽曲だ。
他なるメンバーたちが音を重ねると、『あまやどり』で安らいだめぐるの心はすぐさま沸点を迎えた。
『線路の脇の小さな花』を披露する機会が減ったのは、やはり持ち時間の短いイベントが多かったことと、持ち曲が増えたためであろう。しかし決して、めぐるたちの思い入れは減じたりしていなかった。
今でも町田アンナはライブを行うたびに、『SanZenon』の元ドラマーである中嶋千尋にライブ動画を送っている。そしてもちろん『線路の脇の小さな花』や『凝結』を演奏した際には、それを優先して送っていた。
そのたびに、中嶋千尋は律儀にお礼のメッセージを返してくれたが――やはり『SanZenon』のカバー曲を送った際には、文面に嬉し涙がにじんでいるように感じられたものであった。
『いつもありがとうね。ミアもあの世で喜んどるよ。それとも、悔しがっとるんかな』
一週間ほど前、『凝結』のライブ動画を送った際には、そんな返事をもらっていた。
『KAMERIA』は好き勝手に『SanZenon』の楽曲をアレンジしてしまっているが、中嶋千尋はその事実こそをもっとも喜んでくれているようであった。
(わたしたちは、ただ格好いいと思う曲をカバーしてるだけだけど……)
それでもめぐるの胸中には、言葉にできない思いが渦巻いている。
ただそれは、若くして生命を失ってしまった鈴島美阿のために――といった思いではない。めぐるはただ、『SanZenon』のライブ動画から受け取った衝撃を、そのまま体外に叩きつけているような心地であった。
『SanZenon』の存在を知った頃、鈴島美阿がすでに亡くなっているなどとは知るすべもなかった。
そんな話とは関係なく、めぐるは『SanZenon』に魅了されたのだ。鈴島美阿が生きていようと死んでいようと、めぐるがあの日に受けた衝撃に変わりはなかった。
しかし、それでも――今ではどこかで、彼女の死を意識している。
『SanZenon』はもうこの世のどこにも存在せず、復活の見込みもないのだと考えると、めぐるは心臓を揺さぶられてならないのだ。
そうして『SanZenon』の楽曲を演奏する際には、そんな思いが全身から噴きあがるような心地であったのだった。
それがいっそう顕著であるのは、この『線路の脇の小さな花』を演奏する際である。
それはきっと、この曲のライブ動画こそがめぐるの人生を一変させたためであるのだろう。どれだけ満足のいく持ち曲が増えても、めぐるにとっての『線路の脇の小さな花』はこの世でただひとつの特別な楽曲であるのだった。
『どうもありがとー! それじゃあラストは、「転がる少女のように」!』
『線路の脇の小さな花』が暴風のように吹き抜けたならば、町田アンナが短い言葉で最後のMCを締めくくる。
そうしてめぐるは自分たちで作りあげた大切な楽曲に、あらためて没入し――そうしてステージの終わりを迎えたのだった。
◇
「みんな、お疲れさまー! 今日も最高のステージだったよー!」
めぐるたちが汗だくの姿で楽屋に戻ると、まずはハルが満面の笑みで出迎えてくれる。そして、盛大な指笛を吹き鳴らした浅川亜季が、そのままのんびりと言葉を重ねた。
「前回のライブから十日しか経ってないのに、また成長してるように感じちゃったなぁ。『KAMERIA』の潜在能力は、ほんと底なしだねぇ」
「ふん。そんなもん、今に始まったことじゃないでしょうよ」
フユはクールに応じながら、足もとのエフェクターボードを抱え上げた。
「それじゃあ、さっさと支度するよ。おしゃべりは、後回しにしな」
「はいはい。それじゃあみんな、あとでまたゆっくりとねぇ」
「うん! ブイハチも頑張ってねー! めいっぱい期待してるよー!」
町田アンナは、子供のようにぶんぶんと手を振る。
それを横目に、めぐるは大急ぎでフユに声をかけた。
「フ、フユさん、頑張ってください」
フユは「ん」とだけ言って、階段に通じるドアをくぐっていった。
浅川亜季とハルもそれに続き、楽屋には『KAMERIA』のメンバーだけが残される。町田アンナは電子ピアノを床に下ろしつつ、「よーし!」と腕を振り上げた。
「ブイハチのステージはがっつり観戦しなきゃだから、ソッコーで着替えて挨拶回りだー! みんなへとへとだろーけど、がんばろー!」
「はいはい。あたしが見張っとくから、お先にどうぞ」
和緒が出入り口のドアの前に陣取り、残るメンバーは汗だくのTシャツを脱ぎ捨てる。そうして新たに着込むのは、黒地のバンドTシャツだ。今日はこの上に上着を着て、帰宅するわけであった。
栗原理乃はワンピースごと着替えるため、若干の時間が必要となる。その間にめぐると町田アンナはそれぞれの機材をきっちり片付けて、しかるのちに見張りの役目をバトンタッチした。
やがて和緒も着替えを完了させたならば、いざ挨拶回りである。
それで、見張りの役目を受け持っていためぐるが真っ先にドアをくぐると――いきなり真正面から、コッフィが跳びかかってきたのだった。
「おつかれさーん! どえらいステージじゃったのー!」
そんな元気な言葉とともに、めぐるの身はがっしりと抱きすくめられてしまう。そして、数センチしか身長の変わらないコッフィは、遠慮なくめぐるの顔に頬ずりをしてきた。
「あ、ありがとうございます。でもあの、こっちは汗をかいていますので……」
「そがいなもん、うちも同じじゃ! あがいなステージを見せつけられたら、じっとしてられんけぇのー!」
確かにコッフィのしなやかな身体は、めぐるに負けないぐらいの熱をはらんでいるように感じられた。
そうして身を離したコッフィはめぐるの両肩をわしづかみにして、にっこりと笑いかけてくる。
「じゃけど、客席に戻るのが早かったのー。オーラスの手前まで居残っときゃあえかったわ」
「や、やっぱりバックステージで、サックスを吹いていたんですね?」
「あはは。ちぃとは聴こえとった? ドア越しじゃ音量が物足らんで、さびしかったわ」
そんな風に語りながら、コッフィはめぐるの額に自分の額をこつんとぶつけてきた。
「やっぱ、あんたはぼっけぇ面白いわ。いつかまた、一緒にやろうな?」
「は、はい……いつかきっと」
めぐるがようようそのように答えると、コッフィはめぐるの額をぐりぐりと蹂躙してから、ようやく身を離した。
「じゃ、うちも準備もあるけぇ、また後でのー。他のみんなも、おつかれさん!」
『KAMERIA』のメンバーの間をすりぬけて、コッフィは楽屋へと踏み入っていく。
それを尻目に、和緒は肩をすくめた。
「てっきりあんたの唇が奪われるかと思ったよ。そうしたら、野中さんが羅刹と化してたのかな」
そんな和緒の言葉とともに、野中すずみ当人が駆けつけてくる。彼女もまた、楽屋のすぐそばで待ちかまえていたのだ。
「だ、大丈夫ですか、めぐる先輩? ものすごい勢いだったから、止めることもできなくって……」
「は、はい、大丈夫です。ちょっとびっくりしただけなので、気にしないでください」
めぐるが思いのままに笑顔を返すと、野中すずみはほっとしたように息をつく。
その間に、軽音学部の関係者がわらわらと近づいてきた。
「みんな、お疲れ様! 今日もすごいステージだったね!」
「うんうん! 文化祭のときとも、比べものにならないぐらいだったよ! やっぱりライブハウスは、迫力が違うね!」
まずは森藤と小伊田が、熱っぽく語りかけてくる。その勢いは、コッフィにも負けていなかった。
「ありがとー! ウチらもカンゼンネンショーできたよー! あ、シマ坊と山田ちゃんもおつかれー!」
「はい。どうもお疲れ様でしたぁ。本当にすごいステージで、鳥肌が立っちゃいましたよぉ」
「わたしもです。『KAMERIA』さんは、見るたびにすごくなりますね」
その場に集った面々は、みんな笑顔で『KAMERIA』をねぎらってくれた。
そこにまた、見慣れた顔ぶれが近づいてくる。三人勢ぞろいした、《マンイーター》のメンバーだ。
「お疲れさまー。なんとか二曲目には間に合ったよー」
「あたしは、半分ぐらいかなぁ。すごいライブだったから、最初からちゃんと見たかったよぉ」
坂田美月と亀本菜々子はアルバイトの都合で、開演には間に合わないという話であったのだ。それでもこうして駆けつけてくれたのだから、ありがたい限りであった。
その後は他のバンドの関係者や常連客も入り乱れて、大変な騒ぎである。
誰もが『V8チェンソー』のステージを楽しみにしているので、大急ぎで挨拶をしてくれているような雰囲気だ。そしてそれは、『KAMERIA』の側も同じことであった。
「みんな、ありがとねー! じゃ、そろそろ客席におりよっか!」
町田アンナの号令によって、その場の全員が移動を開始した。
すると、その流れに逆らって、ひとつの人影がめぐるたちに接近してくる。それは、ツインテールを燕の翼のようにひるがえすウェンに他ならなかった。
「かわいこちゃんズ、お疲れなのだ! やっぱりユーたちは、超絶オモシロだったのだ! あんなウルトラヘビー級の曲やバラード曲まで隠し持ってたとは、さすがのミーも想定外だったのだ!」
「ありがとー! バナトリのステージも楽しみにしてるからねー!」
「うむなのだ! 期待は最大の調味料なのだ!」
ウェンが右手を振り上げたので、察しのいい町田アンナがハイタッチに応じた。
そしてウェンも、楽屋に駆け込んでいく。きっと『V8チェンソー』にゲスト参戦するための準備があるのだろう。それもまた、楽しみなところであった。
(この後に『V8チェンソー』と『バナナ・トリップ』のライブを観られるなんて、本当に贅沢な日だなぁ)
ライブ直後の浮遊感の中で、めぐるはぼんやりとそんな幸せを噛みしめる。
そんなめぐるの心の中にぽっかりと浮かびあがってきたのは、さきほど間近から拝見したコッフィの無邪気な笑顔であった。




