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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 1-

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04 主観と客観

 めぐるは二台のエフェクターを購入し、無事に散財することになった。

 電源アダプターの購入は差し控えて、9V電池で駆動させることにしたのだが、エフェクター本体とそれを繋ぐパッチケーブルだけで、二万円を大きく突破してしまったのだ。めぐるはベースとそれにまつわる機材によって、三年かけて積み立てた貯金を端数まできっちり使いきってしまったわけであった。


 素直にベース用のエフェクターを購入していれば、出費も半分以下に抑えられたのかもしれない。それを試しもせずに即決してしまうというのは、やはりあまりに短慮であったのかもしれないが――それでもめぐるは、内なる熱情をこらえることがかなわなかったのだった。


『あいつもビンボーだったくせに、やたらとエフェクターを買いあさってたんだよねー! だったらいっそマルチエフェクターでも使えばよかったのに、それじゃあ面白くないとか言い張っちゃってさー!』


『SanZenon』の元ドラマーは、和緒に返信したメッセージでそのように告げていた。


『とりあえず、あのライブ映像で使ってたエフェクターはその二つだけだって話だから! 他の曲で気になるエフェクターがあったら、いつでも質問してね! またギターのやつに聞きほじってあげるよ!』


 彼女はそのように言ってくれていたが、さしあたって今のめぐるには十分以上であった。そもそも資金は尽きていたし、そうでなくてもめぐるは二台のエフェクターをいじくり回すだけで悦楽の境地であったのだ。


 エフェクターを買って帰った当日などは、アンプに繋げたくてうずうずしながら生音の個人練習に励むことになった。そして翌日の放課後には、町田アンナに怒声をぶつけられるまで音作りに没頭してしまったのである。


「エフェクターを買った嬉しさはわかるけど、さっさと練習しようよー! こっちだってその凶悪な音に合わせたくって、うずうずしてるんだからさー!」


 そんなわけで、『小さな窓』の練習に取り組んでみると――楽曲の印象が、一変した。ベースの音色が凶悪なまでに歪んだ分、勇猛な印象が尋常でなく増幅されたのである。


「これはちょっと、ギターの音も調節しなきゃだね! こっちはもうちょい歪みを抑えたほうが、ヌケがよくなるかも!」


「す、すみません。わたしのせいで、余計なお手間を取らせてしまって……それに、町田さんだって好みの音を出していたはずなのに……」


「ウチだって、ずっと個人練で音を作ってたわけだからね! それをバンドで調整するのは、当たり前の話じゃん!」


 そのように語る町田アンナは、世にも楽しげな笑顔になっていた。


「それに、ウチの作った曲がこんなにかっちょよくなったんだから、文句のつけようがないっしょ! もっとあれこれいじくって、最強にかっちょいい曲に仕上げないとねー!」


 そういえば、そもそもめぐるは彼女が弾くべきギター・リフを横取りした格好であるのだ。それで彼女が、何の不満も抱いていないように見えるのは――めぐると同じく、理想を追求することを最優先にしているがゆえなのかもしれなかった。


 ともあれ、『小さな窓』はまた一歩、完成形に近づくことになった。

 そうすると、気にかかるのは名もなき新曲のほうである。


「こっちの曲も、最初に比べればずいぶん様変わりしてきたよね! ただ、ベースの音はそんなに凶悪じゃないほうがいいかな?」


「は、はい。わたしも、そう思っていました。エフェクターはかけないか、原音にうっすらかけるぐらいでいいように思います」


「うんうん! いろいろ試してみよーね! 和緒もさ、もっとフィルであれこれ派手にしてくれない?」


「だから、キャリア一週間未満のド素人に要求が高いってんだよ」


 スネアの皮の張り具合を調節しながら、和緒はそのように言い捨てた。


「だけどまあ、タテノリよりヨコノリのほうが難しいって定説は、本当だったみたいだね。『小さな窓』よりは新曲のほうが、まだ勢いでごまかせる気がするよ」


「いやいや! 『小さな窓』のほうだって、けっこーグルーブが出てきた気がするよ! いっそハイハットも十六分で刻んでみたら、がっつりヨコノリになるんじゃない?」


「だったら手前でやってみやがれ、この能天気野郎」


 和緒がそのような言葉を使うと、栗原理乃はひとりでぎょっと身をすくませてしまう。彼女は繊細な気質であるため、なかなか和緒の愉快な人柄に慣れないようであった。


「と、ところであの……この曲もだいぶ歌詞ができてきたので、試しに歌ってみてもいいですか……?」


「えーっ、マジで!? そんなの、いいに決まってるじゃん! 何を遠慮してるのさー!」


「ア、アンナちゃんには聞いてないよ。遠藤さんや磯脇さんの前で新しい歌詞を披露するのは初めてだから、いちおう聞いておかなきゃと思って……」


「何も遠慮することはないさ。こちとら、歌詞にケチをつけられるほどの含蓄は持ち合わせてないからね」


「そ、そうですよ。わたしも好き勝手やっちゃってるんで、栗原さんも遠慮しないでください」


 めぐるがそのように声をあげると、栗原理乃は何故だか目を伏せてしまった。気弱な人間同士であまり言葉を交わす機会がないためか、彼女はめぐるに対しても遠慮が出てしまうようであるのだ。


(でも、歌に関しては何の不満もないもんな。わたしもガッカリされないように頑張らないと)


 そうして一同は、新曲の練習に取りかかることになった。

 めぐるはとりあえず、原音に申し訳ていどの歪み成分をプラスさせる。基本の印象は変えないまま、音の圧力とのび具合――サステインだけを増幅させるイメージだ。


 まずは町田アンナが軽快にギターをかき鳴らし、和緒がスネアの連打で合図を入れて、めぐるが最後にベースを重ねる。これがここ最近でまとめられた、イントロのアレンジであった。

 テンポ120ていどの『小さな窓』に対して、こちらの新曲はテンポ180ていどとなる。タテノリで、勢いと疾走感を重視している楽曲だ。めぐるも最近では無理に十六分音符をねじこもうとはせず、それよりも八分のリズムでフレーズを動かし、疾走感の中にうねりを盛り込むことを意識していた。


 そうしてフレーズをうねらせるには、チョーキングやビブラート、グリスやスライドなどが有効である。教則本と『SanZenon』から授かった、めぐるのなけなしの知識だ。わずかに歪みをかけたベースの音色は、これまで以上にフレーズをうねらせてくれたようであった。


(当たり前の話だけど、わたしは『SanZenon』に一番影響を受けてるんだろうな)


 あの『SanZenon』のベーシストであれば、こういった楽曲でどのような音やフレーズを選び取るか――めぐるは半ば無意識の内に、そんな風に考えているのではないかと思われた。

 しかしまた、最後に決断するのはめぐるの役割である。もともとめぐるは自分にとってもっとも心地好い音色やフレーズを探しているのみであり、そのゴール地点に仮想上の彼女が居座っているような印象でもあった。


 何にせよ、めぐるは自分の理想を追い求めている。

 そしてその土台となっているのは、他なる三名の存在であった。めぐるがひとりで理想を追い求めようとも、和緒たちの奏でる音色と調和しない限り、それは完成されないのだ。家で練り抜いたフレーズがいざ合奏してみるとまるで噛み合わないなどというのは、これまでの日々で何度となく繰り返されていた。


 和緒のドラムと、町田アンナのギターと、栗原理乃の歌。それらのすべてと合致して、おたがいを支え合うことができたとき、初めてめぐるの心は満たされるのだ。そもそもめぐるが『SanZenon』の楽曲に魅了されるのも、彼女たちがその幸福な結実を思うさま体現しているからに違いなかった。


 そうしてめぐるは、このたびも集中して三人の音と向き合い――そして、これまでと異なる感覚を抱くことになった。

 その原因は、栗原理乃の歌だ。彼女がきちんとした歌詞をつけたことにより、また楽曲に新たな要素が加えられたようであった。


 むにゃむにゃと意味のない発声でメロディをなぞるのと、はっきりとした歌詞でメロディを歌いあげるのとでは、やはり勝手が違ってくるのだろう。和緒いわく、日本語というのは母音がくっきりとした言語であるため、そういう差異も顕著であるのだという話であった。


(でも……むしろ、いい感じかも)


 栗原理乃がくっきりとした言葉で歌っているため、歌にも強いリズムが生まれている。そのリズムが、時には演奏とぶつかり、時にはなだらかに乗って、それが心地好い緩急を生み出していた。これは音楽的素養を持たないめぐるの私見であるが、演奏の調和というのはそういうリズムのぶつかりあいをも内包するのではないかと思われた。


 ともあれ、悪い感じはまったくしない。後で録音されたものを聴きなおせば、あれこれ手直ししたくなるのかもしれないが――それでまた、この楽曲も完成に近づくはずであった。


(それにやっぱり、栗原さんの歌声は魅力的だし……この曲は、歌詞も聴きやすいみたい)


 めぐるは音に集中していたが、このたびは歌詞もすんなり頭に入ってきていた。

 これは何か、さまざまな激情を持つ人間の内面を叫んでいるような内容であるようだ。そこには怒りやもどかしさというものも存分に含まれていたが、もっとも際立っていたのは未来に突き進もうという断固たる意志であった。


 この疾走感を重んじる楽曲には、とても相応しい歌詞であろう。

 だからめぐるはこんなにも、歌詞がしっくりと耳に馴染むのかもしれなかった。

 それに、栗原理乃の勇ましい歌詞が、めぐるの心をいっそう昂らせてくれる。めぐるはベースに魅了された身であるが、やはり楽曲において主役を務めているのはヴォーカルであるのだ。栗原理乃は華奢な肉体から精一杯の歌声を振り絞り、めぐるたちをさらなる勢いに駆り立ててくれているようであった。


 そうして、あっという間に楽曲は終了し――最後にのばしたギターの音色が消えやらぬ内に、町田アンナが「いいねー!」と元気にわめきたてた。


「理乃にしては、イケイケの歌詞だったじゃん! これ、何ていうタイトルなの?」


「うん……私は、『転がる少女のように』にしようかと思ってるんだけど……どうだろう?」


「あはは! やっぱり日本語タイトルなんだね! ま、それが理乃のセンスなんだから、文句ないよ!」


「……遠藤さんも、それでいいですか?」


 と――栗原理乃が、不安げな眼差しをめぐるに向けてきた。

 演奏の余韻にひたっていためぐるは、「はい?」と裏返った声を返してしまう。


「わ、わたしが何ですか? もちろん、歌詞にもタイトルにも不満はありませんけど……」


「そうですか。それなら、よかったです」


 栗原理乃は胸もとに手を置いて、ほっと息をつく。

 その姿に、町田アンナが「んー?」と小首を傾げた。


「なんで理乃は、めぐるの反応を気にしてるのかなー? めぐるばっかりひいきしてると、和緒がすねちゃうよ?」


「誰がすねるかい。……ま、おおよそ見当はつくしね」


 手の平の絆創膏を新しいものに交換しながら、和緒はいつもの調子で肩をすくめた。


「今の歌詞、そこのプレーリードッグをモデルにしてるんでしょ? だったらやっぱり、ご本人の反応が気になっちゃうんじゃない?」


 和緒の言葉に、町田アンナは「えーっ!」と素っ頓狂な声をあげ、栗原理乃は真っ青になった。いっぽうめぐるは、きょとんとするばかりである。


「わ、わたしがモデルって、どういうこと? ちっともそんな風には聞こえなかったけど……」


「そりゃあまあ、主観と客観が一致することなんて、そうそうありゃしないだろうからね」


 めぐるは困惑するばかりであるが、栗原理乃の顔色こそが真相を物語っているようであった。

 そうして栗原理乃は、泣きそうな顔になりながら頭を下げてくる。


「ど、どうもすみません! 遠藤さんを不愉快にさせないように、ずっと黙っているつもりだったんですけど……」


「あはは! それをバラしたのは和緒なんだから、理乃が謝ることないさ! それにしても、まさかめぐるをモデルにするとはねー!」


 そんな風に言ってから、町田アンナは愉快げに白い歯をこぼした。


「だけどまあ、めぐるを見てたらモデルにしたくもなるかー。こんな面白いやつ、なかなか他にはいないもんね!」


「ええ? わ、わたしなんて、この中で一番無個性だと思いますけど……」


「だから、主観と客観は一致しないんだよ。とりわけあんたは、自分を客観視できない人間なんだからさ」


 そんな風に言ってから、和緒はオチをつけるようにスネアを鳴らした。

 ともあれ――めぐるたちが初めてセッションから作りあげた新曲には、めでたくタイトルと歌詞がつけられたわけであった。

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