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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 7-

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320/327

03 開場

 開場時間の午後六時に達すると、見慣れた面々がちらほらとやってきた。

 まず最初に参じたのは、当然のように野中すずみと北中莉子のコンビである。野中すずみは昼休みの段階で昂揚していたが、それがさらに上昇していた。


「今日は持ち時間が四十五分もありますもんね! 『KAMERIA』のこんなに長いステージを観るのは初めてなので、とても楽しみです!」


「はい。わたしもこんなに長いステージは初めてなので、楽しみです」


 めぐるも野中すずみの熱意に圧倒されることなく、笑顔を返すことができた。

『KAMERIA』はこれまでに二回ほど、四十分間のステージを経験している。本日はそれが一曲分だけ延長されるに過ぎなかったが、楽しみであることに違いはなかった。


 ちなみに本日は全バンドが同じ持ち時間であるが、大トリを務める『バナナ・トリップ』にはアンコールの演奏が許されているらしい。スリーマンライブであれば時間にもゆとりがあるし、あとは『バナナ・トリップ』の人気を見込んでのことだろう。少なくとも、本日の来客の半分以上は『バナナ・トリップ』が目当てであるはずであった。


「おー、誰かと思ったら、スズメとわんこの仲良しコンビじゃ」


 と、いきなり耳もとでコッフィの声が響きわたったため、めぐるは「わあ」と情けない声をあげてしまう。そして次の瞬間には、コッフィに背後からのしかかられることになった。


「二人は学校の後輩なんじゃっけ? 元気そうで何よりじゃのぉ」


 コッフィの声は、無邪気な笑いを含んでいる。それでめぐるが首をねじ曲げると、普段通りの笑顔が待ち受けていた。


「コッフィさんは、すっかりご機嫌が回復したみたいですね」


 和緒が声をかけると、コッフィとともに参上していたギーナが「うん」とうなずいた。


「コッフィは、ネガティブな感情を引きずらんけぇの」


「それは何よりの話ですけれど、この過剰なスキンシップは何かの反動なんでしょうかね」


「どうじゃろ。わからん」


 和緒とギーナがのんびり言葉を交わしている間に、野中すずみが眉を吊り上げた。


「あの! あんまりべたべたくっつくのは、めぐる先輩に失礼だと思います!」


「そうかのぉ? 今は、そういう気分なんじゃ」


 めぐるの背中にのしかかったまま、コッフィは両手でおさげの毛先をいじり始める。めぐるとしては落ち着かない限りであったが、元気な子犬にまとわりつかれているような気分でもあった。


 そこに、新たな面々が登場する。二年生の森藤と小伊田、それに元部長の宮岡である。少し離れた場所で常連客の人々と語らっていた町田アンナが、それに気づいて「おー!」と声を張り上げた。


「宮岡センパイも、おひさー! 忙しいのに、わざわざありがとー!」


「受験生に比べたら、忙しいなんて言ってられないさ。テラももうすぐ来るはずだよ」


 秋物のコートを羽織った宮岡が落ち着いた笑顔で応じると、コッフィが「ほほー」と声をあげた。


「こちらもなかなかの美形じゃのー。やっぱり類は友を呼ぶんじゃのー」


「えーと……もしかしたら、『バナナ・トリップ』のヴォーカルさんかな?」


 コッフィはまだ髪をおろしているが、ビビッドピンクのカラーリングがあちこちにきらめいているため、そうと察することができたのだろう。宮岡のかたわらで嬉しそうに微笑んでいた森藤と小伊田は、仰天した様子で目を見開いた。


「こ、こちらが『バナナ・トリップ』のメンバーさんなんですか? ……遠藤さんは、ずいぶん仲がよくなったんだね」


「はあ、まあ……どうなんでしょう?」


 めぐるの覚束ない返答にくすりと笑ってから、宮岡は会釈をした。


「あたしは『KAMERIA』が所属してる軽音部の元部長で、宮岡といいます。部員だった篤子が『バナナ・トリップ』に加入したと聞いて、びっくりしましたよ」


「ほほー。ロッキーのツレなん? そういやあ、このコらもロッキーの後輩なんじゃっけ」


「ツレっていうほど、親密な間柄ではないですけどね。軽音部では、同じバンドを組んでました」


「それなら、ツレより親密じゃろ」


 コッフィが弾んだ声をあげると、宮岡はどこか照れ臭そうに微笑んだ。

 そういえば、コッフィも宮岡もヴォーカルを担当しているのだ。それぞれ轟木篤子とバンド活動をしていた両名がどのような心持ちで言葉を交わしているのか、めぐるには想像しがたいところであった。


「ロッキーは、どこ行ったんじゃろ。ギーナ、知っとる?」


「知らん」


「あ、いいですよ。あいつの愛想のなさは、知ってるんで。ステージを拝見できたら、それで十分です」


「あっそう。やっぱ、ロッキーのことをわかっとるね」


 そんな風に答えてから、コッフィはようやくめぐるのもとから身を離した。


「かわいこちゃん成分を補給したら、腹が減ってきたわ。この店、フードはあるんじゃろか?」


「あった思う。注文する?」


「おうよ。じゃ、また後でのー」


 コッフィはぶんぶんと手を振って、ギーナともどもバーフロアのカウンターへと立ち去っていく。その後ろ姿を見送りつつ、宮岡はまた笑った。


「あの人はステージの下でも元気すぎるって噂だったけど、想像してたほどじゃなかったかな」


「ウェンさんが一緒じゃないと、多少は緩和されるみたいですね。あたしらとしても、新発見でした」


 そのように語っている間も、ちらほらと新しいお客が踏み入ってくる。その何名かは常連客やバンド関係者で、めぐるたちにも挨拶をしてくれた。


「今日もなかなかの客入りみたいだね。さすが、名だたるバンドのスリーマンだ」


「うちらまでそこに加えられるのは、恐縮の限りですね。まあ、大人しく漁夫の利でも狙うとします」


「でも、周年イベントだってすごい盛り上がりだったもんね。ライブハウスのステージを観るのはひさびさだから、すごく楽しみだよ」


 軽音学部の関係者が寄り集まって、和気あいあいとした雰囲気である。

 するそこに新たなメンバー、元副部長の寺林も参上した。


「ああ、何とか間に合ったな。ったく、こっちはひと苦労だったぜ」


「ひと苦労? 何かあったんですか?」


 和緒の問いかけに、寺林は深々と溜息をつく。そして、宮岡が笑いをこらえながら解説した。


「相変わらず、テラの彼女さんは『バナナ・トリップ』のステージ衣装が許容できないみたいだね。大丈夫? 喧嘩になったりしない?」


「余計なお世話だよ。……おい、こっちはこれだけの苦労をかけたんだから、それに見合ったステージを見せてくれよ?」


「何だかいわれなき責任を負わされているような心地ですが、手抜きをするようなメンバーはいないように思いますですよ」


 和緒の軽妙な返答に、小伊田たちが「あはは」と笑う。寺林が増えても、やはり平穏な雰囲気に変わりはなかった。

 そうして六時十五分を回ったところで、嶋村亨と恋人の山田美琴も到着する。

 ようやく軽音学部の関係者が勢ぞろいしたが、『KAMERIA』のメンバーは支度を始める時間であった。


「じゃ、みんなまた後でねー! めいっぱい頑張るから、めいっぱい楽しんでよ!」


 町田アンナを先頭にして、めぐると和緒も楽屋を目指す。

 楽屋のドアを開けてみると、栗原理乃は壁に向かって直立不動であり――ソファの座席では、ウェンがすぴすぴと寝入っていた。


「姿が見えないと思ったら、こんなところでくつろいでたのか。どうする? 出ていってもらう?」


「あはは! ひとりぐらい、邪魔にならないっしょ! かまわず準備を始めちゃおー!」


 とはいえ、機材はのきなみステージであるため、上着を脱いでTシャツ姿になり、左頬に英文字を記したならば、あっさりと身支度も完了であった。

 本日は物販のブースも出さないので、着用するTシャツは色とりどりのカラーリングだ。めぐるがベースを触れない無聊を慰めるために指先をほぐしていると、フユが単身で楽屋にやってきた。


「おりょりょ? フユちゃん、どーしたの?」


 フユは無言のまま楽屋を横断し、壁に掛けられていたワーウィックのベースを取り上げて、「ん」とめぐるに差し出してきた。

 めぐるが目をぱちくりさせていると、手もとにベースが押しつけられてくる。そしてフユは、町田アンナのほうを振り返った。


「指ならしをしたいなら、アキのギターを使いな。ただし、弦を切るんじゃないよ?」


「えー? わざわざそのために来てくれたのー? フユちゃん、やさしー!」


「アキはお客の相手をしてるから、あたしが代わりに出向いただけだよ」


 フユは、つんとそっぽを向く。

 めぐるがひとりでわたわたしていると、隣の和緒が「さん、はい」と声をあげた。


「フ、フユさん、ありがとうございます」


「ああもう、うるさいね! おせっかいなのはアキだって言ってるでしょ!」


 フユが顔を赤くしながら声を張り上げると、ソファで眠っていたウェンが「うむわぁ」とおかしな声をあげた。


「ミーの眠りをさまたげるとは、不届き千万なのだ……おやおや? ここは、どこなのだ?」


 ウェンはもぞもぞと身を起こすと、寝ぼけた顔で周囲を見回す。

 そののちに、ぽんと手を打ち鳴らした。


「おおっ! 今日はライブだったのだ! ライブの夢から覚めて現実のライブが待ってるなんて、気がきいてるのだ!」


「起きたそばから、騒がしいね。あんたは接客しないでいいの? ドラムはひとりで駆けずり回ってたよ」


 フユが八つ当たりのように乱暴な声を投げかけると、ウェンは「ぬはは」と気の抜けた笑い声をあげた。


「バンドの広報係は、カーニャなのだ。専門外の分野に首を突っ込んでも、効率が下がるだけなのだ。これぞ、適材適所の真理なのだ」


「ふん。それじゃあ、あんたはどういう役割なのさ?」


「ミーはバンドの屋台骨を支えながら、屋根の上ではっちゃける役割も担っているのだ。我ながら、八面六臂の大活躍なのだ」


 まだ完全に睡魔から脱していないようで、ウェンは人並みの声量である。ただし、言葉の内容は普段と大差なかった。

 めぐるはワーウィックのベースをありがたく爪弾きながら、その言葉を聞いている。フユは落ち着きを取り戻した様子で、さらに言葉を重ねた。


「そういえば、作詞作曲はあんたとギターが受け持ってるんだってね。まあ、アレンジなんかは全員がかりなんだろうけどさ」


「うむなのだ。ミーがどれだけ丹念にデモ音源を作りあげても、スタジオではバラバラに解体されてしまうのだ。しかし、それこそがバンドの醍醐味なのだ。ミーが作り込めば作り込むほど、解体されたときのビッグバンも盛大なのだ」


 そんな風に語ってから、ウェンはめぐるや和緒に向かってにっこりと笑いかけてきた。


「かわいこちゃんズのステージが刺激的だったから、ミーもギーナも創作意欲が炸裂したのだ。今回はミーの一曲しか完成しなかったけど、乞うご期待なのだ」


「そうですか。心して拝聴します」


 ウェンがフラットなテンションであるためか、和緒の返答も至極穏当である。

 ウェンは「うむなのだ」とうなずいてから、「うーん!」と大きくのびをした。


「でもその前に、まずはミーが拝聴する番なのだ。こんな寝起きでかわいこちゃんズの爆音を浴びたら魂が肉離れを起こしてしまうので、ひと踊りしてリフレッシュしてくるのだ」


「なんでもいいけど、他のお客に迷惑をかけるんじゃないよ?」


「心配ご無用なのだー」ととぼけた声をあげながら、ウェンは千鳥足で楽屋を出ていった。

 チェリーレッドのレスポールをかき鳴らしながら、町田アンナは「あはは」と笑う。


「ウェンさんもウェンさんで、なんかのんびりモードだったねー。あれぐらいなら、みんなも扱いやすいんだろうけどなー」


「どうせあんたたちのライブが始まったら、また大暴れでしょ。乱入されないように、せいぜい気をつけな」


「あはは! それはないって言いきれないのが、おっかないところだねー!」


 ウェンが立ち去っても、楽屋内の熱気に変わりはない。

 それに、フユがひとりでたたずんでいるのが、何だかとても新鮮な心地だ。なおかつ、ライブの直前にフユと語らうというのは、初めての体験であるような気がした。


「あ、フユさんもいらしたんですね」


 と、そこに『ジェイズランド』のスタッフがやってきた。『ヒトミゴクウ』のベースである、スキンヘッドで大柄の若者だ。


「なんだかんだで五十人ぐらいお客も入ったんで、オンタイムでスタートします。あと五分で幕なんで、準備をお願いします」


「りょーかいでーす! 今日もよろしくおねがいしまーす!」


「はい。よろしくお願いします」と真面目に答えてから、若者はやわらかく微笑んだ。


「『KAMERIA』がトップなんて、贅沢なイベントですよね。スタートに間に合わなかった人たちは、みんな残念がると思いますよ」


「あはは! 残念がってもらえるように、頑張りまーす! それじゃー、出陣だー!」


「こら、アキのギターを持っていくんじゃないよ」


 フユがクールに指摘すると、階段のドアに向かいかけていた町田アンナは「おっとっと!」とつんのめるように立ち止まった。


「そーだったそーだった! あとでアキちゃんにお礼を言わないとなー! フユちゃんも、わざわざありがとーね!」


「いいから、とっとと準備しな」


 フユは子犬でも追い払うように、ぷらぷらと手の先を振る。

 めぐるは壁にワーウィックのベースを戻してから、あらためてフユに頭を下げた。


「あの、本当にありがとうございました。『V8チェンソー』のライブも楽しみにしていますので、頑張ってください」


「そんなことより、まずは自分の出番でしょ。ま、どうせステージの後には夢うつつで、頭も回らないんだろうけどさ」


 今回はフユも取り乱さず、落ち着いた表情でそんな風に言ってくれた。

 めぐるはあらためて、フユと同じ日にステージに立てる喜びを噛みしめる。夏から秋にかけてはさんざんご一緒してきたが、それらはいずれも多数のバンドが出演するイベントであったのだ。正式な形で『V8チェンソー』と対バンするのは、『KAMERIA』の周年イベント以来のことであった。


 あれから三ヶ月半ほどが経過して、『V8チェンソー』はますます格好よくなっている。きっとコッフィたちをゲストとして迎えても、堂々と渡り合うことができるのだろう。

『KAMERIA』には、まだそれだけの実力は備わっていないが――それでも一心に、練習を積んできたのだ。それを『V8チェンソー』と同じ場で披露できることが、めぐるには幸福でならなかったのだった。

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