04 開演
『KAMERIA』の一行はフユに見送られて、ステージに下りることになった。
ステージには黒い幕が下ろされており、その向こう側から洋楽のBGMとお客のざわめきが聞こえてくる。つい十日前にも味わったばかりの感覚であったが、もちろんめぐるの胸は高鳴るいっぽうであった。
すでにセッティングは完了しているが、PAのスタッフも業務としてステージに控えている。あとはセッティング係であるスキンヘッドの若者にも見守られながら、めぐるたちは各々の楽器のチェックをした。
ほんの数十分前に音出しの確認をしているので、どこにも不備は見られない。この場ではむやみに音を出さないようという指示を受けたので、めぐるも配線にトラブルがないか確認するために必要最低限の音を鳴らすに留めた。
「オッケーですね? 幕を開くタイミングは、どうします?」
十日前のライブではそういった事項もセッティングシートに記載する方式であったので、そんなやりとりも周年ライブ以来だ。紙袋の覆面をかぶりかけていた町田アンナはにぱっと笑いながら、それに答えた。
「SEをかけて一分ぐらいしたら音を鳴らすんで、そしたら開けちゃってくださーい!」
「了解です。頑張ってくださいね」
最後にまた穏やかな微笑を残して、若者はPAのスタッフともども幕の向こうに消えていく。
あらためて紙袋をかぶった町田アンナは、「よーし!」と右腕を振り上げた。
「いよいよだねー! 『KAMERIA』、ふぁいと・おー!」
「だから、客席に聞こえるっての」
同じく紙袋をかぶった和緒が、クールに答える。
栗原理乃は、ピアノの前で直立不動だ。十日前にも見たそれらの光景が、めぐるをどんどん昂揚させていった。
やはり短いスパンでも、めぐるがライブに飽きることはない。
しかも今回は、イベントの内容もまったく異なっているのだ。かたや鞠山花子主催のイベント、かたや『V8チェンソー』および『バナナ・トリップ』とのスリーマンライブとあっては、比較も難しいほどであった。
やがて店内のBGMがフェードアウトすると、客席から歓声が巻き起こる。
すでに五十名は入場しているという話であったので、申し分のない熱量だ。そこには軽音学部の関係者も含まれており、それとは別に『V8チェンソー』と『バナナ・トリップ』のメンバーも含まれるわけであった。
牧歌的なオランダ民謡のSEを聞きながら、めぐるは開幕の瞬間を待ち受ける。
心臓がどくどくと胸郭を打っていたが、その感覚も心地好いばかりであった。
そうして一分ていどが経過したならば、和緒がバスドラとスネアで短くコンビネーションを入れる。
それを合図に、全員が爆音を叩き出し――黒い幕が、するすると開かれた。
まばゆい照明があふれかえり、ステージと客席を照らし出す。
やはりめぐるの正面には、野中すずみと北中莉子が陣取っていた。
森藤と小伊田、宮岡と寺林、嶋村亨と山田美琴――他なる軽音学部の関係者も、二名ずつに分かれてステージを見上げている。ここ最近では文化祭でしか『KAMERIA』のステージを目にしていない森藤と小伊田は、ひときわ表情を輝かせていた。
『V8チェンソー』と『バナナ・トリップ』、さらには『マンイーター』の柴川蓮も居揃っている。坂田美月と亀本菜々子はアルバイトの都合で、のちのち来場するという話であった。
また、轟木篤子だけは姿が見えない。
客席ホールに下りていないのか、あるいはスポットの届かない後方に控えているのか。願わくは、後者であってほしかった。
そして、コッフィとウェンである。
彼女たちは最前列を他のお客に譲りつつ、それでもそのすぐ後ろ側でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
『KAMERIA』にゲスト参加を断られてすねていたコッフィも、寝起きでぼんやりしていたウェンも、めぐるが知っている通りの無邪気さだ。それが妙に、めぐるの胸を温かくしてくれた。
客席の後ろ半分はガラガラであるようだが、めぐるの幸福な気分に変わりはない。
そんな中、町田アンナの元気な声が響きわたった。
『サンキュー、エブリワーン! ウィー・アー・「KAMERIA」!』
それを合図に、無秩序な轟音はフェードアウトしていく。
めぐるは深く息を吸い、すべての音が消え去る寸前に右手の親指を振り下ろした。
一曲目は、もっとも定番の『小さな窓』である。
『V8チェンソー』に『バナナ・トリップ』という実力バンドを迎えるにあたって、『KAMERIA』も奇をてらわずにセットリストを組んだのだった。
ここ最近は頭の中でメトロノームを鳴らす必要もなく、理想のテンポでこの攻撃的なリフを始めることができるようになった。
どんなに昂揚しても、もうハシったりはしない。自然にこのテンポでフレーズを弾けるように、めぐるはひたすら練習を積んできたのだ。
前回はイベントのコンセプトを意識して『青い夜と月のしずく』をオープニング曲にしたし、それ以外にもさまざまな試みに挑んできた。
それらの試みも楽しい限りであったが、やっぱりめぐるたちがもっともスムーズにライブを始められるのは、この『小さな窓』であった。
所定のタイミングでドラムとギターとピアノが鳴らされると、めぐるの気持ちはどんどん浮き立っていく。
ヨコノリでダンシブルな16ビートを意識したリズムが、めぐるの心を弾ませるのである。そしてそれは、客席にも反映されていた。
たくさんの人々が、心地よさそうに身を揺らしている。
客席の前側は人が密集しているので、コッフィたちも野外イベントのように暴れまくることはできなかったが、誰よりも激しく躍動していた。
コッフィもウェンも、子供のような笑顔だ。
それがまた、めぐるの胸に新たな熱をもたらした。
『ベリー・サンキュー!』
『小さな窓』があっという間に終わりを迎えると、町田アンナはギターをかき鳴らしながら再び声を張り上げる。
めぐるたちはそれを合図に紙袋の覆面を打ち捨てて、さらなる轟音をかき鳴らした。
『どーもありがとー! ぶっつづけでいくよー! 二曲目は、「孵化!』
和緒が長いフィルを入れて、めぐると町田アンナはそれに合わせてぴたりと音を止める。
そんな中、栗原理乃がトリッキーなイントロのフレーズを奏でた。
和緒はすかさずライドシンバルでリズムを取り、最後にめぐると町田アンナが合流する。
こちらは四つ打ちのバスドラを主体にした、『小さな窓』とは趣の異なるダンシブルなリズムだ。
やはりこの『孵化』は、『小さな窓』と『青い夜と月のしずく』のどちらから繋げるかで、雰囲気がまったく違ってくる。その雰囲気とは、すなわちめぐるたちの心境の反映であるはずであった。
前回は『青い夜と月のしずく』から繋げたが、あちらはやはり重々しく哀切な曲調をいくぶん引きずっていたように思う。どれだけヨコノリを意識しても、どこかどっしりとした雰囲気であったのだ。
ただし、メンバー内のディスカッションで、それはよしとされていた。『孵化』は重々しい楽曲とリズミカルな楽曲を繋げるために考案された楽曲であるため、むしろそのほうが自然な流れであろうという判断である。
然して、『小さな窓』から繋げた際は、思うさまダンシブルだ。
これもこれで、当初の思惑通りである。『小さな窓』で生じた昂揚を保持しながら、幻想的かつ哀切なBメロで『青い夜と月のしずく』の事前準備とする――それこそが、この『孵化』を作りあげた本懐であった。
そんなBメロに差し掛かり、栗原理乃が冷たく哀切な歌声を響かせると、ぴょんぴょんと飛び跳ねていたコッフィとウェンがぴたりと動きを止める。
彼女たちは『小さな窓』と『転がる少女のように』と『虹の戯れ』しか、『KAMERIA』の楽曲を耳にしたことがないのだ。ウェンなどは目を丸くして、「ほほー!」という形に口を開けていた。
そうしてサビに突入すると、二人はこれまで以上の勢いで跳ね回る。
『孵化』のサビは、おもちゃ箱をひっくり返したような狂騒であり――それは、めぐるが『バナナ・トリップ』に抱く印象そのものであったのだ。『KAMERIA』の全楽曲の中で『バナナ・トリップ』ともっとも呼応するのは、このパートであるはずであった。
(まあ、わたしも『バナナ・トリップ』のすべてを知っているわけではないけどね)
彼女たちは『千葉パルヴァン』の野外イベントでもめぐるの知らない一面を発露していたし、ウェンが持ち込んだコンテナボックスにはまだまだ使われていない楽器がどっさり控えていたのだ。『バナナ・トリップ』はノンジャンルという名に相応しいぐらい、さまざまな曲調に挑んでいるのではないかと察せられた。
ともあれ――コッフィやウェンばかりでなく、めぐるの視界に入る人々はみんな満足そうにステージを見守ってくれている。
フユはひたすらポーカーフェイスで、柴川蓮や北中莉子などは仏頂面であるが、それはいつものことである。こんな間近から一心に『KAMERIA』のステージを見守ってくれるだけで、めぐるは幸福な心地であった。
そうして『孵化』も終了したならば、ここではきっちりと音を切る。
ステージの照明もいったん暗く絞られて、町田アンナも声をあげようとはしない。そして、歓声がひいたのちに、栗原理乃がこまかな雨粒のようなタッチで哀切なフレーズを奏で始めた。
和緒はライドシンバルを薄く鳴らし、町田アンナはハウリングの音を響かせる。
ハウリングの音色が高まるにつれて、ピアノとドラムの音も力感を増していき、それが最高潮に達するタイミングで、ベースを含めた全員が爆音を叩き出した。
重々しい、六拍子のリズムである。
めぐるのベースは、B・アスマスターの歪んだサウンドとラットでブーストしたクリーンサウンドをブレンドした凶悪なサウンドだ。
重々しいが、ベースはうねりにうねっている。スライドやチョーキングやビブラートを駆使した、難解なフレーズ――『SanZenon』に影響を受けためぐるが、自分の限界に挑むような心地で考案したフレーズであるのだ。完成から一年以上を経た現在でも、めぐるがこのフレーズを楽々弾きこなすことはできなかった。
しかしそれは、簡素なフレーズでも同じことである。
他のメンバーたちが奏でる音と、どれだけ調和できるか――それを一番に考えている限り、どんなフレーズでも楽に弾くことなどはとうていかなわないのだった。
ひとつ異なるのは、没入の具合である。
めぐるはフレーズが難解であればあるほど、楽曲に没入できる。勢いを重視しつつミスタッチをなくそうという緊張と集中が、めぐるの意識を研ぎ澄ませてくれるようであるのだ。
そうしてめぐるは本日も思うさま没入して、Aメロに入ったところでいったん浮上することになった。
一番のAメロは、ヴォーカルとピアノとドラムだけで、切々と進行されるのだ。ベースの音をフェードアウトさせためぐるはそれらの音色にひたりながら、大きく息をついた。
楽曲のイメージに合わせて、こちらでは青い照明が主体にされている。
青く染まったお客たちも、栗原理乃が織り成す幻想的な歌詞の世界に引き込まれているようだ。
そして――コッフィとウェンである。
二人はまたぴたりと動きを止めて、きょとんとした顔になっていた。
ただその瞳は、これまで以上にきらきらと輝いているように感じられる。
照明はかなり絞られているので、あくまでめぐるの印象に過ぎなかったが――ただ、二人が落胆しているようには見えなかった。
(こういう曲も、気に入ってもらえたら嬉しいな)
どうもめぐるは、コッフィたちの反応が気にかかるようである。
まあ、彼女たちはリアクションが大きいので、どうしても目に入りやすいのだろう。なおかつ、まだまだつきあいが浅いため、本当に気に入ってもらえるかはこれから次第という思いであるのかもしれなかった。
しかし、たとえ彼女たちの好みに合致しなくとも、それはしかたのない話である。
めぐるたちは、自分たちで納得のいく楽曲を作りあげ、納得のいく演奏を目指すしかない。そんな思いを胸に、めぐるは狂騒の前段階たるBメロに備えることにした。




