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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 7-

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06 純真無垢

『どうもありがとー! 三曲目はウチらの定番曲、「小さな窓」でした! 楽しんでもらえたかなー?』


 町田アンナが耳もとに手をやると、温かい拍手が応えてくれた。


『ありがとー! ウチらはまだまだぺーぺーだけど、全力全開で頑張るからさー! みんなも最後まで楽しんでいってねー!』


 町田アンナの元気な声を聞きながら、めぐるはチューニングに取り組んでいる。目もとに流れ込んでくる汗がちょっぴり痛かったが、全身にあふれかえった多幸感に変わるところはなかった。


『じゃ、ちょろっと告知もさせてもらうねー! 物販ブースでTシャツとステッカーを置かせてもらったから、気になった人はチェックよろしくー! あと、再来週の火曜日にも、「稲見ジェイズランド」ってとこでライブをやるんだー! 都内住みの人はちょっと遠いだろーけど、その日も「V8チェンソー」に「バナナ・トリップ」っていうすっげーバンドが出るからさ! 絶対、損はさせないよー!』


 そこで、町田アンナはギターをかき鳴らした。MCをしながら、チューニングを完了させたのだろう。めぐるもちょうどチューニングを終えたところであったので、そこに歪んだ重低音を重ねた。


『その後の予定は未定だけど、決まりしだいSNSのほうでアップしていくからさ! そっちも、チェックよろしくねー! それじゃー、ラスト二曲! かっとばしていくよー!』


 和緒と栗原理乃もそれぞれの楽器の音を鳴らして、いつでも曲に入れるという合図を送った。

 町田アンナは最後に盛大な音を鳴らしてから、それをフェードアウトさせていく。


『ではでは! 次は「SanZenon」っていうバンドのナンバーで、「凝結!」 Mさん、はりきってどーぞ!』


 めぐるは誰にともなく頭を下げてから、右手の親指を4弦に叩きつけた。

 四曲目は、これまた三ヶ月以上ぶりとなる『凝結』である。この三ヶ月は持ち時間の短いイベントばかりであったので、『SanZenon』のカバー曲を盛り込む余地がなかったのだ。


 とはいえ本日も持ち時間は二十五分であるのだから、決して長いわけではない。それでも『KAMERIA』があえてカバー曲の『凝結』をセットリストに組み込んだのは、やはりイベントのコンセプトを意識してのことであった。


『凝結』は『青い夜と月のしずく』に負けないほど、重くて激しい六拍子の楽曲だ。

 というよりも、めぐる自身はこちらの楽曲にインスパイアされて『青い夜と月のしずく』のフレーズを考案したといっても過言ではない。それぐらい、『SanZenon』の楽曲はめぐるの血肉になっているのである。


 しかしまた、『青い夜と月のしずく』と『凝結』を似ていると考える人間は、それほど多くないことだろう。めぐるを除くメンバーたちは、そこまで強烈に『SanZenon』の影響を受けているわけではなかったし――めぐる自身も、『SanZenon』の猿真似をしようという気持ちはいっさい持ち合わせていなかったのだった。


 同じ六拍子の曲であるからこそ、めぐるは『青い夜と月のしずく』が『凝結』に似てしまわないように意識した。『凝結』に負けないぐらいの激しさと重々しさを目指しつつ、『SanZenon』の鈴島美阿とは異なるアプローチで実現することに心血を注いだつもりであるのだ。


 そして他のメンバーたちも、原曲とは異なる魅力を叩き出している。

 町田アンナの荒々しいギターも、和緒の硬質的なドラムも、『SanZenon』には存在しない要素であったし――ピアノに関しては、完全に『KAMERIA』のオリジナルである。そして、栗原理乃と町田アンナの歌声も、鈴島美阿とまったく異なる魅力で『KAMERIA』の『凝結』を完成させていた。


 その中で、歌詞だけはまぎれもなく鈴島美阿の言葉である。

 自由に空を舞っていた存在がじわじわと融解して、汚い地面にしたたり落ちていく――『凝結』の歌詞は、そんなイメージを想起させる内容になっていた。


 しかしまた、栗原理乃と町田アンナは鈴島美阿の言葉を自分たちなりの思いで歌っているように感じられる。

 鈴島美阿ほど生々しい激情をほとばしらせることはなく、栗原理乃はむしろ冷たく聴こえるような声音で、町田アンナは乱暴ながらも生命力にあふれかえった明るい声音で、『凝結』を歌いあげているのだ。たとえ同じ言葉であろうとも、受ける印象はまったく異なっていた。


(それが、『KAMERIA』なんだもんね)


『KAMERIA』は『SanZenon』の楽曲をお借りして、自分たちの理想を体現しようと尽力している。だからこそ、カバー曲もオリジナル曲と同じぐらい大切にしており、今日のような日にも迷うことなくセットリストに組み込むことがかなうのだった。


『どうもありがとー! それじゃあラストは、「僕のかけら」!』


『凝結』がエンディングを迎えると、町田アンナはすぐさま宣言した。

 栗原理乃もまた出遅れることなく、絶妙のタイミングでピアノのイントロを開始する。その鬼気迫るバッキングにベースの重低音を重ねると、めぐるの心臓があらためて躍動した。


『僕のかけら』は、アップテンポかつタテノリの楽曲である。

 ここまでの四曲は重さと激しさを重視していたため、最後の最後でジェットコースターに乗せられたような心地であった。


 部室やスタジオの通し練習でも、こういった爽快感は何度となく味わわされている。

 本番のステージでは、その感覚が恐ろしいぐらいに上乗せされていた。


 和緒が叩き出すシャープなビートも、町田アンナと栗原理乃が織り成す怒涛のバッキングも、心地好くてならない。そして、それをがっしりと繋ぎ合わせているのが自分の紡ぎ出す重低音であるという事実が、何だか信じ難いほどであった。


 Bメロでは、栗原理乃が驚くべき早口で『僕』を構成する『かけら』を叩きつけていく。

 それもまた、めぐるを恍惚とさせてやまなかった。


 そして――客席も、大いに盛り上がっている。

 きっと一曲目に『僕のかけら』を披露しても、これほどの熱気は実現できなかったことだろう。そのためにこそ、『KAMERIA』はセットリストの考案に頭を悩ませまくったのである。


 しかしまた、めぐるたちも漠然としたイメージだけを頼りに、頭を悩ませていたにすぎない。和緒とて、出演バンドのライブ映像を何曲か視聴しただけであるので、そうまで正確に客層の分析などできるわけもないのだ。


 それでも、めぐるたちが懸命に頭を悩ませたのは事実である。

 なおかつ、最終的にもっとも重んじられたのは、自分たちが楽しめるかどうかだ。

 結果、めぐるたちはこれほど幸福な心地であり――客席の人々ともその楽しさを共有できたのならば、感無量であった。


『どうもありがとー! 「KAMERIA」でした!』


 アウトロの最後の音を盛大にかき鳴らしながら、町田アンナが声を張り上げた。

 楽しい時間も、ついに終わってしまうのだ。

 めぐるは理由も判然としないままに涙をにじませながら、町田アンナが跳躍する姿を見届けて――その着地に合わせて、最後の音を叩きつけた。


『ありがとー! みんな大好きだよー! 最後まで楽しんでいってねー!』


 大歓声の中、赤い幕がしずしずと閉められていく。

 めぐるはきつくまぶたを閉ざし、全身を駆け巡る熱情を思うさま噛みしめてから、撤収の準備に取りかかった。


 気づけば、全身が汗だくである。

 膝も指先も、小さく震えている。ステージの前に摂取した食事のカロリーなど、ひとつ残らず燃焼させてしまったような心地である。ひさびさに体感した二十五分間のステージが、めぐるの体力を根こそぎ奪ったようであった。


 その虚脱感も含めて、幸福な限りである。

 身体がしんどければしんどいほど、めぐるは満ち足りた気持ちであった。


「やっぱ、五曲のステージはしんどいね。体力の低下を実感してやまないよ」


 そんな言葉が響くと同時に、エフェクターボードの蓋がにゅっと鼻先に突き出された。めぐるがシールドを巻いている間に、和緒がバックヤードから蓋を取ってきてくれたのだ。


「ありがとう……かずちゃんも、お疲れ様」


「うん。冗談ぬきで、疲れたよ。文化祭より十分長いだけなのに、こうまで違うもんかね」


 そんな風に語りながら、和緒はクールなポーカーフェイスだ。ただその格好いいショートヘアーもしんなりと湿っており、なめらかな頬には汗が滴っていた。


「いやー、カンゼンネンショーできたねー! これなら花ちゃんさんも、大満足っしょ!」


 早々に自分の片付けを終えた町田アンナが、スキップまじりにかたわらを通りすぎていく。そして、電子ピアノに手をかけたスタッフがめぐるたちに呼びかけてきた。


「電子ピアノはいったんバックヤードに出すんで、次のバンドがステージに下りてから楽屋に片付けてください。最後のメンバーさんが上にあがったら、声かけをお願いしますね」


「了解です」と応じながら、和緒がめぐるのエフェクターボードを持ち上げる。紙袋の残骸を拾い集めた栗原理乃も早々に立ち去っていたので、最後に残されたのはめぐると和緒であった。


 めぐるは剥き出しのベースを抱え込み、和緒はバスドラペダルとエフェクターボードを手に、それぞれ階段を上がっていく。その途中で町田アンナが引き返してきたので、和緒がスタッフの言葉を伝えた。


「りょうかーい! じゃ、次の人らに声をかけちゃうねー!」


 町田アンナはくるりときびすを返して、階段を駆けのぼっていく。

 めぐるたちがそれを追いかけて楽屋に踏み込むと、黒ずくめの一団がのろのろと腰を上げた。男女混合の四人組、『黒蝶歌劇団』である。


「こっちの撤収は完了なので、準備をどうぞー! そっちも頑張ってくださいねー!」


 町田アンナが元気に呼びかけると、メンバーの何名かがうなずいてくれたが、口を開く者はいない。この一団は、のきなみ陽気ならぬ気性であった。


 彼らは私服も黒ずくめであったが、ステージ衣装はちょっとゴシックな洋式の礼服である。そして全員が顔を白く塗りたくり、目もとや口もとに黒いメイクを施して、妖しいビジュアルを完成させていた。


 そんな彼らを追うようにして、町田アンナもバックヤードに下りていく。そして、めぐるがベースに付着した汗をぬぐっている間に、電子ピアノを抱えて戻ってきた。


「さーて! それじゃあウチらも、物販ブースに突撃しよっか! ライブ直後ぐらいは、アピールしとかないとねー!」


 町田アンナがそのように言い出したため、ライブ直後の感想を述べ合うゆとりもなく、まずは汗だくのTシャツを着替えることになった。

 しかしまあ、言葉で語らう必要はないのだろう。めぐるはこの二十五分間、ずっとメンバーたちとしっかり手を繋いでいたような心地であったのだ。その場にあふれかえった熱気だけで、めぐるは満足であった。


「それでは私も、まだしばらくこの姿でいるべきでしょうか?」


 栗原理乃の問いかけに、町田アンナは「うん!」とうなずく。


「リィ様は、黙って立ってるだけで立派な広告塔だからねー! そのビボーで、お客さんたちをトリコにしちゃってよ!」


「いえ。私などよりアンナさんのほうが、よほど人の目と心をひきつけるはずです」


「またまた、お上手なんだからー! それじゃあ、れっつらごー!」


 と、町田アンナは勢いよく楽屋のドアを開いたが――そこで、足止めをくらうことになった。出口のすぐ外に、思わぬ人々が待ちかまえていたのである。


 それは、ユーリと猪狩瓜子であった。

 そして、めぐるが楽屋を出るなり、ユーリのほうがずいっと身を寄せてきたのだった。


「どうも、おつかれさまですぅ。とってもとっても素敵なステージでしたぁ」


 めぐるは、思わず立ちすくんでしまう。

 何故だかユーリは、その淡い鳶色の瞳で真っ直ぐめぐるを見つめているのである。


 彼女はいつでもとろんと眠たげな目つきをしているが、今はその瞳がきらきらと輝いている。

 まるで小さな子供のように、純真無垢な眼差しだ。ステージの前に対面した際にも彼女は幼子めいた雰囲気であったが、これほどに感情をあらわにすることはなかった。


「いきなりで、どうもすみません。ユーリさんがどうしてもご挨拶をしたいっていうんで、待ち伏せしちゃいました」


 と、猪狩瓜子が温かい笑顔でそのように告げてくる。


「ここだけの話、ユーリさんはあんまり他のバンドに興味を持たないお人なんですけど……みなさんのステージには、すごく感動したみたいです」


「だって、すっごく素敵だったんだもぉん」


 と、ユーリがいきなり口もとのストールをずらしたので、めぐるはあらためて立ちすくむことになった。

 かつて『サマー・スピン・フェスティバル』でも拝見した、とてつもない美貌である。アルビノのように真っ白で、ふくよかな唇だけがほんのり桜色をしており、尋常でない色香を発散させながら、天使や精霊のように清らかでもある。なんだか、この世のものとは思えないほどの美しさであるのだ。


 ただその美貌が、一点だけ脅かされている。

 今までストールに隠されていた左頬が、青黒く変色していたのだ。


「あの……そのお顔は……」


 めぐるが無意識の内につぶやくと、ユーリは「うにゃあ」と気恥ずかしそうに肢体をよじった。


「これは、名誉の負傷なのですぅ。もう一週間も経つのに、なかなか治らなくって……」


「あれは首がもげるような右フックでしたもんね。顔面の骨が砕けなかっただけ、ラッキーっすよ」


 ずいぶん物騒な言葉を口にしながら、猪狩瓜子は慈愛にあふれかえった笑顔であった。


「おまけにムチウチみたいな症状が出ちゃって、この一週間は稽古もできなかったんです。それで鞠山選手が気分転換に、今日のイベントにお誘いしてくれたんすけど……予想以上の収穫だったっすね」


「うん。なんだかユーリは、涙が止まらなかったのです。ちっちゃいカラダで頑張る姿が、イヌカイちゃんを思い出させるんだよねぇ」


 そんな風に語りながら、ユーリはまだめぐるのことを見つめている。

 その純白の顔にも、猪狩瓜子に負けないぐらい優しい微笑みがたたえられていた。


「ユーリなんかがこんなことを言うのは、センエツきわまりないのですけれど……これからも、頑張ってくださいねぇ。ユーリも草葉の陰から、応援しているのですぅ」


「草葉の陰って、墓の下って意味っすよ。あんまり不吉なことは言わないでくださいね」


 そんな風に言ってから、猪狩瓜子は他なるメンバーたちを見回した。


「あ、おひきとめしちゃって、すみません。きっとライブの直後は挨拶回りとかで、忙しいんすよね。どうぞこっちはお気になさらず、行っちゃってください」


「はーい! よかったら、また後で感想を聞かせてくださーい!」


 そうしてめぐるも和緒に背中を押されるようにして、その場を離れることになった。

 けっきょくまともに返事をすることもできなかっためぐるは、移動しながら背後を振り返る。すると、それに気づいたユーリが嬉しそうに手を振ってくれた。


「すっげーね! ユーリは完全に、めぐるをロックオンしてたじゃん!」


 声が届かないぐらいの距離に至ると、町田アンナが楽しげに言いたてる。

 和緒は「そうだね」としかつめらしく応じた。


「変人同士でひかれあうなんて言ったら、あちらさんに失礼だろうけど……ちなみにイヌカイってのは、どこのどなたさん?」


「あー、たぶん犬飼京菜っていう、プロファイターだねー! めっちゃちっちゃいけど、めっちゃ強いんだよー!」


「ミュージシャンじゃなくて、ファイターか。このプレーリードッグに似たお人なの?」


「いやいや! 人喰いポメラニアンとか呼ばれてる、めっちゃ凶悪なキャラだよー! どっちかっていうと、ビジュアルはシバちゃんに似てるんじゃないかなー!」


 そんな風に言ってから、町田アンナはにっと白い歯をこぼした。


「でもさ、なんかわかる気もするかも! 犬飼京菜ってちっちゃいカラダですっげー暴れまくるんだけど、それがすっげー迫力なんだよ! なんかこう、自分の命をそのまま相手に叩きつけるみたいな……そーゆー迫力が、めぐるとカブるんじゃないかなー!」


「ふん。こっちはステージでも不動だけど、凶悪さは負けてないんだろうね。これからは、人喰いプレーリードッグとでも呼ばせていただこうか」


 和緒と町田アンナの会話を聞きながら、めぐるは宙を漂っているような心地であった。

 ライブの直後は夢見心地の浮遊感に見舞われるのが常であるが、それがユーリのおかげで拍車を掛けられた気分であった。


(あんなすごい人に、あんな言葉をかけられたって……どう処理していいのか、わからないよ)


 めぐるの心には、まだユーリの眼差しが焼きつけられていた。

 あんな純真な眼差しは、これまでに見た覚えがない。ユーリの年齢は存じあげないが、あんないい大人になってもあんな純真さを保てるのか、と――やっぱりめぐるは、人ならぬ何かに遭遇したような心地であったのだった。

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