05 開演
『KAMERIA』のメンバーが薄暗いステージで出番を待ち受けていると、やがてのどかなオランダ民謡のSEがかかり始めた。
この牧歌的なメロディを耳にするのも、ずいぶんひさかたぶりのことだ。この夏から秋にかけてはSEを使用しないイベントばかりであったので、それこそ『KAMERIA』の周年イベント以来であるはずであった。
町田アンナは開幕の瞬間が待ちきれない様子で、うずうずと身を揺すっている。
和緒はのんびり右肩を回しており、栗原理乃はピアノとマイクの前で直立不動だ。
先々月の『ジェイズランド』の周年イベントではすぐに幕が開かれていたので、そんなメンバーたちの姿をじっくり拝見するのも、ひさびさのことである。それがまた、めぐるの心をどんどん昂揚させていった。
ここは初めて立つステージであるのに、懐かしさのほうがまさってしまう。
二十五分間に及ぶステージも三ヶ月以上ぶりであったので、めぐるは期待ではちきれんばかりになってしまっていた。
そうして一分ていどが経過した頃、ステージ上を見回した和緒が両手のスティックを振り上げる。
バスドラとスネアの短いコンビネーションを合図に、すべての楽器が鳴らされて――血のように赤い幕が、しずしずと開かれた。
それと同時に、眩いスポットが客席にまであふれかえる。
やはり客席には、百名足らずのお客しか居残っていないようであったが――スポットの届く範囲に、見知った顔ぶれがおおよそ居揃っていた。
ベース側の最前列に陣取っているのは、野中すずみと北中莉子だ。
その少し後ろには、『天体嗜好症』の四名が勢ぞろいしている。
最前列の中央はハルと亀本菜々子、ギター寄りには坂田美月、その少し後ろには浅川亜季とフユと柴川蓮が立ち並んでいる。
さらに後方、ぎりぎりスポットの輝きが届く位置に、鞠山花子はひとり傲然と立ちはだかっていた。
『ハロー、エブリワン。ウィー・アー・「KAMERIA」』
と、町田アンナが普段よりも抑えた声量で挨拶の言葉を申し述べる。
それを合図に、めぐるたちは鳴らしたばかりの轟音をフェードアウトさせて――それが完全に消え去る寸前に、栗原理乃が哀切なるピアノのフレーズを奏で始めた。
和緒はひっそりと、ライドシンバルでゆるやかなリズムを刻む。
それから八小節ののち、あらためて四人全員が爆音を炸裂させた。
本日のオープニングナンバーは、『KAMERIA』の持ち曲の中でもっとも重々しい曲調である『青い夜と月のしずく』である。
本日の出演バンドをリサーチした和緒が、自分たちもイベントの趣向に沿ったセットリストを考案するべきではないかと提案した結果であった。
本日の出演バンドに共通するのは、ヘヴイロックとアンダーグラウンドの二点であるという。バンドならぬ『ルーナ&ソリス』も、その例からもれなかったのだ。
「テンタイのイベントでも、それは同じようなもんだったけどさ。ただ今回は出演者のレベルが高いせいか、いっそうがっちりコンセプトが固められてるような印象なんだよね」
かといって、『KAMERIA』が無理にコンセプトを合わせる必要はない。よって、無理のない範囲で歩み寄ることはできないものかと思案して――その結果、『青い夜と月のしずく』がオープニングナンバーに選出されたのだった。
重さと激しさと幻想的な雰囲気をあわせもつ『青い夜と月のしずく』は、『ヴァルプルギスの夜★DS3』ともっとも親和性の高い楽曲であるだろう。そして、本日のリハーサルを拝見したことで、他なる出演バンドも同様であったことが理解できた。
(『小さな窓』や『虹の戯れ』が一曲目でも、きっと悪いことはないんだろうけど……きっとこっちのほうが、理想的なんだ)
重々しい六拍子のリズムにひたりながら、めぐるは頭の片隅でそんな風に考えた。
ただしその間も、心の大部分は運指に集中している。この曲は『SanZenon』にも負けない激しさと難解さを求めただけあって、オープニングナンバーとして披露するには普段以上の緊張感が生じた。
しかしその緊張感が、めぐるをさらに昂揚させていく。
また、このように重々しい演奏でライブをスタートさせるというのが、新鮮でならなかった。
やがてイントロが終了したならば、ベースとギターは極悪な音色をフェードアウトさせていく。
そんな中、繊細なるピアノの音色とドラムのひそやかなリズムだけを伴奏に、栗原理乃は哀切なメロディを歌い始めた。
それらの音色にひたりながら、めぐるは束の間の休息を楽しんだ。
野中すずみは、早くも目もとを潤ませている。彼女はこの曲に、ひときわ涙腺を刺激されるようであった。
仏頂面の北中莉子も、楽しんでくれているだろうか。
静かにたたずむフユたちは、どうだろう。ステージの照明は曲中の雰囲気に合わせて操作されるので、このパートでは光量が絞られており、人々の表情をうかがうことも難しかった。
しかし何にせよ、めぐるは精一杯の演奏を届けるのみである。
Bメロに入ったならば、めぐるも抑えた音量で頭のルート音だけを奏でる。
町田アンナは、ハイフレットのアルペジオだ。ギター本体のボリュームを絞ることで、とても美しい音色が完成されていた。
そしてサビでは、イントロに負けない轟音を炸裂させる。
この急激な緩急こそが、『青い夜と月のしずく』の魅力であるはずだ。
ステージには極彩色のスポットが入り乱れて、それもまためぐるの心を昂揚させてくれた。
(わたしは、すごく楽しいから……みんなも、楽しんでくれているといいな)
そんな思いを浮かべながら、めぐるは演奏に没頭する。
紙袋をかぶっているせいで判然としないが、和緒や町田アンナもこの重々しい演奏に没頭しているようだ。それは、音色で感じ取ることができた。
そして栗原理乃は、この音の奔流に負けない歌声を振り絞っている。
栗原理乃の機械人形めいた歌声こそが、この楽曲の特異性の最後の決め手になっているはずであった。
そもそも『青い夜と月のしずく』をステージで披露するのも三ヶ月以上ぶりであったので、めぐるの昂揚は増していくばかりである。
そして、そんなめぐるの目の端で、何度か白い光が瞬いた。
最初は気のせいかと思ったが、どうやらそれは出入り口のドアが開閉されることで通路の照明が入り込んでいるようであった。
その瞬きを重ねるごとに、客席の熱気が増していくようである。
どうやら一階のロビーでくつろいでいた人々が、少しずつ客席に下りてきたようだ。
これもまた、『青い夜と月のしずく』をオープニングナンバーに選んだ効能であるのかもしれない。本日は、こういった曲調を好むお客が多いはずであるのだ。
めぐるはその事実を嬉しく思ったが、そんな思いも音の奔流に呑み込まれていく。
今は、演奏に集中するべきであるのだろう。
ただし、そんな自戒を持ち出すまでもなく、めぐるの心は『KAMERIA』が織り成す音色に支配されていた。あとは、この昂揚をどれだけの人々と共有できるかであった。
そうして五分に及ぶ楽曲は、あっという間に終わりを迎えて――最後の一音が激しくかき鳴らされる中、町田アンナがあらためて声を張り上げた。
『サンキュー! ウィー・アー・「KAMERIA」!』
演奏に没入していためぐるは、大慌てで紙袋を取り去った。
右手で弦をかき鳴らしながら、左手で丸めた紙袋を足もとに放り捨てる。その間に、町田アンナがさらなる声を響かせた。
『どうもありがとー! ダークサイドのヴァルプルさん、初イベントおめでとーございまーす! みんな、最後まで楽しんでいってねー!』
和緒がフィルを回して、演奏を締めくくった。
それと同時に、客席から拍手と歓声が巻き起こる。どれだけのお客が下りてきたかは不明であったが、普段のステージとまさり劣りのない熱量であった。
『ウチらは千葉から遠征してきた、「KAMERIA」だよー! 知らない人のほうが多いだろうけど、一緒に楽しんでいこー!』
町田アンナが元気いっぱいに語る中、和緒は四つ打ちのバスドラを鳴らし始める。
そのリズムに合わせて身を揺すりながら、町田アンナはさらに言いつのった。
『そんじゃー、ガンガン続けていくねー! さっきの曲は「青い夜と月のしずく」で、次の曲は「孵化」! リィ様、はりきってどーぞ!』
和緒がハイハットを追加すると、栗原理乃もトリッキーなフレーズを奏で始めた。
二曲目は、『孵化』である。こちらは『小さな窓』と『青い夜と月のしずく』を繋げるために考案された楽曲であるため、本日は逆の順番で披露することになったのだった。
こちらはヨコノリのダンスビートでありながら、Bメロでは栗原理乃の歌声とピアノで幻想的な要素も加えられる。そしてサビでは、おもちゃ箱をひっくり返したような音の奔流だ。
普段はノリのいい『小さな窓』からスタートさせて、『孵化』をはさみつつ、『青い夜と月のしずく』の重々しくも幻想的な世界に引き込んでいく。
本日はその逆の順番で、重々しく幻想的な楽曲を好むお客を明るい世界に引き込んでいこうという目論見であった。
(わたしたちは、その両方が好きだからなぁ)
そしてまた、『小さな窓』も明るすぎることはないだろう。そちらとて、十分に攻撃的な楽曲であるのだ。『KAMERIA』の持ち曲でヘヴイロックの要素が薄いのは、バラード曲である『あまやどり』とタテノリである『転がる少女のように』および『僕のかけら』のみであるはずであった。
なおかつ、『KAMERIA』のメンバーはそういうカテゴライズに重きを置いていない。
めぐるたちは、自分が好ましく思える楽曲を作りあげて、披露しているのみであるのだ。その楽しさを限界いっぱいまで客席の人々と共有したいがために、セットリストを考案しているに過ぎなかった。
そうして『孵化』から『小さな窓』に突入すると、最前列のハルたちが楽しげに身を揺すり始める。
客席の奥側でも人影が蠢き、それにつれて熱気が増していくように感じられた。
本日の持ち時間は二十五分間であるので、『小さな窓』を半分ほど終えたところで、もう折り返しだ。
めぐるとしては、残念な限りであったが――そんな思いも爆音の奔流に呑み込まれて、めぐるを幸福な心地にひたらせてくれたのだった。




