07 交流
「おー、ウワサをすれば、なんとやらだねー! あんたたちも、お疲れさん!」
めぐるたちが物販ブースに到着すると、いきなり威勢のいい声を叩きつけられた。
もちろん、売り子の役を担ってくれた工藤里見ではない。その周囲に、どこかで見た覚えのある女性の集団が寄り集まっていたのだ。
「うひゃー。こっちもトップファイターの集団じゃん」
町田アンナのつぶやきが、めぐるの記憶巣を刺激した。この面々は『サマー・スピン・フェスティバル』にも来場しており、鞠山花子と気安く絡んでいたのだ。
あの日よりも人数は少なく、どうやら五名であるようだ。男性のように無骨かつ雄々しい女性と、男の子のようなショートヘアーで可愛らしい小柄な女性と、栗色の髪をサイドテールにした目つきの鋭い女性と、金髪碧眼で背の高い白人女性――そして、黒と金の入り混じった髪をアップにまとめた、美人でスタイルのいい女性である。最初に威勢のいい声をあげたのは、その美人の女性であった。
「確かに、サマスピでちょろっと見かけた顔かも! そのオレンジの髪、めっちゃ目立つもんねー! とにかく、みんなお疲れさん! いやー、なかなかのステージだったよー! あんたたち、マジで高校生なのー?」
「ちっとは落ち着きなよ」
と、雄々しい容姿をした女性が、騒ぐ美人の頭を遠慮なく引っぱたく。
すると、ブースに座した工藤里見がこちらに笑いかけてきた。
「いやあ、日本を代表するトップファイターに囲まれちゃって、どうしていいかわかんなかったよ。アンナちゃんたちは、夏のイベントでも顔をあわせてたんだって?」
「うん。バタバタしてたから、ロクに挨拶もできなかったけどねー。みんな、ヴァルプルを観にきたんですかー?」
「そうだよー! ま、魔法老女が老骨に鞭打って頑張ろうってんなら、骨ぐらいは拾ってやろうと思ってねー!」
美人の女性はめげた様子もなく、けらけらと笑う。あの鞠山花子にそんな不遜な口を叩けるというのが、めぐるには信じ難いところであった。
「で、みなさんがこっそり教えてくれたんだけど、今日はユーリさんと猪狩さんも来てるんだって?」
工藤里見が小声で問いかけてきたので、町田アンナも小声で「うん」と応じる。
「さっきも、挨拶をさせてもらったよー。サトっぺには、あとでこっそり教えようと思ってたんだー」
「いいよいいよ。そんなお二人と出くわしたって、何を話せばいいのかわかんないしさ。まさか、音楽のイベントでこんな人たちに囲まれちゃうなんてね」
すると、サイドテールの女性がずずいと進み出てきた。
きっとこの中では、こちらの女性が最年少であるのだろう。可愛らしい顔立ちをしているが目つきは鋭く、なんだか肉食に目覚めたウサギとでもいった風情であった。
「ユーリ様は、そちらにおられるのです? 体調にお変わりはないのです?」
「あ、はいはい。お顔の傷が痛々しかったけど、元気そうですよー。みんな、合流しないんですかー?」
「……大人数で押しかけるのは迷惑だろうということで、自重しているのです。でもでも、猪狩センパイおひとりでは心もとないのです」
サイドテールの女性がぶすっとした顔でそんな風に言いたてると、雄々しい女性が「大丈夫だろ」と苦笑した。
「もう首の痛みはほとんど抜けたって話だし、それ以外は元気いっぱいなんだからさ」
「そうですよー。ユーリは、頑丈ですからねー」
と、金髪碧眼の女性もにこやかな面持ちで言葉を添える。
どうやら誰もが、ユーリと親密な間柄であるようだ。それでめぐるは、いっそう心を温かくすることになった。
「ま、こんな人混みじゃ客席に出る気にもなれないっしょ! ピンク頭は、うり坊にまかせておけば――あ痛ッ!」
と、いきなり美人の女性が跳び上がったので、めぐるは心から驚かされた。
彼女の背後に忍び寄った人物が、その立派なおしりを平手で引っぱたいたのだ。それは誰あろう、黒いフードつきマントを纏った鞠山花子であった。
「あの二人はシークレット扱いだって、なんべん言ったらわかるんだわよ? あんたたちだって存分に目立つんだわから、少しは立場をわきまえるんだわよ」
「いったいなー! どーせあんたと『トライ・アングル』なんて、客層はかぶってないんだから――うぐえっ」
今度は、鞠山花子の右拳が腹にめりこんだ。
「その名前もうかうかと口にするんじゃないだわよ。まったく、始末に負えない低能だわね」
「あはは。灰原さんは、歯にきぬを着せないのが持ち味だからねぇ」
と、くぐもった声が響きわたる。鞠山花子は、原口千夏を連れ立っていたのだ。彼女はサポートメンバーの義務として、フードつきマントに黒いガスマスクを装着していた。
(そっか。原口さんも、この人たちとお友達なんだっけ)
めぐるがそんな風に考えていると、鞠山花子がこちらに向きなおってきた。
「それよりも、あんたたちはナイスファイトだっただわよ。こっちの期待を、さらに上回ってくれただわね」
「わーい! ありがとーございまーす! ウチらも、めっちゃ楽しかったよー!」
「本当に、アンタたちは底が見えないだわね。この三ヶ月ていどでまたひと皮剥けてるなんて、想像の外だっただわよ。おかげさまで、今日のイベントの成功は半分がた約束されただわね」
そう言って、鞠山花子はにんまり微笑んだ。フードのせいで陰影が濃くなって、普段以上の迫力である。
「あらためて、心からの感謝を捧げるだわよ。この後は時間いっぱいまで、この祝祭を楽しんでいただきたいだわよ」
「はーい! そうさせてもらいまーす!」
「こんな低能にかまってないで、お客に挨拶をしないんでいいんだわよ? あっちに見慣れた面々が固まっていただわし、穂実嬢もあんたの登場を心待ちにしてるようだっただわよ」
「おー! ホヅちゃんにも、挨拶しないと! ……あ、でも、物販もほっとけないし……」
と、町田アンナが珍しくもじもじすると、工藤里見が「あはは」と笑った。
「こっちは、もうひと区切りなんじゃないかなぁ。みんなのライブが終わると同時に、けっこうなお客さんが来てくれたからさ」
「え、そーなの? 今日はカンペキに、アウェイのはずだけど!」
「うん。Tシャツは十枚ちょいだけど、ステッカーは百枚以上売れたんじゃないかなぁ」
「おー、すっげー! そんな売れるとは思わなかったよー!」
「あんたたちは、それだけのステージを見せつけたんだわよ。これぞ、ウィンウィンの関係だわね」
「ははっ! 無理して若者言葉を使うなって! ……だから、痛いってば!」
灰原なる美人の女性の足を蹴りつけてから、鞠山花子はあらためてロビーの奥側を指し示した。
「あんたたちのお客は、あそこに寄り集まってるだわよ。心置きなく、賞賛を浴びてくるといいだわよ」
「はーい! それじゃー、失礼しまーす! サトっぺ、引き続きよろしくねー!」
そうして『KAMERIA』の一行は、ロビーの奥側を目指すことになった。
こちらが語らっていた間に、ロビーの人影はどんどん減少している。みんな客席に下りて、次のステージの開始を待ち受けているのだろう。めぐるたちはその前に、こんな遠くまで観戦におもむいてくれた人々に挨拶をしておきたかった。
「わー、ホヅちゃんだホヅちゃんだー! ホヅちゃん、ひさしぶりー!」
と、町田アンナは真っ先に田口穂実に跳びついた。
その周囲に、慕わしい面々が集結している。『V8チェンソー』に『マンイーター』、野中すずみと北中莉子――さらに、『天体嗜好症』の面々も居揃っていた。
「やあやあ、みんなお疲れさまぁ。高いチケット代に見合うステージだったよぉ」
まずは浅川亜季が、のんびり笑いかけてくる。
それを皮切りにして、温かい言葉があちこちから浴びせかけられた。
「本当に、『KAMERIA』は観るたびに成長するよねー! 次の対バンも楽しみだなー!」
「ホントですねー。あたしらも対バンしたかったですよー」
「うんうん。でも、今日のライブもすごかったよぉ。もっと色んな曲を聴きたかったなぁ」
「ふん。五曲しか組めないのに、カバー曲をねじこむとはね。……ま、今日のイベントにはマッチしてるんだろうと思うよ」
「『凝結』は大好きな曲ですから、嬉しかったです! というか、全部の曲を聴かせていただきたいぐらいです!」
そんな言葉のひとつひとつが、めぐるの心を深く満たしてくれた。
すると、しばらく様子をうかがっていたアリィも進み出てくる。
「本当に、『KAMERIA』の成長ペースには驚かされちゃうね。こんな勢いだと速攻で燃え尽きそうなもんなのに、そんな気配も皆無だしさ」
「ええ。最初から最後まで、素敵でした。ボクも負けないように、頑張ります」
と、ガスマスクを装着したミサキはくぐもった声で語りながら、祈るように指先を組み合わせる。顔が見えなくとも、その言葉と仕草がめぐるの心を温かくしてくれた。
「ん? なに? ……ああ、はいはい。リィ様、今日も素敵でした。またいつか同じステージに立てる日を心待ちにしています、だってさ」
黒いマスクとサングラスで人相を隠したナラの言葉は、アリィが伝言してくれた。
めぐるたちがこんなやりとりを目にするのも、三ヶ月ぶりのことである。『天体嗜好症』の面々も、相変わらずの様子であったが――そんな中、黒い甚兵衛を黒い作務衣に衣替えしたオーマが、おずおずと進み出てきた。
「いいい磯脇さん。ああああなたはどんな風に練習しているんですか?」
その場の騒ぎを静観していた和緒は、「はい?」とそちらに向きなおる。
紫色の頭で、男性のように厳つい面立ちをしたオーマは、目を泳がせながら言いつのった。
「たたたたった三ヶ月で、磯脇さんはまたお上手になっていました。そそそその秘訣をおうかがいしたいと思って……」
「これといって、特別な練習はしておりませんですよ。むしろ、オーマさんを見習って、サイレントドラムを購入したぐらいですね」
その言葉に、町田アンナが「えーっ!」と声を張り上げた。
「サイレントドラムって、電子ドラムのことっしょ? そんなの、いつ買ったのさー?」
「夏の終わり頃だったかな。せっかくだから、周年イベントの稼ぎを注ぎ込んだんだよ。もちろん、中古の安物だけどね」
「なんで、教えてくれなかったのさー! めぐるは、知ってたの?」
「い、いえ、わたしも知りませんでしたけど……」
すると和緒は、すました顔で肩をすくめた。
「べつだん隠す気はなかったけど、口にする機会もなかったからね。あたしが家でどんな練習をしてるかなんて、オーマさんぐらいしか気にかけなかったというわけさ」
「磯脇さんは、相変わらずだねぇ。でも、オーマが自分からそんな質問をぶつけるなんて、前代未聞のことだったよ」
と、アリィはくつくつと咽喉で笑った。
「それぐらい、『KAMERIA』は物凄いスピードで成長してるってことさ。オーマはドラムしか目に入らないんだろうけど、全員が全員、見違えてたよ」
「うんうん。あたしらはその過程を見守ってたけど、やっぱサマスピがひとつのきっかけだったんじゃないかなぁ。夏の合宿も、すごい気合だったしねぇ」
浅川亜季は、いつもの調子でふにゃんと笑っている。
そしてフユが、切れ長の目でめぐるをにらみつけてきた。
「でも次回は、『バナナ・トリップ』の連中を迎え撃つんだからね。あんまり日がないけど、今のテンションを落とすんじゃないよ?」
「は、はい。また『V8チェンソー』ともご一緒できて、とても嬉しいです」
「……ったく、ステージ直後に何を言っても無駄か」
と、フユはすぐにそっぽを向いて、手で口もとを隠してしまう。めぐるはいまだ幸福な浮遊感のさなかであったので、お話にならないと見切りをつけられてしまったのだろう。しかしおそらくフユは苦笑を浮かべた口もとを隠しているので、めぐるの心は浮き立つばかりであった。
「あ、野中さんと北中さんも、こんな遠くまでありがとうございます」
めぐるが遅ればせながら頭を下げると、野中すずみは頬を火照らせながら「いえ!」と背筋をのばした。
「今日のステージは、本当にすごかったです! 次のライブも楽しみにしていますので、頑張ってください!」
めぐるが「ありがとうございます」と笑顔を返すと、野中すずみも嬉しそうに笑ってくれる。
そして、和緒も北中莉子に語りかけた。
「北中さんも、お疲れさん。この後は凄いバンド尽くしだから、せいぜい勉強していきなさいな」
「……『KAMERIA』が前座を務めるイベントなんてレベルが高すぎて、なんの参考にもなりませんよ」
「それでも血肉にできるかどうかは、本人の心がけ次第さ。……さあ、そろそろ開演かな?」
気づけば、ロビーはずいぶん人影が減っている。物販ブースに陣取っていた格闘技関係者の一団も、ぞろぞろと移動を始めたところであった。
「次のバンドはそれほど趣味じゃないけど、とりあえず拝見しておくかぁ」
「うんうん! 普段は観る機会のないバンドだしね! 『KAMERIA』の直後だとどういう印象になるのかも、気になるしさ!」
そうしてこちらも移動を始めると、亀本菜々子がのんびりとした笑顔で『KAMERIA』のメンバーを見回してきた。
「みんなは、関係者用の通路を使ったらぁ? こっちは、すごい人混みだろうからさぁ」
「いーや! このヌクモリを手放す気はないのです!」
田口穂実の腕を抱いた町田アンナが、にこやかな笑顔を返す。
すると、栗原理乃が冴えざえとした声をあげた。
「では、私はお言葉に甘えさせていただきます。不甲斐ないことに、体力が底を尽きかけていますので」
「あー、それじゃー和緒たちはリィ様をエスコートしてあげてくれない? 貧血とか起こしたら、危ないし!」
「はいはい。どうせ行き着く場所は一緒だしね」
ということで、『KAMERIA』のメンバーは珍しくも別行動を取ることになった。
ミサキも『天体嗜好症』のメンバーと離れる気はないようであるので、めぐると和緒と栗原理乃の三名のみが関係者用の扉をくぐって階段を下りる。そうして通路を歩いていくと、ユーリと猪狩瓜子の両名が壁にもたれてしゃがみこんでいた。
「あ、どうもすみません。ちょっと休ませてもらってます」
そのように声をあげたのは猪狩瓜子で、ユーリは彼女の肩にもたれたままぴくりとも動かない。それでめぐるが、思わず声をあげることになった。
「ど、どうしたんですか? お気分でも悪いんですか?」
「いえ。興奮が冷めたら、力尽きちゃったみたいです。こんなこと、普段はないんですけどね」
猪狩瓜子はキャスケットごしに頭をかきながら、気恥ずかしそうに微笑む。どうやらユーリは、熟睡しているようであった。
「たぶんそれだけ、みなさんのステージに心を揺さぶられたんだと思います。本当に、ユーリさんが余所のバンドさんにあそこまで熱くなったのは、初めてだったんすよ」
「それはそれは、恐れ多いばかりですね」
何を聞かされても、和緒と栗原理乃のクールなたたずまいに変わりはない。
いっぽうめぐるは、二人の仲睦まじい姿に心を温かくしたり、その言葉の内容に心臓を騒がせたりと、情緒を引っ張り回されるいっぽうである。めぐるもまた、出会ったばかりの人間にこうまで心を乱されるというのは、常にないことであった。
(……このお二人は、それだけ凄い人なんだもんな)
『トライ・アングル』のヴォーカルであるユーリはもちろん、いまや猪狩瓜子もめぐるにとってはそれだけの存在に成り果てていた。彼女はめぐるのように感受性の乏しい人間でも知らん顔をできないぐらいの魅力や存在感というものを持ち合わせているのである。
しかしまた、彼女たちはスターと呼ばれるような存在であるのだろうから、今後はそうそう相まみえることもないのだろう。
それをちょっぴりだけ残念に思いながら、めぐるは客席ホールを目指すことになったのだった。




