05 ひそやかな交わり
『どうもありがとー! 三曲目は、「青い夜と月のしずく」でしたー!』
町田アンナがあらためて声をあげると、客席からは盛大な歓声と拍手が届けられた。
この十五分ほどで、じわりと客席の人数が増えたようである。照明が届く範囲でも、人口密度が上昇していた。
『今日は、スリーマンライブだよー! ウチらみたいなぺーぺーがスリーマンなんておそれおーい限りだけど、全力で頑張るからよろしくねー!』
そんな言葉にも、熱い歓声が返される。
まだ人数では前回のイベントのほうがまさっているように感じられるが、熱量はまったく負けていない。この場には、それだけ『KAMERIA』のことをよく知るお客が多いという証拠なのかもしれなかった。
『ウチらの次はみんな大好きブイハチで、その次はジェイズ初登場の「バナナ・トリップ」! バナトリ目当てのお客さんは多いと思うんだけど、ライブを生で観るのは初めてって人もいるんじゃないかなー? ウチは二回ぐらい観たけど、バナトリはすっげーよ! みんなめいっぱい期待して、最後まで楽しんでいってねー!』
そのように語る町田アンナも、満面の笑みである。
紙袋で圧縮されていたオレンジ色の髪もすっかりふくらみを取り戻して、ライオンのたてがみさながらだ。客席に背を向けて咽喉を潤わせている栗原理乃も、シンバルのネジをしめなおしている和緒も、すでにしとどに汗を垂らしていた。
めぐるもこっそりタオルで汗をふき、水分補給をする。
今日は四十五分という長丁場であるのだ。まだ六曲も残されているのは嬉しい限りであったが、途中で力尽きないように留意しなければならなかった。
『じゃ、そろそろ次の曲にいこーかな! 次はブイハチと一緒に作った新曲で、「虹の戯れ!」 Mさん、はりきってどーぞ!』
大歓声が巻き起こり、めぐるはあたふたと頭を下げる。
それから意識を集中して、エフェクターを踏むと同時に右手の親指を4弦に叩きつけた。
四曲目は九月のライブで初お披露目をした、『虹の戯れ』の『KAMERIA』バージョンである。
B・アスマスターとオートワウを掛け合わせたサウンドによる、スラップとバッキングのフレーズだ。派手派手しさと荒っぽさは『小さな窓』にも負けていないので、客席の人々はさらなる歓声をあげてくれた。
『V8チェンソー』も独自に素晴らしいアレンジを完成させていたが、めぐるたちも引け目を感じることなく、この曲をセットリストに組み込むことができた。これが『KAMERIA』の現時点における精一杯であり、そして、『KAMERIA』が選択した演奏であるのだ。たとえ実力的には『V8チェンソー』に及ばないとしても、劣等感を抱え込むことはなかった。
(そのために、わたしたちはこのアレンジを考え抜いたんだもんね)
自分たちらしい演奏というのは、どういうものか。その一点突破で、『KAMERIA』はこのアレンジを選んだのである。
凶悪に歪んだベースと、熱情のあふれかえったギター、シャープで正確なドラムと、ヒステリックなピアノ――これは、『KAMERIA』だけが出せる音だ。そんな風に断言できることが、めぐるにとっては誇らしくてならなかった。
『KAMERIA』には『KAMERIA』の、『V8チェンソー』には『V8チェンソー』の魅力がある。そんな当たり前のことを忘れてしまわない限り、めぐるたちは胸を張って演奏することがかなうのだった。
(それに、コッフィさんとウェンさんも……)
と、めぐるは演奏に没入しながら、半ば無意識に客席へと視線を巡らせていた。
夏の野外では、この『虹の戯れ』を彼女たちと合奏したのだ。あの九色の輝きに負けないようにという思いで、めぐるたちは四色の輝きを磨きあげたつもりであった。
こちらのアレジンでもヨコノリのビートを意識しているため、ウェンは楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
だが、コッフィは――ちょうどこちらに背を向けて、後方に下がっていくさなかであった。
(あれ……トイレにでも行くのかな?)
演奏中でも、そういうお客はいなくもない。
めぐるは少なからず寂しい心地であったが、それでも演奏に没入した。
(もしコッフィさんがこのアレンジにガッカリしちゃったんだとしても……それは、しかたのないことだ)
めぐるはライブの回数を重ねるにつれて、ひとりでも多くの相手と喜びを共有したいという思いを抱くようになっていたが、それでもやっぱり主体となるのは自分たちの喜びであるのだ。
『KAMERIA』は、ひたすら自らの価値観に従っている。自分たちが好きなのはこういう音楽であるのだと、自分をさらけだしているのだ。だからこそ、そこに同じ喜びを抱いてもらえることが嬉しくてならないのだった。
もちろんステージの流れだとか、セットリストだとか、なんならステージ衣装においてだって、お客を楽しませようという意識が働いている。ひとりでも多くの相手と喜びを共有できるように、自分たちなりに頭を絞っているつもりであるのだ。
ただ楽曲に関しては、自分たちの価値観だけが頼りである。
いつだったか、『KAMERIA』はもっとキャッチーな楽曲にすればメジャーデビューも夢じゃないなどといった言葉を聞かされた覚えがあるのだが――音楽的な素養のないめぐるには、いまひとつ理解が及ばなかった。何にせよ、めぐるは自分がもっとも魅力的に思える楽曲を追求しているつもりであるのだ。
そんな自分の価値観を否定して、他者の価値観に従うという話であるのならば――めぐるには、最初に目にした『オーバードライバーズ』のスペシャルライブぐらいしか連想することができない。世間の大多数がああいう音楽を求めているのだとしたら、『KAMERIA』が割り込む隙間はないはずであった。
(まあ、わたしはそんな難しいことを考えながら、バンドをやってるわけじゃないしね)
ただ、コッフィが姿を消してしまったため、めぐるはそんな思いに見舞われてしまったのだろう。
めぐるはコッフィのことを素晴らしいミュージシャンだと思っているので、できれば喜びを分かち合いたかった。ただ、それだけの話であるのだ。
それでもなお、今のめぐるの喜びが損なわれることはない。
和緒のドラムも、町田アンナのギターも、栗原理乃の歌声とピアノも――そして、自分自身のベースも、心地好くてならない。その喜びが、めぐるのすべてであった。
(コッフィさんは、この曲で『V8チェンソー』のステージにゲスト参加するのかな。またきっと、すごいサックスを聴かせてくれるんだろうな)
ひたすら楽曲に没入しながら、そんな思いが心の片隅をよぎっていく。
すると、サックスの音色まで聴こえてきたような気がした。
(うわ、こんなの初めてだ。コッフィさんを、意識しすぎだってば)
めぐるは爆音の奔流にひたっているのに、その向こう側にうっすらとサックスの音色が聴こえてくるような心地であるのだ。
めぐるはそんな幻聴を追い払うべく、いっそう集中して音の中にのめりこんだが――そうすると、ますますサックスの音色が際立ってきた。
(あれ……? これは本当に、幻聴なの?)
めぐるは余念なく指先を動かしながら、思わずステージ上を見回してしまった。
栗原理乃は鍵盤に指先を叩きつけながら、アイスブルーの稲妻めいた歌声を響かせている。
町田アンナはモニタースピーカーに片足をかけて、ギターをかき鳴らしていた。
そして、和緒は――めぐるを魅了してやまない硬質なビートを刻みつつ、眉をひそめて横を向いていた。
その視線の先にあるのは、バックヤードに通ずるドアである。
同じ方向に目をやっためぐるは、(まさか……)と息を呑んだ。
あのドアの向こう側で、コッフィがサックスを吹き鳴らしているのだろうか?
ドアを一枚はさんでいれば、あちらは生音で十分に対抗できるはずだ。ただし、ステージ上ではアンプとスピーカーから轟音が鳴らされているため、こちらはその音色をほとんど聞き取れないはずであった。
そして、そのドアにもっとも近いのはめぐるであり、その次が和緒である。
だから、めぐると和緒だけが、そのわずかな音色を聞き取ることができている――ということなのだろうか?
(コッフィさんなら……ありえるのかも……)
めぐるがそのように考えたとき、ギターソロのパートに入った。
そちらのフレーズを際立たせるために、ベースは休符の多いリズミカルなフレーズに移行する。
すると、ますますサックスの音色が浮き上がってきた。
それでも、町田アンナや栗原理乃に聴こえるほどではないのだろう。町田アンナは勇猛なる笑顔でギターをかき鳴らし、栗原理乃は冷静沈着にバッキングを務めた。
『KAMERIA』の音色は、変わらず心地好い。
そこにひっそりと、コッフィの音色が絡みついている。
町田アンナのソロフレーズに対抗して、コッフィも思うさまサックスを吹き鳴らしているのだろうか。わずかな音量でも、コッフィの熱情がまざまざと感じられるような気がした。
これはもう、幻聴ではありえない。これが幻聴であるならば、めぐるは耳か心の検査をするべきであろう。
それでめぐるが和緒のほうに視線を戻すと、和緒はリズムを刻みながら器用に肩をすくめた。その切れ長の目には、明らかに苦笑がにじんでいる。
(やっぱり、幻聴じゃなかったんだ……)
めぐるは何だか、胸が詰まってしまいそうだった。
コッフィはそうまでして、『KAMERIA』とのセッションを楽しみたかったのだ。コッフィの無邪気な笑顔やすねた表情が走馬灯のように頭をよぎって、めぐるは涙をにじませてしまった。
やがてギターソロが終了しても、サックスの音色は消え去らない。
めぐると和緒だけに聴こえる、ひそやかな音色だ。こんなわずかな音量では、コッフィの魅力や圧迫を感じることもままならなかったが――ただ、コッフィの存在を身近に感じることはできた。
『どうもありがとー! ニジタワこと、「虹の戯れ」でしたー!』
曲が終了したならば、町田アンナがまた声を張り上げる。
ただその間も最後の音をしめずに乱雑な音を鳴らしているため、サックスがそこに加わっていても気づかれることはなかった。
『もう一曲、こっちは完全な新曲ねー! これも、ブイハチのみんなと一緒に作ったんだー! あとでブイハチのステージでもお披露目されるはずだから、アレンジの違いを楽しんでみてねー!』
客席からも、熱烈な歓声が返される。
ウェンはコッフィの不在を気にするでもなく、笑顔で腕を振り上げていた。
『じゃ、いくよー! 新曲の、「ピタゴラスの祝福」! 『KAMERIA」バージョンねー!』
和緒が小気味のいいフィルを入れて、『虹の戯れ』とは趣の異なるダンシブルなリズムを刻み始めた。
機械のように硬質で正確であるが、和緒ならではの魅力にあふれかえっている。そして、小節の継ぎ目でもちょっとしたオカズを入れたりもせず、ひたすら同じパターンを繰り返す。それは和緒がリズムマシーンを意識することで体得した手腕であった。
「もしかして、リズムマシーンにグルーブはないとでも思ってるの?」
去年の夏の合宿において、和緒はフユからそんな言葉を投げかけられていた。
リズムマシーンにグルーブがないならば、どうしてダンスミュージックでは打ち込みのサウンドが主流であるのかと、そんな問答をふっかけられることになったのだ。
そこで和緒が行き着いたのは、リズムのループから生じる中毒性である。
規則正しいリズムの上で上物だけが変化していくと、ある種の中毒性が発生するという、そんな説が存在するようであるのだ。研究熱心な和緒はフユとの短いやりとりから、そんな結論を導き出すことがかなったのだった。
そんな和緒の正確で変化のないドラムに、まずは町田アンナが熱情的なギターのバッキングを重ねる。
ワンコードのシンプルなバッキングであるが、町田アンナらしい魅力にあふれかえったサウンドだ。客席には、たちまち熱気が渦巻いた。
そして町田アンナは、そのままAメロを歌い始めた。
メロディがあまり動かない、ラップテイストの強い歌だ。もとよりこの『ピタゴラスの祝福』はセッション曲として考案された楽曲であるため、自由度を確保するためにメロディラインもシンプルに仕上げられていた。
歌もギターもドラムもシンプルで、ただ町田アンナの熱情だけが躍動感をもたらしている。それだけで一番のAメロを乗り切ろうという大胆な試みである。
しかし客席の人々は、それを不審がっている様子もない。ひたすら同じフレーズを繰り返す硬質なドラムと、ひたすら熱情的な歌とギターの組み合わせで、通常のバンドサウンドとは異なる魅力が生まれているのである。だからこそ、『KAMERIA』のメンバーもこの大胆なアレンジに踏み切ることがかなったのだった。
音の密度が薄いために、歌詞の内容もずいぶん聞き取りやすいことだろう。
その歌詞もまた、客席の人々をひきつけているはずであった。
曲名にあるピタゴラスとは、古い時代の学者の名前である。
めぐるなどは『ピタゴラスの定理』ぐらいしか知識がなかったので、それを考案した学者のことなどはまったく存じあげなかったのだが――その人物はめぐるの想像も及ばないぐらい、さまざまな逸話を持つ人物であったのである。
ピタゴラスというのはギリシアの哲学や数学の創始者であると同時に、宗教組織の長でもあったらしい。そしてさらには、音律や音階に関しても数々の発見を成しているのだという。めぐるには理解しきれなかったが、『天球の音楽』という壮大な理論を打ち立てていたとのことであった。
天体の運行が音を発して、宇宙全体が調和のとれた音楽を奏でている――そんな講釈を聞かされても、めぐるにはさっぱり理解が及ばない。
ただ、めぐるの胸は理由もわからないままに高鳴った。それは何か、自分の中の言葉にできない感情を大きく揺さぶる言葉であったのだった。
そうして栗原理乃と浅川亜季は二人がかりでピタゴラスという人物をモチーフにして、この曲の歌詞を作りあげていった。
その言葉の多くは抽象的で、明確な意味を読み取ることも難しい。
ただその裏側には、『天球の音楽』という壮大な理論がちらちらと見え隠れしている。あえて言うならば、ひどく思わせぶりな歌詞であり――聴く人間に、「これはどういう意味なのだろう?」という疑念と興味をかきたててやまないのである。
それは、自分の思いを直接的にさらけだすのは気恥ずかしいという栗原理乃の奥ゆかしさと、人をからかうのが楽しくてたまらないという浅川亜季の悪戯小僧めいた気質が融合しているかのようであり――めぐるには、とても魅力的に感じられた。
そんな歌詞の魅力をも武器にしながら、町田アンナはシンプルきわまりない伴奏の上で力強く歌いあげている。
そして――これだけ音の密度が薄いパートでありながら、ドアの向こう側からサックスの音色が聴こえることもなかった。
きっとコッフィも、ここで割り込むのは正しくないと判じたのだ。
まだコッフィがドアの裏にひそんでいるかも知れないまま、めぐるはそんな確信を抱いていた。
(でも、もうすぐですよ)
変化らしい変化も見せないまま、楽曲はBメロに突入する。
ここからは転調して、歌は起伏の少ないまま休符を多用していっそうリズミカルになる。そして、栗原理乃が単音でひそやかにメロディアスなフレーズを追加した。
この期に及んでも、まだめぐるの出番は巡ってこない。
そしてコッフィも、サックスを吹き鳴らそうとはしなかった。
そんな中、客席の熱情がじわじわと高まっていっているように感じられる。
めぐるを除く三名が奏でる演奏は十分に魅力的であるが、バンドサウンドとしては明らかに欠落を抱えているのだ。このまま楽曲が終わりを迎えるわけはないという予測と確信が、期待の念をかきたてているはずであった。
そうして、Bメロが終わる瞬間――めぐるはエフェクターを踏んで、ベースをかき鳴らした。
ビッグマフの歪んだ音色で、思うさまうねらせたフレーズである。
それと同時に、栗原理乃は超絶的なピアノの速弾きを見せながら、アイスブルーの稲妻めいた歌声を響かせた。
ベースとピアノはコードを進行させており、歌メロもそれに準じて大きな抑揚がつけられている。
そんな中、ドラムはひたすら一定のリズムで、町田アンナの歌とギターはAメロと同じフレーズに舞い戻るのだ。
まるで二つの異なる楽曲が同時に演奏されているような様相であろう。
それこそが、夏の合宿で考案された『ピタゴラスの祝福』のアイディアなのである。セッション曲として楽しむために、基本の構成はひたすらシンプルに仕上げながらも、ただシンプルなだけではつまらない――というのが、合宿に参加したメンバーの共通する見解であった。
ひたすらワンコードで押し通している町田アンナに寄り添うならば、誰でも簡単にセッションを楽しむことができる。
また、多少の経験を持つプレイヤーであれば、めぐると栗原理乃の織り成す演奏に寄り添うことも難しくはないだろう。町田アンナのワンコードに重ねられているために複雑に聴こえるが、要はそのコードと調和する循環コードを重ねているに過ぎないので、何も難しい話ではなかった。
そして――コッフィのサックスはめぐるの期待通り、ベースとピアノに絡みついていた。
ステージ上の演奏に没頭しながら、めぐるはぞくぞくと背筋を震わせてしまう。もしもコッフィのサックスがマイクで拾われていたならば、『KAMERIA』の演奏を圧倒するほどの迫力なのではないか――という気配がひしひしと感じられてならないのである。
だから『KAMERIA』は、コッフィをゲストとして迎えることができなかったのだ。
今の『KAMERIA』には、まだコッフィの全力を受け止められるだけの実力が備わっていない。きっとドアの裏側では、コッフィもその事実を噛みしめているはずであった。
(でも、いつかきっと……コッフィさんを受け止められるだけの力をつけてみせます)
そんな思いを胸に、めぐるはベースをかき鳴らす。
その凶悪な音色の裏側で、コッフィのサックスの音色はとても優しく響いているように感じられた。




